考察としら名の蔓 トリ - トオたドリ編 ( 特訓後 ) 0 薔薇そのものは気候条件などにもよるとは思いますが 園芸系の辞典やサイトをみるかぎりでは IO 月くらいまでらしいので ハロウインの期間に間に合うという意味でも無理はないもののようです。 背景の月が青いのは、薔薇の花言葉に関連させた ブルームーンというカクテルにちなんだ言葉である 『完全な愛』と『かなわぬ恋』という意味にもつながるようです。 これはつまるところ、まゆが、数字で意味の変わる薔薇を分割して 身にまとっていてそのうえで大きな青い月を背負っているという描写が まゆが『完全な愛』と『かなわぬ恋』というある部分で完全に 相反する要素を内包しているという意味になりそう。 また、ブルームーンというカクテルは材料に バイオレットリキュールというお酒がつかわれています。 香りづけには薔薇だけではなくニオイスミレという スミレの花がつかわれているようです。 そしてそれを特訓後の衣装が紫色を多く含んでいる事と関連させて考えると 紫色のスミレの西洋での花言葉が『白昼夢』『あなたのことで 頭がいつばい』という、なんというかもうそのまんまな花言葉に つながってくるので、このあたりも多重に意味付けを交差させて 編み込むことで意義と存在感を強化する働きをしている可能性があります。 西洋では薔薇が『美』で百合が『威厳』で菫が『謙虚・誠実』らしく みつつセットで兼ね備えたひとが理想の女性、という考え方も あるらしく、美と謙虚・誠実さがそろっているのに威厳がたりないというのは 今までのカードの変遷をたどれば、たしかにそれは まゆらしいといえばまゆらしい要素なのかもしれません。 さらにうがった見方をすればかってのラブデスコミュにおける まゆさん宣言や壁ドンの件を考慮に入れると、 暗に、『百合だけはありません』という文脈も成立するような構築要素を、 わざわざこのタイミングでわかりにくいように織り込んできてあるということは サブリミナルや呪術構成的な要素という意味では 非常に興味深い記号の織り込み方をされているというとらえ方もできそうです。 また、このスミレ色という配色の強調は 五周年のまゆのドレスの配色にも継承されているようなので、 謙虚・誠実というまゆの性質をあえてよりつよく押し出す意味もあるのでしようか。 4 4
一繦 名編 『特訓前』 李衣菜と智絵里がまゆを追いかけるような構図になっています。 セリフと合わせてみても明るく楽しいハロウインパーティー中という 風情の内容なのですが、周辺におかれている品々が意味することを かんがえると語りかけてくる内容がががらっとかわってしまうようです。 意味が完全にひっくり返る仕掛けをこれでもかと詰め込むような構成は トリートオアトリートというタイトルの意味を画面構成的には真逆にふまえて トリックオアトリックとする言葉遊び的な意味もふくまれているのかもしれません。 概要からの引き続きとなりますが前回 SSR フィールマイハートからの 時系列としての作り込みに興味深い点がありそうです。 フィールマイハートとくらべると時計の針の離れ方がほぼ真逆で 情景も朝と真夜中という真逆の状態。 フィールマイハート特訓前が朝で希望や明るさを前面に出しつつ花を置くという 行為を通じて p のそばにいようとする意志や行動が描かれていて 特訓後がファンからの想いや愛がふわふわ舞い上がっている 明るく、ややどぎついくらいの熱のある色調の画面。 トリートオアトリートは特訓前が李衣菜と智絵里にはさまれていて、 これはフィールマイハートでは ちひろとブーゲンビリア ( p ) にはさまれている構図と重ねられているっぽい。 こで興味深いのは トリートオアトリートではアイドルふたりが内側を向くカタチなのに対して フィールマイハートはちひろもブーゲンビリアも外向きの形になっていること。 それは同時に、登場人物との関係性 ( フィールマイハートが目上で トリートオアトリートは対等 ) 室内の構造そのものも対称構造が 意識されているようです。 フィールマイハートは特訓前が室内で特訓後が室内。 トリートオアトリートは特訓前が室内で特訓後が室外。 特訓前の窓がカーテンがかかっているという点で共通しているのに それ以外の位置関係が逆になっている。 1 4
