昭和 4 1 年に米国ュニバックは、 9 0 欄カードのフェイズアウトを方 針として打ち出し、最初の IC 使用の電子計算機から実施した。このこ とは「日本ュニバック」の生死に関わる大事件との認識により、日本ュ ニバックの組織として開発部門が誕生することとなった。 赤須は開発部門立 ち上げのため、技術部 門を離れ開発組織の 立ち上げに専念する ことになった。久松さ んと私は、 1 2 ~ 1 3 年 技術部門でご一緒し たが、同じ組織内での 上下関係になった 昭和 45 年仕事はじめ とは一度もなかった。 久松敬・郎 赤須通雄 秋元貞元 ずーっと同じ立場で別々の役割を担い、協力する関係であった。この様 な関係は我々がユニバックを離れる時まで続いた。 昭和 54 年 ( 1979 年 ) の株主総会で、昭和一桁後半生まれの久松敬一 郎、赤須通雄、廣末力、佐藤雄二朗、杉村芳生の 5 名が役員に登用され た。皆さんから大変に祝福されたことを昨日のように思い出す。 昭和 5 4 年 ( 1979 ) NUK プロバー役員誕生記念 佐藤雄二朗赤須通雄久松敬一郎杉村芳生広末カ 38
久松さんの想い出 中沢保二 日本ュニバックが提供するハードウェア保守サー ビスについて「パフォーマンスエンジニアリング」という新しい概念を 提唱、実施に向けスタートする方針を表明した ( 同年 9 月日経紙掲載 ) 。 昭和 45 年技術本部は、 54 ルチャのレベルに定着させたいとのお考え、方針でした。 ついては、課題認識の共有、課題克服への意思統一、これらを部門のカ ありたい」として、集団の在り方を示され、また部門のマネジメントに べきことを愚直なまでに技術的にも業務的にも的確にやりきる集団で そして技術本部を率いるトップとして「我々に派手さは要らない、やる こと、印象に残ります。 松さん配下の幹部、技術員の多くが畏敬の念を深く抱いておりました 思慮深く重厚なお人柄と業務に厳格であられた姿勢から、私に限らず久 りました。また、酒席やゴルフにもご一緒させて頂きました。 実に 23 年余の間、お側近くにてご指導頂き、数多くの教え、薫陶を賜 社長ご就任 ) 及び ( 株 ) アルゴテクノス 21 ( 平成元年会長ご就任 ) で 8 年、 顧みますと、ユニバックで 15 年、日本テクノシステム ( 株 ) ( 昭和 60 年 さんのお側近くにて業務に携わる道のりを歩むことになりました。 そして、このことが私にとって貴重な契機となり、以後永年に亘り久松 進の任に当たることになりました。 ルーブマネジャーに私が任命され、久松さん直接のご指導の下、本件推 組織「パフォーマンスエンジニアリンググループ」が新たに発足、グ るもので、日経紙掲載に先立っ同年 4 月には実施に向け推進を担当する この「パフォーマンスエンジニアリング」は、久松さんのご発案によ
この言葉自体を久松さんが言い出したのか否かは定かではありませ んが、それまでは FE (FIELD ENGINEER) と呼ばれていたのを PE と 呼ぼう、というものです。 当時、 FE はコンピューターの直し屋ということで、物を作る技術者 に比べ一段低く見られていました。私自身もそのように感じていて、メー カーに就職した友人を羨んだことがありました。 久松さんは、それは違う、我々は単なるコンピューターの修理屋では ない。顧客の仕事を順調に処理出来るように、機械を最良の状態に維持 することが我々の使命なのだ。そのために、メンテナンスの内容、機械 室の環境、トラブルが発生した時の対応、顧客との良好な関係、等々に ついて、日頃から考えてもらいたい。此の様なことであったように記憶 しています。 教育資料や技術専用の用紙類などにも "PE" のロゴをつけ、 PE HANDBOOK 、を各人に配布したりして、技術員の意識改革を促しました。 関連して、 CZ 運動 (COMPLAINTS-ZERO) を展開、フィールドに設 置されている機械の状況を評価数値化し、グループ単位で競合させ、 CZ-STAR の表彰者の選定時に活用し、部門全体の活性化をはかりました。 社内的にも技術部門の地位向上に腐心されていたのだと感じており 4 ) 1 1 1 0 の頃 PE という言葉もいつの間にか CE に変わっていました。 これらの一連のことが後の NCS に繋がっていったのでしよう。 ます。 67 ました。 幾度となく久松さんに足を運んでいただきお客に頭を下げていただき 東京では、野村證券、東海上、大正海上などでしたが、この 1 年間に 担当しました。 るがしていたころに、私も東京で 1 年、大阪で 2 年、 1110 のユーザーを 40 年代の後半に設置されだした 1110 のトラブルが多発し、全社を揺
