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検索対象: 私とUNIVAC 日本における電子計算機の歴史
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1. 私とUNIVAC 日本における電子計算機の歴史

参考資料 ・全社組織ー昭和 53 年 ( 1978 年 ) 業務本部 マーケティング本部 カストマーサービス本部 永田徹郎 ( 専務取締役本部長 ) 企画管理部 業務企画部 米国駐在員 井上敏治 ( 専務取締役本部長 ) 名古屋支店営業統括部 大阪支店営業統括部 応用ソフトウェア部 システムサポート部 産業統括営業部 金融統括営業部 営業統括第六部 営業統括第五部 営業統括第四部 営業統括第三部 営業統括第二部 営業統括第一部 ュニバック研究会サポート G 教育部 商品管理部 マーケティング企画部 カストマーサービス教育センター カストマーサービス企画室 名和友哉 ( 常務取締役本部長 ) カストマーサービス統括第三部 カストマーサービス統括第二部 カストマーサービス統括第一部 フィールドサポート第二部 フィールドサポート第一部 技術サポート部 389 大阪支店カストマーサービス統括部

2. 私とUNIVAC 日本における電子計算機の歴史

参考資料 ・システム開発本部発足時の関連部門ー昭和 46 年 ( 1971 年 ) 本部長 : 澤野邦三 ( フィールド ) 東日本営業本部 営業第一部 システム推進 (SA) SE サービス (SE) 営業第二部 システム推進 (SA) SE サービス (SE) システムサービス総括部 西日本営業本部 大阪営業部 システム推進 (SA) SE サービス (SE) ( スタッフ ) 教育本部 本部長 : 渡辺明副本部長 : 藤田献 : 広末カ : 斎藤正治 : 安藤博 : 佐藤雄二朗 : 内藤恵嗣 : 新野清嗣→後に氷見順一 : 角信郎 部長 部長 部長 部長 部長 部長 部長 部長代理 : 氷見順一、佐々木勉 部長 部長 部長 : 鳥羽晃 : 本多邦年 : 大成英男 本部長 : 阿部剛久 385

3. 私とUNIVAC 日本における電子計算機の歴史

第 3 部拡張 ともあれシステム本部はシステム職種の人々にとっての心の故郷 リソースマネジメントを含む人事権はシ と言う意味合いはあった。 ステム本部にあるというルールではあったが、日々のセールスの戦 場で戦っているのは営業であり、「営業の無理は何でも通す」という 感覚が強い営業との軋轢は避けて通れないものであった。 7. 3 経営悪化 昭和 48 年 ( 1973 年 ) から昭和 52 年の大亦社長時代は、 UNIVACIIIO を初め、軒並みの欠陥商品に足元をすくわれ、 NUK の経営は悪化の 一途を辿っていた。この事が営業本部内部のオペレーションを難し いものにしていた。 昭和 52 年 ( 1977 年 ) 6 月には福永社長が就任し NUK の建て直しに着 手する。この時に経営体制として三井物産、 UNIVAC 、 NUK プロバー より各 1 名の 3 専務制となり、永田、カサノバ、井上が専務に就任する。 昭和 53 年 ( 1978 年 ) の組織変更で、井上はライン部門の責任者と してライン部門長を兼務することとなり、マーケティング本部長に 就任、広末営業本部長、赤須システム本部長はマーケティング本部 この時点でシステム職群の一本化の動きに終 副本部長に就任した。 止符が打たれた。 昭和 50 年 米国建国 200 年祭行事の打合せ ミネアポリスの湖上にて 吉村賢一江口保定赤須通雄 井上敏治広末カ津上中作 124

