判ってないな、とばかりに首を振る北上に俺は何も 俺と一緒に見るでもなく報告書を眺めていた北上が 言えない。 目ざとく何かを見つける。その指先を目で追えば、名し あ 同じ重雷装巡洋艦どうしの北上と大井は艦娘寮で同簿の中の『阿武隈』の文字が目に入る。 と 的 北上の指差した艦娘練度一覧表の阿武隈の欄には、 室で暮らしている。秘書艦と言、つこともあり勤務時間 中の大半は俺と執務室で過ごしている北上だが、秘書工廠の妖精による『改装可能』の判定の印が付けられと ていた。 艦勤務の時間以外のほとんどは大井と共に過ごしてい る。いったい二人で何を話しているのやら。 大井の出ていった執務室で俺と北上はふたたび二人 で寄り添って炬燵で暖まる。 舟女には練度があり、ある程度の高さまで練度が向 流石にもう餌付けをするのも気恥ずかしく、俺は大 井が置いていった演習の報告書をめくる。 上した艦娘は改装を受ける。提督なら誰でも知ってお り、それなりに長く戦っている艦娘なら誰でも経験す ここしばらく戦況も安定し、大規模攻勢の報もない のでこうしてゆるゆると過ごせるのはまことに幸せのることだ。 限りだった。 だが改装にはどの艦娘にも可能な一回目と、限られ た者のみが許された二回目以降がある。装備や制服の 報告書に記載されている演習に出した艦娘達の成績 は上々だった。 みならず場合によっては艦種すら変化する二階目以降 の改装はすなわち歴戦の艦娘の証だった。 「あれ ? 提督、これって」
俺に有無を言わせるまもなく北上はエ廠に向かって 駆けだしている。少し離れたところで立ち止まった北 上は早く早くとこちらを手招きする。 まったく、ころころと猫の目のよ、つに気分を変える のは参ったものだ。だがれた弱み、俺は北上の手招 きに苦笑しながらついて行くしかなかった。 「こんな時間になにやってんの ? 」 二人で足早にエ廠に近づくと件の甲高い声はより聞 こえるよ、つになってきた。 「それは、その、えっと : 一人で艤装を身につけてプ 1 ルに浮かぶ阿武隈は、 何かを号令するかのような声はエ廠の中ではなく、 、ゝナこ艮を【冰がせた。しどろ 姿を表した俺たちのⅢし力し : 目 裏手から聞こえてきている。 もどろに要領を得ない返事をする阿武隈を余所にプー 「提督、静かにね」 やるき満々の北上に俺は声を出さずにうなずく。エルの横にあるクレーンの一つが勝手に動き出す。 ウインチが作動し、水面に垂れているワイヤーが引 廠の裏手には、海に出ずに艤装を着けての簡易航行テ き上げられるとともに水中から甲標的が姿を表す。自 ストを行うための大きなプールがある。プールの周り に立ち並ぶ整備用のクレーンの合間から俺たちがのぞ動でクレーンは動き、ワイヤーに吊り下げた甲標的を 阿武隈の元に運んでくる。目をこらせば空中に吊り上 「あたしの声が聞こえる ? ほら、沈んでからあっち ああっ違、つリ違、つったらリ に向かって動いて : 浮上浮上リ」 甲高い声の正体は何を隠そう、昼間にさんざん聞い た阿武隈のものだった。 31 提賢と甲標的と、あたし
あとがき ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ・◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆・ 初めての人は初めまして。いつもの方はありがとうございます。 宇古木蒼です。 艦載機の妖精に熟練度があるなら、同じ妖精搭乗型・自律行動型装 備である甲標的にも同じ現象が起きても良いのでは ? というかそも そも雷巡が甲標的を積めるのはなぜ ? というのが今回の話の出発点 でした。 そこに阿武隈改二 ( 今回の秋イベントでは大活躍でしたね ) に甲標 的の使い方を教えたのは北上なのでは、という妄想が合わさってこの 本が出来ていました。相変わらず独自設定てんこ盛りですいません。 今回の表紙はいつも通り七竈さんにお願いしております。愛らしい 北上さまをどうもありがとうございました。 さて、本作で当サークルの艦これ二次創作同人誌も通算 9 冊目とな りました。 