蓍察という名の蔓 波風立てないために尊敬という言葉をつかっただけで それを考えるとラブデスコミュでまゆさん宣言したのが 燭台の火がそれの感情の炎を後押しする効果をもっていること。 フィールマイハートの外からの光に対応する記号である 光の表現という意味で巧妙なのは、 つなげた意味合いが重ねられていたりするのかもしれません。 智絵里は下を向いて光が当たっていないというという構図にも まゆが光がさしているのに光の方を見ていない構図で たくさんのツタがあるのに奥にいる美穂はそうでもない、というところや、 これは [ L 。 ] + でもよくみるとまゆと智絵里は手の先に 似て異なるスタンスに重ねられているところでしようか。 貴方 ( P ) がいないと生きていけない的な意味での であることが、まゆと智絵里の p に対する寄りかかりというか、 こでおもしろいのが『葛も蔓も木に絡みつくのが生存戦略な植物』 あると考えると符号が合致します。 テーブルを筏に見立てその上に蔓 ( つる性植物をかすらともよぶ ) が フィールマイハートのブーゲンビリアが筏葛という名の植物でもあることから それを、テーブルの上のツタ越しに見ているというのは、 小さなカボチャはまゆに対する自分の感情をあらわしているのかもしれません。 大きなカボチャが p に対する自分の意志とすれば まゆの方をみていて内側の炎があふれるほど燃えているというのは それを基準に考えると大きなカボチャの前にある小さなカボチャが 内側の情景を暗に語るというのがあるっぽい感じでもあるので 今回は画面構成のルールとして位置関係的に手前にあるものが また、大きなカボチャの前に小さなカボチャがあるのも理由があって 未婚の乙女同士の恋のさや当てとした場合どのくらい適合性があるかはまあ話半分で。 お約束というかデフォルトのパターンのひとっという説もあったりするので この場合の解釈は基本的に本妻と愛人が夫を巡って喧嘩するときのある種の 解釈も成り立ちそうです・・・が、そうかもしれないとはいえ、 背中を向けられる側がその大きさを感じて委縮しているかもしれないという 背中を向ける側が横綱相撲のようなものをみせつけようとしているのか 智絵里に背を向けている意味をつよめる効果もある構図になるということは、 智絵里の側の目を閉じていることが図式としては すこし意地悪な見方をすれば、まゆが智絵里ではなく李衣菜を向いてる事や 実質的にはライバル宣言でもあるという意味をもっことにもなるのかもしれません。
蓍察と [ 、ら名の蔓 トリートオアトリートは屋外でまゆが手前の位置どり。蝶がまゆの周囲から奥に。 配色は熱が奪われていくかのような青系中心で詳細は後述の特訓後の考察で触れますが ファンは幻想的な蝶、まゆは空を飛ぶ魔女という非現実の存在。 逆に月や建物の中からの光は生活や日常に密着した光景の光源になっている。 まゆにとってのおおきなアイやファンにとってのおおきなアイが 熱狂的な愛であるがゆえに手が届かないことへの哀でありもしかしたら 画面の大部分を占める青系の藍と哀しさゆえのブルーな気持ちにもかかっていて それが遠くの一点に収束するかのような画面構成になっているようです。 タイトルのフィールマイハートという言葉にはわたしの気持ちをわかってよ ! という意味があることから『まゆの心の声を直接的に表現』している。 逆にトリートオアトリートは後述の画面に配置された各種記号の解釈次第では 場面の状況がトリックオアトリックになりかねない構成でもあることを鑑みると 『まゆの心の声の間接的な表現』でもあるタイトルになっている。 もしかしたらほかにももっとたくさんあるのかもしれませんが、 SSR 同士のフィールマイハートとトリートオアトリートから読み取れそうな 対称性や対照性に関してはとりあえすこのようなトコロでしようか。 .2