4. 私とUNIVAC 日本における電子計算機の歴史

第 4 章 NRIJ を襲った激震ー 90 欄フェイズアウト 第 4 章 NRU を襲った激震 ー 90 欄フェイズアウト 4. 1 営業所体制から本部体制への移行とその背景 4. 2 開発部門創設のきっかけとなった 90 欄フェイズアウト問題 4. 3 UN IVAC 9200 インストラクターズコース 4.4 プルーベル開発センターでの 90 欄関連作業 4. 5 UNIVAC 9200 プロトタイプによる東京 SHOW の準備 4. 6 UNIVAC 9200 受け入れ準備 69 了し、昭和 42 年度からは開発部門の立ち上げに全力投球することと た。赤須のフィールドエンジニア部門での役割は昭和 41 年 3 月で終 技術本部は南部本部長、久松次長、赤須次長の体制でスタートし が真相であろう。 ステム部門の対応に大童となり、技術部門の切り離しに繋がったの たことが挙げられる。営業幹部は、技術部門の心配をするよりもシ ステムエンジニアが急増し、これへの対応が大きな問題となってき この背景としては電子計算機中心のシステムへの変遷に伴い、シ より本部体制に移行したわけである。 期の目的を達成できたとして新しい環境に対応すべく、昭和 42 年度 合する組織に変わった。 3 月で 4 年間続いた「営業所体制」は、初 ライン部門を統合した営業所組織から、営業、技術を各々本部で統 昭和 41 年 ( 1996 年 ) は、大きな組織改革が行われ、営業・技術の 4. 1 営業所体制から本部体制への移行とその背景

5. 私とUNIVAC 日本における電子計算機の歴史

・システム統括本部発足時の全社の一段部編成 支店長代理 : 鳥羽晃、石光哲哉、本多邦年 ー昭和 48 年 ( 1973 年 ) 7 月 企画本部 管理本部 情報システム部 財務本部 人事本部 教育本部 業務本部 システム統括本部 情報流通営業本部 製造工業営業本部 金融営業本部 證券保険営業本部 販売推進担当 大阪支店 名古屋支店 技術本部 取締役本部長 : 阿部剛久 本部長 : 杉村芳生 部長 : 萩原忠雄 取締役本部長 : 高橋芳男 本部長 : 久松敬一郎 本部長 : 福田祐二 本部長 : 長尾芳治 取締役本部長 : 富田和夫副本部長 : 赤須通雄 取締役本部長 : 渡辺明 本部長 : 広末カ 本部長 : 佐藤雄二朗 取締役本部長 : 菊池洋 382 本部長 : 長尾宏 支店長代理 : 加藤宏、向井嘉秀 支店長 : 高木宏親 取締役支店長 : 澤野邦三 本部長 : 望月光男

6. 私とUNIVAC 日本における電子計算機の歴史

参考資料 ・技術関連の陣容ー昭和 38 年 ( 1963 年 ) 度 技術本部 本部長付 企画課 関連課 教育課 東京第一営業所 技術第一課 技術第二課 技術第三課 東京第二営業所 所長付 技術第一課 技術第二課 技術第三課 技術第四課 大阪支店 技術第一課 技術第二課 名古屋営業所 技術課 管理部 本部長南部清士 ( 課長代理待遇 ) 秋田寿郎、小原脩司 課長 課長 課長 課長 課長代理 課長代理 課長 課長 課長代理 課長代理 赤須通雄 松山俊介 赤須通雄 田中豊 広瀬竜介 森宗正 久松敬一郎 長尾宏 中山潔 岡田忠三 ( 兼 ) 課長久松敬一郎 課長代理 遠藤孝志 課長 課長代理 課長代理 部付課長待遇 部付課長待遇 整備課 課長 部品管理課課長代理 機械管理課課長代理 大野庸一 松沢昭 国本豊 富田和夫 入谷武 田中稔 下山照夫 妹川和夫 365 課長代理 阿部清

7. 私とUNIVAC 日本における電子計算機の歴史

第 10 章 第 10 章マーケティング本部時代 マーケティング本部時代 10. 1 若手プロバーの役員登場 10. 2 生き残りを賭けた戦い 10. 1 若手プロバーの役員登場 昭和 53 年 ( 1978 年 ) の組織変更で、営業本部とシステム本部は消 滅し新しい体制に移行する。 即ち、ライン部門の全国統括方式である。営業 / システム部門は マーケティング本部となり、井上専務が本部長に就任する。技術部 門はカストマーサービス本部となり名和常務が本部長に就任する。 広末営業本部長と赤須システム本部長はマーケティング本部の副本 部長となり、各々ラインとスタッフの統括を行うことになった。 〔昭和 53 年 ( 1978 年 ) の全社組織は参考資料 389 頁を参照〕 マーケティング本部発足時点は、赤須は全日空プロジェクトリー ダーとして羽田通いを行っており、従って留守中にシステム本部は 消滅させられたことになる。 翌昭和 54 年 ( 1979 年 ) の株主総会で、昭和一桁後半生まれの久松 敬一郎、赤須通雄、広末力、佐藤雄二朗、杉村芳生ら 5 名が役員に NUK を取り巻く環境は年々厳しさを増し、思い切った手を打たな 10. 2 生き残りを賭けた戦い 登用された。