2016 年前半に発行予定の IO 冊目では、記念も兼ねてこれ までに発行した提督 LOVE 大井本の総集編でも作ろうかと考えており ますのでよろしくお願いします。 それでは、またどこかの同人誌即売会にて。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 書名 : 「提督と甲標的と、あたし」 発行日 : 2015 / 12 / 30 サークル : 宇古木亭 (http://ukogitei.sakura.ne.jp/) 著者 : 宇古木蒼 (pixiv : 373446 ) 表紙イラスト : 七竈 (pixiv : 49538551 ) 発行人 : a-park 印刷所 : 緑陽社 36
「少しだけだぞ を出していることもあり、北上と大井は俺とともに主 北上が俺の揚げ出し豆腐を欲しがったので少し切り として大型艦向けの食堂に出入りしていた。 分けて箸で差し出してやる。そのまま俺の箸に直接か 早いうちにやってきたので食堂にはまだ人影は少な かった。俺たちはカウンターに並び、配膳担当の艦娘ぶりついた北上は、幸せそうに目をつぶって味わう。 「んー美味しい。ありがとね、提督 からタ食を受け取る。 かわいらしく笑、つ北上にらしさにどきり・としてし 「大井っちーこれ取り替えっこしよ」 まいイ ( 咳払いをしてその場をごまかす。一見すると 「駄目ですよ、きちんと野菜は全部食べないと」 煮物の具を巡って北上と大井がやりあっているのを色気の欠片も無いような容姿をしていながらも、親し い相手に見せるこういった姿は北上の魅力の一つだ。 尻目に俺は自分の分の焼き魚とお浸しをつまむ。そう も、ついちど目を合わせると北上はなにもかも判って して耳をそばだてるのは、周りで交わされる艦娘達の ますよ、とばかりに軽く微笑みを返す。 食事中の雑談だ。 一連の俺たちのやりとりを北上の隣に座る大井が眺 俺が居るのはみな承知の上なので本当に都合が悪い ことは話さないだろうが、それでも執務室にこもってめ、肩をすくめるているのを俺は見ない振りをした。 いるよりはずっと彼女たちの間で何が流行っている か、何が話題にされているか、何に困っているかをつ かむきっかけにはなる。 「提督、それちょうだーい」 「提督、後ろ失礼しますね」 「おう」 13 提督と甲標的と、あたし
速輸送艦になった名残なのかもって , がその艦にまつわるエピソードとして語り継いでいる 「北上、お前は改でも改二でも雷巡そのもだよ。俺が ものから構成されている。 保証してやったっていい」 だから他の華々しい戦歴を持っ艦と比較すると目 雷巡改二の北上は雷巡改のころよりさらに大量の魚 立った逸話のない北上が、魚雷へのこだわりの他が抜 雷を身につけている。制服が薄着になろうがなんだろ け落ちているような人格なのは不田 5 議なことではな うが彼女は重雷装巡洋艦の艦娘そのものだ。 かった。 「さっき阿武隈が甲標的を沈めたときに思ったの。あ だが北上には、重雷装巡洋艦だった他にもう一つの れ ? 載ってる妖精はどうなるんだろう、ってさ エピソードがある。 妖精達に生死の概念があるかは定かではない。戦闘 軽巡から重雷装巡洋艦に改装されさらに高速輸送艦 の度に被撃墜が発生する艦載機の妖精達だが、ボーキ に改装された。そしてあの戦争の終わり頃、帰還を前 サイトを消費してエ廠で再び補充の艦載機を製造する 提としないある装備を運搬する能力を与えられた。 とセットになってまた出現していた。あまりにも簡単 「それでも覚えてることはあるんだ。魚雷をいつばい それから、あの武器。 に復活するその様子から、彼女たち艦載機の妖精は搭 積んだことと : と 的 乗員ではなく装備に付随するマスコットのようなもの 身震いした北上は自らの肩を抱く。 標 甲 と考えられていたこともあった。 と 「あたしが甲標的を積めるの、アレを積めたことの代 だが今の彼女たちには戦闘を繰り返すことで経験を わりなんじゃないかと思ったら布くなった。二回目の 改装で服が薄くなって軽くなるのも、もしかしたら高積むという概念が生じている。それなら甲標的の乗員
