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検索対象: あの青い月をこえて
12件見つかりました。

1. あの青い月をこえて

蓍察という名の蔓 それは、まゆと自分を俯瞰してみたときに嫉妬や競争心に対して 自分でもわからない、あるいは自覚できていないという意味で 同じカボチャ色の風船でも顔のない風船が配置されていて、 そういう意識の働きで天使としての本質 ( 白い風船 ) が隠れているからこそ 今悪魔の恰好をしているというという意味にも読み取れそうですし、 同時に、そういう意識の働きにとまどいはあっても 天使としての本質はうしろにちゃんとあるという意味にもなりそう。 逆に李衣菜は、風船がふたつにはっきりと距離をおいて配置されていて、 まっすぐに p の方をみている自分と俯瞰して状況をみている自分が 李衣菜の中で明確に割り切ってあるということになりそうです。 この割り切り感はやはりクールの属性たる所以でしようか。 これはラブデスでひとり冷静に俯瞰できるポジションにいたこととも 関連性があるのかもしれません。 また、李衣菜の安定感の源としてかんがえられる意味付けとしては、 智絵里がテーブルのツタであるのに対して 李衣菜は後ろの観葉植物であってその観葉植物は 大きな木が後ろにあることで安定感のある見栄えになっていることから それは木村夏樹という木だらけの文字で構成されたアイドルのしつかりとした 太い幹に心理的に支えられているということでもあるようです。 植物判別はむずかしいので確定ではありませんが 観葉植物がもしもアレカヤシとオーガスタであれば花言葉的には アレカヤシが『元気』『勝利』オーガスタが『明るい未来』なので 幹のしつかりした木に裏支えされた観葉植物のこの図式というのは そのふたつの花言葉からかんがえるとこのイベントの 3 週間後のデレステにおける Jet to the Future への予告でもあったのかもしれません。 ・・・そんなふうにして特訓前を総合すると、トリートオアトリート特訓前は、 キャッキャウフフしてるようにみえて じつはまゆ視点では李衣菜と智絵里に追われる立場であるという 心理状態を描いているという解釈も可能になりそうです。 そしてそれは [LoveooDestiny] 十で 「。司 y じゃない L 。 ve …。やってみたら、どうですか ) 」と、 言ってしまった後だからこその心理状態でもあるとも言えるのでしよう。

2. あの青い月をこえて

蓍察という名の蔓 トリ十オたドリ - ト編 ( 特訓後 ) 込 頭かざりには真珠。真珠には月の涙という異名があることから、 ブルームーンカクテルの良くないほうの意味の強調の効果を持たせると同時に 頭の中ではふたりだけの世界であることをカンテラが揺れていることや ほうきとカンテラのリポンが切れてるようにみえるようにしてあるることで それがそのまま青い月が持っ暗喩に目を背けた自分の妄想にすぎないことを 自覚していて涙している・・・ということにもなるのかもしれません。 また、腰のチェーンは頭・腕・ほうきについた真珠に対応していて 青い月を中心に画面全体をひとつの瞳として描かれていると解釈すると、 チェーンの位置同士のまとまりが涙を流しているっぽいカンジの配置になるので 大きな瞳 ( 月 ) が涙を流しているという図式になるようでもあります。 背景は画面右がまゆのべールに覆われているのは建前の象徴とすれば 建前だからこそ窓の光は普通の明るさと色になっているとかんがえると、 画面左側の建物が石造りの建物しかなくてその窓明かりが臆病と嫉妬の色で 染め上げられているのは夜の石造りの建物が冷え切ってかたくななココロという 本心本音のあらわれの象徴ということにもなりそうです。 べールで被われた側の背景は普通の建物で遠くの風景も距離がある配置。 嫉妬や臆病の色が大きく目立つ中で普通の暖かい色の光が見えていても弱々しいのは 遠くにあること感じていることから感じている頼りなさでもあるのでしようか。 まゆの右手が下を抑えているホーズになっているのは まゆを軸にほうきが天秤としての記号としてはたらくような構造になっていて その天秤が、ほうきの先にあしらわれている星という希望の象徴の側ではなく 石造りの建物のというマイナスの感情や感覚の象徴の側に傾いているということから、 ブルームーンのふたつの意味のうちの良くないほうの意味に考えや気持ちが 傾いてしまっているということを強調する構造になっているのかもしれません。 そしてその超遠景にかさなるようにして飛んでいる蝶 ( 画面右端中段にいるニひきの蝶のうちの一匹 ) が、見ようによっては、 はるか遠くから手を振りながら呼びかけてる人影のようにもみえるのは かんがえすぎかもしれない領域なのですが、かなり興味深い点にもなりそうです。 超遠景にかさなっている蝶の一匹はまゆから見た主観的な P の外的な状況 ( そこにいるのがはっきりしてるのに輪郭がはっきりしない ) であると同時に 遠くから手を振りながら呼びかけている人影になる蝶の羽の形が、 時計の針の位置と似た形であり、その時計の針がフィールマイハートから引き続き まゆと p の距離や向き合い方を指し示す記号だとすれば、手を振りながら呼びかける 人物とまゆの置かれている状況に対する客観的な描写にもなる可能性があります。

