名編 おそらくこれはサービス開始時期から本田未央を応援してた P さんたちならば その意味とすごさを共有できるのではないでしようか。 なお、この背後のテーブルは単なる怒りの表現としてだけではなく、 甘いお菓子のうしろには帽子がおかれているのもポイント。 ニ人の感情をつなぐテーブルに前後するような位置取りで 帽子がおかれている構図は、お互いが表向きだけでなく、 心の底でも帽子を脱いでいる面もあるという意味でもあるのではないでしようか。 似て異なるからこそ分かり合える部分があったり、 キュート属性においては上位常連組という意味でも 人気実力の質を冷静に認め合っていたりとか。 ふたつのロールケーキが距離を置いて配置されているのは ふたりの心情の複雑さとそれが同じ方向で回っていることであり、 帽子の前でシュークリームっぽいおかし ( サントノーレ ? ) が ふたつよりそっているのは シューがフランス語でキャベッ、ハボタン、ハクサイ等の総称らしいので キャベツの花言葉『利益・利得』 ハボタンの花言葉『祝福』『利益』『慈愛』『愛を包む』『物事に動じない』 ハクサイの花言葉『固い結束』・・・を、みるかぎりでは、 お互いが意識的にでも無意識的にでも帽子を脱ぐに値すると 感じていることがこの中に入っている可能性をもたせるためでもあるのかあるいは 今後これにかかわる関係性が構築されたりする可能性もあったり するのかもしれません。 その後ろには風船のカボチャがいて、 その風船のカボチャも帽子に対応した紫のカボチャが添えてあるのは 智絵里の方が俯瞰して物事が見えている可能性を示唆しているのかも。 また、同様に李衣菜もうしろに俯瞰してるカボチャがあります。 智絵里と李衣菜のうしろに風船が配置されているのは それぞれの心理的な立ち位置や安定感みたいなものの描写である可能性があります。 カボチャが嫉妬や闘争心のようなものの記号として働いているという 前提で考えた場合、ということになるのですが、 智絵里はカボチャの風船のそはに顔のない風船があり、 そのうしろに白い風船があるという構成になっているとも考えられそうです。
蓍察という名の蔓 一トリ - ト粐十リ - ト編 ( 特訓箭 ) フィールマイハートは朝、外から光がさしている、外の風景がみえる、 天井シンプル、机ーっ、棚は書類で壁は業務予定表 ( 仕事感の強調 ) 、 人物の動きが小さい。とまっている。 トリートオアトリートは夜、外はまっくらで風景は見えない、 フィールマイハートで外からさす光に対応する位置に火のついた燭台、 天井派手、机複数、棚は無く壁はツタや写真で飾り付け ( 仕事ではない ) 、 人物の動きが大きい。走っている。 李衣菜がおそいかかるような仕草なのは フィールマイハートではなく [ L 。 ] での壁ドンから継続でしようか、 しかし、李衣菜にかかっているカボチャは暗くてまゆの方を向いておらす それどころかまゆの進行方向を見てる構図になっていて、 これはまゆにはそれほど興味があるわけでもないということの意味と、 だけどまゆの進行方向の先にあるものは目に入ってるという意味かも。 また、李衣菜にかかっているカボチャの顔色が良くないのは、 後述の風船カボチャの配置における意味付けと関連させて考えた場合には P に向かう方向性に対してまゆや智絵里のテンションというか 似た者同士であるキュート属性のふたりの業の深さみたいなものに対する クール属性としての視点からの印象という意味もあったりするのかもしれません。 智絵里は少し離れた位置からテーブル越しにまゆをみて おそいかかるようなわらっているようなホジション。 これは李衣菜と同様に左足がわにかかっているテーブルが 心理状態や思考をあらわしているという解釈もできそうな要素で、 魔女の帽子をかぶった大きなカボチャが 李衣菜と同じ方向を向いているにもかかわらす よりははっきりと内側があかるくなっているのは ラブデスコミュでの経緯を考慮に入れると まゆの進行方向の先にあるものに対する野心の描写である可能性が 示唆されているということも考えられそう。 