考察め名の蔓 また、月に無数の蝶が乱れ飛ぶ様子というのは、千々に乱れるという表現にかけて おちついた微笑みの裏で感情が大きく乱されているという意味もあるのかも。 これは紡ぐ想いの特訓後に曽禰好忠の句っぽい行方も知らない恋の道という セリフがあったことから、大江千里の秋の季節に月を見たもの悲しさの句に 関連したセリフはこびである可能性が考えられるためです。 なお、数字に関連した点も興味深く、 ます、曾爾好忠の句が 46 番で大江千里の句が 23 番はその半分の数字です。 そして、曽爾好忠の句が引用されているとおぼしき紡ぐ想い登場日が 2015 年 12 月 31 日なので占いによくある数字の足し方をすると 2 + 0 + 1 + 5 + 1 + 2 + 3 + 1 = 15 で次に 1 + 5 = 6 なので 6 。 つづいて、大江千里の句なトリートオアトリート登場日が 2016 年 9 月 30 日なので 2 + 0 + 1 + 6 + 0 + 9 + 3 + 0 = 21 で次に 2 + 1 = 3 なので 3 になるので 句の番号だけでなく登場日の合計もびったり半分になります。 偶然の一致である可能性がきわめて高いとはいえこれまでも数字やその変動による 記号やその暗喩同士の紐づけが行われている可能性が高いことからも これらの描写が半分になる数字をとおして関連付けられている可能性も ひょっとしたらまったくないとも言い切れない・・・とかだと面白いのですけれども。 雲の形は遠景の雲の並びから考えておそらく波状雲。 窓の光が臆病と嫉妬の色なのに合わせて 文字通りに波立っているという気持ちの表れでもあるのかもしれません。 画面全体が傾いた構図になっていることは まゆを中心にほうきが天秤のような形になることがつながっていて 光の描写が建物の光 ( 窓の光・・・黄色 > 臆病・建物の反射光・・・緑色 > 嫉妬 ) というように臆病と嫉妬の色が強調されている側に傾いている。 逆に画面右側の窓明かりは普通のあかりのような明るさの色だが 左側よりも数が少なかったり小さかったりしている。 向かって右側 ( 画面手前 ) はほうきの頭が豊かな状況を示していて リボンが太く多く絡まってたなびいているが 向かって左側 ( 画面奥側 ) はほうきの柄が枯れ木っぽい様子で リポンが細く小さく絡まっていてその先にあるカンテラのリポンに対して 「ふたつのリポンが切れてしまって光に届かない」図式になっている。
考察という名の蔓 教会のような建物といえば、 よくみると針が 11 時 55 分を指す形になっているのが興味深いポイントです。 時計盤自体は画面構成の関係で斜めになっているので 表示時間としては 0 時 55 分くらいになっていて、 真夜中を過ぎて闇が深くなる時間帯という意味では これはまゆの臆病さや嫉妬心でゆがんだ視点の強化のための 描写でもある可能性もありそう。 これは、針の位置 ( 長針と短針は P とまゆの記号としても考えられる ) 斜めになっている盤面 ( 見えている世界 ) だけを 垂直に対して平行にもどすと 23 時 55 分表記になるので まゆの絶望はただの絶望ではなく見方を変えれば希望もある、という 表現にもつながっていると考える事もできるのではないでしようか。 0 時を過ぎてるのは真夜中で夜明けはまだまだ先という意味にもなるかもしれないし、 魔術や魔力が強くなる時間帯ということでもあるかもしれません。 一応、日本の気象庁の基準では 0 時から 3 時までが未明なんだそうで そういう点から考えると未だ明けすの時間帯ということにもなるのでしようか。 時計の針がまゆと P の関係性の暗喩である可能性は フィールマイハートからの関連表現のひとつであるともおもわれます。 フィールマイハートのときは寄り添おうとしているまゆに対して ニ人の関係性を示す時計の針がほぼ真逆の方向を向いてたのですが、 臆病さと嫉妬心にさいなまれている真夜中という闇の深い時においてこそ p とまゆを示す針がかぎりなく近づいてるというのはかんがえようによっては 救いであると同時にと哀しさの同居した表現なのかもしれません。 