蓍察という名の蔓 波風立てないために尊敬という言葉をつかっただけで それを考えるとラブデスコミュでまゆさん宣言したのが 燭台の火がそれの感情の炎を後押しする効果をもっていること。 フィールマイハートの外からの光に対応する記号である 光の表現という意味で巧妙なのは、 つなげた意味合いが重ねられていたりするのかもしれません。 智絵里は下を向いて光が当たっていないというという構図にも まゆが光がさしているのに光の方を見ていない構図で たくさんのツタがあるのに奥にいる美穂はそうでもない、というところや、 これは [ L 。 ] + でもよくみるとまゆと智絵里は手の先に 似て異なるスタンスに重ねられているところでしようか。 貴方 ( P ) がいないと生きていけない的な意味での であることが、まゆと智絵里の p に対する寄りかかりというか、 こでおもしろいのが『葛も蔓も木に絡みつくのが生存戦略な植物』 あると考えると符号が合致します。 テーブルを筏に見立てその上に蔓 ( つる性植物をかすらともよぶ ) が フィールマイハートのブーゲンビリアが筏葛という名の植物でもあることから それを、テーブルの上のツタ越しに見ているというのは、 小さなカボチャはまゆに対する自分の感情をあらわしているのかもしれません。 大きなカボチャが p に対する自分の意志とすれば まゆの方をみていて内側の炎があふれるほど燃えているというのは それを基準に考えると大きなカボチャの前にある小さなカボチャが 内側の情景を暗に語るというのがあるっぽい感じでもあるので 今回は画面構成のルールとして位置関係的に手前にあるものが また、大きなカボチャの前に小さなカボチャがあるのも理由があって 未婚の乙女同士の恋のさや当てとした場合どのくらい適合性があるかはまあ話半分で。 お約束というかデフォルトのパターンのひとっという説もあったりするので この場合の解釈は基本的に本妻と愛人が夫を巡って喧嘩するときのある種の 解釈も成り立ちそうです・・・が、そうかもしれないとはいえ、 背中を向けられる側がその大きさを感じて委縮しているかもしれないという 背中を向ける側が横綱相撲のようなものをみせつけようとしているのか 智絵里に背を向けている意味をつよめる効果もある構図になるということは、 智絵里の側の目を閉じていることが図式としては すこし意地悪な見方をすれば、まゆが智絵里ではなく李衣菜を向いてる事や 実質的にはライバル宣言でもあるという意味をもっことにもなるのかもしれません。
考察という名の蔓 大きなカボチャも目立たないけどそのぶん数のある火を背負っているのは 感情だけでなく自分の意志としても対抗心を燃やしているということなのでしようか。 オカルト色を強めた解釈をするなら人間は肉体・精神・魂で構成されてる説も あったりするだけに、それらすべて、すなわち全身全霊で燃えているという意味の 解釈もわすかながらにしても成り立たなくはない・・・のかも。 燭台は智絵里の後ろのテーブルのものにも対応していて、 燭台の火が壁の写真に火をつけるような位置取りになっていて その写真の構図が紡ぐ想い特訓前に酷似しており、 智絵里の深層心理描写としてはまだ自覚はないけれども ライバル以上というか燃やしてしまいたいくらいの 火が自分の中に小さく燃えているということにも。 また、この智絵里の背後の燭台とテーブルは まゆの背後のリポンがかかる構図になっていることにも絡んでいて、 まゆのリポンとまゆを燃やそうとしている燭台を通じて 智絵里のカボチャと同しくらい内側から火を燃やしているカボチャが 智絵里を睨んでいるような位置取りになっています。 これはまゆも智絵里の意識の外から智絵里に対抗心があるということへの描写で カボチャはロの形が笑っているようで歯噛みしているようでもあるのは、 テーブルの位置や距離からかんがえると p に対しての関係性において 智絵里はできる ( あるいはしてもらえる ) のに自分はできない ( してもらえない ) ことにおける智絵里に対しての羨望と怒りでもあったりするのかもしれません。 さらに、まゆの衣装のうしろのリボンと紡ぐ想い特訓前っぽい壁の絵との 構図にも関連性が持たされてもいるようで、 蝋燭の火の位置をよくみると壁の写真が紡ぐ想いの構図だと ちょうど座っている椅子のお尻のあたりに火が重なっていて、 メイド服っぽいまゆの後ろのリポンを尻尾にみたてると、 写真も実物のまゆもほんとうは智絵里という存在を前に『尻に火がついている』 状態になっているという図式にもなることになります。 たしかに、緒方智絵里といえばキュート属性の実質ほぼ頂点ともいえる アイドルなワケですから、ラブデスコミュでのまゆさん発言がはたして どんな意味を持ったのかを考えるとこれはある意味自然というか当然というか。 そしてここにきてはじめて、運営側が、 2016 年を通して じっくりまゆを活躍させておいて ( ライブでの牧野さんのパフォーミングも含む ) トリートオアトリートのあとにくるシンデレラガールズ 5 周年アイプロに 満を持して登板させることで智絵里と同格にたたかえる cu アイドルであることに きちんと説得力を作ってこようとしていたことに気付かされることになります。 気 な