それは、顔半分が隠れているのと帽子をかぶっていることと関連があって、 顔が半分隠れているのは正体や本音を半分しか見せていないという意味にもなり さらに『帽子を脱ぐ』という慣用句が相手を尊敬するという意味があります。 そうなるとテーブル越しにまゆを狙っている智絵里が帽子を脱いでるように みえる配置になっているのは敬意を持っている描写でもあると同時に その気持ちとは裏腹に心理描写に対応するカボチャが帽子をかぶったままで 半分顔を隠しているという構図になるというのは 李衣菜よりも明確に p に対しての野心を持っているという図式にもなりそう。 5
蓍察という名の蔓 トリ十オたドリ - ト編 ( 特訓後 ) 込 頭かざりには真珠。真珠には月の涙という異名があることから、 ブルームーンカクテルの良くないほうの意味の強調の効果を持たせると同時に 頭の中ではふたりだけの世界であることをカンテラが揺れていることや ほうきとカンテラのリポンが切れてるようにみえるようにしてあるることで それがそのまま青い月が持っ暗喩に目を背けた自分の妄想にすぎないことを 自覚していて涙している・・・ということにもなるのかもしれません。 また、腰のチェーンは頭・腕・ほうきについた真珠に対応していて 青い月を中心に画面全体をひとつの瞳として描かれていると解釈すると、 チェーンの位置同士のまとまりが涙を流しているっぽいカンジの配置になるので 大きな瞳 ( 月 ) が涙を流しているという図式になるようでもあります。 背景は画面右がまゆのべールに覆われているのは建前の象徴とすれば 建前だからこそ窓の光は普通の明るさと色になっているとかんがえると、 画面左側の建物が石造りの建物しかなくてその窓明かりが臆病と嫉妬の色で 染め上げられているのは夜の石造りの建物が冷え切ってかたくななココロという 本心本音のあらわれの象徴ということにもなりそうです。 べールで被われた側の背景は普通の建物で遠くの風景も距離がある配置。 嫉妬や臆病の色が大きく目立つ中で普通の暖かい色の光が見えていても弱々しいのは 遠くにあること感じていることから感じている頼りなさでもあるのでしようか。 まゆの右手が下を抑えているホーズになっているのは まゆを軸にほうきが天秤としての記号としてはたらくような構造になっていて その天秤が、ほうきの先にあしらわれている星という希望の象徴の側ではなく 石造りの建物のというマイナスの感情や感覚の象徴の側に傾いているということから、 ブルームーンのふたつの意味のうちの良くないほうの意味に考えや気持ちが 傾いてしまっているということを強調する構造になっているのかもしれません。 そしてその超遠景にかさなるようにして飛んでいる蝶 ( 画面右端中段にいるニひきの蝶のうちの一匹 ) が、見ようによっては、 はるか遠くから手を振りながら呼びかけてる人影のようにもみえるのは かんがえすぎかもしれない領域なのですが、かなり興味深い点にもなりそうです。 超遠景にかさなっている蝶の一匹はまゆから見た主観的な P の外的な状況 ( そこにいるのがはっきりしてるのに輪郭がはっきりしない ) であると同時に 遠くから手を振りながら呼びかけている人影になる蝶の羽の形が、 時計の針の位置と似た形であり、その時計の針がフィールマイハートから引き続き まゆと p の距離や向き合い方を指し示す記号だとすれば、手を振りながら呼びかける 人物とまゆの置かれている状況に対する客観的な描写にもなる可能性があります。
