げられた甲標的の上で妖精が無邪気に手を振っている 明石が立ち会って居ないのかとも思ったが、工作に のが見えた。 関しては図抜けているがそれ以外がちょっと抜けてい あ 「なにこれ」 る彼女のことだ、阿武隈を支援するための自動甲標的 と あっけにとられたように呟く北上。 回収システムを作ったことで満足してしまったのだろ 甲 と 、つ 「あ、あたしつ甲標的の練習をしようと思って : 沈んじゃったら自動で引き上げられるように、明石さ「だって、つぎの訓練でもうまく出来なかったら、北 んにクレーンをセットしてもらって」 上さんに迷惑を掛けちゃうから わたわたと手を動かしながら阿武隈が説明する。二 「まったく : これだから阿武隈は」 回目の改装を受けて凛々しくなった面影はどこにもな 涙声になってきた阿武隈に向かって北上は肩をすく く、改ですらないころの阿武隈に戻ったかのようだ。 める。そのままプールの傍らまで近寄ると北上は阿武 「なにもこんな夜中に一人で訓練せずとも良いだろ。隈を手招きして呼び寄せた。 事故があったらどうするつもりだった」 おどおどとプールを微速で航行してきた阿武隈が 俺の叱責に阿武隈はしゅんとする。 プールサイドに上がると、北上はその肩を抱くように 仕事熱心なのは良いことだが独断専行はそれに含ま して話しかける。 れない。生身の身体ひとつで走り込みなどするくらい 「阿武隈は水上偵察機を使えるでしょ ? あれと同じ なら問題ないが、ひとりきりで艤装と設備まで使ってように扱えばいいんだって」 何か不測の事態があったら。 「でも、甲標的は空を飛ばないし : : : 」
執務室のドアが名乗りと共に開かれる。噂をすれば性格も相まってまさか自分が改二の候補だとは思って もいないだろ、つ。 影とばかりに、先ほど呼び出しておいた阿武隈がちょ 、つどやってきたようだ。 、手元の資料ーーエ廠の妖精から上がってきた 「おー、阿武隈じゃん」 報告書には阿武隈は既に改装を行うのに十分なだけの 練度があると記されていた。 「もうつ、それ以外の誰に見えるんですかリ」 炬燵に入ったままの北上がにやにやしながら手を振 艦娘の建造と改装のメカニズムは未だ謎に包まれて ると阿武隈は髪を振り乱して北上にくってかかる。 いる。というよりも『提督』には明かされていないと そのまま言い争いに発展しそうだったので、俺が厳表現するべきか かに咳払いをすると北上と阿武隈はばつの悪そうに沈 俺たちに可能なのはあくまでもエ廠の妖精に依頼す 黙した。 ることでしかない。改装後にどんな格好になるか、ど 姉達とはうって変わって華奢でどこか危うさを感じんな装備を持ってくるかすら不明なのだ。 させる容姿の長良型の末妹は、彼女のトレードマーク 「提督、私が何かしましたか : である凝ったセットの前髪を弄りながら所在なげにし 消え入りそうな語尾で阿武隈が尋ねる。前髪を弄る ている。 のを止めた彼女は、頭から長く垂れた髪を指先でもて 軽巡の艦娘のなかで阿武隈はそれほど強い方ではなあそびながらおどおどと上目遣いで俺を見やる。 い。ときおり手が足りない際に戦闘に狩り出されるほ 戦場で活躍する川内型や、特に理由がなくとも遊び かは専ら遠征を率いている彼女は、自信なさげなその に来る阿賀野型、秘書艦の北上を訪ねてくる球磨型な 提と甲標的と、あたし 8
まったく、こんな自信なさげで大丈夫なのだろうか どと違って阿武隈はこうして一人で執務室に出頭した 「北上、阿武隈をエ廠に連れて行ってやれー ことすらほとんどない。それを思、んば、びくびくとし たこの態度も判ろうというものだった。 普段の改装ならエ廠任せにするものの設計図が必要 「阿武隈、遠征と演習をよく頑張ってくれた。もうだ な改装の時くらいはエ廠に付き添ってやっている。だ いぶ練度も上がったな ? 」 が今日の俺の前には急ぎの書類仕事があり阿武隈には 「へあ、ありがとうございます」 戸惑ったようにする阿武隈をよそに俺は机の引き出付いてやれなかった。 いつのまにか炬燵から抜け出してきていた北上が、 しから改装設計図を取り出す。 