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検索対象: 久松 敬一郎さん ―折々の「思い」と「想い出」と-
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1. 久松 敬一郎さん ―折々の「思い」と「想い出」と-

任されるということで、私が合併に賛成した大きな理由にもなりました。 昭和 55 年、東京に転勤になり cs 企画に勤務したときは、すぐ隣が 本部長室でしたが、中沢さんを通じて指示がある程度で、直接ご指導を 受けたことはほとんど記憶にありませんが、中沢さんから真赤に添削さ れたレポートを見せてもらい、久松さんの実直かっ厳しい部下ご指導を 間接的ながら実感したこともありました。 日本テクノシステム創業後、久松さんが社長として就任されたのは 昭和 60 年の 7 月頃だったと思います。創業間もない会社は芝大門の新 日経ビルの 8 階と 9 階の狭いオフィスにありましたが、 9 階の片隅にす りガラスのパーティションで囲んだ 3 ~ 4 坪程度の部屋が社長室とな りました。大会社の役員であった方をお迎えしたにもかかわらず、この みすぼらしい部屋しか用意できなかったことに対し、本当に申し訳ない 思いをしたものです。 久松さんの誠実、実直な姿はべンチャー企業にとってはかけがえの ない絶大の信用をもたらしました。創業わずかで、何の資産もない会社 に銀行が進んで融資をしてくれたのは、まさに久松さんの存在があった ればこそ、と思います。当時は、ソフト会社の独立が相次いでおりまし 、会社の信用はまさに経営者の信用そのものであり、その点からも 日本テクノシステムにとって久松さんの存在は大きく、以後の発展の大 きな力となったことは間違いありません。 日本テクノシステムはその後、決して安易な立ち上がりとは言えませ んでしたが、久松さんをはじめ長尾さん、中沢さんの指導のもと、社員 全員の努力で大手顧客との取引も広がり、わが国で唯一の本格的な第三 者保守会社としての体裁を整えてきました。また、蓄積した技術を生か し新商品の開発にも努め、商品販売、システム開発の分野にも業態を広 げ、創業 3 年目にして黒字決算を達成することができました。その間に は幾多の困難もありましたが、いかに苦しくとも実に落ち着いた久松さ んの姿勢は私たちにとって大きな礎であったと思います。 61

2. 久松 敬一郎さん ―折々の「思い」と「想い出」と-

ザ・ディリー・ネットワークニュース 第 1225 号昭和 63 年 3 月 23 日 ( 水 ) 日本テクノ、第三者保守部門好調 62 年度 IBM5550 など 8000 台獲得 22 が立ち上げた会社の順調な成長を示すものとして収録いたしました。 ) ( 注 : 本稿は久松さんの執筆ではなく、同社記者が書いたもの。久松さんなど している。 化が見込まれることから、今後とも同分野の開拓に鋭意著手することに 日本テクノシステムでは、第三者保守の需要はこれからも一段と活発 があげられる。 PC ー 9800 シリーズ、三菱電機のオフコン MELCOM80 シリーズなど 的に多く、 6 , 0 0 0 台に達しているのが目立っている。このほか日電の 保守対象機種は、日本 IBM のパソコン IBM5550 ファミリーが圧倒 企業の獲得に成功している。 全国規模のサービス体制を整えており、顧客も金融、製造業などの大手 第三者保守ネットワークは、地元の有力ソフトハウスと提携するなど 累計 8 , OOO 台と順調に伸びつつある。 ど 15 社、 30 機種で累計 5 , OOO 台だったが、今年度は 20 社、 50 機種で 昨年度までの保守業務の実績は、日本 IBM 、三菱電機、日本電気な メーカーの了解をとりつけて汎用コンヒ。ューターまで手がけていく考え。 同社の大きな特徴だが、現在のところパソコン、オフコンが中心。今後、 端末装置までメーカーや機種を間わずサポート体制を整えているのが 第三者保守に関しては、汎用大型コンピューターからパソコン、各種 して育成に取り組んでいるところ。 などの業務とともに、第三者保守業務について同社を支える有力な柱と 日本テクノシステムは、 OA 機器の販売、ソフト開発、システム開発 を入れていく計画である。 エム ( 社長・椎名武雄氏 ) の IBMPS/55 などを中心に新規顧客の開拓にカ へきて急速に伸びているため、同社では今後とも日本アイ・ビー 8 , OOO 台に達するのが確実視されている。この第三者保守のニーズは 積極的な姿勢を示しているが、 62 年度に保守サービス機種は 50 機種、 日本テクノシステム ( 社長・久松敬一郎氏 ) は第三者保守業務の拡充に