3. あの青い月をこえて

蓍察と [ 、ら名の蔓 トリートオアトリートは屋外でまゆが手前の位置どり。蝶がまゆの周囲から奥に。 配色は熱が奪われていくかのような青系中心で詳細は後述の特訓後の考察で触れますが ファンは幻想的な蝶、まゆは空を飛ぶ魔女という非現実の存在。 逆に月や建物の中からの光は生活や日常に密着した光景の光源になっている。 まゆにとってのおおきなアイやファンにとってのおおきなアイが 熱狂的な愛であるがゆえに手が届かないことへの哀でありもしかしたら 画面の大部分を占める青系の藍と哀しさゆえのブルーな気持ちにもかかっていて それが遠くの一点に収束するかのような画面構成になっているようです。 タイトルのフィールマイハートという言葉にはわたしの気持ちをわかってよ ! という意味があることから『まゆの心の声を直接的に表現』している。 逆にトリートオアトリートは後述の画面に配置された各種記号の解釈次第では 場面の状況がトリックオアトリックになりかねない構成でもあることを鑑みると 『まゆの心の声の間接的な表現』でもあるタイトルになっている。 もしかしたらほかにももっとたくさんあるのかもしれませんが、 SSR 同士のフィールマイハートとトリートオアトリートから読み取れそうな 対称性や対照性に関してはとりあえすこのようなトコロでしようか。 .2

4. あの青い月をこえて

蓍察ら名の蔓 花に関連する暗喩といえば画面奥の教会っぽい建物の鐘。 カンパニュラという花がラテン語で釣鐘という言葉が由来で 英語でベルフラワー、イタリア語で鐘の事をカンパネラというだけに カンパニュラがスミレと同じく紫色の花があることや カンパニュラの花言葉が誠実・不変・節操という意味が まゆの元々のキャラクターや今回の特訓後の各種セリフにも 関連する内容であるっぽいこともかんがえられます。 もしもカンパニュラが隠された花として成立するとすれば 衣装の色・スミレの色・鐘にかかったカンパニュラの色による三段構造の 意味付けの強化として建物の鐘が組み込まれている可能性が出てきそうです。 また、カンパニュラの開花期は春先から 6 月くらいまでで夏には枯れるようですが 日陰にいれば 10 月にはまた花をつけることもあることから、 6 という数字とトリートオアトリート登場月の IO 月にも関連する数字が のせられている花を隠して配置してあるという見方もできそうです。 ほうきの先のランタンの下にある赤いしるしがもしもバラのっぽみの 代替表現だとすれば「愛の告白」「恋の告白」となるので、そうだとすれば、 まゆが愛や恋が宙ぶらりんになってると感じてることのあらわれになるのでしようか。 その暗喩表現と重なっているのが教会っぽい建物の鐘っぽいかんじで 告白の先に鐘が鳴っていない状況を指すと考えれば 意味合いの強調という点でも充分に機能させられそうでもあります。 教会の鐘をならすのは時報というだけでなく 一般的に結婚式のイメージもあるはすなので、そんな教会のような建物の鐘が、 ブルームーンとまゆの間に重なるようにして配置されているとすれば、 『愛されたいのはダメ ? ならその気持ちを魔法で消します。いいんですか ? 』 というまるでゆさぶりをかけるかのようなセリフがあることからも 告白や結びつきということに対するあきらめや絶望に近い位置にある 感情があるのかもしれないという解釈も成り立つのかもしれません。 また、ほうきにからんだニ本のリポンが ランタンとの間で断ち切られているような図式になっていて、 しかも断ち切られたリポンの間に ランタン ( 闇を照らす道具ということで知性を意味する使われ方もされる記号 ) と ランタンから出ているひときわあかるい光 ( 窓より熱がある色合いになっている ? ) があることで、それを何かの形で明確に意識している可能性があるのかも。

