「どうせ後でカルテの整理とか押し付けるくせに。あたしも同席しといた方が効率的だっ 「そういうこと来客の前で言うな。見ろ、この人も呆れてるじゃないか」 「あ : なるはずもなく、目の前の若い男女の睦み合いにも似たやり取りに、なんだか自分だけ 取り残されたような喪失感を漂わせていく。 「大体お前はだなあ、少しお節介が過ぎるんだよ」 「 : ・んむう」 と、青年は、つい一分前まで、自分がそのお節介に浸りきっていたことなどなかったか のように、得意げに、つい最近手に入れたばかりの社会人の理屈を振りかざす。 しいか ? ここに来る人たちはな、今まで誰にも言えない悩みを抱えて辛い思いをして きた人たちがほとんどなの。俺一人に打ち明けるのだって思いっきり勇気を振り絞って、 わざわざこんな築五十年のオンボロで倒壊寸前な場所まで足を運んでくれた訳」 「 : ・よくもあたしのビルのことそんなボロボロに言ってくれちゃうわね」 「そこにさあ、空子みたいな『おばさんの心を持った女子高生』がしやしやり出てきて根 掘り葉掘り探りを入れてきたらさあ、この人だって相談する気、なくなっちゃうって思わ
に隠れていました 「階段・ : ? 」 「そうしたら先ほど、三階さんが階段を下りてきて、私の横を素通りして外出していった ので、今なら誰もいないかと思い 「しつかりしろよ俺 : ・」 朝つばらから近所が大事件で大騒ぎになっているにも関わらず、自分の住む建物の階段 に佇む不審者にまるつきり気づかなかったという事実は、このビルの住人の、地域社会に 対する無関心さに関して考え直すいい機会に思われた。 「ほらほら、俊介くんにだって責任あるでしょ ? この人も気が動転してたし、あたしも この人の格好見てびつくりして騒いじゃったから : ・みんな、ついてなかっただけなのよ」 「ついてないことに対しては全面的に同意だが・ : 」 そもそも、この中で一番過失のなかった空子がこうして全員をかばい立てする状況は、 今置かれている現状を鑑みても、相当いびつなものがあるように見受けられた。 「それでね ? それでね ? この人、吉崎さん ! あたしを縛ったはいいんだけど、その 後どうしていいかわからずに、ボロボロ泣き出しちゃってさあ 「清けない・ : 人を一人殺めた度胸はどこへ行った ? 」 「や、やりたくてやったんじゃないんですよー
「午後の天気が崩れるのがわかるそうだ : ・足首の痛みでね」 「・ : それは便利な能力を身につけたわね」 扉が開くと、十人を超える人たちが一斉にホームへとなだれ込む。 彼らはみな、一様に二人の、正確に言えば俊介の、しかも背後に、ちらりと奇異の視線 を向けていく。 そこにあるのは、 180 センチはある俊介の身長を遙かに凌駕する長いケース。 俊介は、そのケースを大事そうに斜めに傾けながら、おっかなびつくり乗車する。 スキーシーズンには少しだけ早い時期。それに俊介の寒冷地仕様とは思えない軽装とあ いまって、違和感を醸し出すその出で立ちを、しかし二人は意に介することなく地下鉄の 乗客に溶け込む。 電車の中は、地方都市の終電らしく、それほどの混雑は見られない。 けれども空席の方は、本来は銀色であるらしい灰色の三人がけのシートのところにちら ほら残っている程度。 そしてもちろん空子が、そんな席に座るはずもなく、それどころか、立っているお年寄 りをその席へ誘導するお節介を欠かすはずもなく : 「で、その事故が、あのお兄さんの運命をどう変えたって ? 」 と、話の続きを促したのは、次の亀松駅を過ぎた後だった。
呆然と見つめてくる篤の視線を受け流しながら、院長は、物憂げな表情のまま呟いた。 「にしても、まいったなあ : ・」 : たった今機嫌を損ねてしまったオカルト担当に、どうやってこの仕事を引き受けさせ ようか、悩みながら。 「依頼人の名前は河原篤。一一十三歳」 「旭区川澄町のマンションで、近所のスー 「父親は彼が中学三年の秋に離婚して別居中。また、姉が一人いるが、こちらは三年前に 結婚して東京在住 「去年の春に柳楽市立大学経営学部を卒業。現在は : ・無職」 「 : ・なにもそんな丸呑みせんでも と、相変わらず困った表情のままの俊介を敢えて無視するように、空子は、優に二人分 し ーにてパートタイム勤務の母親と二人暮ら
118 「え— ? あと三十分しかないじゃないのー 「そういやそうだな 二人して、十三時半から十四時までテレビにかじりつき、地元テレビ局制作のドロドロ 昼メロを見た後、ああでもないこうでもないと、今後の展開について議論を交わしていた ら、いつの間にかそんな時間だった。 「よし・ : んじゃ、そろそろ診察室の方に戻って準備しとくわ」 「頑張ってね ! 後でお茶持ってくから」 「ありがたいけど、それは着替えてからにしてくれよ」 クリニックに来て、制服姿の女子高生にもてなされ、その後何も喋らず帰ってしまった 依頼人は一人や二人ではない。何しろ色々とデリケートな職業なのだ。 「それじゃ : 「あ、ちょっと待って」 空子が、ポケットから百円ライターを取り出すと、立ち上がった俊介の背中に向けて、 一一度ほどこすり、火花を散らす。 「それじゃ頑張ってね、おまいさんっ
