「ああ、金子さんでしたか」 と、すましていたという。 こんなことは中小企業ではよくあることである。 もちろん、猿田彦式に面を変えて、人に合わせていろいろな指導をすることは 必要だろう。それで大分良くなるのも事実だ。 しかし、基本はひたすら忍耐に尽きる。「人を使うは苦を使う」と言うが、従 業員は、経営者の思うようには決して動いてくれないのである。労務管理とは、 中小企業の場合、忍耐、寛容、諦め、と考えていただきたい。昨日よりも今日、 今日よりも明日少しづっ進歩発展していけばよいと、おおらかな気持ちで従業員 篇を育てていくことだ。諦めたところから、人を生かし、己を生かすことができる 実 のである。 論 営 そして、中小企業の経営者は絶対に従業員をあてにしてはいけない。 経 本銭勘定はバラバラでもいい、最後は自分でピシッと締める。税金も自分で払い 名前はバラバラでも、 に行く。電話でも社からだということだけ分かればいい。 章 第予知能力を働かせばいい。 資金回収も一回目だけは任せて、後は自分で行く。 787
「ともにこの危機を乗り切ろう。我が社の前途は、君たちの努力によって洋々た るものになる」 とあくまでも志気を鼓舞しつつ、給料の支払いを半分待ってもらう。給料が半 分になっても「頑張るぞ ! 」という気持ちが奮い立っていたら、それは従業員に とって幸せな状態である。たとえやむを得ず給料が半分の状態でも、皆が仕事に 燃えてやりがいを持っていける、そういう会社にするのは、経営者の力量の一つ と言える。従業員を幸せにするのは経営者の義務なのである。 もちろん、経営者は常に従業員とともにあらねばならないから、自分の給料を 真先にカットするのは当然のことである。 篇 そして、次は取引き先とい、つことになる。 践 実 支払いの期日が来てからでは遅い。危ないぞ、と思ったら一週間くらい前に行 論 営 経 型 本 「こういうわけでございまして」 と真正面から頭を下げる。 第「支払いが続くということは長いお付き合いができるので、これもよきご縁かと ノ 8 /
天畠は本家、国民は分家 こういった、ミコトモチを生かす考え方は、天皇から国民を見たときも同じで ある。オオミコトモチである天皇は、ミコトモチである国民それぞれの働きの中 に、神性を見出して尊いと感じる。だからこそ、天皇は自分の存在は国民と共に ある、と思っておられる。 そしてまた、天皇がそうであるように、国民もまた浸すべからざるものを持っ ているからこそ、天皇は国民の一人ひとりを尊敬する。だからこそ、日本の天皇 は城の中に住むことなく、国民と地続きの御所の中にずっといらしたのである。 みんな仲良く行こうというのが、天皇のお考えなのだ。 面白いことに、武士の時代である鎌倉時代でも室町時代でも江戸時代でも、天 皇は廃されなかった。源頼朝は初めて日本を全国的に平定した武士だが、天皇家 は天皇家として殺すことなくちゃんと尊重している。いったいなぜだろうか。 十二世紀に一時、日本は源平の派閥に二分されたことがある。実際には、源氏 と、平氏と、藤原氏と、橘氏などの四つ巴からなる勢力争いなのだが、大きく分
品質管理の方法に神性を見出して成功した日本 これまでの説明で、神道のものの考え方、そしてそれに根ざした日本文化の特 長が、だいたいおわかりいただけたかと思う。では、それが経済にどう生かされ ているのかということを、具体的に述べていこう。 製品の品質管理のやり方について、アメリカのある博士が発明した方法という のがある。ところが、その方法は、アメリカでは誰からも顧みられることがなか った。 極論すればアメリカ人の発想というのは、自分は自分の責任を果たす、人のこ とは知らない、というものだ。だから、一人ひとりは自分なりに品質管理の努力 はしているつもりなのだろうが、最後にでき上がった品質はバラバラなのである。 それを整えるにはど、つしたらいいか、とい、つわけだ。 ところが、アメリカでは顧みられなかったその方法が、日本では大歓迎された。 なぜかというと、「品質管理の方法論」という個別の物性の中に、神なるものを 見出すことが日本人はできたからである。
松下幸之助を成功に導いた三つの要素 経営者としての松下幸之助さんは、ご本人自身が、こういった「衆知を集め る」ことに徹底した方だった。 その理由は、彼が小学校しか出ていないことにある。学問がないから、人の知 恵をいかにしてうまく借りるかということに苦心されたのだ。 その上、小さい頃から病弱で、仕事をしていても健康に自信がない。だから、 論体力のある人に、自分のできない分を補ってもらおうとした。 ダ また、自分自身が貧乏な家の出だったから、貧乏な人たちの気持ちを聴こうと 努力したのだ。 ぶ 学 だから、松下電器の成功の秘密は、創業者の松下幸之助に学歴がなかったこと 神 精 と、病弱だったこと、そして貧乏だったこと、この三つに隠されていたのである。 の 和 自分にハンディがあったからこそ、衆知を集めようという姿勢が生まれてきたの 章 四 第 では、貧乏で、学歴がなくて、病弱であれば、誰でも松下幸之助のようになれ 757