5. あの青い月をこえて

蓍察とら名の蔓 トリ - ト・オたドリ - ト編、 - ( 特訓後 ) そしてそれを描写しているのがまゆに魅了され導かれて 月の向こう側に行く蝶の一羽であり、しかもその蝶が、 おそらくほぼ唯一の、月に向かっているのかそうでないのかわからない 配置がなされている蝶であるというのはこれはとてもすごい。 もしもこの構図が考えすぎではなかったとしたら、なのですが、 P がまゆをどう見てどう思いどう行動しようとしているのかの片鱗が はじめて明確に描写されたということにもなるのですがはたして。 そしてもしもその蝶が P をあらわしたものであると考えた場合には、 頭からつま先 ( ほうきの先 ) まで P への想いに染まっていて それがあまりにも強すぎるがゆえに全身をおおうほどの 黒い呪いに変わってしまい絶望に向かって飛んでいこうとしている少女を 自分の領分を超えない ( あるいはなんらかの理由で越えられない ) 場所から いまなお懸命に呼び止めようとしつづけているということにもなりそう。 また、それは同時に、想いにとらわれているからなのか別の理由からか、 まゆが P からの呼びかけに対して背を向けてしまってる ( 見ないようにしてる ) 部分もあるかもしれないよ、ということにもなるのかもしれません。 現実においても、恋をした人間は年齢性別を問わす相手の事を想いすぎたとき 自分の中で自家中毒を起こして壮大なカラ回りをした挙句拍子抜けするというのは それこそ往々にしてあることだけに、物語の図式としては、 一応の可能性をかんがえておいても問題は少ないのかもしれません。 帽子の内側の色は紫つながりからかんがえると アマランサスパープルだったりもするのでしようか。 アマランサスの花言葉が色あせぬ愛・不死、不滅らしいので バラのブーケの本数の死ぬまで変わらないというのとあわせると 愛の深さを物語る文脈として機能しそうです。 特訓前は画面の奥から手前に向かってくる構図、 特訓後は画面の手前から奥に向かっていく構図。 この対称性は特訓前がアイドル間の p を目指しての競争と その状況における各人の気持ちを描写で p にむかっていく、という方向なのがポイントなのかもしれません。 特訓後はかなわない願いという方向に向かっていくのが それがまゆが P から離れていく構図と対になっている。 4

6. あの青い月をこえて

考察め名の蔓 また、月に無数の蝶が乱れ飛ぶ様子というのは、千々に乱れるという表現にかけて おちついた微笑みの裏で感情が大きく乱されているという意味もあるのかも。 これは紡ぐ想いの特訓後に曽禰好忠の句っぽい行方も知らない恋の道という セリフがあったことから、大江千里の秋の季節に月を見たもの悲しさの句に 関連したセリフはこびである可能性が考えられるためです。 なお、数字に関連した点も興味深く、 ます、曾爾好忠の句が 46 番で大江千里の句が 23 番はその半分の数字です。 そして、曽爾好忠の句が引用されているとおぼしき紡ぐ想い登場日が 2015 年 12 月 31 日なので占いによくある数字の足し方をすると 2 + 0 + 1 + 5 + 1 + 2 + 3 + 1 = 15 で次に 1 + 5 = 6 なので 6 。 つづいて、大江千里の句なトリートオアトリート登場日が 2016 年 9 月 30 日なので 2 + 0 + 1 + 6 + 0 + 9 + 3 + 0 = 21 で次に 2 + 1 = 3 なので 3 になるので 句の番号だけでなく登場日の合計もびったり半分になります。 偶然の一致である可能性がきわめて高いとはいえこれまでも数字やその変動による 記号やその暗喩同士の紐づけが行われている可能性が高いことからも これらの描写が半分になる数字をとおして関連付けられている可能性も ひょっとしたらまったくないとも言い切れない・・・とかだと面白いのですけれども。 雲の形は遠景の雲の並びから考えておそらく波状雲。 窓の光が臆病と嫉妬の色なのに合わせて 文字通りに波立っているという気持ちの表れでもあるのかもしれません。 画面全体が傾いた構図になっていることは まゆを中心にほうきが天秤のような形になることがつながっていて 光の描写が建物の光 ( 窓の光・・・黄色 > 臆病・建物の反射光・・・緑色 > 嫉妬 ) というように臆病と嫉妬の色が強調されている側に傾いている。 逆に画面右側の窓明かりは普通のあかりのような明るさの色だが 左側よりも数が少なかったり小さかったりしている。 向かって右側 ( 画面手前 ) はほうきの頭が豊かな状況を示していて リボンが太く多く絡まってたなびいているが 向かって左側 ( 画面奥側 ) はほうきの柄が枯れ木っぽい様子で リポンが細く小さく絡まっていてその先にあるカンテラのリポンに対して 「ふたつのリポンが切れてしまって光に届かない」図式になっている。