蓍察ら名の蔓 花に関連する暗喩といえば画面奥の教会っぽい建物の鐘。 カンパニュラという花がラテン語で釣鐘という言葉が由来で 英語でベルフラワー、イタリア語で鐘の事をカンパネラというだけに カンパニュラがスミレと同じく紫色の花があることや カンパニュラの花言葉が誠実・不変・節操という意味が まゆの元々のキャラクターや今回の特訓後の各種セリフにも 関連する内容であるっぽいこともかんがえられます。 もしもカンパニュラが隠された花として成立するとすれば 衣装の色・スミレの色・鐘にかかったカンパニュラの色による三段構造の 意味付けの強化として建物の鐘が組み込まれている可能性が出てきそうです。 また、カンパニュラの開花期は春先から 6 月くらいまでで夏には枯れるようですが 日陰にいれば 10 月にはまた花をつけることもあることから、 6 という数字とトリートオアトリート登場月の IO 月にも関連する数字が のせられている花を隠して配置してあるという見方もできそうです。 ほうきの先のランタンの下にある赤いしるしがもしもバラのっぽみの 代替表現だとすれば「愛の告白」「恋の告白」となるので、そうだとすれば、 まゆが愛や恋が宙ぶらりんになってると感じてることのあらわれになるのでしようか。 その暗喩表現と重なっているのが教会っぽい建物の鐘っぽいかんじで 告白の先に鐘が鳴っていない状況を指すと考えれば 意味合いの強調という点でも充分に機能させられそうでもあります。 教会の鐘をならすのは時報というだけでなく 一般的に結婚式のイメージもあるはすなので、そんな教会のような建物の鐘が、 ブルームーンとまゆの間に重なるようにして配置されているとすれば、 『愛されたいのはダメ ? ならその気持ちを魔法で消します。いいんですか ? 』 というまるでゆさぶりをかけるかのようなセリフがあることからも 告白や結びつきということに対するあきらめや絶望に近い位置にある 感情があるのかもしれないという解釈も成り立つのかもしれません。 また、ほうきにからんだニ本のリポンが ランタンとの間で断ち切られているような図式になっていて、 しかも断ち切られたリポンの間に ランタン ( 闇を照らす道具ということで知性を意味する使われ方もされる記号 ) と ランタンから出ているひときわあかるい光 ( 窓より熱がある色合いになっている ? ) があることで、それを何かの形で明確に意識している可能性があるのかも。
蓍察と [ 、ら名の蔓 トリートオアトリートは屋外でまゆが手前の位置どり。蝶がまゆの周囲から奥に。 配色は熱が奪われていくかのような青系中心で詳細は後述の特訓後の考察で触れますが ファンは幻想的な蝶、まゆは空を飛ぶ魔女という非現実の存在。 逆に月や建物の中からの光は生活や日常に密着した光景の光源になっている。 まゆにとってのおおきなアイやファンにとってのおおきなアイが 熱狂的な愛であるがゆえに手が届かないことへの哀でありもしかしたら 画面の大部分を占める青系の藍と哀しさゆえのブルーな気持ちにもかかっていて それが遠くの一点に収束するかのような画面構成になっているようです。 タイトルのフィールマイハートという言葉にはわたしの気持ちをわかってよ ! という意味があることから『まゆの心の声を直接的に表現』している。 逆にトリートオアトリートは後述の画面に配置された各種記号の解釈次第では 場面の状況がトリックオアトリックになりかねない構成でもあることを鑑みると 『まゆの心の声の間接的な表現』でもあるタイトルになっている。 もしかしたらほかにももっとたくさんあるのかもしれませんが、 SSR 同士のフィールマイハートとトリートオアトリートから読み取れそうな 対称性や対照性に関してはとりあえすこのようなトコロでしようか。 .2
