この本は雑誌『マリ・クレール』 ( 現、角川書店刊 ) の巻頭ェッセイとして一九九五年の 一月より一九九七年の六月まで連載したものに数本書き下しを加えてできています。 中央公論社 ( 現、中央公論新社 ) で発行していた『マリ・クレール』誌の当時の編集長 は井上明久氏 ( 現、作家 ) で、ばくが井上氏と仕事をしたのは、村上春樹氏の『中国行き のスロウ・ポート』の装丁を依頼されたのがはじめてだった。やがて井上氏は『マリ・ク レール』誌へと移り、編集長となって、ばくにこのエッセイを依頼してきたのでした。 「おんなの仕種というテーマでエッセイをお願いしたいのですが」 井上氏に言われた時は、正直考え込みました。ばくは七人きようだいの末っ子 ( 一番下 の姉と七つ違い ) として育ち、上には姉が五人 ( 兄が一人 ) いたので比較的他の男たちょ りは女のあれこれは見てきたつもりではあるが、果たして今の女性の仕種をそんなに見て いるだろうかという危惧があったのです。しかも『マリ・クレール』となれば、読者は女 性の一番美しい年齢であるはずなのです。 「大丈夫ですかねえ。ばくに書けますかねえ」 あ一とがき 2 14
本書は、『マリ・クレール』一九九五年一月号—一九九七年六月号に 連載されたものに書き下しを加えたものです。
本屋さんへ行くと、よく若い女性が立ち読みをしている。若い女性に限らず、女性は立 ち読みが好きだ。どこのオフィス街にもたいてい書店が一、二店あって、ランチ・タイム などはまさに立ち読み天国と言っていい。 朝、出がけに、少し寝坊してしまい、慌てて家をとび出してきた。電車のなかで、ちら っとドアに映った自分を見ると、どこか服装計画に失敗がある。 もう、このプラウスじゃないのがよかったのに、あと一分だけなんて言って眠って いたのかいけなかったんだわ。 赤坂見附にある 0 商事に勤める桜井百合子さんは渋谷で乗り換えた地下鉄銀座線のなか でおもう。 こんな一日はどうも仕事にも他のことにも今一つノラないものだ。やたら目が痒かった りして、ランチ・タイムなどもうまく友だちと連絡がとれなかったりする。 ランチは軽く一人で食べて、本屋さんにでも行ってみようかな、などと歩き出す。 そうだ、今日は『マリ・クレール』の出てる日だわ。今月の特集何だっけ。 桜井百合子さんは『マリ・クレール』のファンだった。 ちょっと余談。ばくの知人でアムステルダムにいてオランダ人と結婚した切田由美さん
のは、わずかな利益、もうちょっとオ 1 バーに言えばわずかな幸を求めて並んでいる場合 が多い。特徴としては、並んでいる彼女たちの表情にはうっすらと恐いものがうかんでい る。やや人生に身を投げ出している感がある。 ばくが並んでいる女性を一番よく見かけるのは、銀座の教文館 ( 書店 ) の角と、新宿伊 勢丹の角だ。二つともそこには手相占いが出ていて、新宿の方は有名な新宿の母で、銀座 の方はなんという人なのかわからないが、男性なので銀座の父とでも呼ばれているのだろ うか。いずれにせよ、二人の前には若い女匪、ちょうど『マリ・クレ 1 ル』の読者年齢と いった女性たちが並んでいる。そうそう、『マリ・クレール』を読みながら並んでいた女性 なんだか、前の人やけに長いわ。早く終わんないかしら。 彼に会うまであと三十分しかないんだけど、それまでにわたしの番、まわってくる かしら。 彼女たちはそれぞれの想いを胸に並んでいる。どこか人生に身を投げ出した感のある並 ぶ女性たちは見ようによってはどこかセクシーでもある。休めの姿勢で文庫本を読んでい る女性もいれば、同じ姿勢で、だらりと下に下ろした左腕をそれとなく右腕で抱えている 女生もいる。ジャンⅱリュック・ゴダール作品によく出てくるアンナ・カリ 1 ナの得意と するポーズだ。なかには鏡を出して化粧を直している女性もいるし、靴から足をはずし、 ストッキングの底を乾かしているような女性もいる。ストッキングをはいた足の土踏まず 14 う
