「北上さんから通信です の北上を監督役にし、何かあってもすぐに対応可能な 大井が差し出してきた〈ッドフォンとマイクを手に鎮守府のすぐそばの海域で訓練を行うことにな 0 た。 取る。コードの先は大井の艤装に繋がっている。 総勢で二百隻弱の艦娘を配下に抱えるいま、いちいち 艦娘達の艤装には主に鎮守府との間で使われる長距 個別の演習や訓練の一つ一つに一つ一つに口を出さな 離通信と、艦隊内での連絡に使用する短距離用の隊内 い俺も今回ばかりは見に来ている。 電話の二つがある。 北上のたっての希望で先生役は彼女が行うことに 今回の慣熟訓練は埠頭から見えるすぐそこで行うの なった。もしかしたらこれで大っぴらに阿武隈をいじ でこうして大井の艤装を利用して隊内電話で指示を出れるとでも考えているのかもしれない。大井は通信の すことになっていた。 中継と万が一の場合のバックアップだ。 「二人とも、調子はどうだ」 『北上さん、ぶつかってこないでくださいよリ』 『絶好調だよー』 『そっちこそリ』 『問題ありませんリ』 隊内電話でやりあう一一人の会話に俺は耳を傾ける。 俺の目の前で朝から行われているのは阿武隈改二の 実物の艦船ほどではないにせよ艦娘は急には止まれ 慣熟訓練だった。二回目の改装により大幅に艦娘とし ないので最小単位である一一隻での艦隊運動すら接近し ての状態が変化した阿武隈は出撃のみならずいきなりて行うのは危険を伴う。 演習や遠征に出すのも危ぶまれた。 単縦から並進、そしてまた単縦と陣形をめまぐるし なのでこうして通常の演習のシフトとは別に秘書艦 く変化させ、北上と阿武隈は何度か回頭する。この二 提督と甲標的、あなし 18
人を組み合わせた艦隊運動訓練など恐らくこれが初めのなので艦載機用の標的を改造して使 0 ていた。 本来なら水平線の向こう、送り出した艦娘から見え てでは無 ~ いかと思うが、二人とも改二になれる練度を ない距離まで移動させるのが甲標的の使い方だ。だか 誇るだけのことはあり危、つさは感じられない。 今日は初めて使う阿武隈のために北上達から一キロー 「流石だな : ーすなわち埠頭にいる俺からは二キロ離れたところに 「そりゃあ北上さんですもの。 標的が浮かべられている。 双眼鏡で眺めて感心する俺に横から大井が嬉しそ、つ 流石にそこまで離れると双眼鏡を最大倍率にしても に応じる。 ) 0 。こいぶ辛し 『高速航行に回頭・ : : ・基本の艦隊運動は問題なし』 この訓練カ 「あの標的、ちょっと傾いてますね : 艤装が大幅に変化した阿武隈は航行特性が変わって 幸いにしてその危浜は的外れ終わ 0 たら、修理をお願いしないといけないかも、 いる可能性があったが、 傍らの大井は肉眼で全て把握できているようで、艤 だったらしい し 北上を旗艦にした艦隊運動訓練は終わり、二隻は装の補助を受けた艦娘の肉体能力の高さを俺は改めて あ・ 田いを ^. る いったん速度を落としてゆっくりと海上で停止する。 と 的 「ますあたしがやってみるから、阿武隈は見ててね」 『次は甲標的の使い方だね』 甲 と 準備を整えた北上が艤装の腰のところに取り付けて 魚雷戦の訓練は専用の自動標的を使うが甲標的は違 いた甲標的を海面に投下する。水飛沫を立てて沈んで提 う。かなりの長距離を移動した後に自ら魚雷を撃ち、 いった甲標的はすぐに見えなくなる。 そこから帰還する甲標的はほとんど艦載機のようなも
まの駆逐艦たちが全く寒さを感じさせない様子であた 慣熟訓練中の雷巡改一一の制服から北上は雷巡改の長 りを行き交っていた。 袖に着替え直していた。制服は艦娘寮の部屋で保管し しばらく歩き続けてようやく執務室や大型艦用の食ているから、わざわざ寮まで戻って着替えてからもう 堂のある棟にたどり着き、玄関の扉を開けて中に入っ 一度執務室にやってきたのか。 た俺はそこで一息つく。 艤装を着けていないと寒いから普段は長袖の雷巡改 失敗に終わった慣熟訓練のあとで阿武隈を連れて陸の制服を着ているのだとかって北上は話していた。だ に上がった北上は言葉少なにしていた。常にゆるい態 が今の彼女は、それだけとは思えない何か違う雰囲気 度を貫き、めったに動揺したりしない彼女にとっても をまとっている。 