蓍察という名の蔓 それは、まゆと自分を俯瞰してみたときに嫉妬や競争心に対して 自分でもわからない、あるいは自覚できていないという意味で 同じカボチャ色の風船でも顔のない風船が配置されていて、 そういう意識の働きで天使としての本質 ( 白い風船 ) が隠れているからこそ 今悪魔の恰好をしているというという意味にも読み取れそうですし、 同時に、そういう意識の働きにとまどいはあっても 天使としての本質はうしろにちゃんとあるという意味にもなりそう。 逆に李衣菜は、風船がふたつにはっきりと距離をおいて配置されていて、 まっすぐに p の方をみている自分と俯瞰して状況をみている自分が 李衣菜の中で明確に割り切ってあるということになりそうです。 この割り切り感はやはりクールの属性たる所以でしようか。 これはラブデスでひとり冷静に俯瞰できるポジションにいたこととも 関連性があるのかもしれません。 また、李衣菜の安定感の源としてかんがえられる意味付けとしては、 智絵里がテーブルのツタであるのに対して 李衣菜は後ろの観葉植物であってその観葉植物は 大きな木が後ろにあることで安定感のある見栄えになっていることから それは木村夏樹という木だらけの文字で構成されたアイドルのしつかりとした 太い幹に心理的に支えられているということでもあるようです。 植物判別はむずかしいので確定ではありませんが 観葉植物がもしもアレカヤシとオーガスタであれば花言葉的には アレカヤシが『元気』『勝利』オーガスタが『明るい未来』なので 幹のしつかりした木に裏支えされた観葉植物のこの図式というのは そのふたつの花言葉からかんがえるとこのイベントの 3 週間後のデレステにおける Jet to the Future への予告でもあったのかもしれません。 ・・・そんなふうにして特訓前を総合すると、トリートオアトリート特訓前は、 キャッキャウフフしてるようにみえて じつはまゆ視点では李衣菜と智絵里に追われる立場であるという 心理状態を描いているという解釈も可能になりそうです。 そしてそれは [LoveooDestiny] 十で 「。司 y じゃない L 。 ve …。やってみたら、どうですか ) 」と、 言ってしまった後だからこその心理状態でもあるとも言えるのでしよう。
蓍察とら名の蔓 トリ - ト・オたドリ - ト編、 - ( 特訓後 ) そしてそれを描写しているのがまゆに魅了され導かれて 月の向こう側に行く蝶の一羽であり、しかもその蝶が、 おそらくほぼ唯一の、月に向かっているのかそうでないのかわからない 配置がなされている蝶であるというのはこれはとてもすごい。 もしもこの構図が考えすぎではなかったとしたら、なのですが、 P がまゆをどう見てどう思いどう行動しようとしているのかの片鱗が はじめて明確に描写されたということにもなるのですがはたして。 そしてもしもその蝶が P をあらわしたものであると考えた場合には、 頭からつま先 ( ほうきの先 ) まで P への想いに染まっていて それがあまりにも強すぎるがゆえに全身をおおうほどの 黒い呪いに変わってしまい絶望に向かって飛んでいこうとしている少女を 自分の領分を超えない ( あるいはなんらかの理由で越えられない ) 場所から いまなお懸命に呼び止めようとしつづけているということにもなりそう。 また、それは同時に、想いにとらわれているからなのか別の理由からか、 まゆが P からの呼びかけに対して背を向けてしまってる ( 見ないようにしてる ) 部分もあるかもしれないよ、ということにもなるのかもしれません。 現実においても、恋をした人間は年齢性別を問わす相手の事を想いすぎたとき 自分の中で自家中毒を起こして壮大なカラ回りをした挙句拍子抜けするというのは それこそ往々にしてあることだけに、物語の図式としては、 一応の可能性をかんがえておいても問題は少ないのかもしれません。 帽子の内側の色は紫つながりからかんがえると アマランサスパープルだったりもするのでしようか。 アマランサスの花言葉が色あせぬ愛・不死、不滅らしいので バラのブーケの本数の死ぬまで変わらないというのとあわせると 愛の深さを物語る文脈として機能しそうです。 特訓前は画面の奥から手前に向かってくる構図、 特訓後は画面の手前から奥に向かっていく構図。 この対称性は特訓前がアイドル間の p を目指しての競争と その状況における各人の気持ちを描写で p にむかっていく、という方向なのがポイントなのかもしれません。 特訓後はかなわない願いという方向に向かっていくのが それがまゆが P から離れていく構図と対になっている。 4