先日、渋谷区役所で働く大沢妙子さん三十七歳、離婚歴一回、『マリ・クレール』購読 者 ) に会って酒を飲んだ折、訊いてみた。 , 彼女は今、二度目の結婚を考えており、その男 生もいっしょだった。 「あのさあ、大沢さん」 「なんですか」 「大沢さんて、噛んだりしない ? 」 「何のことですか ? 」 「だから噛むの ? 」 やがて夫になる男生は何か勘違いしたらしく意味のない笑みをうかべはじめた。 「あの、こう、特に意味もなくばんやりしている時、歯をこう、ぎちっと強く噛みしめた りしている時ってない ? 」 彼女、一瞬、唇を開き、歯をぎちっと噛んだ。 「あ、する時あるかも、ねえ、わたしって時々そんな感じにしていない ? 」 彼女は間もなく夫になるはずの、横にいる男性に訊いた。 「時々、夜、歯ぎしりしていることあるよ ( 誰もそんなことは訊いていない ) 」 「やだあ、そんなんじゃなくって」 大沢妙子は彼の肩をばんと叩いこ。 「時々、職場なんかで気がつくと歯がすつごく疲れていたりする時があるの、もしかした む い 9
数日前、ある雑誌に「女性の一人旅について」というテ 1 マでエッセイを書いた それで今回はふとおもいついて女性の一人旅というものを一つの仕種と考えて書いてみ ることにした。前回に書いた、待っということも仕種としては当てはまらないかもしれな いが、そうい「た意味では旅をすることも同じだとお叱りをうけそうだが、ここは一つ 『マリ・クレール』誌に免じて ( すみません ) お許しいただきたい。 ばくの旅は基本的にはいつも一人旅と決めている。数人で行くのも楽しくないことはな ゞゝゝ。ばくはそんな風におもっているのだ いが、やつばり旅は一人でばんやりできるの力しし が、女性というのはあんがい一人旅をしない。たいてい、二人か三人、ないしは四、五人 で、きゃあきゃあしていることが多い。 「あのさあ、ほら、平井、階段のとこの ! 」 「え 1 、やだ、でもわかる、わかる」 っ 、つし」 「やっちゃったのお、えー 「もう、まいっちゃ一つな、まあいい力」 これは京都の清水寺の茶店の縁台で甘酒を飲みながらの四人連れの女性の会話である。 何がなんだかさ「ばりわからない。でもこうい「た数人連れの女性の旅に出くわすことは
まあまあ、ということで、女性がうまく甘えるということはとても難しい。時々女生に 好意を持たれたり ( そんなことないかな ) するが、女性の甘えと男のすねる感じは、さり 気なく可愛くやらないと往々にして失敗に結びつく。女性タレントなどでも、甘えを売り ものにしているのは案外同性に嫌われたりすることが多い 甘える女性を良しとする男は、よほど人のいい男か、中年以上の男になるだろうが、い くら中年以上の男でも調子にのってあまりやりすぎるとこれも失敗に結びつく 法学部が優秀とされている東京の大学の坂巻教授 ( 仮名だが限りなく実名に近い ) と 不倫をしている虎ノ門の商事で働く宮里昌子さん ( 仮名だが限りなく実名に近い。埼玉 県大宮市出身、二十七歳 ) は、甘えというのは、自分のやるべきことをきちんとやった上 に存在するものだと、先日ばくと青山のバーで会った時言っていた。 「宮里さん、今日は教授は ? 」 「ええ、今研究論文のことでシカゴへ行ってるんです」 彼女はよく不倫相手の坂巻教授と、ここ ( 南青山のバ ・アルク 1 ル ) に顔を出してい 「実は、ばくは今度女性の甘えについてある女性誌に書こうとしてるんですが、宮里さん なんか教授に対して、また会社の人なんかに甘えたりしますか ? 」 「それ、もしかして『マリ・クレール』にお書きになるんじゃない ? 」 「あ、そうそう」 る。 164