8. 私とUNIVAC 日本における電子計算機の歴史

プロダクトサポート本部 大阪支店 名古屋支店 名古屋支店カストマーサービス統括部 テクニカルオペレーション部 データセンター管理部 富田和夫 ( 取締役本部長 ) 斉藤哲夫 佐藤雄二朗 技術情報管理部 プロダクトサポート企画室 開発部 ソフトウェア第二部 ソフトウェア第一部 ・ UIS において商品化された PRODUCT 一覧 S 54 ( 1979 ) S 54 ( 1979 ) S 55 ( 1980 ) S 55 ( 1980 ) S 56 ( 1981 ) S 56 ( 1981 ) S 56 ( 1981 ) S 56 ( 1981 ) S 57 ( 1982 ) S 57 ( 1982 ) S 58 ( 1983 ) S 58 ( 1983 ) S 58 ( 1983 ) PRODUCT NAME 0ffice Computer (S-8Series) Modem POS (UNIPOS—600) Graphics DisplaY(AGS-2000) Personal Computer (UPIOE) Personal Computer (UPIOQ) word Processor (UW20) Data Entry Word Processor (UW5) ANTICS Super Work Station (SS— Drafter TELIDON 390 3 ) 三菱電機 VENDER MBK/DEC/SONY セイコー電子 DCL 東京三洋 アルプス電機 三菱電機 沖電機 東京三洋 セイコー電子 二芫機 東芝

9. 私とUNIVAC 日本における電子計算機の歴史

第 7 章システム本部発足 第 7 章システム本部発足 7. 1 システム本部の発足 7. 2 システム本部の意義 7. 3 経営悪化 123 あった。本籍システム本部、現住所営業本部と比喩する人もいた。 業本部に所属し、名目上システム本部に繋がっているという形態で 分の関係であり、システム本部といってもフィールド SE は実線で営 たが、当時のコンヒ。ュータビジネスでは営業とフィールド SE は不可 「システムによるシステムの為のシステムの組織」と言う人もい 7. 2 システム本部の意義 赤須は最初で最後のシステム本部長であった。 昭和 53 年 4 月の組織変更でシステム本部が消滅するまでの 3 年半、 テム本部が発足した。 システム統括本部に所属していたシステム関連組織が独立し、シス う議論があったか否か定かでないが、昭和 49 年 ( 1974 年 ) 8 月 1 日に だけがシステム統括本部というのはバランス上如何なものか、とい 一体と言われる中で、営業本部、技術本部があるのにシステム部門 門のウェイトも高くなってきていた。営業、技術、システムの三位 実績も積み上げられ、また全社オペレーションに占めるシステム部 1 年半のシステム統括本部時代を通じて、システム部門としての 7. 1 システム本部の誕生

10. 私とUNIVAC 日本における電子計算機の歴史

第 6 章 第 6 章システム統括本部 6. 1 システム統括本部発足 6. 2 システム職群の発生経緯 6. 3 SSA の役割 6. 4 赤須の困惑 システム統括本部発足 6. 1 システム統括本部発足 1 1 3 早くより技術本部として独立したが、事業の性格上営業とシステム 会社が大きくなるに従って全体に目が届かなくなり、技術部門は り、 NUK は実質的には営業が支配していた会社と言える。 辺、阿部が二巨頭に続いていた。これら 5 名は全員営業職の出であ 営支配していたのは井上、松田のプロバーの首脳であり、沢野、渡 って活動してきたことが NUK の活力に繋がっていた。これを支え経 れており、これら 3 職種が客先満足度の向上を目標に三位一体とな NUK のライン部門は、営業、システム、技術の 3 職種より構成さ ( 昭和 48 年 7 月時点の全社の一段部編成については参考資料 382 頁を参照 ) この時を境に赤須はシステム職群のマネジメントに参画することと テム統括本部が富田本部長、赤須副本部長のコンビで発足した。 組織変更が行われ、テクニカル関連のスタッフ部門を統括するシス 田和夫、澤野邦三の 4 名で、これら 4 名の新役員を配した全社的な が誕生した。この年役員に登用されたのは、阿部剛久、渡辺明、 昭和 48 年 ( 1973 年 ) の株主総会で昭和生まれの若手プロバー役員