どのくらい悲しむか、どのくら頼りにされているのか、いない であることだけでした。精神科 い心配するか、どのくらい喜ぶのか ~ 分からなくなってしまい 医はさんから育児の悩みを聞 号 月 か、というのがちょうど良く行ます。統合失調症の人と付き合 いたことがありませんが、その 年 かない、ということです。セレう時にはそんな気分になってしことはさんが子供に無関心 ネ 1 スは " ずっと考え続けるのまいやすいのですが、このことだ「たということではないので と は止めようよ ~ という薬で、も、私がさんの病気が統合失す。今回、心配していた娘の就 っ ね さんも助けられているのでしょ調症と診断してきた理由の一つ職が決まったことで、これまで 亠な , つ。でも " ちょ , つど良いくらい です。もちろん、本人たちこそ、家族のことを話してきた精神科み 心配しよう ~ というのは、実生感じ方や考え方にそんな癖があ医に、親子でお祝いをしたこと、 活で " このくらいの心配でちよることで、日々の生活、そしてうれしか「たことを自然な笑顔 うど良いと感じるしかありま長い人生が難しくな「ているので話してくれました。統合失調 せん。精神科医は、子供は夏休です。 症では薬を使って幻覚・妄想を みには早く帰って来てほしいよーま ~ 引〔 ~ ~ ~ 」 少なくしようとしますが、治療 〈感情を出す ね、と自分自身の気持ちを伝え の一番の目標は人生の困難が少 ています。 さんはこの数年間、精神科なくなり 、ハッピーになれるこ 医に " 親しい感情 ~ を見せずに とです。 〈頼りにされていよい ? 〉 通院して来られました。自分かーユ : 〕」 〈町の中の患者さん〉 診察室で親しい会話にならなら言われるのは、薬が合ってい かったら、精神科医も " 自分がること、ちょうど無くなるころ 統合失調症の人は想像もでき ない程のかけ離れた考えをしてする ~ という感じでしよう。れないためにはどうしたら良い いるのではありません。ちょ「さんが町で精神病と思われるこのでしようか ? 最近の教科書 と不適切なことで、迷いに入「とはないでしようが、他にも、でも " 精神病の成り立ちはあま てしまいます。さんが子供の盗聴器から声がすると訴える主り解明できていない。危険因子 ことを話さないのも、 " 子供のこ婦の方がおられまして、彼女はとなる遺伝子の研究は期待さ とを心配はしているけれど、適体調が悪い時には家での仕事をれているが、遺伝子だけでは発 度な心配がどのくらいか迷「て減らしておられます。でも、姑病しないらしい。『第 2 の打撃』 は精神的な病気とは思ってなくとなる原因が環境の中にあるは しま , つから、心配しないことに て「病気と嘘をついて仕事をずだけれども、いまだ決めるこ 怠けている」と不満らしい。そとができない。となっています。 の他にもたくさんの統合失調症ですから今は、病気に直面して いる各人が『第 2 の打撃』で の患者さんが、病気とは思われ ずに町の中で暮らしておられま病気がこじれないように、自分 お が良いと思うやり方をやって行 す。 の カ 〈治り損なう〉 所 とは、紙一重で病気にならずに 何とかやっている人とは別すんでいて、ちょうど良く心配診 街 に、治り損なっている患者さんして、ちょうど良く忘れること たちもおられます。病気がこじができる人だろう、と思います。