3. 久松 敬一郎さん ―折々の「思い」と「想い出」と-

久松さんを偲んで 矢沢 祥弘 久松さんの訃報はショックでした。 かれこれ、 20 年近くお会いしておりませんでした。体調がすぐれな いと伺っておりましたので、もうお会い出来ないだろうと思ってはおり ましたが、訃報に改めて大切な先輩を失ったのだなと感じました。 1 0 年ほど前になりますが、「もとゆに」の「へぼ碁会」にお誘いの電話 を掛けた時にお声を聞いたのが最後でした。懐かしいあの声でした。 昭和 3 5 年 4 月に学校を出て、日本レミントン・ユニバックに入社、 技術部技術 4 課に配属された時の課長が久松さんでした。当時は福吉町 に本社があり、技術部は別館の 2 階が事務所でした。 以降、昭和 60 年に日本ュニバックを退職するまでの 25 年の大半を久 松さんの傘下で仕事をしてきました。その後、日本テクノシステムでも 1 年余りお世話になりました。 日本テクノシステム ( 株 ) の久松さん ( 社長 ) と長尾さん ( 副社 長 ) 。 1985 年 8 月 15 日。 ( 取締役会か部長会 ) 65

4. 久松 敬一郎さん ―折々の「思い」と「想い出」と-

こゝで申します 'Quality" は、技術レベル、管理・運営システムの 質の高さを意味します。 "Performance" は、その Quality によって達 成し得るコンピュータ・パフォーマンスの高さを意味します。 この活動方針に則り、各部が業務計画を策定、或は目下策定しっゝあ りますが、その中より、特に 10 項目を選び、 45 年度主要プロジェクト と致しました。 主要プロジェクト コンヒ。ュータ・パフォーマンス 5 0 % 向上 1 . 平価尺度としては MTBF 、 又はこれに準ずるものを使用する。 テクニカル・マネージメント体制強化 2 . フィールド・サポート部のスペシャリスト・ グループを中心にサービス技術の向上を計る と共に、技術員の創意、工夫、研究を集約し、 総合戦力化する体制を整える。 パフォーマンス・エンジニアリングの確立 3 . フィールド・エンジニアリングに関係ある各 種技術の体系化、総合化、尺度設定等を行な うと共に、技術部門の総合ビジョンを立案する。 4 . 設備設計業務の整備 コンビュータの安定稼動を確保するための基 準の検討、設計、検査、管理作美の標準化等 を進める。 5 . 器材・部品管理システム整備 特に器材 ( 工具、測定器、 SubAss'y) につい て有効活用を計り、器材投資負担の軽減を計る。 主担当部 技 / サービス 一三ロ 技 / サービス F . サポート 推 進 室 Tech. サポート F. サポート / ヾーツ 18