時の経過と共にこれらのことは、部門としての一体感を着実に醸成しっ つ、課題克服に向かう結束力を高めて行きました。「 CS 本部は鉄の団結」 などと揶揄されたほどでした。 そして、この一体感、結束力が後に昭和 55 ~ 57 年 NCS(New Customer services) 3 ヶ年計画の達成に大きな貢献をもたらすことに繋がって行 きました。 この NCS 計画は、ハードウェア保守サービスのリニューアル化の実現 と併せ、新規参入オフコン事業の要員捻出に応えるもので、当時の本部 員総数の約 3 分の 1 に及ぶ 600 余名の減量化を 3 年で実現することで NCS 計画では多くの問題に直面、部門を超え多くの方々のご協力も頂 きつつ、結果として計画の達成に到達することができましたが、この間 の 3 年間、本部挙げての密なる連携のもと一体となって取り組んだ成果 であったことは明らかで、前述「課題認識の共有と克服への意思統一」 と言う久松さんの意図がそれまでにも培われ、目標に対する強い結束力 を生み、これが計画を牽引する大きな原動力となりました。 計画終了時、改めて久松さんの指導の適切さ、マネジメントの奥深さを 噛みしめたものでした。 昭和 6 0 年 8 月、日本テクノシステム ( 株 ) の社長に就任されました。当 時は会社設立 ( 同 59 年 10 月 ) 後、日が浅く会社の今後、業績の帰趨な ど全てがこれからの状況で、社員の意識は高かったものの反面、内面的 には大なり小なり夫々が将来不安を抱きつつ、歯を食いしばって業務に 勤しんでいた折でありました、久松さんの社長ご就任により皆がどれだ け勇気付けられたことか。 私にしても経営に初めて正対面することでしたから、ビジネスの獲得は もとより、資本のこと、資金に絡まる財務関連のこと、銀行対応から果 55
次のようなこともしばしばありました。フィールドサポート部に所 属していた当時、米国クレームの発信と物の要求をする、人の応援 要求を出す、等について書く私のったない英文レター原稿はいつも修 正をされました。私に強くおっしやるのでもなく黙って添削をされ、 渡されました。時には書棚から Oxford の英英辞典を出してチェック をされるなど、厳密に意思を伝える格調のある英文に、いつも教えら れておりました。 久松さんの静かな話しぶりも想い出されます。「 CZ 」を CS 部門の 目標のキーワード、そしてキャッチフレーズとして浸透されましたが、 年度の cz star 表彰式は他部門の表彰式とは異なる独特の雰囲気で した。久松さんが静かに説くように話されるお姿が印象に残ります。 私の大阪支店勤務は昭和 53 年から 5 年間でしたが、後の 2 年間は昭 和 56 年 4 月に大阪へ赴任された久松取締役・大阪支店長のもとで勤め させていただきました。仕事上ではハード・ソフトの信頼性問題や要 員効率化などで課題山積、苦しい時期でしたが、久松支店長にトラブ ル対応でお客様に出向いていただくようなことがなかったのは幸いで した。久松さんも大阪では私と同じ単身赴任ということで、土曜の午 後など私のアパートに電話を掛けていただき「時間はあるか ? 旨いも のを食いに行こう」と梅田で待ち合わせて連れて行っていただいたこ とが何度かありました。今でも。カキづくし ' などはもう一度行って みたい店として思い出します。 久松さんがお辞めになる直前には、何と表現すべきか、カストマー サービス本部長をされていた久松さんと特に濃い時間を共有させてい ただいたように思います。私の東京転勤後の昭和 50 年代末は毎日が大 型機客先サービスの保持に苦闘する日々であり、現場技術員の多くが 混沌とした状況に巻き込まれた時期でした。私自身も焦燥の日が続い たのですが、連日お客先や多くの部下と話し合っている中から、私な 44
昭和 3 7 年にム 社組織に本部制が とりいれられ、営 業本部と技術本部 に営業・技術のス タッフ機能が取り まとめられた。ラ イン部門は営業 所・支店に営業 / 技 術が配属された。 1962 年技術本部の社内旅行 技術本部に新たに 「関連課」という組織が新設された。この関連課という名称は初代課長 の久松さんが名付け親である。機能としては、米国 UNIVAC の FE(CE) が持っていたエンジニアリング・リエイゾンをイメージしていたが適当 な日本語の名称が思い浮かばず、久松さんが名づけることになったもの である。後のテクオペと類似の組織である。 技術本部の本部長には、親会社「三井物産」から出向された方が就任 していたが、本部長付として、久松さんか私が本部長を補佐して運営し ていた。その後久松さんと私がともに営業所に出た時には、長尾芳治が 技術本部に入り本部長補佐を行った。 久松敬一郎 長尾芳治 赤須通雄 36