察という名の蔓 『特訓後』 まずはわかりやすい花言葉による暗喩から。 花言葉による意味付けとかんがえられるものは以下のとおり。 薔薇の色 > 紅色・・・死ぬほど恋い焦がれています バラの数と位置 胸 ( 心 ) > 一本・・・あなたに一目ぼれあなたしかいない 頭 > ニ本・・・世界は 2 人だけ 2 本のバラは『お互いが愛情を持っている』『お互いに愛し合っている』 という状態を 2 本のバラで表現しているらしいので それが頭部を飾っているのはそのまま頭で考えていることの表現なのかも。 薔薇と同様に頭の中という意味で関連性のある表現としては 帽子の内側の蝶のレースが蜘蛛の巣にかかった蝶の イメージっぽくもあるので背景が傾いていることとあわせて まゆの考え方やものの見方がある一定の考え方に 偏っているかとらわれてしまっている状態を示しているのかも。 頭と胸で 3 本・・・『あなたをあいしてる』 胸とほうきで 5 本・・・『あなたに出会えたことの喜び』 頭とほうきで 6 本・・・『あなたに夢中』『お互いに敬い、愛し、分かち合いましよう』 ほうき部分は 4 本・・・『死ぬまで変わらない』 合計 7 本 > 密かな愛、あるいは完全な片想い。 なお、薔薇の最盛期は 6 月といわれているようで、 6 という数字が、 今回のアクセサリーに 6 月の誕生石である真珠が多く使われていることや 過去にまゆのデビューをはじめ SR のほとんどが 6 月にかかる期間に 登場しているところからも間接的な存在感の強化のための 記号として意図的に練り込まれている可能性もありそうです。 こまでまゆを推す動きが 6 で固められているのであれば、 来たる第 6 回総選挙でシンデレラガールにもなったりするようであれば まゆ一色で文字通り役満ということになるのですが・・・はたしてどうなることでしようか。 4
蓍察という名の蔓 それは、まゆと自分を俯瞰してみたときに嫉妬や競争心に対して 自分でもわからない、あるいは自覚できていないという意味で 同じカボチャ色の風船でも顔のない風船が配置されていて、 そういう意識の働きで天使としての本質 ( 白い風船 ) が隠れているからこそ 今悪魔の恰好をしているというという意味にも読み取れそうですし、 同時に、そういう意識の働きにとまどいはあっても 天使としての本質はうしろにちゃんとあるという意味にもなりそう。 逆に李衣菜は、風船がふたつにはっきりと距離をおいて配置されていて、 まっすぐに p の方をみている自分と俯瞰して状況をみている自分が 李衣菜の中で明確に割り切ってあるということになりそうです。 この割り切り感はやはりクールの属性たる所以でしようか。 これはラブデスでひとり冷静に俯瞰できるポジションにいたこととも 関連性があるのかもしれません。 また、李衣菜の安定感の源としてかんがえられる意味付けとしては、 智絵里がテーブルのツタであるのに対して 李衣菜は後ろの観葉植物であってその観葉植物は 大きな木が後ろにあることで安定感のある見栄えになっていることから それは木村夏樹という木だらけの文字で構成されたアイドルのしつかりとした 太い幹に心理的に支えられているということでもあるようです。 植物判別はむずかしいので確定ではありませんが 観葉植物がもしもアレカヤシとオーガスタであれば花言葉的には アレカヤシが『元気』『勝利』オーガスタが『明るい未来』なので 幹のしつかりした木に裏支えされた観葉植物のこの図式というのは そのふたつの花言葉からかんがえるとこのイベントの 3 週間後のデレステにおける Jet to the Future への予告でもあったのかもしれません。 ・・・そんなふうにして特訓前を総合すると、トリートオアトリート特訓前は、 キャッキャウフフしてるようにみえて じつはまゆ視点では李衣菜と智絵里に追われる立場であるという 心理状態を描いているという解釈も可能になりそうです。 そしてそれは [LoveooDestiny] 十で 「。司 y じゃない L 。 ve …。やってみたら、どうですか ) 」と、 言ってしまった後だからこその心理状態でもあるとも言えるのでしよう。
考察としら名の蔓 トリ - トオたドリ編 ( 特訓後 ) 0 薔薇そのものは気候条件などにもよるとは思いますが 園芸系の辞典やサイトをみるかぎりでは IO 月くらいまでらしいので ハロウインの期間に間に合うという意味でも無理はないもののようです。 背景の月が青いのは、薔薇の花言葉に関連させた ブルームーンというカクテルにちなんだ言葉である 『完全な愛』と『かなわぬ恋』という意味にもつながるようです。 これはつまるところ、まゆが、数字で意味の変わる薔薇を分割して 身にまとっていてそのうえで大きな青い月を背負っているという描写が まゆが『完全な愛』と『かなわぬ恋』というある部分で完全に 相反する要素を内包しているという意味になりそう。 また、ブルームーンというカクテルは材料に バイオレットリキュールというお酒がつかわれています。 香りづけには薔薇だけではなくニオイスミレという スミレの花がつかわれているようです。 