様子について話しかけるのです ろ聞くのですが、さんは「こ が、さんはいつも「ええ、まあ」 の薬を飲んでいたら調子がいい とかの返事でした。子供の大学 です」と言われるのみです。精 の長い休みの時期には、娘さん 神科では、極端に他の考えを除 は帰って来られましたか ? と 外して自分の考えで閉じている 聞きますが、「まだです」 様子を『自閉』と名付けていて、 クラブでしようか ? アルバ 統合失調症の人に特有の症状だ イトをしているのですか ? と考えます。 「さあ」というあんばいです。 彼女には手が震えたり、身体 帰って来ないと心配ではない がだるくなったりなどの副作用 ですか ? 「心配はしています」 はなく、きちんと服薬して特に と、話が進みません。 問題なく家族と生活されている ようなので、同じ薬を処方するき受けて処方もしていますか 〈普通に心配しよう〉 お ら、今の彼女の不足なところを ことにしています。 さんは子供のことを心配すら 〈話したがらない人〉 みの多いものになるように、治るという普通にある感情を出せ所 さんは定期的に通院されま療目標を立てたいと思います。ないようです。これも統合失調診 すが、特に悩みを相談されるこそれで、家事のことや余暇の過症の『不適切な感情』と呼ばれ街 ごし方、ご主人のことや子供のる症状です。あることに対して、 とはないのです。私も治療を引 ・・・合失調症』って よくある状態なんです。 : 連載可 — 1 ー第ー囓 ' ・ーー ~ ー ~ ~ ー「 ! 」で来られ、前の病院からの紹介と楽に生活してほしいな ~ と 〈娘が就職内定した〉 状もなかったので、以前はどん思ったものです。 「この休みは、家族で温泉に 〈この薬でいい〉 行って泊って来ました」と、 いません。どうも家族内で大騒 つになく楽しそうなさんでぎがあって、精神科の病院に入持って来られた薬は、セレ す。「大学 4 年の娘の就職がやっ院したらしいのですが、「まあネ 1 スの少量と抗不安薬が朝夕 と決まって、そのお祝いです」 そうです」とか言って、詳しく にあって、寝る前にコントミン さんは 2 人の子供のお母さ話してくれません。新しい精神と睡眠薬があるというよくある んですが、ご主人の転勤でこの科医には言わないでおく、と決処方でした。さんは「この薬 町に来られ、その後うちのクリめておられるようでした。そのでいいです」と、決めたように しかたくなな ニックに 5 年くらい通院・服薬決心の仕方に " 少こ 言われます。精神科医は少しで されています。初診の時に 1 人もの ~ があり、精神科医は " もつも薬を減らせないかと、いろい 街の 診療所から のホ便り 7 ましもと しげき 増本クリニック院長 みんなねっと 2013 年 10 月号 22 増本茂樹
ない場合もあるかと思います。に参加して皆さんの話を伺ってつらい ~ とメンバーよ、、 。しします 中には、「困って、助けてほし いるので、 ( 子どもに ) 何か支援けれども、成人し成長していく いと病院や保健所にも電話をしができないだろうかという気持中で、徐々に気持ちにも変化が たけれど、保護者でないからちはあります。これからも集いあるようです。 と、取り合ってもらえませんでで、皆さんの話を聞かせてもら 「昔は、箱の中で生きていか した。話しても無駄の繰り返し いながら、こういった場面でどないといけない状況でした。そ で育ってきました」という人もう行動できるか考えていきたい うでないと、 ( 病気の ) 母にう いました。このようなときに歩と思います」 るさくいわれ、怒られ、ギャン みよってくれる支援者、特に医 この子どもの集いで体験を聞スカいわれるからです。でも、 療機関のスタッフが、存在して いているからこそ、子どもへの高校生の時に反抗できるように いるだけで心強いものになるの支援の必要性は感じているのだ なって、そこから変わりました。 だと思います。 と思います。今後同じような場母の心配や不安は、自分への愛 今日はちょうど、の方面があったときには、子どもに 情でもあるんだと思えるように て め が参加していたので、意見を伺もひと言声を掛けてくれることなりました」 求 いました。「先日、親や親せきを期待をしたいです。 を 「最初は ( 病気の ) 母に対し と一緒に子どもが病院に来てい て恨みもありました。けれども、 な 自分の人生を大切にして ました。