考察という名の蔓 大きなカボチャも目立たないけどそのぶん数のある火を背負っているのは 感情だけでなく自分の意志としても対抗心を燃やしているということなのでしようか。 オカルト色を強めた解釈をするなら人間は肉体・精神・魂で構成されてる説も あったりするだけに、それらすべて、すなわち全身全霊で燃えているという意味の 解釈もわすかながらにしても成り立たなくはない・・・のかも。 燭台は智絵里の後ろのテーブルのものにも対応していて、 燭台の火が壁の写真に火をつけるような位置取りになっていて その写真の構図が紡ぐ想い特訓前に酷似しており、 智絵里の深層心理描写としてはまだ自覚はないけれども ライバル以上というか燃やしてしまいたいくらいの 火が自分の中に小さく燃えているということにも。 また、この智絵里の背後の燭台とテーブルは まゆの背後のリポンがかかる構図になっていることにも絡んでいて、 まゆのリポンとまゆを燃やそうとしている燭台を通じて 智絵里のカボチャと同しくらい内側から火を燃やしているカボチャが 智絵里を睨んでいるような位置取りになっています。 これはまゆも智絵里の意識の外から智絵里に対抗心があるということへの描写で カボチャはロの形が笑っているようで歯噛みしているようでもあるのは、 テーブルの位置や距離からかんがえると p に対しての関係性において 智絵里はできる ( あるいはしてもらえる ) のに自分はできない ( してもらえない ) ことにおける智絵里に対しての羨望と怒りでもあったりするのかもしれません。 さらに、まゆの衣装のうしろのリボンと紡ぐ想い特訓前っぽい壁の絵との 構図にも関連性が持たされてもいるようで、 蝋燭の火の位置をよくみると壁の写真が紡ぐ想いの構図だと ちょうど座っている椅子のお尻のあたりに火が重なっていて、 メイド服っぽいまゆの後ろのリポンを尻尾にみたてると、 写真も実物のまゆもほんとうは智絵里という存在を前に『尻に火がついている』 状態になっているという図式にもなることになります。 たしかに、緒方智絵里といえばキュート属性の実質ほぼ頂点ともいえる アイドルなワケですから、ラブデスコミュでのまゆさん発言がはたして どんな意味を持ったのかを考えるとこれはある意味自然というか当然というか。 そしてここにきてはじめて、運営側が、 2016 年を通して じっくりまゆを活躍させておいて ( ライブでの牧野さんのパフォーミングも含む ) トリートオアトリートのあとにくるシンデレラガールズ 5 周年アイプロに 満を持して登板させることで智絵里と同格にたたかえる cu アイドルであることに きちんと説得力を作ってこようとしていたことに気付かされることになります。 気 な
考察という名の蔓 『概要』 2016 年はまゆの当たり年ですからやりますよ ! と言わんばかりの詰め込みで 今回の読み解き要素にも、ふつうの女の子的なしあわせまゆがいい p にも デビュー当初からの工ッジの利いた要素を求めている p にもどちらにも 説得力のある構成を目指したたいへん丁寧な構築がなされているようです。 特訓前後共にひとつ前の SSR であるフィールマイハートの画面構成を 意識的に引き継ぐ要素があるのと同時にストーリー的には直前の SR であった ラブデスのつづきであることを意識した部分があるため、 今回の考察はデレステ SSR ・ SR の各種画像を参照しながら ご覧になっていただけますとより楽しんでいただけるとおもいます。 