とはいえ、人と人の運命という言葉をつかえるほどの出会いって 現実においてもそういうふしぎなタイミングみたいなものが 介在しているとしかおもえないようなことが多々あるような気もしますので そういう意味ではまゆが『運命』をテーマにしている以上は 切っても切れない重要な部分でもあるのでしよう。 おおきな青い月に背を向けて飛んでいる魔女はそのまま、 あり得ないこと・成就しえない望みという絶望に背を向けたまま 魔女 ( = 魔力を持つ女の子 = アイドル ) としてその方向に向かっている姿。 熱烈な愛・成就しえない恋という、同じ想いをかかえた たくさんのたましい ( = 蝶 = まゆのファン ) をアイドルとして 青い月へ引き連れて飛んでいこうとしている図でもあるのでしようか。
蓍察という名の蔓 トリ十オたドリ - ト編 ( 特訓後 ) 込 頭かざりには真珠。真珠には月の涙という異名があることから、 ブルームーンカクテルの良くないほうの意味の強調の効果を持たせると同時に 頭の中ではふたりだけの世界であることをカンテラが揺れていることや ほうきとカンテラのリポンが切れてるようにみえるようにしてあるることで それがそのまま青い月が持っ暗喩に目を背けた自分の妄想にすぎないことを 自覚していて涙している・・・ということにもなるのかもしれません。 また、腰のチェーンは頭・腕・ほうきについた真珠に対応していて 青い月を中心に画面全体をひとつの瞳として描かれていると解釈すると、 チェーンの位置同士のまとまりが涙を流しているっぽいカンジの配置になるので 大きな瞳 ( 月 ) が涙を流しているという図式になるようでもあります。 背景は画面右がまゆのべールに覆われているのは建前の象徴とすれば 建前だからこそ窓の光は普通の明るさと色になっているとかんがえると、 画面左側の建物が石造りの建物しかなくてその窓明かりが臆病と嫉妬の色で 染め上げられているのは夜の石造りの建物が冷え切ってかたくななココロという 本心本音のあらわれの象徴ということにもなりそうです。 べールで被われた側の背景は普通の建物で遠くの風景も距離がある配置。 嫉妬や臆病の色が大きく目立つ中で普通の暖かい色の光が見えていても弱々しいのは 遠くにあること感じていることから感じている頼りなさでもあるのでしようか。 まゆの右手が下を抑えているホーズになっているのは まゆを軸にほうきが天秤としての記号としてはたらくような構造になっていて その天秤が、ほうきの先にあしらわれている星という希望の象徴の側ではなく 石造りの建物のというマイナスの感情や感覚の象徴の側に傾いているということから、 ブルームーンのふたつの意味のうちの良くないほうの意味に考えや気持ちが 傾いてしまっているということを強調する構造になっているのかもしれません。 そしてその超遠景にかさなるようにして飛んでいる蝶 ( 画面右端中段にいるニひきの蝶のうちの一匹 ) が、見ようによっては、 はるか遠くから手を振りながら呼びかけてる人影のようにもみえるのは かんがえすぎかもしれない領域なのですが、かなり興味深い点にもなりそうです。 超遠景にかさなっている蝶の一匹はまゆから見た主観的な P の外的な状況 ( そこにいるのがはっきりしてるのに輪郭がはっきりしない ) であると同時に 遠くから手を振りながら呼びかけている人影になる蝶の羽の形が、 時計の針の位置と似た形であり、その時計の針がフィールマイハートから引き続き まゆと p の距離や向き合い方を指し示す記号だとすれば、手を振りながら呼びかける 人物とまゆの置かれている状況に対する客観的な描写にもなる可能性があります。