は、こっちで ( アムステルダムのこと ) 日本の本を買うのは高いけど、いちおう『マリ・ クレール』 ( もちろん日本版です ) だけは買ってとってあるんですよと言っていた。あり がとうございます。何を言ってるんだ、ばくは : さて、それで桜井百合子さんは一ッ木通りの金松堂書店へと着いた。途中、の大 きなガラスのドアに自分の姿を映してみたが、やはりこの日の服装計画は失敗したとおも まず店頭で女性週刊誌を手にしようとする。手をのばした時、横の女性の骨盤に自分の 骨盤がふれる。 「あ、失礼」 とは言ったものの、相手の女性はやはり週刊誌に夢中で彼女には目もくれない。 なにさ。皇室の記事なんて読んじゃって。 店頭で週刊誌を立ち読みしている女性は、桜井百合子さんの他に、六人ほどいる。みん な二十代で、どこかその日の出がけに服装計画を失敗したように見える。 あら、眼鏡曇っちゃった。 子さんは読んでいる週刊誌を一度もとにもどし、眼鏡のレンズを拭いた。再び手にし た時は読んでいたものではなく二冊下のを抜き取って読み出した。 あくび 子さんは松田聖子の記事を読みながら二回欠伸をした。 0 子さんは小林麻美風に何度 も髪をかき上げる。時々ガラスに映っている自分の顔を上目づかいに見たりしている。 、ち読み
東京に家のある女性でも、このごろは一人暮らしを望んでいるとか聞いているけれど、 ほんとうかしら。ほんとうかしら、なんてなんだか女つばい言い方かな。まあいいカ 都内に家があって、自分の部屋のある女性でも、一生に一度くらいは一人暮らしをして みたいとおもうらしい。これは男の側から見た意見だけれど、都会で一人暮らしをしてい る女生というのはちょっとセクシ 1 だ。 では、真実の女性の一人暮らしの実態はいかなるものか。今回のテーマはそれである。 女性が一人でいることの仕種、これはかなり芸術的と言えなくもない。 一人でいるということは、楽しいような、さみしいような、いろんなことが自由にでき るような、できないような、にしいような、暇なような、そんな、ようなような時間です ぎてしまうことが多いと、ある女性は語っておりました。よくわかる。 銀座八丁目の広告会社に勤める鈴木直子さん三十四歳、福井県出身 ) は、一人でいる と、いつもなんとなく小腹が空いて、すぐに何か食べたくなると言っている。そんな時、 決まって頭にうかぶのはキムチなのだそうだ。 日曜日の、お昼を食べてから洗濯して、そしてしばらくばんやりと昨年の『マリ・クレ 1 ル』の十月号などを読んですごす。
「わっ、おいしそう」 言葉にすればそんな風になるのだろうが、この唇の開き具合には的確な言葉がない。 1 ラ 1 で注文 これは女生といっしょでない時にばくが観察した結果だが、フルーツ・ した品を待っ女性はたいてい脚を組んでいる。組んだ上の方の脚にはほとんど力がなく、 右手の指がその上の方の脚の膝に触れている。よく見ていると指 ( 人さし指の場合や中指 の場合があるが ) は膝の上に何か文字を書いているように見える。 「早くきて、早くきて」 「フル 1 ツ . パフェ、フルーツ 「もうすぐよね、すぐよね」 さすがにそこまでは観察できないが、膝の上で動く指はそんな言葉を書いているように おもえるのだ。 例によってばくは数人の女生にフルーツ・パフェは好きかと訊いたことがある。たいて いの女生は「ダアイ好き」と答えている。 1 ラーにいる女性って、みんな脚を組んでいるように見えるん 「あのさあ、フルーツ・パ ですけど、あれは ? 」 ばくは大手町の証券会社に勤める村山友美 ( 群馬県高崎市出身、二十七歳、『マリ・ク レール』誌購読 ) に尋ねたことがあった。 182