7. あの青い月をこえて

考察という名の - トリ - トオた - ト編 ( 追① ) まゆの乗っているほうきはリボンが絡みついているのですが これは中世の魔女の魔力の源という説もあった 『糸巻き棒』の代替表現でもありそうです。 その場合はまゆのテーマである『運命の赤い糸』 ( p との関係性 ) が 普通の女の子としての魅力の源であると同時に魔女 ( アイドル ) としての 佐久間まゆの魔力の源であるというニ重表現にもなるのかもしれません。 また、ほうきはまゆを軸に天秤としての表現を重ねてあると 先の本文中に記載しましたが、天秤のはしっこが、 上がっているのがリボンがプレイヤー側に向けてがつながっている構図の側で 下がっているのが『三か所』リポンが切れてたなびいている構図の側になっています。 画面の『青い月という大きな瞳が涙を流しているような構図』を中心とした天秤が 『赤い糸』と『魔力の源』が途切れる側に傾いているという図式であることから 三か所切れているという描写が意味するところとしては p との『つながりが切れた』ように感じてるかもしれなかったり P にとってのいい子を演じる『魔カ ( エネルギー ) が切れた』かもしれなかったり それが積もり積もって『今の状況そのものにキレた』からこそ 今回の特訓後の構図が『絶望に傾いた天秤 ( 魔女のほうき ) にのって 誰の手も届かない暗くて冷たい世界へわたしは飛び去ろうとしているけれど、 ほんとうはあなたに追いかけてきてつかまえてほしい』という行動をあらわした 図式になっているのではないか・・・と考える事もできるのでしようか。 この暗喩のたいへん秀逸なトコロは、まゆの解釈の命題でもある 『エッジの利いたまゆ』と『ふつうの恋する乙女まゆ』というニつの立ち位置を 包括した表現にもつながる描写であることも興味深いポイントなのかも。 今回の SSR のニつ名であるトリートオアトリートのトリートという単語が 『議論・治療・処理・もてなし』という意味も持つ場合があることから考えると p にとってのいい子を演じて独占欲を解放できないまゆの本心を吐露する シーンという意味があるとすれば『治療』に該当する方向性もうまれますし、 『エッジの利いたまゆ』と『ふつうの恋する乙女』の要素や解釈に対する それぞれの立位置からの『議論』のための意味も生まれてくるかもしれませんし、 その延長上にそのふたつの要素のどちらもきちんと汲んだうえで それぞれの P たちの解釈への『もてなし』という意味もうまれてくるのかもしれません。

8. あの青い月をこえて

察という名の蔓 『特訓後』 まずはわかりやすい花言葉による暗喩から。 花言葉による意味付けとかんがえられるものは以下のとおり。 薔薇の色 > 紅色・・・死ぬほど恋い焦がれています バラの数と位置 胸 ( 心 ) > 一本・・・あなたに一目ぼれあなたしかいない 頭 > ニ本・・・世界は 2 人だけ 2 本のバラは『お互いが愛情を持っている』『お互いに愛し合っている』 という状態を 2 本のバラで表現しているらしいので それが頭部を飾っているのはそのまま頭で考えていることの表現なのかも。 薔薇と同様に頭の中という意味で関連性のある表現としては 帽子の内側の蝶のレースが蜘蛛の巣にかかった蝶の イメージっぽくもあるので背景が傾いていることとあわせて まゆの考え方やものの見方がある一定の考え方に 偏っているかとらわれてしまっている状態を示しているのかも。 頭と胸で 3 本・・・『あなたをあいしてる』 胸とほうきで 5 本・・・『あなたに出会えたことの喜び』 頭とほうきで 6 本・・・『あなたに夢中』『お互いに敬い、愛し、分かち合いましよう』 ほうき部分は 4 本・・・『死ぬまで変わらない』 合計 7 本 > 密かな愛、あるいは完全な片想い。 なお、薔薇の最盛期は 6 月といわれているようで、 6 という数字が、 今回のアクセサリーに 6 月の誕生石である真珠が多く使われていることや 過去にまゆのデビューをはじめ SR のほとんどが 6 月にかかる期間に 登場しているところからも間接的な存在感の強化のための 記号として意図的に練り込まれている可能性もありそうです。 こまでまゆを推す動きが 6 で固められているのであれば、 来たる第 6 回総選挙でシンデレラガールにもなったりするようであれば まゆ一色で文字通り役満ということになるのですが・・・はたしてどうなることでしようか。 4