名編 おそらくこれはサービス開始時期から本田未央を応援してた P さんたちならば その意味とすごさを共有できるのではないでしようか。 なお、この背後のテーブルは単なる怒りの表現としてだけではなく、 甘いお菓子のうしろには帽子がおかれているのもポイント。 ニ人の感情をつなぐテーブルに前後するような位置取りで 帽子がおかれている構図は、お互いが表向きだけでなく、 心の底でも帽子を脱いでいる面もあるという意味でもあるのではないでしようか。 似て異なるからこそ分かり合える部分があったり、 キュート属性においては上位常連組という意味でも 人気実力の質を冷静に認め合っていたりとか。 ふたつのロールケーキが距離を置いて配置されているのは ふたりの心情の複雑さとそれが同じ方向で回っていることであり、 帽子の前でシュークリームっぽいおかし ( サントノーレ ? ) が ふたつよりそっているのは シューがフランス語でキャベッ、ハボタン、ハクサイ等の総称らしいので キャベツの花言葉『利益・利得』 ハボタンの花言葉『祝福』『利益』『慈愛』『愛を包む』『物事に動じない』 ハクサイの花言葉『固い結束』・・・を、みるかぎりでは、 お互いが意識的にでも無意識的にでも帽子を脱ぐに値すると 感じていることがこの中に入っている可能性をもたせるためでもあるのかあるいは 今後これにかかわる関係性が構築されたりする可能性もあったり するのかもしれません。 その後ろには風船のカボチャがいて、 その風船のカボチャも帽子に対応した紫のカボチャが添えてあるのは 智絵里の方が俯瞰して物事が見えている可能性を示唆しているのかも。 また、同様に李衣菜もうしろに俯瞰してるカボチャがあります。 智絵里と李衣菜のうしろに風船が配置されているのは それぞれの心理的な立ち位置や安定感みたいなものの描写である可能性があります。 カボチャが嫉妬や闘争心のようなものの記号として働いているという 前提で考えた場合、ということになるのですが、 智絵里はカボチャの風船のそはに顔のない風船があり、 そのうしろに白い風船があるという構成になっているとも考えられそうです。
蓍察という名の蔓 それは、まゆと自分を俯瞰してみたときに嫉妬や競争心に対して 自分でもわからない、あるいは自覚できていないという意味で 同じカボチャ色の風船でも顔のない風船が配置されていて、 そういう意識の働きで天使としての本質 ( 白い風船 ) が隠れているからこそ 今悪魔の恰好をしているというという意味にも読み取れそうですし、 同時に、そういう意識の働きにとまどいはあっても 天使としての本質はうしろにちゃんとあるという意味にもなりそう。 逆に李衣菜は、風船がふたつにはっきりと距離をおいて配置されていて、 まっすぐに p の方をみている自分と俯瞰して状況をみている自分が 李衣菜の中で明確に割り切ってあるということになりそうです。 この割り切り感はやはりクールの属性たる所以でしようか。 これはラブデスでひとり冷静に俯瞰できるポジションにいたこととも 関連性があるのかもしれません。 また、李衣菜の安定感の源としてかんがえられる意味付けとしては、 智絵里がテーブルのツタであるのに対して 李衣菜は後ろの観葉植物であってその観葉植物は 大きな木が後ろにあることで安定感のある見栄えになっていることから それは木村夏樹という木だらけの文字で構成されたアイドルのしつかりとした 太い幹に心理的に支えられているということでもあるようです。 植物判別はむずかしいので確定ではありませんが 観葉植物がもしもアレカヤシとオーガスタであれば花言葉的には アレカヤシが『元気』『勝利』オーガスタが『明るい未来』なので 幹のしつかりした木に裏支えされた観葉植物のこの図式というのは そのふたつの花言葉からかんがえるとこのイベントの 3 週間後のデレステにおける Jet to the Future への予告でもあったのかもしれません。 ・・・そんなふうにして特訓前を総合すると、トリートオアトリート特訓前は、 キャッキャウフフしてるようにみえて じつはまゆ視点では李衣菜と智絵里に追われる立場であるという 心理状態を描いているという解釈も可能になりそうです。 そしてそれは [LoveooDestiny] 十で 「。司 y じゃない L 。 ve …。やってみたら、どうですか ) 」と、 言ってしまった後だからこその心理状態でもあるとも言えるのでしよう。