100 第ⅱ話万全のアフターサービス 「え 5 と、反省点としては、一一つのポイントに絞られるわけで : 「とか言ってる場合じゃな 5 い 「一つは、事故のもう一人の当事者である小倉さんにとって、一番近い歴史を選択しなかっ たこと。彼女は本来なら、事故の調査のためにしばらくあの交差点に留まることになるは すだった。ところが俺たちが事故を″なかったこと″にしてしまったため、その後の彼女 の行動に、大きなぶれが生じた : ・」 「迂闊、うかっ、うかつだったよおおお 5 ! 」 「もう一つは、そんな彼女のアフターケアを怠ったこと。そう、″なかったこと″になっ た事故は、でも実際には起こっていたのに : ・」 一人の女の子が、全身打撲になるくらいの衝撃をボンネットは感じ取っていた。 その『人をはねた』感触は、当然、運転者の手に残り、けれど周辺を見渡しても、怪我 人は見つからず : いかばかりだっただろ、つか 理由もなく無罪放免とされてしまった彼女の精神状態は、 「麻田踏切って・ : 麻田神宮に行くとこの開かずの踏切だよねえっ ! 」
213 第 4 話逢魔の平日 「で・ : お客さんたち、買うの ? 買わないの ? 」 いつの間にか、自分たちが一番先頭にな 0 ていることに気づかず、四人組は周囲から浮 き上がりまくり、夢を求めて並んでいる人々と、売り場のおばちゃんの呆れた視線を一身 に浴びていた。 一丁こ一つカ そして、その気まずい雰囲気に慣れていなさそうな若いカップルの方は、結局、宝くじ には手を出さず、先頭からそそくさと離脱する。 「あ—あ・ : お前、あの人たちの一攫千金の可能性を奪ったぞ、空子」 「・ = 大丈夫、大丈夫だよ。あの二人なら、き 0 とこれからも、こっこっと貯金して、いっ か必ずゴールインだよ 5 「あの調子だと、そのいっかがいつになるやら : ・」 これで周囲の呆れた視線は俊介と空子の二人に集中することになるが、そんなことを気 にする二人でないことはお互い深く理解済みのため、いつものように落ち着いて、突き刺 さる冷たさをさらりと受け止める。 「あ、それで俊介くん」
178 「でも、最初の数ヶ月くらい、うまく行かなくて : ・他の部員たちと最悪な状態になっちゃっ て . 「重圧とかもあったんだろうな。それで余計に肩肘張って、で、周りが自分の思う通りに 動かなくて、更にキッいこと言ったりして : ・絵に描いたような悪循環に陥る、と 「 : ・見てきたようなこと言うのね。ま、でも、その通り。最初は十五人いた部員も、私が キャプテンになってから、一人減り、二人減り : ・とうとう一桁にまで割り込んで、 「空中分解寸前ってとこか」 「まあ、で、私としても結構落ち込んじゃって。顧問は完全な腰掛けだったし、男バスの キャプテンは : ・半年前にふっちゃってたから相談しづらくて , 「となると・ : 彼の出番、かな ? 」 「でもね : ・その時の真鍋君は、毎日毎日、授業が終わったら、さっさと帰っちゃって」 「そりや、熱心な帰宅部員だなあ」 「自宅に電話しても、いつも予備校に行ってて : ・しかも彼、とうとう大学を卒業するまで 携帯を持たなかったような人でね」 「要するに、しばらく連絡が取れなかった、と」 「曲がりなりにも、一番話を聞いて欲しいやつだったから : 「ますます怒りが込み上げて、と : ・どっかで聞いた話だな。
127 第 3 話十年のお預かりで・・ し悩む』という話も聞きますけど、私にとっては、それは全くありませんでした。 もし、私たちが恋人同士の関係に進むのであれば、それはお互いがお互いをきちんと理 解しあった上で、本当に自分たちがそんな二人に相応しいのかって、時間をかけて話し合っ てから、ゆっくり、ゆっくりと変わっていくんだろうなって、思ってましたから。 だから、一緒にいても、何の苦しさも感じなかったし、それをぬるま湯だとも思わなかっ た。お互いが変わっても、変わらなくても、友達か恋人のどちらかは続けられる : ・そう、 信じてたんです。多分、お互いに。 ・ええ、そうです。ここに来て、こういう話をしている以上、おわかりかとは思います が、実際には、そうはならなかったんです。 今から三年前・ : 大学四年、学生最後の年です。 私たち二人は、就職先も決まり : ・二人とも地元の企業で、実家から通えることもあり、 『また腐れ縁だね』って、お互いの就職祝いのときも、笑い合っていたんです。 これからは、毎日は会えなくなるけど、それでも、一月に一度 : ・給料日の二十五日には 必ず会って、仕事とか、上司とか、社会人としての愚痴をこぼし合おうねって、そんなっ まらない約束だけは、きっちりしていたんです。 けれど突然 : ・彼は、その約束を、全て反故にしました。
260 だっているんだから、円に泣く人は、もっともっと、多いはずです。 そんな、お金で泣く、私を含めたたくさんの人のうち、ほんの少しでも救われるなら、 : 思いませんよね。具体的にそういう それはそれで、嬉しいことだとは思いませんか ? 目に遭ってみないと。 ちゃんと預けましたからね ? 名乗り出た人がいたら、きちんと返してあげてください よ。それでは失礼 : いえ、私は別に、その落し物の持ち主でもないですし・ : はあ ? え ? 私の名前ですか ? 誰も名乗り出なかったら、私のものになると ? そりや知ってますが、別にそういう つもりで届けたわけではないですし。それに、円程度受け取ったところで : ・え ? 2 0 0 円に泣いたらどうするのかって ? : あはは、それもそうですね。言ってること矛盾してますね、私。 : ・吉崎駿夫と言います。住所は : ええ、では : 第 4 話完