応えたらしい 「今日の訓練、ごめんねー」 阿武隈をエ廠で検査するのが先決だったので北上 「北上は何も悪くないさ。いきなり阿武隈に甲標的を とはすぐに別れていた。もしかすると艦娘 ~ 尞に引きこ 使わせようとした俺がまずかった」 もったりしていないだろうかと危惧しながら執務室の 慰めの言葉にも北上は釈然としない様子だった。 ドアを開けると、窓際にいた北上が俺に振り返る。 窓越しの冬の午後の陽差しが柔らかく北上を包む。 「あ、提督。おっかれー窓から駆逐と話してるの見窓の外に目をやった北上はため息をつく。 えたよ。いちいちまとわりついてきてうざいよねえ」 「考えてたんだ。どうしてあたしは甲標的を使えるの 俺に向かって北上は何事もなかったかのように微笑かなって」 む。 「それは、雷巡だからだろ」 23 提習と甲標的と、あたし
げられた甲標的の上で妖精が無邪気に手を振っている 明石が立ち会って居ないのかとも思ったが、工作に のが見えた。 関しては図抜けているがそれ以外がちょっと抜けてい あ 「なにこれ」 る彼女のことだ、阿武隈を支援するための自動甲標的 と あっけにとられたように呟く北上。 回収システムを作ったことで満足してしまったのだろ 甲 と 、つ 「あ、あたしつ甲標的の練習をしようと思って : 沈んじゃったら自動で引き上げられるように、明石さ「だって、つぎの訓練でもうまく出来なかったら、北 んにクレーンをセットしてもらって」 上さんに迷惑を掛けちゃうから わたわたと手を動かしながら阿武隈が説明する。二 「まったく : これだから阿武隈は」 回目の改装を受けて凛々しくなった面影はどこにもな 涙声になってきた阿武隈に向かって北上は肩をすく く、改ですらないころの阿武隈に戻ったかのようだ。 める。そのままプールの傍らまで近寄ると北上は阿武 「なにもこんな夜中に一人で訓練せずとも良いだろ。隈を手招きして呼び寄せた。 事故があったらどうするつもりだった」 おどおどとプールを微速で航行してきた阿武隈が 俺の叱責に阿武隈はしゅんとする。 プールサイドに上がると、北上はその肩を抱くように 仕事熱心なのは良いことだが独断専行はそれに含ま して話しかける。 れない。生身の身体ひとつで走り込みなどするくらい 「阿武隈は水上偵察機を使えるでしょ ? あれと同じ なら問題ないが、ひとりきりで艤装と設備まで使ってように扱えばいいんだって」 何か不測の事態があったら。 「でも、甲標的は空を飛ばないし : : : 」
は軍艦そのものの機能を得る。 だから阿武隈も甲標的を持たせさえすれば使えるよ 、つになると田 5 っていたが、。 と、つもそ、つい、つわけではな いのーか ? ・ 『も、つ・ : : ・つあたしが代わりにやったげるよ』 阿武隈の手から彼女の甲標的を奪い取った北上は、 先ほどと同じよ、つに推 ~ 造作に甲標的を海面に沈める。 一瞬で甲標的は水面下に姿を消し、しばし沈黙だけ が俺たちの間に広がる。 『ほら、これで動かせるでしよ』 『動かせる : : : ? ・目信満々に生ロげる北上とは対昭 ~ 的に阿武隈は、い細げ し た にしている あ 工廠の扉を開けると乾いた冬の空気が肌を刺す。思 と 押し寄せる波に揺られながら阿武隈は眉をひそめてわず身震いしたあと、俺は冬空を見上げてため息をつ 甲 じっと甲標的が沈んでいったあたりの海面を見つめ続 と けている。 阿武隈の甲標的はそのまま浮上も航行もせず行方不提 「提督、困ったことになりました」 明になってしまった。慣熟訓練は中止になり、俺は平 「どうした ? 艤装を通じて通信を中継すると同時に北上達の状態 をモニターしていた大井が息を呑む。 双眼鏡の中では相変わらず阿武隈は困ったように海 面を見つめ、その傍らで北上はわずかに苛立ちをのぞ かせながら腕組みしている。 傍目には先ほどの北上の甲標的となにも変わらない ように見える。だが、なにかおかしかったのだろうか 行方不明です」 「阿武隈さんの甲標的が :