SSR 同士の画面構成に関する対称性は相当っめこんであるようで、 特訓前のフィールマイハートとトリートオアトリートでは まず、登場人物が三人 ( フィールマイハートは P ( の代理の各種暗示 ) と ちひろとまゆ・トリートオアトリートは李衣菜・智絵里・まゆ ) でそれに 挟まれる構図という点で対照的かっ対称的になっていることがわかります ちひろと P は目上だけど李衣菜と智絵里は同僚という点も対称的です。 そのうえで、特訓前の窓がカーテン ( ブラインド ) が かかってるという点で共通してるのにそれ以外の位置関係が逆。 フィールマイハートは朝、外から光がさしている、外の風景がみえる、 天井シンプル、机ーっ、棚は書類で壁は業務予定表 ( 仕事感の強調 ) 、 人物の動きが小さい。とまっている。 トリートオアトリートは夜、外はまっくらで風景は見えない、 フィールマイハートで外からさす光に対応する位置に火のついた燭台、 天井派手、机複数、棚は無く壁はツタや写真で飾り付け ( 仕事ではない ) 、 人物の動きが大きい。走っている。 特訓後の画面に関しては、 フィールマイハートは屋内でまゆが奥まった位置どり。ファンは手前。 ファンもまゆも現実の存在 ( アイドルとステージに熱狂するファン ) 。 逆にサイリウムやステージライトの光というのは非日常の光景の光源になっている。 配色は熱が発生するかのような赤系中心で客席からのサイリウム表現と ステージからのまゆの視線を通じてまゆとファンのアイ 『愛 (=love) ・視線 (=eye) ・ファン自身 ( = l) 』が沸騰するような構成。
考察という名の - トリ - トオた - ト編 ( 追① ) まゆの乗っているほうきはリボンが絡みついているのですが これは中世の魔女の魔力の源という説もあった 『糸巻き棒』の代替表現でもありそうです。 その場合はまゆのテーマである『運命の赤い糸』 ( p との関係性 ) が 普通の女の子としての魅力の源であると同時に魔女 ( アイドル ) としての 佐久間まゆの魔力の源であるというニ重表現にもなるのかもしれません。 また、ほうきはまゆを軸に天秤としての表現を重ねてあると 先の本文中に記載しましたが、天秤のはしっこが、 上がっているのがリボンがプレイヤー側に向けてがつながっている構図の側で 下がっているのが『三か所』リポンが切れてたなびいている構図の側になっています。 画面の『青い月という大きな瞳が涙を流しているような構図』を中心とした天秤が 『赤い糸』と『魔力の源』が途切れる側に傾いているという図式であることから 三か所切れているという描写が意味するところとしては p との『つながりが切れた』ように感じてるかもしれなかったり P にとってのいい子を演じる『魔カ ( エネルギー ) が切れた』かもしれなかったり それが積もり積もって『今の状況そのものにキレた』からこそ 今回の特訓後の構図が『絶望に傾いた天秤 ( 魔女のほうき ) にのって 誰の手も届かない暗くて冷たい世界へわたしは飛び去ろうとしているけれど、 ほんとうはあなたに追いかけてきてつかまえてほしい』という行動をあらわした 図式になっているのではないか・・・と考える事もできるのでしようか。 この暗喩のたいへん秀逸なトコロは、まゆの解釈の命題でもある 『エッジの利いたまゆ』と『ふつうの恋する乙女まゆ』というニつの立ち位置を 包括した表現にもつながる描写であることも興味深いポイントなのかも。 今回の SSR のニつ名であるトリートオアトリートのトリートという単語が 『議論・治療・処理・もてなし』という意味も持つ場合があることから考えると p にとってのいい子を演じて独占欲を解放できないまゆの本心を吐露する シーンという意味があるとすれば『治療』に該当する方向性もうまれますし、 『エッジの利いたまゆ』と『ふつうの恋する乙女』の要素や解釈に対する それぞれの立位置からの『議論』のための意味も生まれてくるかもしれませんし、 その延長上にそのふたつの要素のどちらもきちんと汲んだうえで それぞれの P たちの解釈への『もてなし』という意味もうまれてくるのかもしれません。