考え方 - みる会図書館


検索対象: 日本型マネジメントで大発展!
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1. 日本型マネジメントで大発展!

判ばかりになってしまい、プラスに転じられない人も出てきてしまうことだ。 一方、神道では、只今を明るくエネルギッシュで幸せに生きるために、あらゆ る有益な考え方をしようとする。困難や理不尽なことがあれば、これも神の御教 え、自分を鍛えてくださり、能力を伸ばしてくださるための試練と考える。そう やって、ある意味では強引といってもいいくらいに、都合よくプラスの思考をつ くり出していくのである。 言ってみれば御都合主義の要素もあるのだが、これは「中今の思想」には必要 なことだ。なぜなら、よっほど精神的に強い人なら別だが、人は厳格に自己批判 しすぎると、プラスの力を失ってしまうからである。 何か大きな失敗をしてしまったとしても、それは神様が与えてくださった試練 なんだと考える。自分がより一層強くなり、大きくなるために、失敗をバネにし て何倍もジャンプしてやろうと考えるわけである。これが神道的な考え方なのだ。 720

2. 日本型マネジメントで大発展!

とんどの宗教家は、経済は不浄なるものだ、という考え方を基本的に持っている ようだ。どこの宗教会議でも、経済の話は敬遠される。お金は不浄なるものだ、 弱肉強食、優勝劣敗の経済原則は、宗教にはそぐわないものだと決めつけている よ、つだ。 しかし、本当にそうなのだろうか。神道では、生活の中に生きるものを何より 肉も魚も食べる も尊いことだとしている。だから、無意味な殺生はいけないが、 ことに制約はない。要するに、物を生かしていけば尊いという発想である。進歩 発展的で明るい考え方なのだ。 特に、「生活の中に生きるものが、尊い」とする神道には、「経済は不浄」など という考え方はそぐわない。それどころか、恵比寿様という商売専門の神様もい るくらいだ。むしろ神道的な精神の土台があるからこそ、日本の経済は発展して いるという発想のほうが、より神道の精神にかなっていると言える。私は、日本 経済の発展の秘密は日本文化であり、日本文化の中心は神道であり、神道的な要 素が日本型の経営、日本型の経済の発展の中心をなしているのだと考えていいと 思、つ 2

3. 日本型マネジメントで大発展!

あるいは家代々の悪い因縁があるから、今の困難があるという考え方だ。これは 状況によっては、きわめて有効な考え方である。すなわち、マイナスの状況に置 かれているときに、この考え方が強い力を発揮するのだ。 物事には原因と結果がある。昔良くないことをしたから、今良くない状況に陥 っているのだ、という考え方だ。これを因果の法則という。 マイナスの状況のときには、この法則を想起して、悪い原因を生んだ過去の原 極点に立ち戻ってみるのである。ああ、あんなことをしたんだから、今のマイナス 論状況も仕方ないなと。意味もなく不運なのではなく、自分がまいた種で自分に不 経 運が返ってきたのだ、しようがないと。こう思うことで、気持ちが楽になり、マ 型 日イナスからゼロへと気持ちを戻すことができる。しかし、原点はゼロであってプ る せ ラスではない。 マイナスの原因はわかったとしても、そこにとどまっているだけ さ では決してプラスには転じないのである。だから、今からあらためてプラスの徳 業を積んでいこ、つという考えを持って、向上していくことが必要になる。 ところが問題は、ゼロに立ち戻った時に、ああ、こんなことをしたばっかりに、 章 、などと、ただただ自己批 、自分が悪かったんだ : 不運を呼んでしまって : ・

4. 日本型マネジメントで大発展!

一つは、超越的な神、あるいは絶対者によって全てが創造された、という宗教。 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がこれに当たる。 いちそくた 二つ目は、一即多の宗教。これはインド系に多い。真言密教を見ても、胎蔵界 や金剛界といった次元の仏界があるが、その元には大日如来がいらっしやる。胎 蔵界に四百十四体、金剛界に千四百六十一体いらっしやる仏様は全て、大日如来 からできていると考えるのである。 大日如来という一つの人格が根本にあって、同時にそれが胎蔵界と金剛界でそ れぞれいろいろな仏様に化身している。だから、全ての仏様を東ねると、大日如 来になる。一は即多であるというのはそういうことなのだ。 この考え方は中国にもあり、「一放万彌、という言葉で表わされる。巻き込め やおよろず ば一つになるが、放てば八百万になる万彌。要するに、一つのものに東ねれば一 という概念で収まるが、張り広げれば八百万に働く。八百万というのは、無数と いうことである。無数と同時に一に東ねていく。これも一即多の考え方だ。 神道にもこの考え方の人はいる。平田篤胤は、天之御中主を即多の一の神と考 えて説明しようとしている。本居宣長も、結びの神を陰陽で一対として説明しょ 5

5. 日本型マネジメントで大発展!

優秀な人材がいないということは素晴らしいことである。だからこそ、経営者 は向上せざるを得ないのだ。あらゆることを自分でしなければならないから、あ らゆる才能が磨かれるわけだ。そんなふうに考えるのが猿田彦式の知恵なのだ。 ニ代目三代目社長の問題点 神道的な考え方の一つに世襲制というものがあるということを第一章で説明し た。この伝統は企業社会の中でもしつかりと根づいている。特に中小企業の場合、 二代目、三代目の社長というのは、ほとんどが創業者の子や孫である。 ただし、この場合注意しなければならないのは、すでに形のでき上がったもの を引き継ぐので、従業員が自分についてきてくれることを当然と考えて、そのあ りがたさが分からないということだ。感謝の心が湧いてこなければ、欠点ばかり か目につノ、。 「さんはテキパキしているが、自分勝手に物事を進める傾向があって、協調性 に欠ける」 782

6. 日本型マネジメントで大発展!

