ドなスケジュールにもかかわらず、ほゞ順調に稼動して無事仕事を仕上 げ、最初の大きな山を越えることが出来た。 USSC の特徴である高速ドラムは、ヘリウムガスを封入したケースの 中に入っており、前述の東芝の時のように一旦故障すると、米国に返送 して修理するより外、方法が無かった。またこのドラムは USSC の型 によって 90 欄 / 80 欄用、 5000 語 / 9200 語用等と種類がいくつもあ り、故障から返送・入手迄に 3 ~ 5 ヶ月も時間がかかることと併せて、 スペア・ドラムの管理は非常に気を使う仕事であった。 LP 計算のこと UNIVAC の工場で USSC の調整及びテストを行なっていた 1959 年 6 月中旬に、日本から難問が一つ持ち込まれた。客先 ( 三菱石油 ) から、 USSC を使って LP 計算をやって見て欲しい、という強い要望があり米 国で何とか出来ないか、という依頼である。 UNIVAC のデータセンター に依頼するのは、費用や我々のスケジュールから見て論外であったが、 丁度、工場では日本向けの USSC の調整が 8 分通り出来上がっており、 これを使うことにして計算を引き受けた。一方、日本側では柳生君 ( 現応用ソフトウェア部長 ) を中心とするグループが、初めての lnternal program Machine に取組み、 LP 計算の Program を書き上げ た。以下柳生君のメモを引用する。 。。「 UNIVAC Solid-State での LP 経験」 1 . ModeI の大きさは 50 x 60 程度 2 . program は浮動小数点演算、 lnterpreter を用いた求解部、 Machine Code による入出力部、合わせて 2 , 000 statements 程。 3 . Programmer は全部で 5 人程、勿論 program を実際に run させ た経験は無し。机上の経験も全員 2 年未満。 4 . program の机上検査を徹底してやったが、 1 , 2 ヶ所の誤りのた め、入力 data を印書し、求解に入った後、停止した。出力はかな り凝った様式であったが、正しく印書されていた。 7
5 . この時作った program はその後改良し、実際三菱石油で使われ た。当時 USSC (Memory 容量 5K Words) で解ける最大 Model は 50 x 100 程度で約 2 時間を要した。 柳生グループは、マニュアルだけでしか知らない USSC の 2000 ステッ プのプログラムを、機械によるディバッグ無しで作成したわけである。 日本から送られて来たプログラム・カードを使って LP 計算を行なった が、柳生メモにある通り、ミスがあり ( カードのミスパンチ ) 、途中で ストップした。止まった状態でのレジスタ、メモリの内容を記録し柳生 グループに送ったところ、しばらくして解析結果によるエラーの予想箇 所を知らせて来た。プログラム・カードを調べたところ、確かに指摘さ れたステップのカードにミスパンチがあり、それがプログラム中断の原 因であった。最終の解は得られなかったものの、途中の解をいくっか出 ( 久松敬一郎記 ) 8 た " と非常に評価してくれたとのことである。 も途中結果迄のプリントを見て、 " 確かに LP 計算に使えることが解っ すところ迄は走ることが出来た、優秀なプログラムであった。尚、客先
1 9 6 3 年の 5 3 台、 4 5 ューザーがピークであった。 1 9 6 4 年以降、新 規設置は無く、最後の 1 台が稼動停止したのは 1972 年 ~ 73 年頃であ った。 USSC ハードウェア・サービスのトレーニング・コースには小原君 ( 現 複合システム事業部長 ) と久松の 2 名が参加した。コースは NewYork り、 lil lllion にある UNIVAC のスクールで、 1 9 5 9 年 3 月 2 日から同年 7 月 IO 日迄 19 週間行なわれた。 我々は渡航手続の遅れで 3 月 1 2 日に日本を出発、 3 週目の 3 月 1 6 日から参加した。コースの内容は、 Logic に 6 週間、 program に 3 週間、 I/O 実習に 2 週間、工場でのテスト参加に 8 週間であった。コース終 了後、調査、見学のため UNIVAC の各地工場、ユーザー等を訪問し、 8 月 5 日帰国した。 日本向け USSC の最初の 2 台は前述のように、 1 9 5 9 年 8 月、東芝と 日証金に設置された。搬入は東芝 ( 鶴見工場内計算センター ) の方が早 かったが、ドラム故障により 1 ヶ月以上も動かなかったため、実際の稼 動は日証金の方が早かった ( 8 月 1 8 日搬入、 9 月 1 日火入れ式 ) 。 本格的な中型コンピューター USSC の導入サポートのため、 UNIVAC からハードウェア・エンジニアの HansNeumeister 氏が来日し、 195 9 年 8 月から約 1 年間、ドイツ人らしい几帳面さで NUK の仕事をサポ ートして呉れた。 この年、日証金は USSC の設置、稼動を前提として証券代行業務を 開始していた。我々が帰国した 8 月にはすでに、八幡製鉄、富士製鉄外 IO 数社の株式業務の代行引受が決定していた。 USSC の初仕事はこれ らの会社が 1 1 月に開催する株主総会の招集通知、株式配当金支払通知 等の発行業務であった。もし USSC のハード / ソフトが期待通り動か なければ、日本でも有数の会社の株主総会が予定通り開催出来なくなる ところであった。日証金の USSC は、 2 ヶ月以上連続運転というハー 6