阿武隈の後ろから抱きつくようにして話しかける。 「これ、あたしに・ 「ね、阿武隈。どんな改装をするの ? 」 「良かったねー阿武隈。改装だってさ」 「わかりませんってリもう、私の髪触るの止めてく 改装設計図とは言うものの実のところはどの艦娘に も使える共通の書類だ。そもそも改装はエ廠の妖精任ださい " にやっきながら北上が阿武隈の前髪に手を伸ばし、 せなので設計の指一小も何も無い。 設計図を必要とする艦娘の改装を一通り終えて、一阿武隈はそこから逃げようと身体をくねらせる。その まま二人は声高にやり合いながら執務室を出て行っ 枚だが手元に余っていたのはちょうど良かった。 俺が差し出した改装設計図の書類を阿武隈は壊れた。 俺だけが残された執務室はとたんに静かになる。ど 物に触れるかのようにおっかなびつくりで受け取る。 9 賢と甲標的と , あたし
「空を飛ぶのも水に潜るのも一緒。どっちも妖精が に消える。永遠にも思われた数分の後、阿武隈の甲標 乗ってて、あたしたち艦娘から離れて自分の判断で動的はプールサイドに立っ彼女の足下すぐ傍に浮き上 くんだから がってくる。 北上に促されて阿武隈は抱えていた彼女の甲標的を 水の冷たさをものともせず阿武隈がプールに手を そっとプールの水面につける。 突っ込んで甲標的を抱え上げる。人間とは身体のつく 「そのまま、水の上に出ないでプールサイドに立った りが違いすぎて表情を読みづらい妖精達だが、阿武隈 ままでいいから。水偵を飛ばすときと同じイメージ の胸に抱かれた甲標的の上に座る妖精は誇らしげにし で , ているよ、つに奄には見えた。 北上の指示を受けて阿武隈がそっと甲標的を送り出「よーしょーし、よく出来た」 す。前進しながら甲標的は水中に没していきすぐに見「ありがとうございますリって、前髪はやめてくだ えなくなる。 さいよおリ」 黙りこくって集中する阿武隈を俺たちは固唾を呑ん いつものように阿武隈の前髪をいじる北上から逃れ し で見守る。そのうちにプールの向こう端で甲標的が浮ようと阿武隈は身をよじるが、艤装を身につけて海上 と 上するのが見えた。 航行用の格好で居るためうまくいかない。なすがまま じゃあ次は、回収だよ」 にされる阿武隈の悲鳴と北上の笑い声が響くなか、俺 と 小声で囁く北上に阿武隈はうなずきを返す。 はそんな二人を微笑ましく見守る。 これならきっと、、つまくやっていけそ、つだ。 プールの向こう端で浮上している甲標的が再び水中
は軍艦そのものの機能を得る。 だから阿武隈も甲標的を持たせさえすれば使えるよ 、つになると田 5 っていたが、。 と、つもそ、つい、つわけではな いのーか ? ・ 『も、つ・ : : ・つあたしが代わりにやったげるよ』 阿武隈の手から彼女の甲標的を奪い取った北上は、 先ほどと同じよ、つに推 ~ 造作に甲標的を海面に沈める。 一瞬で甲標的は水面下に姿を消し、しばし沈黙だけ が俺たちの間に広がる。 『ほら、これで動かせるでしよ』 『動かせる : : : ? ・目信満々に生ロげる北上とは対昭 ~ 的に阿武隈は、い細げ し た にしている あ 工廠の扉を開けると乾いた冬の空気が肌を刺す。思 と 押し寄せる波に揺られながら阿武隈は眉をひそめてわず身震いしたあと、俺は冬空を見上げてため息をつ 甲 じっと甲標的が沈んでいったあたりの海面を見つめ続 と けている。 阿武隈の甲標的はそのまま浮上も航行もせず行方不提 「提督、困ったことになりました」 明になってしまった。慣熟訓練は中止になり、俺は平 「どうした ? 艤装を通じて通信を中継すると同時に北上達の状態 をモニターしていた大井が息を呑む。 双眼鏡の中では相変わらず阿武隈は困ったように海 面を見つめ、その傍らで北上はわずかに苛立ちをのぞ かせながら腕組みしている。 傍目には先ほどの北上の甲標的となにも変わらない ように見える。だが、なにかおかしかったのだろうか 行方不明です」 「阿武隈さんの甲標的が :