ういう事だった。 け『秘書艦』は存在すると一一一〕えた。 「うーん : ・ : ・大井っち : それはダメ : : : 」 「魚雷 : : : 四十発・・ : : もう撃てないよお・・ ついに炬燵の天板に突っ伏して涎を垂らした北上が いったい何の夢を見ているのか北上は幸せそうにむあ と 寝言を漏らす。気持ちよさそうにしているその姿を眺 にやむにやと呟いている。 めていると実に心が和む。 着任してから色々な艦娘を秘書艦に置いてきて、俺と 『秘書艦』にどこまでの役目を持たせるかは、各々のが最後に行き着いたのがこの北上だ 0 た。 提督のさじ加減と秘書艦を務める艦娘の能力と性格に いくら秘書艦が助けになろうと最終的に決断を下 寄るところが大きい すのは提督たる自分だ。紆余曲折を経てそう考えた俺 情報処理に優れたものを据えて文字通り秘書としては、事務仕事をそのまま手伝 0 てもらうよりもこうし 働かせる提督がいれば、書類仕事は苦手でもリーダー て和ませてくれる方を選んだ。 シップに長けたものを登用して艦娘達の精神的支柱 すぐに終わらせる必要があったいくつかの書類への にする提督もいる。駆逐艦を秘書艦にして艦隊のマスサインを終えて一息ついて伸びをする。 コットにすると同時に提督からは直接目の届きにくい 執務机から立ち上がった俺が炬燵で眠る北上の隣に 駆逐艦娘の世界をのぞく窓にする者もいる。 潜り込むと、目を覚ました彼女は寝ほけ眼でこちらを 持ち回りで様々な艦娘を秘書艦にされることもあれ見やった。 ば、決まった一人だけが重用されたりもする。 「あれ、提督じゃん : 提督の数だけ鎮守府があるのと同様に、提督の数だ そのまま猫のように身体をすり寄せてくる北上。半
「北上さんから通信です の北上を監督役にし、何かあってもすぐに対応可能な 大井が差し出してきた〈ッドフォンとマイクを手に鎮守府のすぐそばの海域で訓練を行うことにな 0 た。 取る。コードの先は大井の艤装に繋がっている。 総勢で二百隻弱の艦娘を配下に抱えるいま、いちいち 艦娘達の艤装には主に鎮守府との間で使われる長距 個別の演習や訓練の一つ一つに一つ一つに口を出さな 離通信と、艦隊内での連絡に使用する短距離用の隊内 い俺も今回ばかりは見に来ている。 電話の二つがある。 北上のたっての希望で先生役は彼女が行うことに 今回の慣熟訓練は埠頭から見えるすぐそこで行うの なった。もしかしたらこれで大っぴらに阿武隈をいじ でこうして大井の艤装を利用して隊内電話で指示を出れるとでも考えているのかもしれない。大井は通信の すことになっていた。 中継と万が一の場合のバックアップだ。 「二人とも、調子はどうだ」 『北上さん、ぶつかってこないでくださいよリ』 『絶好調だよー』 『そっちこそリ』 『問題ありませんリ』 隊内電話でやりあう一一人の会話に俺は耳を傾ける。 俺の目の前で朝から行われているのは阿武隈改二の 実物の艦船ほどではないにせよ艦娘は急には止まれ 慣熟訓練だった。二回目の改装により大幅に艦娘とし ないので最小単位である一一隻での艦隊運動すら接近し ての状態が変化した阿武隈は出撃のみならずいきなりて行うのは危険を伴う。 演習や遠征に出すのも危ぶまれた。 単縦から並進、そしてまた単縦と陣形をめまぐるし なのでこうして通常の演習のシフトとは別に秘書艦 く変化させ、北上と阿武隈は何度か回頭する。この二 提督と甲標的、あなし 18
