ましいわけです。そのように生きるために、義の心を奮い起こして、欲とか感情 を乗り越えて仕え奉る。自らはヘりくだって、神様のために、皆さんのためにと 思ってご奉仕をするわけです。 ボランティアなどの社会へのご奉仕も同じことです。「社会のため」というと 漠然としていますが、社会というのは要は人々の塊です。人々のためにご奉仕す いさおし る、という気持ちが固まってくると功を成すことができます。 社会というのは人々の塊ですが、今生きている人間だけのものではありません。 社会は子孫まで続いていくものです。ですから、病院をつくるとか、政治機構を 、会土をつくるとか、発明品を残すとか、研究を残すとか、何 改革するとか、いしネ か後世の人たちにも役に立つような何かを残すことが、大きく社会にご奉仕する いさおし ことなのです。これを神様の側から見ると「功が立った」ということになり、 無形の宝となるのです。 自分の欲、感情を乗り越えて、社会のために仕え奉り、何かを残していく。自 分に何か長所があるならば、その長所を磨いて人々に仕え奉る。神の御心に合う ように、義によって社会に仕え奉るのが「ご奉仕」です。 7 / イ
しんぼこ、つじよう が進歩向上したという喜び、そして人の役に立てたという喜び。それは心の奥 にある魂が本当に満足したという喜びです。 じか′、 てんめい 天命というものに対する自覚が深くなってくると、喜びや幸せということの次 元が高くなってきます。例えば、芸術家は究極的には、地位や名誉を投げ捨てて 1 トーベンもシュ でも、自分の納得のいく作品をつくることに命を賭けます。べ まつろ 1 ベルトもモ 1 ツアルトも、末路はみんな惨めです。まともに死んだ人なんか一 人もいません。そうして自分の命を削りながら、立派な作品を残しているのです。 ( それが本人にとって、他の何ものにも代えられない喜びだからです。 人には、いろいろな喜び、いろいろな幸せがあります。しかし、少なくとも自 る 分が満足することをして、それが人々の役に立ち、社会からも評価を受けること で ん ができたら、それは次元の高い喜びです。そうして進歩向上していけば、人の期 係待なんか考えなくても、おのずから期待に応えることになっていきます。自分が 関 素晴らしくなれば、多くの人を幸せにすることができるのです。 人 ただ、五十歳、六十歳になって、三千人も五千人も従業員がいるような会社を 章 剏経営しているような場合は、社長が判断を間違えると会社が倒産して、すべての
社会に出ると、会社の内外で新たな人間関係がまたできます。この場合は、原 則的には、利害をともにする人が友達とい、つことになります。しかし、利害を抜 きにして志を同じくする友達とか、本当に困ったときに助けてくれる心の友とい うのも、だんだんにできてきます。 小さい頃は、地理的に近いから一緒に遊ぶというのが友達でしたが、年齢を重 ねるにつれて、友達というのも変わってきます。そうした中で、自分のことを本 当に大切に考えてくれて、自分もその人のために何かしてあげたいと思う本当の しいという真の友情が生まれる 友達というのができてくるのです。命をかけても、 のです。 子どもの頃の友情とか、若い頃の友情とか、職場の利害関係とともにある友情 で というのは、ある程度無視をしてもいいのです。それよりも自分を確立すること 係のほうが大切です。自分が立派になれば、立派になったなりの人間関係が、また 関 新しくできます。 人 「類は友を呼ぶ」と言いますが、本当に変な人には変な友達がいます。素晴らし 章 剏い人の友達は、やはり素晴らしい人が多いのです。運のいい人というのは、運が
二十代というのは、理想と希望に燃えて、自分の思う正義がすみすみまで行き 渡るべきだと考える時期です。三十代になると、上司や先輩を立て、部下を使い 同僚と仲よくやっていかなければ社会的な責任が果たせなくなっていきます。そ こで、片目をつぶることを覚えます。人に対して完璧を求めず、仕方ないと思う ところは見ないようにするわけです。 四十代になると、これが抵抗なくできるようになります。片目をつぶるべきと きはつぶり、ときには両目をつぶったふりをしながら薄目をあけて見ていたり : しかし、開くべきときには、両目をカッと開いて自分の意見を堂々と言えるよう になります。 押すべきときにはガ 1 ンと押して、引くべきときにはサッと引く、そして何も しないときには何もせずにポ 1 ッとしている。この調整が効くよ、つになるのが四 十代です。そうして、はじめて社会で本当の実力を発揮して、活躍できるように だっぴ なるわけです。これが、年代とともに脱皮していかなくてはならない人間関係の ポイントです。 ノ 02
して、素直な誠の状態に心を戻すということなのです。 知識と経験を積み重ねて、信用と人脈と財力が少しすつでき上がっていって、 社会的な実力となっていくわけです。発想とひらめきは、歳をとると鈍くなりま むだ すが、ただ無駄に意味もなく歳をとるわけではありません。人間としても成熟し みこころ て、社会的な実力をつけて、はじめて自分の理想や神なるものの御心を成就させ ることができるのです。 十年間を「修身斉家、治国平天下」のための修養期間にしたい、ということ ですが、今できない人間が後でできるわけはありません。己を修めるとは、 「矜・燥・偏・急」を戒めることです。急いで良くなりたい、早く立派になりた わ′、よもノ、 しようじん いという心を抑えて、黙々と忍耐と努力と精進の毎日を続けるということなの です。これが一番大変なことです。 目標を定め、発願をしたら、焦らず急がず、どんな劣悪な環境にあっても、そ れを神様の試練と受けとめることです。解決しなくてもいいのです。ただ忍耐す ることです。全部をぶち壊して、火をつけて自分も死にたいというような気持ち に襲われながらも、ひたすら耐えて道を貫くことです。それが、本当の男らしさ しゅうよう 70 イ