9. あの青い月をこえて

一繦 名編 『特訓前』 李衣菜と智絵里がまゆを追いかけるような構図になっています。 セリフと合わせてみても明るく楽しいハロウインパーティー中という 風情の内容なのですが、周辺におかれている品々が意味することを かんがえると語りかけてくる内容がががらっとかわってしまうようです。 意味が完全にひっくり返る仕掛けをこれでもかと詰め込むような構成は トリートオアトリートというタイトルの意味を画面構成的には真逆にふまえて トリックオアトリックとする言葉遊び的な意味もふくまれているのかもしれません。 概要からの引き続きとなりますが前回 SSR フィールマイハートからの 時系列としての作り込みに興味深い点がありそうです。 フィールマイハートとくらべると時計の針の離れ方がほぼ真逆で 情景も朝と真夜中という真逆の状態。 フィールマイハート特訓前が朝で希望や明るさを前面に出しつつ花を置くという 行為を通じて p のそばにいようとする意志や行動が描かれていて 特訓後がファンからの想いや愛がふわふわ舞い上がっている 明るく、ややどぎついくらいの熱のある色調の画面。 トリートオアトリートは特訓前が李衣菜と智絵里にはさまれていて、 これはフィールマイハートでは ちひろとブーゲンビリア ( p ) にはさまれている構図と重ねられているっぽい。 こで興味深いのは トリートオアトリートではアイドルふたりが内側を向くカタチなのに対して フィールマイハートはちひろもブーゲンビリアも外向きの形になっていること。 それは同時に、登場人物との関係性 ( フィールマイハートが目上で トリートオアトリートは対等 ) 室内の構造そのものも対称構造が 意識されているようです。 フィールマイハートは特訓前が室内で特訓後が室内。 トリートオアトリートは特訓前が室内で特訓後が室外。 特訓前の窓がカーテンがかかっているという点で共通しているのに それ以外の位置関係が逆になっている。 1 4

10. あの青い月をこえて

察という名のも また、少々剣呑なネタになってしまいますが、 意味でもあったりするのかもしれません。 『トリックアンドトリック』といういつも以上に仕掛けが盛りだくさんですよ ! 的な 今回の『トリートオアトリート』というタイトルは、裏返してみれば、内容的には、 どのアイドルのカードでも常に丁寧な意味付けや物語性が構築されているっぽいだけに ほかのアイドルに関しても各担当 p の熱意ある考察をみるに 詰め込まれているのはほんとうに素晴らしいことだとおもいます。 画面のデザインという意味ではここまで考察遊びとして掘り下げられる要素が ・・・と、まあ、考察半分妄想半分なのでどこまで正解かはわかりませんが、 あるのではないか・・・という見方もできたりするのかもしれません。 ラブデスでの壁ドン事件に対する総合的な意味での『処理』の意味も ある件に関連した暗喩と思われる表現として解釈できそうなものもあることから ちょっと物騒なネタになるかもしれないのであえて書いていないのですが まゆには『薔薇と菫はありますが百合だけはありません』という文脈の織り込みや まゆと箒と天秤の表現の図式 天釋に変慢してみると 特が一切れたは元に いている状はになる 右人差し指がさす先は リポンが紹はれてるが 腕・ほうき・ランタンの 三か所で一切れてれ、る 基本的に左手 ( と小指 ) は 運命の糸の象徴である リホンがまかれる位置たが 今回リボンの意味が別の 場所に移動しているという サイン。移動場所は右手の 指がさし示しす先に 画面外へつながる糸。 道聞の糸がつながってる 状態を意味する 糸がつながる側は『星のかざりもの』という 記号としての『光や輝き』が ( ほうきの ) 外側にある。 糸がきれる側は『ランタン』の内側に 星のかざりものよりも明るい光 ( と、光源そのもの ) が閉じ込められている。 このふたつの光の表現の差異は、 星が光やきの記号ではあっても 自らが光を発しているわけではないことに対して ランタンの内側は囲い込まれてしまっていても 光そのものが光源であり自らが輝いているという 図式をこれまでのまゆの変遷にどうあてはめて 解釈するかで議論の余地がいくらでもひろがる という非常に意味深な構造っぽい。