そしてそれを特訓後の衣装が紫色を多く含んでいる事と関連させて考えると 紫色のスミレの西洋での花言葉が『白昼夢』『あなたのことで 頭がいつばい』という、なんというかもうそのまんまな花言葉に つながってくるので、このあたりも多重に意味付けを交差させて 編み込むことで意義と存在感を強化する働きをしている可能性があります。 西洋では薔薇が『美』で百合が『威厳』で菫が『謙虚・誠実』らしく みつつセットで兼ね備えたひとが理想の女性、という考え方も あるらしく、美と謙虚・誠実さがそろっているのに威厳がたりないというのは 今までのカードの変遷をたどれば、たしかにそれは まゆらしいといえばまゆらしい要素なのかもしれません。 さらにうがった見方をすればかってのラブデスコミュにおける まゆさん宣言や壁ドンの件を考慮に入れると、 暗に、『百合だけはありません』という文脈も成立するような構築要素を、 わざわざこのタイミングでわかりにくいように織り込んできてあるということは サブリミナルや呪術構成的な要素という意味では 非常に興味深い記号の織り込み方をされているというとらえ方もできそうです。 また、このスミレ色という配色の強調は 五周年のまゆのドレスの配色にも継承されているようなので、 謙虚・誠実というまゆの性質をあえてよりつよく押し出す意味もあるのでしようか。 4 4
蓍察ら名の蔓 花に関連する暗喩といえば画面奥の教会っぽい建物の鐘。 カンパニュラという花がラテン語で釣鐘という言葉が由来で 英語でベルフラワー、イタリア語で鐘の事をカンパネラというだけに カンパニュラがスミレと同じく紫色の花があることや カンパニュラの花言葉が誠実・不変・節操という意味が まゆの元々のキャラクターや今回の特訓後の各種セリフにも 関連する内容であるっぽいこともかんがえられます。 もしもカンパニュラが隠された花として成立するとすれば 衣装の色・スミレの色・鐘にかかったカンパニュラの色による三段構造の 意味付けの強化として建物の鐘が組み込まれている可能性が出てきそうです。 また、カンパニュラの開花期は春先から 6 月くらいまでで夏には枯れるようですが 日陰にいれば 10 月にはまた花をつけることもあることから、 6 という数字とトリートオアトリート登場月の IO 月にも関連する数字が のせられている花を隠して配置してあるという見方もできそうです。 ほうきの先のランタンの下にある赤いしるしがもしもバラのっぽみの 代替表現だとすれば「愛の告白」「恋の告白」となるので、そうだとすれば、 まゆが愛や恋が宙ぶらりんになってると感じてることのあらわれになるのでしようか。 その暗喩表現と重なっているのが教会っぽい建物の鐘っぽいかんじで 告白の先に鐘が鳴っていない状況を指すと考えれば 意味合いの強調という点でも充分に機能させられそうでもあります。 教会の鐘をならすのは時報というだけでなく 一般的に結婚式のイメージもあるはすなので、そんな教会のような建物の鐘が、 ブルームーンとまゆの間に重なるようにして配置されているとすれば、 『愛されたいのはダメ ? ならその気持ちを魔法で消します。いいんですか ? 』 というまるでゆさぶりをかけるかのようなセリフがあることからも 告白や結びつきということに対するあきらめや絶望に近い位置にある 感情があるのかもしれないという解釈も成り立つのかもしれません。 また、ほうきにからんだニ本のリポンが ランタンとの間で断ち切られているような図式になっていて、 しかも断ち切られたリポンの間に ランタン ( 闇を照らす道具ということで知性を意味する使われ方もされる記号 ) と ランタンから出ているひときわあかるい光 ( 窓より熱がある色合いになっている ? ) があることで、それを何かの形で明確に意識している可能性があるのかも。
蓍察とら名の蔓 トリ - ト・オたドリ - ト編、 - ( 特訓後 ) そしてそれを描写しているのがまゆに魅了され導かれて 月の向こう側に行く蝶の一羽であり、しかもその蝶が、 おそらくほぼ唯一の、月に向かっているのかそうでないのかわからない 配置がなされている蝶であるというのはこれはとてもすごい。 もしもこの構図が考えすぎではなかったとしたら、なのですが、 P がまゆをどう見てどう思いどう行動しようとしているのかの片鱗が はじめて明確に描写されたということにもなるのですがはたして。 