察という名の蔓 『特訓後』 まずはわかりやすい花言葉による暗喩から。 花言葉による意味付けとかんがえられるものは以下のとおり。 薔薇の色 > 紅色・・・死ぬほど恋い焦がれています バラの数と位置 胸 ( 心 ) > 一本・・・あなたに一目ぼれあなたしかいない 頭 > ニ本・・・世界は 2 人だけ 2 本のバラは『お互いが愛情を持っている』『お互いに愛し合っている』 という状態を 2 本のバラで表現しているらしいので それが頭部を飾っているのはそのまま頭で考えていることの表現なのかも。 薔薇と同様に頭の中という意味で関連性のある表現としては 帽子の内側の蝶のレースが蜘蛛の巣にかかった蝶の イメージっぽくもあるので背景が傾いていることとあわせて まゆの考え方やものの見方がある一定の考え方に 偏っているかとらわれてしまっている状態を示しているのかも。 頭と胸で 3 本・・・『あなたをあいしてる』 胸とほうきで 5 本・・・『あなたに出会えたことの喜び』 頭とほうきで 6 本・・・『あなたに夢中』『お互いに敬い、愛し、分かち合いましよう』 ほうき部分は 4 本・・・『死ぬまで変わらない』 合計 7 本 > 密かな愛、あるいは完全な片想い。 なお、薔薇の最盛期は 6 月といわれているようで、 6 という数字が、 今回のアクセサリーに 6 月の誕生石である真珠が多く使われていることや 過去にまゆのデビューをはじめ SR のほとんどが 6 月にかかる期間に 登場しているところからも間接的な存在感の強化のための 記号として意図的に練り込まれている可能性もありそうです。 こまでまゆを推す動きが 6 で固められているのであれば、 来たる第 6 回総選挙でシンデレラガールにもなったりするようであれば まゆ一色で文字通り役満ということになるのですが・・・はたしてどうなることでしようか。 4
察という名のも また、少々剣呑なネタになってしまいますが、 意味でもあったりするのかもしれません。 『トリックアンドトリック』といういつも以上に仕掛けが盛りだくさんですよ ! 的な 今回の『トリートオアトリート』というタイトルは、裏返してみれば、内容的には、 どのアイドルのカードでも常に丁寧な意味付けや物語性が構築されているっぽいだけに ほかのアイドルに関しても各担当 p の熱意ある考察をみるに 詰め込まれているのはほんとうに素晴らしいことだとおもいます。 画面のデザインという意味ではここまで考察遊びとして掘り下げられる要素が ・・・と、まあ、考察半分妄想半分なのでどこまで正解かはわかりませんが、 あるのではないか・・・という見方もできたりするのかもしれません。 ラブデスでの壁ドン事件に対する総合的な意味での『処理』の意味も ある件に関連した暗喩と思われる表現として解釈できそうなものもあることから ちょっと物騒なネタになるかもしれないのであえて書いていないのですが まゆには『薔薇と菫はありますが百合だけはありません』という文脈の織り込みや まゆと箒と天秤の表現の図式 天釋に変慢してみると 特が一切れたは元に いている状はになる 右人差し指がさす先は リポンが紹はれてるが 腕・ほうき・ランタンの 三か所で一切れてれ、る 基本的に左手 ( と小指 ) は 運命の糸の象徴である リホンがまかれる位置たが 今回リボンの意味が別の 場所に移動しているという サイン。移動場所は右手の 指がさし示しす先に 画面外へつながる糸。 道聞の糸がつながってる 状態を意味する 糸がつながる側は『星のかざりもの』という 記号としての『光や輝き』が ( ほうきの ) 外側にある。 糸がきれる側は『ランタン』の内側に 星のかざりものよりも明るい光 ( と、光源そのもの ) が閉じ込められている。 このふたつの光の表現の差異は、 星が光やきの記号ではあっても 自らが光を発しているわけではないことに対して ランタンの内側は囲い込まれてしまっていても 光そのものが光源であり自らが輝いているという 図式をこれまでのまゆの変遷にどうあてはめて 解釈するかで議論の余地がいくらでもひろがる という非常に意味深な構造っぽい。