優秀な人材がいないということは素晴らしいことである。だからこそ、経営者 は向上せざるを得ないのだ。あらゆることを自分でしなければならないから、あ らゆる才能が磨かれるわけだ。そんなふうに考えるのが猿田彦式の知恵なのだ。 ニ代目三代目社長の問題点 神道的な考え方の一つに世襲制というものがあるということを第一章で説明し た。この伝統は企業社会の中でもしつかりと根づいている。特に中小企業の場合、 二代目、三代目の社長というのは、ほとんどが創業者の子や孫である。 ただし、この場合注意しなければならないのは、すでに形のでき上がったもの を引き継ぐので、従業員が自分についてきてくれることを当然と考えて、そのあ りがたさが分からないということだ。感謝の心が湧いてこなければ、欠点ばかり か目につノ、。 「さんはテキパキしているが、自分勝手に物事を進める傾向があって、協調性 に欠ける」 782
している。つまり、自分の内的な世界を見つめて精神的な自由と究極の幸せを得 るための宗教だと言える。だから、仏教においては命の救済という場合、本来は 自分というものの救済が主なるものとなっている。 しかし神道の場合は、個人のことよりも自分の命が先祖から代々受け継がれて きたものであること、そして、子々孫々連綿として受け継がれていくものである ことに価値を見出している。だから、お盆やお正月には先祖を祭り、迎え、その 先祖の大先祖である神様も一緒にお迎えした。これは仏教伝来以前からの日本人 るの習慣だったのである。日本に渡来した仏教は、もともと先祖崇拝の要素はほと んどなく、日本古来のそういう信仰を取り入れながら「日本型」仏教となり、 の人々に受け入れられるようになったのだ。 固 この「命」というものに対する考え方は、企業の中ではどう生かされているだ ろうか。たとえば、日本の企業は、会社が子々孫々受け継がれていくということ のを大切にするから、ゴーイングコンサーン ( 企業が存続していくこと ) に第一の 経価値を置いている。理念としては、どこの国の会計原則を見ても、ゴ 1 イングコ 章 序 ンサーンを重視すべきだとなっているだろう。しかし、日本ではそれが至上のも 7 2
あるいは家代々の悪い因縁があるから、今の困難があるという考え方だ。これは 状況によっては、きわめて有効な考え方である。すなわち、マイナスの状況に置 かれているときに、この考え方が強い力を発揮するのだ。 物事には原因と結果がある。昔良くないことをしたから、今良くない状況に陥 っているのだ、という考え方だ。これを因果の法則という。 マイナスの状況のときには、この法則を想起して、悪い原因を生んだ過去の原 極点に立ち戻ってみるのである。ああ、あんなことをしたんだから、今のマイナス 論状況も仕方ないなと。意味もなく不運なのではなく、自分がまいた種で自分に不 経 運が返ってきたのだ、しようがないと。こう思うことで、気持ちが楽になり、マ 型 日イナスからゼロへと気持ちを戻すことができる。しかし、原点はゼロであってプ る せ ラスではない。 マイナスの原因はわかったとしても、そこにとどまっているだけ さ では決してプラスには転じないのである。だから、今からあらためてプラスの徳 業を積んでいこ、つという考えを持って、向上していくことが必要になる。 ところが問題は、ゼロに立ち戻った時に、ああ、こんなことをしたばっかりに、 章 、などと、ただただ自己批 、自分が悪かったんだ : 不運を呼んでしまって : ・
欧米人でもアラブ人でもそうだが、自分の主体性を持っていると、その主義主 張だけを強く押し出して、他人の知恵に謙虚に耳を貸そうとしないところがある。 だから、自分のそれまでの価値観の中にないものは、徹底的にポイコットするの 逆に、他国の文化が入って来ると、あたかもそれを受け入れることが文化的敗 北であるかのような拒絶反応を示す。その中にある優れた発想や知恵を、積極的 に学び取ろうとはなかなかしない。外国における日本との貿易摩擦や文化摩擦は、 こういうところにも原因の一つが考えられる。 論 ダ では、日本はどうなのかと言えば、他国の知恵をいくら集めたからと言ったっ ろんな色に染まっているように見えても、 て、自国の主体性を失うことはない。い ぶ 学 日本文化のアイデンティティそのものは、絶対に持ち続けている。 神 精 他国の文化を取り入れたからといって、日本人はそれを敗北だ、屈辱だとは受 の け取らない。自分たちの文化に新しい彩りが加わったのだ、というぐらいに考え 和 ているのだ。そしていっしかそれを消化吸収し、平然と日本文化の一部に収めて 章 第しまうのである。 7 イ /
このように、民族の精神的なバックポーンが学問的に整理されていないことが、 戦争に負けたことと深いレベルで相関しているのかもしれないと考えた折ロ信夫 は、神道神学というものの端緒をつくりあげたのである。 これを引き継ぐ形で、小野祖教 ( 神道学者 ) という人が、さまざまな文献を学 問的に分類整理した。その後、國學院大学の元学長、上田賢治氏が、神道神学と しる いうものの確立に大きな一歩を標されている。これが組織神道神学と言われるも のである。しかし、神道の学術的な整理や体系化は、他宗教と比べると現在でも これが神道の現実である。やはり、年月とその るあまり進んでいるとは言えない 人材が必要なのである。 の文化というものは、その中にどっぷりと浸かっている間は、特に意識する必要 有 固 がない。共同体の成員にとって、自分たちの文化はごく自然なあたり前のものに すぎないものだ。ところが、外国文化と触れたときに自分自身というものがはっ の きりする。神道という言葉自体も仏教が入ってきたときに、今まで自分たちが自 済 経然に信仰していたものをはじめて意識して、仏教と区別するために名付けた呼び 序方なのである。 5