それが、何よりのご奉仕の喜びなのです。 もちろん、ご神霊だけではなく、私たちが誠心誠意、義の心を持ってご奉仕を すれば、神様は愛で報いてくださいます。神様からいただく愛によって私たちは、 喜び、歓喜を感じます。魂の奥から、「嬉しい」、「幸せだ」という気持ちになる のです。 これは、④の大神様の大宇宙の根源から来る愛の波動を受けるからです。する と、心と魂が満たされて本当に幸せな気持ちになるのです。そして、自分のした へ ことが多くの人の役に立ったという歓びも加わります。だから、人にご奉仕した あ り、ボランティアをしたりして、社会に奉仕をすると、何か嬉しいのです。それ は、自分の良心が喜んでいるからなのです。その喜びは、ご神霊の感じる喜びと 同じものです。 いさおし 社会に貢献して功を立てると、魂のランクが上がっていきます。すると、霊 くんしょ - っ かんむり 様界では、勲章がついたり冠をもらったりします。ご神霊は、その誉れをいた だくのが嬉しいのです。たくさんの人を救えば、それだけ④の神様は愛をくださ 章 第 います。神様も仏様もその喜びを受けて、今日も私たちを守ってくださっている
ならなかったことが分かるようになるのでしようか 災害は人類が生み出した劫 天災も人災も含めて、災劫というものは、神様が人間を裁くために起 こすものではなく、人が自ら生み出したものなのです。 私たち一人ひとりには、みな劫というものがあります。前世で積んだ 劫や今まで生きてきた中で積んで来た劫というものを、私たちは生きていく中で 解消していかなければなりません。それと同じように、人類全体が積み重ねてき た劫というものがあります。それが形となって現れたのが、自然気象の異変、戦 争、社会の動乱、経済の危機などの災害なのです。つまり、自分たちが行ったこ との結果を自分たちが引き受けるわけです。 たいあい しかし、神様は大愛の持ち主です。 例えば、子どもが何かの罪を犯した場合、その子のお母さんが、 冗木見 ごう 「ツっ ( 東京都・ z\ 女 ) 720
運勢が変わるというのは、人間関係が変化していくということです。 = 一今まで身の周りにいた人との関係が駄目になっても、また新しい人と出 会い、その人が新しい場所へ連れて行ってくれたり、今まで知らなかっ さび た情報をくれれば、自分の環境は良くなっていくわけです。寂しいような気がす るかもしれませんが、明るく前向きに考えるようにしてください へ ただ、自分の生まれた年月日によって、大地のエネルギーの流れから受ける影 響というのは違ってきます。あまり小さいことをいちいち気にしていては、社会 る 生活ができなくなってしまいますが、これから新しい環境で人生を切り開いてい て きカく きっぽうい ① こうと思うなら、信頼のおける気学の占い師に見てもらって吉方位を取ることを 嘆 でなお すす お勧めします。自分にとって関東が吉方位になる時期に引っ越して、出直せば、 そこで新しい仕事、新しい人間関係が開いていきます。 章 第 ロよい方位に動けば運命は開く 5
第 1 章人間関係で悩んでいるあなたへ 《用語解説》 えき とく ①徳 : : : 「人に益する行いをすることーで、具体的には困っている人を助けるとか、汚れ そうじ ているところがあれば掃除するとか、人を幸せにする行いを常に心がけ、かっ実 おうえん しゅごれい 践すること。徳を積めば守護霊や神々の応援があり、人も自分も幸せになる。 ってみんなから支持されている人というのは、多かれ少なかれ、そうした人間関 こくふく 係の問題を克服している人です。結局、その人に見合った分だけのものしか、世 の中で成し得ないのです。 神様はいつも見守っていてくれますが、人間として立派にならなければ、限定 しゅご みせいじゅく されたご守護しかいただけません。未成熟な人は、未成熟なりの小さな守護し だっぴ かしていただけないのです。大人に脱皮して、はじめてスケールの大きい守護と みちび 導きが得られ、社会で大きな活動ができるわけです。世の中で沢山の人の支持を 得るのも、神様から守護をいただくのも同じことなのです。 9
第 3 章運が悪いと嘆いているあなたへ に申し訳なく思います たとえ、マイナスからの出発となっても、今の環境を一度すべて壊して、明る く前向きな気持ちで生活がしたいのです。神仏だけでなく、世間一般の目から見 かって ても、勝手なやっと思われるに違いありませんが、ニ十五歳からの十年間は しゅうしんせいか しゅうしん ちこくへいてんか 「修身斉家、治国平天下」のための修身の期間として、自分のやりたいように自 れんま 分を錬磨していきたいと思っています。しかし、今の状態にいることを喜んでい る人たちゃ両親、そして何より導いてくださった方々に対し、申し訳なく思って います。その方々がどう思うのか教えてください。 焦らず努力を積み重ねていけば必ず壁は越えられる や / 、」し 二十五歳というのは、男性の厄年のひとつです。厄年というのは、そ 三れまでの劫が一気に吹き出してくる時期です。男性の場合、特に、四十 二歳やその前後に大きな社会的な問題で苦しんだり、病気をしたりしま 「ツっ 0 ()- ・ / ニ十五歳 / 男 ) 7 9