5. 久松 敬一郎さん ―折々の「思い」と「想い出」と-

久松大先輩を偲ぶ 本田元亭 私にとっての久松大先輩は「無言の中に威厳ある君子の風貌を備えた 方」という印象が強く残っています。私が久松さんと直接仕事をさせて いただいたのは、日本テクノシステム創業後で、ユニバック時代はまさ に雲の上の人という存在でした。体を崩されてからはお会いする機会も なく随分ご無沙汰しましたが、私の人生の中では実に大きな大先輩でし た。それだけに、先の佐藤さんに続いてこのたび久松さんがご逝去され た今、心の支えを失った虚脱感とーっの時代が終わったというむなしさ を感じます。 ここに改めてお二人の今までのご指導に感謝するとともに お祈りいたします。 ご冥福を 私は、ユニバック時代は大阪勤務が長かったため、久松さんとお会い することはほとんどありませんでしたが、数少ない記憶の中でとくに印 象深く残っていますのは、近鉄で U -1100 を担当していましたとき、有 名な特急オンラインが半日ダウンした事件がありましたが、この事故の 収拾のため本社から久松本部長が來阪され、近鉄に来られたことがあり ました。グループ員全員、緊張してお迎えし大変な叱咤を受けるものと 覚悟していましたが、久松さんは穏やかな表情で「ご苦労さん」と一 われわれに暖かい言葉をかけていただいたことを今も鮮明に覚えてい ます。 余談ですが、このあと、リーダーとしての監督不十分で譴責処分を受 け、大阪支店で当時の佐藤支店長から処分の申し渡しを受けた際、社長 の代読として厳しい文面を読み上げたあと、佐藤さんから「儀式はこ まで。日頃はご苦労さん」と励ましの言葉をかけてもらったときも、本 当に涙がこぼれる思いをしたものです。後日、日本テクノシステムとア ルゴ 21 が合併する際、反対意見が多かった中で、佐藤さんが社長に就 60

6. 久松 敬一郎さん ―折々の「思い」と「想い出」と-

( 自由学園資料室 提供 ) 。全長、 10 , 第、、 メートルほど。毎 3 を差 : きま 学生時代の久松さ た姿を思い出しま データを取ってい 日、水を流しては、 47 は「元気か、困ったことはないか」などと、声をかけていただきました。 導と受ける立場ではありませんでした。しかし、ときたま会ったときに は担当した機種も、久松さんは USSC 、私は UFC と異なり、直接ご指 た ) ので、また、勤務地が東京と大阪に分かれていたり、さらに、後に UNIVAC120 の保守、私は同じコンピュータのプログラマでしたのでし 入社後は、技術とシステムに分かれたために ( 当時、久松さんは ピュータのエンジニアとは、どこで、いつ、身につけたのでしようか。 は、電気とか電子を勉強している様子はありませんでした。それが、コン

7. 久松 敬一郎さん ―折々の「思い」と「想い出」と-

努力の成果として、昭和 32 年は客先へのシステムの搬入が相次いだ。 私は、技術課の責任者として客先対応の人材の確保と営業サポートに追 われていた。システムには UNIVAC-60/120 が中心機器として含まれて いるケースが多く、大阪支店にも UNIVAC 課が新設され、中心人物と して久松さんが大阪に転勤した。大阪での思い出は、毎晩のように飲み 歩いては仕事の情報交換に精出したことである。 昭和 33 年の IO 月には、 UFC の導入準備のために松山俊介、森正宗、 妹川和夫と私の 4 名が米国 NY 州の北部に位置するユティカ市の UNIVAC-UFC トレーニング学校に長期出張した。当時の日本はまだま だ貧乏で、外貨の割り当てがもらえず、米国 UNIVAC のギャランティ で米国 UNIVAC より日当 $ IO の支給を受けると言うことで政府の許可 を得ての出張だった。翌昭和 34 年の 3 月には、ユティカ市の隣村にあ るイリオンの USSC トレーニング学校に、久松敬一郎、小原脩司の 2 名が長期出張してきた。ュティカ組の 4 名は、日当の範囲で生活できる よう YMCA に週決め料金で宿泊していた。また、運良く奥さんが日本 人の家族と知り合いになり、大変お世話になった。また UFC の別のク ラスに日本語が結構達者な二世がいて我々と殆ど一緒に行動していた。 当然の成り行きで、ウィークエンドにはイリオン組の 2 名もバスでユティ 力に遊びにきており、 7 名でのウィークエンドは結構楽しく過ごすこと ができた。 帰国後は、新機種の受け入れ準備、受け入れ、要員の教育等々に追 い回されて連日夜遅くまで良く体が持ったという日々の連続で、久松さ んと会うことも余りなかったと思う。 昭和 35 年 ~ 36 年は、急拡大を続ける事業を如何に乗り切るかの検討 が始まり、久松さんも私も技術部門の意思決定ボードの一員として連日 喧々諤々の議論を行っていた。彼は何事にも慎重で重みのある意見を出 す人で、奥の深い大人物の風格を備えていた。 35