は軍艦そのものの機能を得る。 だから阿武隈も甲標的を持たせさえすれば使えるよ 、つになると田 5 っていたが、。 と、つもそ、つい、つわけではな いのーか ? ・ 『も、つ・ : : ・つあたしが代わりにやったげるよ』 阿武隈の手から彼女の甲標的を奪い取った北上は、 先ほどと同じよ、つに推 ~ 造作に甲標的を海面に沈める。 一瞬で甲標的は水面下に姿を消し、しばし沈黙だけ が俺たちの間に広がる。 『ほら、これで動かせるでしよ』 『動かせる : : : ? ・目信満々に生ロげる北上とは対昭 ~ 的に阿武隈は、い細げ し た にしている あ 工廠の扉を開けると乾いた冬の空気が肌を刺す。思 と 押し寄せる波に揺られながら阿武隈は眉をひそめてわず身震いしたあと、俺は冬空を見上げてため息をつ 甲 じっと甲標的が沈んでいったあたりの海面を見つめ続 と けている。 阿武隈の甲標的はそのまま浮上も航行もせず行方不提 「提督、困ったことになりました」 明になってしまった。慣熟訓練は中止になり、俺は平 「どうした ? 艤装を通じて通信を中継すると同時に北上達の状態 をモニターしていた大井が息を呑む。 双眼鏡の中では相変わらず阿武隈は困ったように海 面を見つめ、その傍らで北上はわずかに苛立ちをのぞ かせながら腕組みしている。 傍目には先ほどの北上の甲標的となにも変わらない ように見える。だが、なにかおかしかったのだろうか 行方不明です」 「阿武隈さんの甲標的が :
げられた甲標的の上で妖精が無邪気に手を振っている 明石が立ち会って居ないのかとも思ったが、工作に のが見えた。 関しては図抜けているがそれ以外がちょっと抜けてい あ 「なにこれ」 る彼女のことだ、阿武隈を支援するための自動甲標的 と あっけにとられたように呟く北上。 回収システムを作ったことで満足してしまったのだろ 甲 と 、つ 「あ、あたしつ甲標的の練習をしようと思って : 沈んじゃったら自動で引き上げられるように、明石さ「だって、つぎの訓練でもうまく出来なかったら、北 んにクレーンをセットしてもらって」 上さんに迷惑を掛けちゃうから わたわたと手を動かしながら阿武隈が説明する。二 「まったく : これだから阿武隈は」 回目の改装を受けて凛々しくなった面影はどこにもな 涙声になってきた阿武隈に向かって北上は肩をすく く、改ですらないころの阿武隈に戻ったかのようだ。 める。そのままプールの傍らまで近寄ると北上は阿武 「なにもこんな夜中に一人で訓練せずとも良いだろ。隈を手招きして呼び寄せた。 事故があったらどうするつもりだった」 おどおどとプールを微速で航行してきた阿武隈が 俺の叱責に阿武隈はしゅんとする。 プールサイドに上がると、北上はその肩を抱くように 仕事熱心なのは良いことだが独断専行はそれに含ま して話しかける。 れない。生身の身体ひとつで走り込みなどするくらい 「阿武隈は水上偵察機を使えるでしょ ? あれと同じ なら問題ないが、ひとりきりで艤装と設備まで使ってように扱えばいいんだって」 何か不測の事態があったら。 「でも、甲標的は空を飛ばないし : : : 」
いわく、駆逐艦寮のトイレの一番奥の鏡に深夜零時 いっかの北上の言葉を思いだして応えると彼女はく に姿が映らなかった娘は次の日に大破する。 すりと笑う。そのまま見つめ合った俺たちはどちらか いわく、夜中にポーキサイト倉庫から廃棄されて資 らともなく口づけを交わす。そうして 源になった艦載機の妖精がシクシク泣く声が聞こえ 「ねえ、へんな声がしなかった ? 」 る。 「声っ・ いわく、誰もいない大浴場の水面がまるで深海棲艦 さっと振り向いた北上があたりを見回しながら小声 「、問、つ の潜水艦が居るようにひとりでに屋しく泡立つ。 いわく 気のせいだろと返そうとして、甲高いどこかで聞い まことしやかに囁かれる蚤談の大半は、たいしたこ たような声が俺の耳にも入る。 とのない現象を大げさにとらえた年若い小型艦たちの どうやらその声はだいぶ遠くのエ廠の裏手あたりか 勘違いが生み出したものだろう。 ら響いてくるようだった。 魚雷戦の教官役を務める北上は駆逐艦と接してその 「もしかして、お化けとか ? ・ 先ほどまでの切なそうな雰囲気をすっかりかなぐり手の怪談をよく知っていて、俺にもなんどか聞かせて くれた。というより蚤談のうちのいくつかは駆逐艦た 捨てた北上は目を輝かせている。そういえば彼女はこ ちを怖がらせるために北上が創作しているのではない の手の話が大好きなのだった。 かと俺は疑っている。 鎮守府には駆逐艦が怖がるような屋談がいくつか流 「見に行ってみようよ " 布している。 提督と甲標的と、あたし 30