蓍察という名の蔓 一トリ - ト粐十リ - ト編 ( 特訓箭 ) フィールマイハートは朝、外から光がさしている、外の風景がみえる、 天井シンプル、机ーっ、棚は書類で壁は業務予定表 ( 仕事感の強調 ) 、 人物の動きが小さい。とまっている。 トリートオアトリートは夜、外はまっくらで風景は見えない、 フィールマイハートで外からさす光に対応する位置に火のついた燭台、 天井派手、机複数、棚は無く壁はツタや写真で飾り付け ( 仕事ではない ) 、 人物の動きが大きい。走っている。 李衣菜がおそいかかるような仕草なのは フィールマイハートではなく [ L 。 ] での壁ドンから継続でしようか、 しかし、李衣菜にかかっているカボチャは暗くてまゆの方を向いておらす それどころかまゆの進行方向を見てる構図になっていて、 これはまゆにはそれほど興味があるわけでもないということの意味と、 だけどまゆの進行方向の先にあるものは目に入ってるという意味かも。 また、李衣菜にかかっているカボチャの顔色が良くないのは、 後述の風船カボチャの配置における意味付けと関連させて考えた場合には P に向かう方向性に対してまゆや智絵里のテンションというか 似た者同士であるキュート属性のふたりの業の深さみたいなものに対する クール属性としての視点からの印象という意味もあったりするのかもしれません。 智絵里は少し離れた位置からテーブル越しにまゆをみて おそいかかるようなわらっているようなホジション。 これは李衣菜と同様に左足がわにかかっているテーブルが 心理状態や思考をあらわしているという解釈もできそうな要素で、 魔女の帽子をかぶった大きなカボチャが 李衣菜と同じ方向を向いているにもかかわらす よりははっきりと内側があかるくなっているのは ラブデスコミュでの経緯を考慮に入れると まゆの進行方向の先にあるものに対する野心の描写である可能性が 示唆されているということも考えられそう。 それは、顔半分が隠れているのと帽子をかぶっていることと関連があって、 顔が半分隠れているのは正体や本音を半分しか見せていないという意味にもなり さらに『帽子を脱ぐ』という慣用句が相手を尊敬するという意味があります。 そうなるとテーブル越しにまゆを狙っている智絵里が帽子を脱いでるように みえる配置になっているのは敬意を持っている描写でもあると同時に その気持ちとは裏腹に心理描写に対応するカボチャが帽子をかぶったままで 半分顔を隠しているという構図になるというのは 李衣菜よりも明確に p に対しての野心を持っているという図式にもなりそう。 5
蓍察という名の蔓 このあたりは紡ぐ想いの時でもでもそうだったのですが、 特訓前は競争の中で p をつかまえる方向に向かう主張であり 特訓後は個人的な心情として p につかまえてほしいという主張という ふたつの意識のはざまにいるということでもあるのでしようか。 だとすれば、似たシチュエーションであれば ある意味ふつうの女性なら大なり小なり持つ要素を まゆだってちゃんと持ってるし感じているということでもあるわけで、 それは P に対していい子であり続けていることに どこか無理をしているという意味でもあるのかも。 そうなると、煮えくり返った魔女釜みたいに、溶け合いたい・・・というセリフは 感情的・性的な意味で熱く溶け合うという直接的な意味の以前に 文字通り P の煮え切らない態度に対して 業を煮やしているということでもでありそうです。 フィールマイハート + で画面中にリポンと縛る・縛られるという言葉をとおして P に自分をつなぎとめてほしいという心の声の象徴として盛り立てておいて、 そのリボンをつづく L 。 veooDestiny + では左手の棘付きのつるにからめて なぜ P に自分をつなぎとめてほしいとおもっているのかとそのために心に刺さっている 棘があるということを各種セリフをとおした行動にちりばめてありました。 そして今回のトリートオアトリート + ではそれらが結実した結果の表現として、 フィールマイハートでつないでいたリボンが千切れるイメージや L 。 ve00Destiny のまゆ担当のパートが瞳に関連していることが 青い月が目から涙があふれているような構図に関連付けしてあるとも考えられます。 これはおそらく P の側がまゆにひどい扱いをしているという意味ではなく、 濃すぎる恋が往々にして現状に対し欲求過多になったり 想像力がはかどりすぎて悲観的に考えすぎて心が不安定になってしまい 本音としては追いかけてきてほしいという気持ちだけど もうあのひととやっていけない ! みたいな発想や発言がでてきてしまうという 本当に誰にでも大なり小なり当たり前にわいてくる気持ちの描写でもあるのでしようか。 もしもそうだとすれば、深読み要素としては悲恋や悲嘆の要素が色濃かったとしても じつはそれが普通の恋する乙女は誰しもすくなからず通る道だったということでもあり こにおいても、悲恋まゆを求める P と普通に恋する乙女まゆを求める P という 相反する立ち位置がどちらも満たされるような表現を目指していると 考える事もできてしまうのかもしれません。