しかし、そのときは十 病気の知識を得てからは、 ( 母っ ほしい 分対応することができませんで 集 を ) 守らなきゃいけないと思い 特 した。けれども、子どもの集い " 子どもは世間が思う以上にました。ただ、抱え込んでしまっ しまったように感じるのではなのほうも学校では、悩みがある療機関のスタッフは、精神障が 、こっ、て、こちらが説明しな いでしようか。そのため、成人ことを気づかれないようにしてししし くてもすでに知っていますよ います」 しても誰にも気持ちを打ち明け 小・中・高校生くらいであれば、ね。なので、気楽に話せるかな ることなく、抱えてしまっていた 困ったことがあったときに学校と思います」 のではないかと思うと、話を聞い の先生に相談しようと考えそう ていて非常に胸が痛みました。 子どもともつながって ですが、親が病気の場合、子ど ほしい 身近な支援者は医療機税 もなりに複雑な心境なのかもし のスタッフ こんな提案もありました。「例 れません。また、男性の場合は、 子どもメンバーの話を伺って親の病気を話すことで、変に先えば、私たちが病院に行ったと いて、子どもにもしつかり目を生や友達に気を遣われることもきに、名刺を出して『何か困っ 向けてくれる支援者の必要性を嫌だそうです。「男の場合は、メたことがあったら電話してね』 強く感じました。では、どのよンツも気にしたりしますからね」といって、渡してくれるといい ですね。名刺はとっかかりの一 うな支援者が子どもに求められというメンバーもいました。 また、「わかってくれる人がつで、情報の一つ。子どもとっ ているのでしようか 一人でもいる、ということがわながってあげるという気持ちが 「医療機関のスタッフから、 あるといいと思います」 私たち ( 子ども ) にひと言声をかるだけでも気持ちが全然違い 困っていても、他の家族に気 掛けてほしいです。学校の先生ます。それがわからないと、怖 は気づいてくれないし、私たちくて話すことができません。医を遣って自分からが出せ みんなねっと 2013 年 IO 月号 12
私と子どもの あゆ ー母として」 して楽にしてくれ」と、包丁をらない、と思いました。 とって大事な子ども、殺すこと 持って攻め寄ってきました。 などできない。お母さんとお父 息子は私に救いを求めている その時、家にいるのは息子と さんは愛し合って結婚して、あ のだと思った 私だけで、一瞬戸惑い、パ一 なたが生まれた。これも神様が ク状態になりましたが、とにか 息子は気持ちが優しく乱暴し決めて、神様から授かった大切 く落ち着いて対処しなければな たことがなかったし、もしかしな子どもなの。どんなことが たら、苦しさのあっても捨てない。守ってあげ ため自分と葛藤る。だから、あなたも自分を投 して、私に救い げないで生きていこうよ」 を求めているの と夢中で話したら、包丁を置 ではと思い いて黙って部屋に行きました。 「あなたはそ て 私の育て方が悪かったかと し う思っている と 自分を責めた の ? お母さん のこと心配して 翌日、家から一番近い八戸赤ゅ あ も くれてありがと十字病院へ受診することにしま ど う。お母さんはした。 子 と 大丈夫よ。あな本人も納得して車に乗ったの私 たはお母さんにですが、走っている車から飛び 自立する息子 見守る母の思い① 青森県佐藤康子 光陰矢のごとし、息子が一一十三と思い、ただ休ませておりまし 号 歳で発病して二十五年の月日がたが、この時点で精神病に少し 月 あっという間に過ぎ去り、子も親でも知識があったなら、早期発 見・早期治療ができたのにと悔年 も髪が白くなりました。 やまれてなりません。 急に興奮し始めた息子に そのうちに息子は、家の中をつ ね 一時はバニック状態に 亠な うろうろ動き回り、じっとして ん み 発病当時を振り返ってみますいられなくなりました。急に興 と、昭和六十三年、息子は東京で奮し、風呂の浴槽を拳で叩き壊 警備保障の会社で働いていましし、鏡を割りましたが、幸い怪 我はしませんでした。 