監娘と妖精で協力して引き上げておきますよ、と明石 謝りする阿武隈を連れてエ廠に赴いていた。 は約束してくれた。 改装が上手くゆかなかったのではと明石に検査をし あ マフラーを巻き直して俺は執務室のある棟へ歩き出 てもらうも問題は何もなかった。全く新しい種類の装 と 的 備である甲標的に単に置れていないのではというのがす。艦娘でない艦艇のサイズに合わせて設計されてい る軍港の施設を一部流用しているので、いちいち何事と 明石の見立てだが、そんなふうに突き放されても困っ てしま、つ。 もスケールが大きいのが玉に瑕だ。 暖かい間は特に気にならなかったエ廠と執務室のあ 艦娘は建造されたその瞬間から自分が身につけられ る棟のあいだの野外の道のりも、寒くなった今ではだ る装備をある程度は使えるものだ。戦闘で活躍できる いぶおっくうだった。 ほど上手に扱えるかは別として、どの艦娘でも装備可 能なものであれば持たせてすぐ自然と砲は撃てるし魚「提督、お疲れ様です」 「遠征大成功だったびよんリ」 雷も放ち、艦載機を飛ばす。 帰ったら寝るー」 「だるいー だが本来は軽巡の艦娘が装備することを想定してお 遠征帰りの駆逐艦たちが挨拶してくるのに俺は軽く らす阿武隈が実艦としても運用したことのない甲標的 手を挙げて返事する。 は珍しい例外だったらしい 工廠は艤装と装備の保管・整備も行っているので出 改装する前に戻ったかのようにおろおろする阿武隈 には今日はひとまず休むように伝えた。幸いにして慣撃埠頭に近く、行き交う艦娘達はみな艤装と装備を身 につけている。女学生の制服のような薄手の格好のま 熟訓練を行っていた海域は水深が浅いので、後で潜水
海上で静止する北上と阿武隈。 入る。だが阿武隈は首を振って応じない。 数分の後に標的から発信された訓練用魚雷命中の信 『沈めれば自分で動くからさ、ほら』 号を大井の艤装が受信する。そこからまたしばらくし 『装備が勝手に動くって、水偵じゃないんだから : て、帰還した甲標的を北上は海面からすくい上げて艤そんなの信じられませんリ』 装の腰のところに吊す。 阿武隈の耳をつんざく高い声での抗議に俺は顔をし 傍から見ている分には何が起きているのか判然とし かめる。双眼鏡の中では、困ったように北上が肩をす ない。そもそも艦娘ならぬ身には北上がどうやって甲くめていた。 肉本勺こよゝ弓、、 標的を動かしているかすらわかりよ、つかない。 ーカし少女そのもの、戦闘の知識などと かって尋ねてみたことはあったが、北上は曖味に一一一口ても似合わなさそうな艦娘が各種の装備を手足のよう 葉を濁して笑うだけだった。 に操れるのもまた人智を越えた妖精達由来のテクノロ 北上と同じく阿武隈も背中の艤装の腰のあたりに甲 ジーの産物だ。 標的を吊している。恐る恐るそれを海面に下ろそうと 例えば戦艦なら、恐ろしく複雑な測距と計算の必要 する阿武隈。 なはずの遠距離の公算射撃を自らの眼と頭の中の暗算 『ほら、そこで手を離して』 でのみこなす。人間ではとても追いかけきれないはず 『そんなことしたら沈んじゃうじゃないですか " " 』 の対空射撃を艦娘は眼で追うだけでやり遂げる。 『沈めないでどうするのさーもう』 電探や測距儀、高射装置といった装備は彼女たちに 北上がしきりに促す声が隊内電話を通じて俺の耳に とって補助器具であり、艤装を背負った時点で艦娘達 提腎と甲標的と、あたし 20
「ええー、ケチ」 俺の後ろに座る正規空母たちがちょうどそのことに 「そ、ついえばさー提督。あたしたちの甲標的にも妖精 ついて話している。 が乗ってるよね ? あれにも艦載機と同じで熟練度が 彼女たちが話題にしているのは、つい先日、空母のあるのかなあ ? 艦娘の装備ーーー艦載機に付属している妖精に突然発生 「エ廠からは報告は来ていないが : それは使って した熟練度の概念についてだ。 る北上の方がよく判るんじゃないのか ? 」 むしろ今までそうい 0 た現象がなか 0 たのが不思議「うーん、あの子たちよくわかんないんだよね。大 だったとも一一一一〔える。砲や魚雷とは異なり空母艦娘の艦井っちはどう ? 載機はパイロット役の妖精がそれぞれに搭乗してお 「私もさつばりです」 り、明らかに自律行動しているのだ。 大井と北上がうなずき合う。 