考察という名の - トリ - トオた - ト編 ( 追① ) まゆの乗っているほうきはリボンが絡みついているのですが これは中世の魔女の魔力の源という説もあった 『糸巻き棒』の代替表現でもありそうです。 その場合はまゆのテーマである『運命の赤い糸』 ( p との関係性 ) が 普通の女の子としての魅力の源であると同時に魔女 ( アイドル ) としての 佐久間まゆの魔力の源であるというニ重表現にもなるのかもしれません。 また、ほうきはまゆを軸に天秤としての表現を重ねてあると 先の本文中に記載しましたが、天秤のはしっこが、 上がっているのがリボンがプレイヤー側に向けてがつながっている構図の側で 下がっているのが『三か所』リポンが切れてたなびいている構図の側になっています。 画面の『青い月という大きな瞳が涙を流しているような構図』を中心とした天秤が 『赤い糸』と『魔力の源』が途切れる側に傾いているという図式であることから 三か所切れているという描写が意味するところとしては p との『つながりが切れた』ように感じてるかもしれなかったり P にとってのいい子を演じる『魔カ ( エネルギー ) が切れた』かもしれなかったり それが積もり積もって『今の状況そのものにキレた』からこそ 今回の特訓後の構図が『絶望に傾いた天秤 ( 魔女のほうき ) にのって 誰の手も届かない暗くて冷たい世界へわたしは飛び去ろうとしているけれど、 ほんとうはあなたに追いかけてきてつかまえてほしい』という行動をあらわした 図式になっているのではないか・・・と考える事もできるのでしようか。 この暗喩のたいへん秀逸なトコロは、まゆの解釈の命題でもある 『エッジの利いたまゆ』と『ふつうの恋する乙女まゆ』というニつの立ち位置を 包括した表現にもつながる描写であることも興味深いポイントなのかも。 今回の SSR のニつ名であるトリートオアトリートのトリートという単語が 『議論・治療・処理・もてなし』という意味も持つ場合があることから考えると p にとってのいい子を演じて独占欲を解放できないまゆの本心を吐露する シーンという意味があるとすれば『治療』に該当する方向性もうまれますし、 『エッジの利いたまゆ』と『ふつうの恋する乙女』の要素や解釈に対する それぞれの立位置からの『議論』のための意味も生まれてくるかもしれませんし、 その延長上にそのふたつの要素のどちらもきちんと汲んだうえで それぞれの P たちの解釈への『もてなし』という意味もうまれてくるのかもしれません。
蓍察という名の蔓 それは、まゆと自分を俯瞰してみたときに嫉妬や競争心に対して 自分でもわからない、あるいは自覚できていないという意味で 同じカボチャ色の風船でも顔のない風船が配置されていて、 そういう意識の働きで天使としての本質 ( 白い風船 ) が隠れているからこそ 今悪魔の恰好をしているというという意味にも読み取れそうですし、 同時に、そういう意識の働きにとまどいはあっても 天使としての本質はうしろにちゃんとあるという意味にもなりそう。 逆に李衣菜は、風船がふたつにはっきりと距離をおいて配置されていて、 まっすぐに p の方をみている自分と俯瞰して状況をみている自分が 李衣菜の中で明確に割り切ってあるということになりそうです。 この割り切り感はやはりクールの属性たる所以でしようか。 これはラブデスでひとり冷静に俯瞰できるポジションにいたこととも 関連性があるのかもしれません。 また、李衣菜の安定感の源としてかんがえられる意味付けとしては、 智絵里がテーブルのツタであるのに対して 李衣菜は後ろの観葉植物であってその観葉植物は 大きな木が後ろにあることで安定感のある見栄えになっていることから それは木村夏樹という木だらけの文字で構成されたアイドルのしつかりとした 太い幹に心理的に支えられているということでもあるようです。 植物判別はむずかしいので確定ではありませんが 観葉植物がもしもアレカヤシとオーガスタであれば花言葉的には アレカヤシが『元気』『勝利』オーガスタが『明るい未来』なので 幹のしつかりした木に裏支えされた観葉植物のこの図式というのは そのふたつの花言葉からかんがえるとこのイベントの 3 週間後のデレステにおける Jet to the Future への予告でもあったのかもしれません。 ・・・そんなふうにして特訓前を総合すると、トリートオアトリート特訓前は、 キャッキャウフフしてるようにみえて じつはまゆ視点では李衣菜と智絵里に追われる立場であるという 心理状態を描いているという解釈も可能になりそうです。 そしてそれは [LoveooDestiny] 十で 「。司 y じゃない L 。 ve …。やってみたら、どうですか ) 」と、 言ってしまった後だからこその心理状態でもあるとも言えるのでしよう。