ある日、突然帰ってきて、「風大きな声で、「このままだとお 邪をひき治ったけど、勤務が休み母さんに乱暴しそうで怖い、苦 の日でも眠れなくなった。考えがしい、神様が言っている。お前 まとまらず、人と会うのが怖くなは、生きている価値がない、死 り、身体が疲れて、とても辛いかぬ運命だと、俺をなぜ生んだん ら仕事を辞めてもよいか相談に来だ。俺は生まれて来たくなかっ た、人生を諦めている、死ぬの た」とのことでした。 その時は、ただ疲れているのだはちっとも怖くはない、早く殺
とが難しいからです。この外とけたらと思いました。 『違っていてもいいんだ』とい う気づきを得ていました。また、のつながりとは、仲間であり、 『 " 精神障がいのある親をもっ子情報であり、支援者だといえま ども ~ という異質性に自分をあす。そして支援者の必要性は、 てはめていたんですね』とセル子どもに限らず家族 ( 会 ) 全体 にいえると思います。 フスティグマに気づく発言も聞 また、既存の家族会もさまざま かれ、集いは自分自身への気づ な立場の家族が仲間と出会える きにも繋がっていました」とい ように、立場ごとのグループを設 いました。 けるなど、あり方の工夫を考えて 今後、三重県のような取り組 いくことも、活生化につながるの みが全国に広がっていくことが 望まれます。そのためには、土ではないかと思いました。 最後に、まだつながりをもた 田さんのような支援者が必要だ と感じました。それは、支援者ない人たちが、本誌を通じて少 が土台となってグル 1 プを立ちしでも仲間とつながる勇気を もってくれたらと願います。そ 上げ、地域にしなければ、 家族は「家族だけでなんとかしして支援者には、家族どうしが つながる掛橋の役割が求められ なければ」と抱え込むばかりで、 外 ( 社会 ) とつながりをもっこていることを、理解していただ ていますね」、「 ( 子どもの集い今後は、病気の親への心配は 加者からは、『まさか、こんな に ) 苦労して ( やっとの思いで ) あったとしても、自分の人生を話を聞いてもらえるなんて』と 号 月 参加しています。今も ( 病気の ) 主体的に、大切に過ごしてほしの声も聞かれ、グル 1 プは人に 母からジャンジャン電話がケー いと思いました。 いえなかった思いや経験を話年 タイにかかっていると思うけ し、受け止められる場として機 と やっぱり支援者が必要 ど、考えないようにしています。 能していることがわかりまし っ ね 距離をとらないと、お互いにス 今回、子どもの立場の方々のた。それは、子どもたちにとっ 亠な トレスになってしまいます」 話を伺い、これまで誰にも自分て、自分の人生が、他者に希望み 本来子どもは、幼少期に親にの話をしてこなかったことがよや勇気を与えることもできると 護られて育っていくものです。く伝わりました。そして、この知る場にもなり、なくしていた しかし子どもメンバーは、自分子どもの集いに出会って、仲間自信を回復させることにも繋 が護られ、主体的に生きるとい ができた喜びや話せる場があるがっていました。これらの子ど うよりも、家庭内が不穏になら安堵感が、子どもメンバーの支もは、世間の枠・人の基準から ないよう、波風が立たないよう えになっているのだと感じまし外れることを恐れ、人と一緒で に気を配って生活してきたのでた。このことは、家族会員の方々あることにこだわってきたが、 はないかと想像します。子どもが経験してきたことと同じだと集いで仲間とやり取りすること として、時に甘えたり、わがま思いますし、家族会の必要性をによって、同じ境遇にありなが まをいうことがなかなかできな 改めて認識するところです。 らも人によって感じ方や暮らし かったのではないでしようか。 また土田さんは「グループ参方には違いがあることを知り、 く親 & 子どものサポートを考える会 > 514-8507 三重県津市江戸橋 2 丁目 174 三重大学医学部看護学科土田幸子 TEL : 059 ー 231 -5260 e-mail : sachiko@nurse.medic.mie-u.ac.jp URL:http:〃www.oyakono-support.com/ ( 取材 / 高村 ) 15 特集っながりを求めて