工廠から提出された阿武隈の初期装備と、可能な装 の扉がノックされた。 備一覧が記された書類を受け取る。 「やつほー提督。戻ったよ ほう、大発か」 「高角砲に、電探 : 「阿武隈改一一、改装完了、戻りました 阿武隈の改二の初期装備のリストを眺めていた俺は 勢いよく扉を開け放って現れた二人に、俺は大井と 顔を見合わせる。北上のほうはいつも通りとは言え、大発動艇の文字を見つけて感心する。いまだ開発が不 可能なこの装備は、こうして改装の際にごく一部の艦 阿武隈のあれはなんだ。 娘が持参してくるのを待っしかない 執務机のまえに直立不動で立っ阿武隈の姿をまじま じと俺は眺める。 「あたしだって五連装魚雷を持ってきたでしょ ? なぜか阿武隈の隣で胸を張る北上。 簡素な後期長良型の薄手のセーラー服はどこへや こうして開発が不可能な装備を改装で持ってくるメ ら、厚手の黒いセーラー服の上に更にカーディガンを カニズムも謎そのものだったが、そもそも艦娘の建造 阿武隈は着込んでいた。短めの制服のスカートは前と について深く考えてもど、つしよ、つもない 同じながらも下にス。ハツツを着込んだことで活動的な し 印象が増している。 提督として俺に出来ることはこうして改装で得られあ と こ舌用するだけだった。 る装備を有効し冫 的 実艦の頃の阿武隈は北方の海域で活動していたこと 標 甲 「大発を装備できるなら遠征でよりいっそう活躍でき があるのでそれを引き継いでいるのかもしれない。な と るな。阿武隈、これからも頼むぞ」 んにせよ、薄着の多い艦娘達の中で二回目の改装をし こんな私を改装してくれた提督のために た阿武隈は冬でも見ていて寒くない格好だった。 「はい
だが彼女たち雷巡にと 0 ての主武装はあくまでも全ている。先ほどの阿武隈の二回目の改装も、北上の立 身に身につけた発射管から放っ魚雷であり甲標的は余ち会いの下で明石とエ廠の妖精達が行 0 たことだ。 「阿武隈さん、甲標的が使えるようになったんです 技のようなものだ。 空母と同じく長距離から一方的に先制攻撃が可能にね。私びつくりしちゃいました、 「甲標的 ? なんだそれは」 なる甲標的はとても重要な装備だが、どちらか一つだ 軽巡の阿武隈は甲標的を装備など出来ないはずだ。 けを選ぶとなれば魚雷に軍配が上がる。戦場の状況に よ 0 ては積載量を鑑みて甲標的を下ろし魚雷や砲のみ意味がわからず俺が聞き返すと、明石は何を言 0 てい るのか判らないとばかりに首をかしげた。 の装備を指示したことだってもある。 「改二の装備品一覧、見てないんですか ? 空母のみならず甲標的にも操縦員ーーー本当にそうな のかは不明だがーーらしき妖精が付属している。艦載「見たさ。軽巡なのに大発が積めるのは大したもんだ 機の妖精達に熟練度の概念が生じたということは、やな」 ああ、と嘆息した明石が顔を覆う。 はり甲標的の彼女たち妖精にもまた : 「提督、新しく改二になった娘の性能くらいきちんと 「あー、提督リ阿武隈さんはどうでした ? 」 阿武隈さん、大発 そこまで考えを巡らせた俺を、食堂にやってきた明チェックしてあげてください : の他に甲標的も使えるようになったんですよ ? 石の呼び掛けが遮る。 彼女は艦娘としての任務はほとんどせず専らエ廠で 各種の開発と整備、そしてエ廠の妖精達の管轄を行っ 提督と甲標的と、あたし 16
俺に有無を言わせるまもなく北上はエ廠に向かって 駆けだしている。少し離れたところで立ち止まった北 上は早く早くとこちらを手招きする。 まったく、ころころと猫の目のよ、つに気分を変える のは参ったものだ。だがれた弱み、俺は北上の手招 きに苦笑しながらついて行くしかなかった。 「こんな時間になにやってんの ? 」 二人で足早にエ廠に近づくと件の甲高い声はより聞 こえるよ、つになってきた。 「それは、その、えっと : 一人で艤装を身につけてプ 1 ルに浮かぶ阿武隈は、 何かを号令するかのような声はエ廠の中ではなく、 、ゝナこ艮を【冰がせた。しどろ 姿を表した俺たちのⅢし力し : 目 裏手から聞こえてきている。 もどろに要領を得ない返事をする阿武隈を余所にプー 「提督、静かにね」 やるき満々の北上に俺は声を出さずにうなずく。