8. 久松 敬一郎さん ―折々の「思い」と「想い出」と-

・久松さんの「想い出」 自由学園の同級生、日本ュニバックの後輩ー技術職、システム職、営 業職ーの方々から寄せられました「想い出」を収録いたしました。学 生時代、ユニバック時代、その後のご活躍など、久松さんの様々な面を 垣間見ることができます。併せて、久松さんの「人柄」をも読み取って 戴ければ幸いです。 ( 敬称略 ) 日本ユニバックの後輩達 ( 五十音順 ) 永田晨 自由学園の同級生 赤須通雄 志村丈郎 本田元亭 秋元貞元 田中稔 廣末カ 池田元久 長尾宏 矢沢祥弘 大伏茂之 中沢保二 山崎斐雄 大石完一 花田啓一 若鳥陸夫

9. 久松 敬一郎さん ―折々の「思い」と「想い出」と-

昭和 4 3 年 5 月 1 0 日 技術部長 C Z 運動とは。℃ omplaints*Zero" 運動 C Z 運動のスタートに当りて 技術員各位 9 →より効果的な fraining 方法は ? * サービス上、必要な技術の fraining 不足 →より適切な配置基準は ? * 部品待ちが多く、 EM が長引く どうすれば改善の方同へ向わせることが出来るか。 あろうか。足りない点があるとすれば、どうすれば改善されるか、又、 では、現在ューザーには、どの程度ュニバックに満足して貰っているで がそれに満足しているかどうか、であります。 ンピューターであっても、煎じつめれば評価の基準は只ーっ。ューザー いかに優れた性能を持ち、又、高度の作業システムが用意されているコ NUK の仕事の総仕上げにも当る責任を負っていることになります。 ューザーと接することの最も多い、我々の技術サービス部門は、いわば 追求することに外ならないと思います。その中で、日常の業務を通して 又、ユーザーに、もっと満足して貰うには、どうすれば良いかをたえず 従って、我々の仕事とは、ユニバックをより効果的に使って貰うには、 をもたらすコンピ . ューターであることを、確信しております。 我々、 NUK の全員は、ユニバックこそ、ユーザーに最高の利益と満足 うという運動であります。 即ち、より良いサービスを提供してユーザーの苦情、不平をゼロにしよ

10. 久松 敬一郎さん ―折々の「思い」と「想い出」と-

Hardware-Software Gap 解消促進 主要機種について、 Diagnostic Software Specialist を育成すると同時に、技術員全 体の Software 知識のレベルを向上させる。 RepIace & Upgrade (R & U) オペレーション能率向上のため、旧型機、特 殊機の整理、オーバーホール、新型機種への Upgrade を計画し、積極的に営業本部及び Customer に働きかける。 8 . 検査 /QC 業務の整備 国内調達の機器、部品の受入検査、 QC 業 務を整備、 UNIVAC QUALITY を確保する。 9 . 技術本部オペレーション管理体制の整備 オペレーション・コストの正確な把握、リア ルタイム・システムが一般化した現状にマッチ したサービス方式、料金体系の検討等、生産性 向上の基礎となる諸業務を推進する。 7 . 6 . に検討、改善し、時間当りの作業密度を高め、 作業の内容、方法、スケジュール等を徹底的 1 0 . 時間使用の生産性向上 Tech. サポート 推進室 Tech. サポート Tech. サポート Tech. サポート 技本各部 過度の残業を解消する等、 活用を計る。 ( 注 ) マンパワーの有効 技 / サービス : 技術サービス統轄部 ーツ・センター部 Tech. サポート : テクニカル・サポート部 F. サポート : 技術フィールド・サポート ノヾーー : ン : ノヾ 19 推進室 : 生産性椎進室