そしてもしもその蝶が P をあらわしたものであると考えた場合には、 頭からつま先 ( ほうきの先 ) まで P への想いに染まっていて それがあまりにも強すぎるがゆえに全身をおおうほどの 黒い呪いに変わってしまい絶望に向かって飛んでいこうとしている少女を 自分の領分を超えない ( あるいはなんらかの理由で越えられない ) 場所から いまなお懸命に呼び止めようとしつづけているということにもなりそう。 また、それは同時に、想いにとらわれているからなのか別の理由からか、 まゆが P からの呼びかけに対して背を向けてしまってる ( 見ないようにしてる ) 部分もあるかもしれないよ、ということにもなるのかもしれません。 現実においても、恋をした人間は年齢性別を問わす相手の事を想いすぎたとき 自分の中で自家中毒を起こして壮大なカラ回りをした挙句拍子抜けするというのは それこそ往々にしてあることだけに、物語の図式としては、 一応の可能性をかんがえておいても問題は少ないのかもしれません。 帽子の内側の色は紫つながりからかんがえると アマランサスパープルだったりもするのでしようか。 アマランサスの花言葉が色あせぬ愛・不死、不滅らしいので バラのブーケの本数の死ぬまで変わらないというのとあわせると 愛の深さを物語る文脈として機能しそうです。 特訓前は画面の奥から手前に向かってくる構図、 特訓後は画面の手前から奥に向かっていく構図。 この対称性は特訓前がアイドル間の p を目指しての競争と その状況における各人の気持ちを描写で p にむかっていく、という方向なのがポイントなのかもしれません。 特訓後はかなわない願いという方向に向かっていくのが それがまゆが P から離れていく構図と対になっている。 4
考察という名の蔓 教会のような建物といえば、 よくみると針が 11 時 55 分を指す形になっているのが興味深いポイントです。 時計盤自体は画面構成の関係で斜めになっているので 表示時間としては 0 時 55 分くらいになっていて、 真夜中を過ぎて闇が深くなる時間帯という意味では これはまゆの臆病さや嫉妬心でゆがんだ視点の強化のための 描写でもある可能性もありそう。 これは、針の位置 ( 長針と短針は P とまゆの記号としても考えられる ) 斜めになっている盤面 ( 見えている世界 ) だけを 垂直に対して平行にもどすと 23 時 55 分表記になるので まゆの絶望はただの絶望ではなく見方を変えれば希望もある、という 表現にもつながっていると考える事もできるのではないでしようか。 0 時を過ぎてるのは真夜中で夜明けはまだまだ先という意味にもなるかもしれないし、 魔術や魔力が強くなる時間帯ということでもあるかもしれません。 一応、日本の気象庁の基準では 0 時から 3 時までが未明なんだそうで そういう点から考えると未だ明けすの時間帯ということにもなるのでしようか。 時計の針がまゆと P の関係性の暗喩である可能性は フィールマイハートからの関連表現のひとつであるともおもわれます。 フィールマイハートのときは寄り添おうとしているまゆに対して ニ人の関係性を示す時計の針がほぼ真逆の方向を向いてたのですが、 臆病さと嫉妬心にさいなまれている真夜中という闇の深い時においてこそ p とまゆを示す針がかぎりなく近づいてるというのはかんがえようによっては 救いであると同時にと哀しさの同居した表現なのかもしれません。 とはいえ、人と人の運命という言葉をつかえるほどの出会いって 現実においてもそういうふしぎなタイミングみたいなものが 介在しているとしかおもえないようなことが多々あるような気もしますので そういう意味ではまゆが『運命』をテーマにしている以上は 切っても切れない重要な部分でもあるのでしよう。 おおきな青い月に背を向けて飛んでいる魔女はそのまま、 あり得ないこと・成就しえない望みという絶望に背を向けたまま 魔女 ( = 魔力を持つ女の子 = アイドル ) としてその方向に向かっている姿。 熱烈な愛・成就しえない恋という、同じ想いをかかえた たくさんのたましい ( = 蝶 = まゆのファン ) をアイドルとして 青い月へ引き連れて飛んでいこうとしている図でもあるのでしようか。