なので、艦娘が経験を積んで練度が上がるのと同様「というか、ず 0 と使 0 てたけど気にしたことなか 0 に艦載機の妖精達にも同じ現象が起きない方がおかし たって一一一口ったほ、つがいい力も かったと一一一一口、んよ、つ。 頬杖をついた北上が小さく呟く。 そうして熟練度の概念が生じたおかげでいまの鎮守 俺の配下の千歳と千代田はすぐに軽空母に改装した 府は空母たちが優先して演習に出撃し、ひたすら艦載ので甲標的母艦として運用されたことはない。木曽は 機を鍛えている。そんなわけで甲標的による長距離攻練度が足りずに軽巡のままなので、俺の元で甲標的を 撃役として役目の被る雷巡はしばらくお役御免だっ 使うのは目の前の北上と大井だけだ。 15 提督と甲標的、あたし
あとがき ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ・◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆・ 初めての人は初めまして。いつもの方はありがとうございます。 宇古木蒼です。 艦載機の妖精に熟練度があるなら、同じ妖精搭乗型・自律行動型装 備である甲標的にも同じ現象が起きても良いのでは ? というかそも そも雷巡が甲標的を積めるのはなぜ ? というのが今回の話の出発点 でした。 そこに阿武隈改二 ( 今回の秋イベントでは大活躍でしたね ) に甲標 的の使い方を教えたのは北上なのでは、という妄想が合わさってこの 本が出来ていました。相変わらず独自設定てんこ盛りですいません。 今回の表紙はいつも通り七竈さんにお願いしております。愛らしい 北上さまをどうもありがとうございました。 さて、本作で当サークルの艦これ二次創作同人誌も通算 9 冊目とな りました。 2016 年前半に発行予定の IO 冊目では、記念も兼ねてこれ までに発行した提督 LOVE 大井本の総集編でも作ろうかと考えており ますのでよろしくお願いします。 それでは、またどこかの同人誌即売会にて。 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ 書名 : 「提督と甲標的と、あたし」 発行日 : 2015 / 12 / 30 サークル : 宇古木亭 (http://ukogitei.sakura.ne.jp/) 著者 : 宇古木蒼 (pixiv : 373446 ) 表紙イラスト : 七竈 (pixiv : 49538551 ) 発行人 : a-park 印刷所 : 緑陽社 36
だが彼女たち雷巡にと 0 ての主武装はあくまでも全ている。先ほどの阿武隈の二回目の改装も、北上の立 身に身につけた発射管から放っ魚雷であり甲標的は余ち会いの下で明石とエ廠の妖精達が行 0 たことだ。 「阿武隈さん、甲標的が使えるようになったんです 技のようなものだ。 空母と同じく長距離から一方的に先制攻撃が可能にね。私びつくりしちゃいました、 「甲標的 ? なんだそれは」 なる甲標的はとても重要な装備だが、どちらか一つだ 軽巡の阿武隈は甲標的を装備など出来ないはずだ。 けを選ぶとなれば魚雷に軍配が上がる。戦場の状況に よ 0 ては積載量を鑑みて甲標的を下ろし魚雷や砲のみ意味がわからず俺が聞き返すと、明石は何を言 0 てい るのか判らないとばかりに首をかしげた。 の装備を指示したことだってもある。 「改二の装備品一覧、見てないんですか ? 空母のみならず甲標的にも操縦員ーーー本当にそうな のかは不明だがーーらしき妖精が付属している。艦載「見たさ。軽巡なのに大発が積めるのは大したもんだ 機の妖精達に熟練度の概念が生じたということは、やな」 ああ、と嘆息した明石が顔を覆う。 はり甲標的の彼女たち妖精にもまた : 「提督、新しく改二になった娘の性能くらいきちんと 「あー、提督リ阿武隈さんはどうでした ? 」 阿武隈さん、大発 そこまで考えを巡らせた俺を、食堂にやってきた明チェックしてあげてください : の他に甲標的も使えるようになったんですよ ? 石の呼び掛けが遮る。 彼女は艦娘としての任務はほとんどせず専らエ廠で 各種の開発と整備、そしてエ廠の妖精達の管轄を行っ 提督と甲標的と、あたし 16