昭和 4 3 年 5 月 1 0 日 技術部長 C Z 運動とは。℃ omplaints*Zero" 運動 C Z 運動のスタートに当りて 技術員各位 9 →より効果的な fraining 方法は ? * サービス上、必要な技術の fraining 不足 →より適切な配置基準は ? * 部品待ちが多く、 EM が長引く どうすれば改善の方同へ向わせることが出来るか。 あろうか。足りない点があるとすれば、どうすれば改善されるか、又、 では、現在ューザーには、どの程度ュニバックに満足して貰っているで がそれに満足しているかどうか、であります。 ンピューターであっても、煎じつめれば評価の基準は只ーっ。ューザー いかに優れた性能を持ち、又、高度の作業システムが用意されているコ NUK の仕事の総仕上げにも当る責任を負っていることになります。 ューザーと接することの最も多い、我々の技術サービス部門は、いわば 追求することに外ならないと思います。その中で、日常の業務を通して 又、ユーザーに、もっと満足して貰うには、どうすれば良いかをたえず 従って、我々の仕事とは、ユニバックをより効果的に使って貰うには、 をもたらすコンピ . ューターであることを、確信しております。 我々、 NUK の全員は、ユニバックこそ、ユーザーに最高の利益と満足 うという運動であります。 即ち、より良いサービスを提供してユーザーの苦情、不平をゼロにしよ
・久松さんの折々の「思い」を綴った文書 久松さんの折々の「思い」を綴った文書 ( 発表年度順 ) * 1953 年 3 月 * 1957 年 8 月 * 2000 年 12 月 25 日 * 1988 年 3 月 23 日 * 1976 年 3 月 4 日 * 1970 年 4 月 20 日 * 1969 年 4 月 1 日 * 1968 年 11 月 1 日 * 1968 年 5 月 IO 日 : 感謝のことば一学部卒業にあたって一 : USSC について ( 発表誌不明 ) : パンフレット : C Z 運動のスタートに当りて : 巻頭言 ( FAMI LY ー 1 9 7 6 年 3 月 ) この一冊ー坂の上の雲ー司馬遼太郎 ( C Z NEWS ー NO. 2 0 ー ) : 昭和 4 5 年度技術本部活動方針と業務計画 ( C Z NEWS ー NO. 8 ー ) : 巻頭言「世界一のサービスを」 ( CZ NEWS ー NO. 4 ー ) 「ユニバックのチーム・プレー」 : 最高学部開学五十年 ( 学部開学のころ ) たもの ) 本稿は久松さんの執筆ではなく、同社記者が書い ( ザ・ディリー・ネットワークニュース、 1 2 2 5 号。 : 日本テクノ、第三者保守部門好調
技術本部としては、 43 年度の "CZ 運動 " スタート、 44 年度の。。人 造り " という我々の活動を更に発展させ、 45 年度は、より積極的、意 欲的なフィールド・エンジニアリング、即ち、昨年秋より我々が唱えて おりました。パフォーマンス・エンジニアリング " の建設を、スタート させる年とした . いと思います。 このような考えを基に、技術本部内の各部長による会議において、 45 年度の活動方針を、次のように定めました。 パフォーマンス・エンジニアリングの確立を目指し 技術オペレーションの質的充実 と ビジネスとしてのフィールド・エンジニアリングの基礎強化 を行なう 即ち、実際的な活動においては、高度化、多様化するコンヒ。ュータ技 術を完全にフォローし、フィールド・エンジニアリングの大目標である コンピュータ・パフォーマンスの向上、管理の技術体制を整備、充実さ せ、コンビュータ稼動に要求される厳しい条件に、積極的にチャレンジ していくフィールド・エンジニアリングを築き上げる。 次に、会社活動の中の重要な一部門として、技術本部のオペレーショ ン・コストの現状を正確に把握し、又、会社業績に積極的に寄与するた めの、より合理的なサービス方式、料金体系を検討する等、ビジネスと しての業務の質を高め、基礎を強化する。 そして、これ等の結果として、より高いコンピュー タ・ノベフォーマン スを達成するというのが主旨であります。 このような主旨を要約し "QuaIity & Performance" を 45 年度のモットーと致します。 17
こゝで申します 'Quality" は、技術レベル、管理・運営システムの 質の高さを意味します。 "Performance" は、その Quality によって達 成し得るコンピュータ・パフォーマンスの高さを意味します。 この活動方針に則り、各部が業務計画を策定、或は目下策定しっゝあ りますが、その中より、特に 10 項目を選び、 45 年度主要プロジェクト と致しました。 主要プロジェクト コンヒ。ュータ・パフォーマンス 5 0 % 向上 1 . 平価尺度としては MTBF 、 又はこれに準ずるものを使用する。 テクニカル・マネージメント体制強化 2 . フィールド・サポート部のスペシャリスト・ グループを中心にサービス技術の向上を計る と共に、技術員の創意、工夫、研究を集約し、 総合戦力化する体制を整える。 パフォーマンス・エンジニアリングの確立 3 . フィールド・エンジニアリングに関係ある各 種技術の体系化、総合化、尺度設定等を行な うと共に、技術部門の総合ビジョンを立案する。 4 . 設備設計業務の整備 コンビュータの安定稼動を確保するための基 準の検討、設計、検査、管理作美の標準化等 を進める。 5 . 器材・部品管理システム整備 特に器材 ( 工具、測定器、 SubAss'y) につい て有効活用を計り、器材投資負担の軽減を計る。 主担当部 技 / サービス 一三ロ 技 / サービス F . サポート 推 進 室 Tech. サポート F. サポート / ヾーツ 18