エルの横にあるクレーンの一つが勝手に動き出す。 ウインチが作動し、水面に垂れているワイヤーが引 廠の裏手には、海に出ずに艤装を着けての簡易航行テ き上げられるとともに水中から甲標的が姿を表す。自 ストを行うための大きなプールがある。プールの周り に立ち並ぶ整備用のクレーンの合間から俺たちがのぞ動でクレーンは動き、ワイヤーに吊り下げた甲標的を 阿武隈の元に運んでくる。目をこらせば空中に吊り上 「あたしの声が聞こえる ? ほら、沈んでからあっち ああっ違、つリ違、つったらリ に向かって動いて : 浮上浮上リ」 甲高い声の正体は何を隠そう、昼間にさんざん聞い た阿武隈のものだった。 31 提賢と甲標的と、あたし
「北上さんから通信です の北上を監督役にし、何かあってもすぐに対応可能な 大井が差し出してきた〈ッドフォンとマイクを手に鎮守府のすぐそばの海域で訓練を行うことにな 0 た。 取る。コードの先は大井の艤装に繋がっている。 総勢で二百隻弱の艦娘を配下に抱えるいま、いちいち 艦娘達の艤装には主に鎮守府との間で使われる長距 個別の演習や訓練の一つ一つに一つ一つに口を出さな 離通信と、艦隊内での連絡に使用する短距離用の隊内 い俺も今回ばかりは見に来ている。 電話の二つがある。 北上のたっての希望で先生役は彼女が行うことに 今回の慣熟訓練は埠頭から見えるすぐそこで行うの なった。もしかしたらこれで大っぴらに阿武隈をいじ でこうして大井の艤装を利用して隊内電話で指示を出れるとでも考えているのかもしれない。大井は通信の すことになっていた。 中継と万が一の場合のバックアップだ。 「二人とも、調子はどうだ」 『北上さん、ぶつかってこないでくださいよリ』 『絶好調だよー』 『そっちこそリ』 『問題ありませんリ』 隊内電話でやりあう一一人の会話に俺は耳を傾ける。 俺の目の前で朝から行われているのは阿武隈改二の 実物の艦船ほどではないにせよ艦娘は急には止まれ 慣熟訓練だった。二回目の改装により大幅に艦娘とし ないので最小単位である一一隻での艦隊運動すら接近し ての状態が変化した阿武隈は出撃のみならずいきなりて行うのは危険を伴う。 演習や遠征に出すのも危ぶまれた。 単縦から並進、そしてまた単縦と陣形をめまぐるし なのでこうして通常の演習のシフトとは別に秘書艦 く変化させ、北上と阿武隈は何度か回頭する。この二 提督と甲標的、あなし 18
まの駆逐艦たちが全く寒さを感じさせない様子であた 慣熟訓練中の雷巡改一一の制服から北上は雷巡改の長 りを行き交っていた。 袖に着替え直していた。制服は艦娘寮の部屋で保管し しばらく歩き続けてようやく執務室や大型艦用の食ているから、わざわざ寮まで戻って着替えてからもう 堂のある棟にたどり着き、玄関の扉を開けて中に入っ 一度執務室にやってきたのか。 た俺はそこで一息つく。 艤装を着けていないと寒いから普段は長袖の雷巡改 失敗に終わった慣熟訓練のあとで阿武隈を連れて陸の制服を着ているのだとかって北上は話していた。だ に上がった北上は言葉少なにしていた。常にゆるい態 が今の彼女は、それだけとは思えない何か違う雰囲気 度を貫き、めったに動揺したりしない彼女にとっても をまとっている。 応えたらしい 「今日の訓練、ごめんねー」 阿武隈をエ廠で検査するのが先決だったので北上 「北上は何も悪くないさ。いきなり阿武隈に甲標的を とはすぐに別れていた。もしかすると艦娘 ~ 尞に引きこ 使わせようとした俺がまずかった」 もったりしていないだろうかと危惧しながら執務室の 慰めの言葉にも北上は釈然としない様子だった。 ドアを開けると、窓際にいた北上が俺に振り返る。 窓越しの冬の午後の陽差しが柔らかく北上を包む。 「あ、提督。おっかれー窓から駆逐と話してるの見窓の外に目をやった北上はため息をつく。 えたよ。いちいちまとわりついてきてうざいよねえ」 「考えてたんだ。どうしてあたしは甲標的を使えるの 俺に向かって北上は何事もなかったかのように微笑かなって」 む。 「それは、雷巡だからだろ」 23 提習と甲標的と、あたし