本日は、私の「野球殿堂人り」記念講演会ということでありましたが、どうして 私が「野球殿堂人り」したか、川島と野球はどのようなつながりがあったのか、よ く分からないという方がおられるということを聞きましたので、私と野球について 語らせていただきます。野球界に人ったのも、前にお話ししたように縁によるわけ です。 川島なんて全然野球なんて分からないのが、なぜ、そんなところへ人ったんだと 聞かれるんです。私が官房副長官の時に第一次オイルショックがあったわけです。 それでテレビの野球の放映の時間をカットするか、止めるかというようなことが俎 上にのりまして、新聞なんかでもかなり騒がれたんです。それで、総理官邸の私の 所に当時の野球連盟役員とかオーナーの方々が陳情に見えられたのです。 私も、国民娯楽としていろいろ考えてみると、野球が一番ポビュラーな国民スポー ツになっているので、これだけは何とか夜の放映を残さなければ、国民の娯楽を奪っ てしまうことになる。何とか残したいと思って考えていたものですから、「やりま しよう」ということになったわけです。 こっちは野球は好きだけれど、野球の会長というのはちょっとね。もちろん自信 0 0
のあろうはずがない。、 しったい何をやるんですか。ただ座っていればいいんだ。名 前だけ、座っていてください。最初は断ったんだけれど、あちこちへ手が回ってて ね。竹下登さんにも手が回る。川島、お前手伝ったらどうだ、われわれも応援する からと、中曽根さんとか政治家の方々もおっしやる。それでお引き受けしたわけで す。 そしてセ ・リーグの会長を十三年、コミッショナーになって二期六年、あしかけ 二十年野球の世界にお世話になったわけです。それが野球界に貢献したということ で、殿堂入りの栄誉をいただけたのでしよう。 一つだけ申し上げますと、皆様方、野球をご覧になって楽しんでいただいている と思いますけれども、プロの世界というのに初めてぼくは足を踏み人れて、私が想 像していたのとはまるで違うのですね。努力は裏切らないといいますが、たとえば 二月のキャンプで、一流の選手になるとバットスイングは一日二千回やっています。 ースターといわれる選手は、頭脳の働きも抜群で、記憶力も いずれにせよスー 凄い、話す言葉もすばらしい。そして明るく、挨拶も立派で礼儀正しい。そうでな ければ一流のスターになれないということです。プロの世界というのは、野球に限 らずプロのスポーツ選手というのは、イチローにしても、松井君にしても、スポー ツが作り上げた人間というのはね、素晴らしいですよ。人間というのは読書、本を
講演者略歴 大正 11 年 2 月 27 日会津若松市にて誕生 昭和 17 年 10 月内務省入省・宮城県属兼警部 ( 見習 ) 海軍主計大尉で終戦 ( 昭和 22 年 12 月佐世保へ帰還 ) 札幌警察管区本部警備課長、東北管区警察局公安部長 在ューゴスラビア日本国大使館一等書記官 ( 3 年 9 ヶ月 ) 警察庁外事課長、警視庁公安部長、警察庁警備局長・警務局長 内閣調査室長、内閣官房副長官、日本鉄道建設公団総裁 セントラル野球連盟会長 ( 13 年 ) 日本プロフェッショナル野球組織コミッショナー ( 6 年 ) 現在、 ( 財 ) 本田財団理事長 自らを五明るー生かされて、愚直に生きる・ー 発行平成ト九年匕月匕日 島廣守 講演者 平成十八年ヒ月二十三日 於グランドアーク半蔵門 発行者川島廣守氏「野球殿堂人り」 記念講演実行委員会 久 代表谷澤 講演記録丹藤佳紀 編集・校正平石元明 表紙題字菊池良輝 発行所株式会社ニシギン 〒 , 新東京都新宿区百人町一下八・二 電話〇三ー三三六四ー一一四一 ( 代 )
川島廣守氏「野球殿堂入り」記念講演実行委員会
川島廣守氏「野球殿堂人り」記念講演会 平成十八年七月二十三日 於グランドアーク半蔵門
川島廣守氏「野球殿堂入り記念講演」懇親 開会の挨拶鎌田伐喜氏 ( 東京福島県人会副会長 ) 祝辞菅家一郎氏 ( 会津若松市長 ) 乾杯郡荘一郎氏 ( 会津会副会長 )