考察め名の蔓 また、月に無数の蝶が乱れ飛ぶ様子というのは、千々に乱れるという表現にかけて おちついた微笑みの裏で感情が大きく乱されているという意味もあるのかも。 これは紡ぐ想いの特訓後に曽禰好忠の句っぽい行方も知らない恋の道という セリフがあったことから、大江千里の秋の季節に月を見たもの悲しさの句に 関連したセリフはこびである可能性が考えられるためです。 なお、数字に関連した点も興味深く、 ます、曾爾好忠の句が 46 番で大江千里の句が 23 番はその半分の数字です。 そして、曽爾好忠の句が引用されているとおぼしき紡ぐ想い登場日が 2015 年 12 月 31 日なので占いによくある数字の足し方をすると 2 + 0 + 1 + 5 + 1 + 2 + 3 + 1 = 15 で次に 1 + 5 = 6 なので 6 。 つづいて、大江千里の句なトリートオアトリート登場日が 2016 年 9 月 30 日なので 2 + 0 + 1 + 6 + 0 + 9 + 3 + 0 = 21 で次に 2 + 1 = 3 なので 3 になるので 句の番号だけでなく登場日の合計もびったり半分になります。 偶然の一致である可能性がきわめて高いとはいえこれまでも数字やその変動による 記号やその暗喩同士の紐づけが行われている可能性が高いことからも これらの描写が半分になる数字をとおして関連付けられている可能性も ひょっとしたらまったくないとも言い切れない・・・とかだと面白いのですけれども。 雲の形は遠景の雲の並びから考えておそらく波状雲。 窓の光が臆病と嫉妬の色なのに合わせて 文字通りに波立っているという気持ちの表れでもあるのかもしれません。 画面全体が傾いた構図になっていることは まゆを中心にほうきが天秤のような形になることがつながっていて 光の描写が建物の光 ( 窓の光・・・黄色 > 臆病・建物の反射光・・・緑色 > 嫉妬 ) というように臆病と嫉妬の色が強調されている側に傾いている。 逆に画面右側の窓明かりは普通のあかりのような明るさの色だが 左側よりも数が少なかったり小さかったりしている。 向かって右側 ( 画面手前 ) はほうきの頭が豊かな状況を示していて リボンが太く多く絡まってたなびいているが 向かって左側 ( 画面奥側 ) はほうきの柄が枯れ木っぽい様子で リポンが細く小さく絡まっていてその先にあるカンテラのリポンに対して 「ふたつのリポンが切れてしまって光に届かない」図式になっている。
蓍察という名の蔓 このあたりは紡ぐ想いの時でもでもそうだったのですが、 特訓前は競争の中で p をつかまえる方向に向かう主張であり 特訓後は個人的な心情として p につかまえてほしいという主張という ふたつの意識のはざまにいるということでもあるのでしようか。 だとすれば、似たシチュエーションであれば ある意味ふつうの女性なら大なり小なり持つ要素を まゆだってちゃんと持ってるし感じているということでもあるわけで、 それは P に対していい子であり続けていることに どこか無理をしているという意味でもあるのかも。 そうなると、煮えくり返った魔女釜みたいに、溶け合いたい・・・というセリフは 感情的・性的な意味で熱く溶け合うという直接的な意味の以前に 文字通り P の煮え切らない態度に対して 業を煮やしているということでもでありそうです。 フィールマイハート + で画面中にリポンと縛る・縛られるという言葉をとおして P に自分をつなぎとめてほしいという心の声の象徴として盛り立てておいて、 そのリボンをつづく L 。 veooDestiny + では左手の棘付きのつるにからめて なぜ P に自分をつなぎとめてほしいとおもっているのかとそのために心に刺さっている 棘があるということを各種セリフをとおした行動にちりばめてありました。 そして今回のトリートオアトリート + ではそれらが結実した結果の表現として、 フィールマイハートでつないでいたリボンが千切れるイメージや L 。 ve00Destiny のまゆ担当のパートが瞳に関連していることが 青い月が目から涙があふれているような構図に関連付けしてあるとも考えられます。 これはおそらく P の側がまゆにひどい扱いをしているという意味ではなく、 濃すぎる恋が往々にして現状に対し欲求過多になったり 想像力がはかどりすぎて悲観的に考えすぎて心が不安定になってしまい 本音としては追いかけてきてほしいという気持ちだけど もうあのひととやっていけない ! みたいな発想や発言がでてきてしまうという 本当に誰にでも大なり小なり当たり前にわいてくる気持ちの描写でもあるのでしようか。 もしもそうだとすれば、深読み要素としては悲恋や悲嘆の要素が色濃かったとしても じつはそれが普通の恋する乙女は誰しもすくなからず通る道だったということでもあり こにおいても、悲恋まゆを求める P と普通に恋する乙女まゆを求める P という 相反する立ち位置がどちらも満たされるような表現を目指していると 考える事もできてしまうのかもしれません。