第一章で述べたように、日本の褝には、臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の三つがあり、 基本的には同じ哲学だが、特に臨済宗では、「今に生きる」ということの重要性 を強調している。 何かを考えると、今というタイミングは過ぎてしまう。だから、一瞬たりとも 考えていてはいけない。 こうして、自然な生き生きとした瞬間を認識するのだ。 自然は毎瞬毎瞬、風が動き、水が動き、常に変化している。何もかもが一瞬た りともとどまらず、動き、発展し、向上するというのが自然の哲学だ。だから、 我々も毎瞬変わらなければならない。今、ここにいる、刻々の只今にいるという のが、臨済禅の究極のステ 1 ジなのだ。 これは、日本の神道の「中今の思想」と同じ考え方である。神道では、伝統的 に神は人間と調和し、人間は神と調和していると考える。神は自然と調和し、自 然は神と調和している。人間は自然と調和し、自然は人間と調和している。日本 人は、自然の法則や、その現れである自然現象に従うことを好むのである。その とき、最も重要なことは、今ここにいるということ、常に変化し続けている自然 に対して、「今」というタイミングを掴むことだ。自然のリズムと一体化して、 708

7. 日本型マネジメントで大発展!

をすると、すぐにやられてしまう。 だから、経営というのは精進努力を絶やすことはできないのである。小なりと ハラン それだけの精神力と精進と、 言えど利潤を上げ続けている経営者は偉い。 スの取れた物の考え方と、事業の進め方ができているということだ。どこかが偏 っていると、いびつになって収益性に跳ね返ってこないものだ。 優秀な企業、即ち生成化育進歩発展している会社の経営者に共通して言えるこ とは、まず第一に自分の仕事に誇りを持っているということである。何の業種で も、今自分のしている仕事を「これが俺の天職だ " " ーと確信しているのだ。天職 であるかどうなのか、もっと違う仕事のほうが向いているのではないか、という 迷いが、人間の仕事の能力、集中力、没入力を弱くしている場合が多い。 次に言えることは「世のため人のため」と考えていることだ。これは言い方を 変えれば「お客様第一主義」の精神と一言うことができる。 「お客様は本当に喜んでくれているだろうか」「お客様は何を求めているのだろ 、つか」 常にそう考えていれば、おのすと愛と真心が入ってくる。奉仕の精神というこ 792

8. 日本型マネジメントで大発展!

レキシプルにあらゆるものを吸収できるのである。 なかいま 神道には「中今の思想」というのがある。昔のことにこだわらず、今の中に生 きていることが尊いという考え方だ。 そこから、命 ( ミコト ) の解釈も生まれてくる。昔は昔、今は今、今の中にい ることが尊い。したがって、人生の目的であるミコトを持って生まれてきた自分 か、いかに今の時代や社会の生成化育の中に命を役立てていくか、という人生観 が生まれるわけである。 これにともなって出て来る考え方に、穢れというのがある。天津罪や国津罪を 犯すことによって、穢れが生じてしまう。神道ではこれをとても嫌うのだ。 だが、これはキリスト教で一言うところの罪という概念とは、大きく異なる。キ リスト教ではもともと人は罪人だということになっている。その原罪をとにかく 早く清算した方がいいからというので、労働を行う。労働は人間が犯した罪への 罰なのだ。だから、労働することは苦しくて辛いことだと、キリスト教徒は考え ている。そして手にした資本は、もっと発展的に苦しみながら罪を祓うために、 次の労働のために使おう、ということになるのである。このプロテスタンチズム

9. 日本型マネジメントで大発展!

これからの時代、世界各地との交渉や交流はますます深くなり、異文化と触れ る機会も多くなっていくだろう。それを契機として、日本人が日本文化というも のを自覚していくことになると思う。そのとき、自分たちの文化の中心には神道 があり、それが他の宗教や文化、芸術、社会体制など、いろんなところに結びつ いているというところを見ないと、ほんとうの意味の日本の文化というものが見 えてこない。そういう意味で、これからの時代、あらためて神道というものがと らえ直される必要がある。学問としての神道の研究もさらに深められることを期 待している。 命を大切にする経営が生き延びる 神道の精神が、どのような形で経済の中に反映されているのかということを、 「命」というものの考え方を例にとって考えてみたい。 仏教は基本的には、「涅槃寂静」 ( 煩悩の炎の吹き消された悟りの世界〈涅槃〉 は、静かな安らぎの境地〈寂静〉であるということ ) ということを究極の目的と 2

10. 日本型マネジメントで大発展!

そしてまた、昭和天皇が国民に対し、 「ほお 1 、頑張ってますね」 と思いをかける。陛下は、どこに行っても国民の、気が枯れるのをふわっと蘇 らせるお力を持っていらした。オオミコトモチである天皇が、ミコトモチである 国民を蘇らせるのである。 石油ショックでも頑張る。円高でもくじけない。かって、総理大臣の不祥事で あるロッキ 1 ド事件があっても、禊ぎ祓いをすればいいじゃないか。リクル 1 ト 事件があっても、気を枯らさないで、奮い立っていこう。そうやって乗り越えて きたのが日本である。良し悪しは別として、西洋とは価値観の基準が違うのだ。 穢れを祓って蘇る日本人のバイタリティ マテリアル ( 物質的、現実的 ) なものと、スピリチュアル ( 精神的、神霊的 ) なものを区別しないのが、日本の神道の考え方である。マテリアルなものには、 その中に全てスピリチュアルなものがあると考える。逆に言えば、スピリチュア 2