刊行に寄せて 私どものひとしく敬愛する川島廣守会長が、平成十八年に野球殿堂入りの栄誉に輝きました。そのご指導を仰 ぐ福島県人会、会津会そして会津高校同窓会は、殿堂入りを祝賀するとともに後進の歩むべき道を照らし出し ていただくため、同年七月二十三日、東京のグランドア 1 ク半蔵門で祝賀記念講演会を共催いたしました。 この講演会には、川島会長の郷里会津からも会津若松市長はじめ多数の方々が参加し、大盛況を呈しました。 川島会長は、「自らを語る」と題したこの講演で、家が貧しかったために旧制会津中学への進学も難しかった少 年期から説き始め、恩師の強い勧めで会津中学に入学できたこと、上級学校への進学はかなわず、周囲の方々 の助言もあって働きながら学ぶ道を選んだこと等々「人は人によって人となる。ことを体験した歩みを回顧さ れました。 そのお話の一端を紹介しますと、私学出身には稀有な内務省入り、海軍士官になってからの南洋での英軍捕虜 生活、そして復員してからの現警察庁勤務など、そのご経歴は昭和史そのものと言って過言ではありません。 さらに、傘寿を超すこと四年のご体験の中からにじみ出た、人間と社会あるいは国家についての貴重な思索が この講演には数多く盛られております。 それだけに、この特別講演を多数の方に知っていただきたいと考え、講演録を刊行しました。 この趣旨に賛同し、おカ添えをお願いして、発刊のごあいさつに代える次第であります。 平成十九年七月吉日 川島廣守氏の野球殿堂入り「記念講演会」 世話人代表谷澤久
り角となったのです。いわば、歴史的な転換点であったといっていいと思います。 スト権ストはまさに歴史的な労働運動の転囘する起点となったのです。この転換す る時の流れを、なにより鮮明に脳裡に残しているほどの大きな事件であったといっ て過言ではありません。 三木内閣のときに副長官を退き、それから鉄道建設公団に行ったり、プロ野球界 に行ったりしたわけでございます。 「一期一会」の有難さにいつも感謝して已まない 私の人生のあらましを申し上げてきましたが、お聞き及びの通り、自分の計らい でやったということはないというのは言い過ぎですが、その多くは縁のなせるわざ でございます。今日、お配りしましたが、安岡正篤先生との出会いもまた奇しきご 縁であります。警視庁公安部長の時、都内の早稲田大学、日本大学、明治大学など 、現在の治安状況はど で学園が封鎖されて学校が動かない状況でした。「いナし うなっているか実態を知りたい、という安岡先生のご要請にお応えして説明にあがっ じらい たわけです。爾来、師友協会に人れていただき、人生の師として教えを受けてまい りました。いまもなお、儒学、陽明学、老荘の学など『論語』をはじめ古典に惹か れて、多くの座右の書に学んでおります。その学恩はどれほど感謝しても、尽きる
読むことでも作られますが、もう一つスポーツを通じても人は出来上がります。ス ポーツに人生を賭けているわけですから。長嶋茂雄さんもすばらしい人ですよ。読 書家でもありますが。あのような心やさしく自分に厳しく、他人にやさしいという ースターですな。彼なんかも家に帰ったら毎晩地下室 か、まさにプロ野球のスー でバットを千回以上は振っていますよ。王監督、ワンちゃんが一本足打法を完成す るのに三年かかっているんです。荒川博さんの道場に三百六十五日、三年通ってい るんですよ。ナイターが終わってから車に荒川さんを乗せて、練馬か駒込か忘れた けれど、ワンちゃんが運転して荒川さんの道場に行って、そして一本足打法を作り 上げたんです。それが、まあ大変なんです。居合いの練習を取り入れたり、考えら れるあらゆる方法で鍛え上げているわけですよ。 だから人間というのは、倦むことなき努力と精進なんですな。いつもそう思うん だけど、われわれの内務省の先輩で詩人の安積得也さんがおられる。あの人の詩の 中に出ていますよ。 自分の中には自分の知らない自分がある みんなの中にはみんなの知らないみんながある みんな偉いみんな尊いみんなみんな天の秘蔵っ子