の発散にもなり、とても有り難は、その対応に疲れましたが、工芸、スポーツ、ダンス教室、 かったです。 あきらめず焦らず、動き出すのお花見、クリスマス会、バザー 息子も、徐々に外泊を重ねるをじっと待っしかありませんで等に参加し、三か月目からは、 した。 ことができるようになりました。 一人で通所できるようになりま 「病院生活を半月、家庭生活を半二年間外へ出られなかった息した。 デイケアで学んだことで、息 月」を繰り返し、再発を防ぐため、子でしたが、先生から自動車の 薬をきちんと飲む習慣を身につ運転許可が出たのを機に、父親子が得たものは大きく、現在の けて、一一年目で退院にこぎつけの助けを借りながら、自動車の基礎になっていると思います。 ました。 運転に挑戦するようになりましデイケアの仲間は全員やさしく た。やがて病院ソーシャルクラ 思いやりがあり、息子のことを 運転許可が出たのを機に プに入会、ワーカーさんの指導いろいろと心配してくれる、心 活動を始める のもと、徐々に活動を始めるよからの友だちです。 て し 退院した当時は、小規模作業うになりました。 発病から一一十五年間に利用さ と 母 所、援護寮、生活支援センター せてもらった制度として、障害 デイケアで学んだことが 授産施設もなく、家庭にいるしか 者年金の受給、通院医療費公費ゅ 現在の基礎になっている なく、途方に暮れる毎日でした。 負担、精神障害者適応訓練事業、も 息子は退院したものの陰性症また、保健師さんの呼びかけ精神障害者保健福祉手帳交付等子 と 状が強く、一一年間あまり引きこで、旧三戸保健所のデイケアに があります。 ( 次号へつづく ) もりの状態でした。家族として親子で参加しました。料理、手 ( さとうやすこ ) 解し、知識を得て、退院したら、 降りようとします。私は、息子 最初は落胆したが、 を必死で押さえながら、病院に よりよい対応をできるようにし 気持ちを切り替えた 到着しました。 ようと、気持ちを切り替えまし 初めての面会で、先生に病名た。 診療の結果、医療保護入院に なり、主人は裁判所へ、私は病は統合失調症と告知され、まさ 家族会に入会して 院に残り手続きを終え、息子は かと半信半疑で頭の中が真っ白 学習会にも茄 看護師さんにつれられ病棟へと になり体が震えました。 医療相談室でソーシャルワー 姿を消し、後ろ髪を引かれる思 余りにも落胆した様子に、先生 いで家に帰りました。 が、「お母さん、交通事故にあったカーさんから、病院家族会があ 息子は出産の時、流産しかけようなもので、百人に一人位はることを知りました。参考にし たのをどうにかもたせたため、かかる病気なのですよ。今後病てと「ぜんかれん」誌をいただき、 難産でさらに未熟児だったこ状が落ち着いたら、外泊を繰り返家族会に入会することにしまし しようこうねっ と、保育園の時、狸紅熱に伝染して様子を見ていきましよう」とた。 家族会では、病院関係者の方々 し高熱が出たことなど、私の育励まして下さいました。 て方が悪かったためなのかと、 私は、ハッと目が覚める思い の協力で月一回の学習会を開い あれこれ原因探しをして泣きあがしました。そうか息子は生きていただき、たくさんの知識を かしました。 ている。まだ希望がある。泣い 得るとともに、同じ悩みを持っ てばかりいられない。これから家族の方々と交流することがで 病気について学習し、正しく理きました。私にとってストレス みんなねっと 2013 年 10 月号 20