息子 - みる会図書館


検索対象: 月刊 みんなねっと 通巻第87号 2014年 7月号
4件見つかりました。

1. 月刊 みんなねっと 通巻第87号 2014年 7月号

一一一歳で入院しました。世間は しかし息子は、だんだんと奇これは教授の温かな思いやりの 連合赤軍の事件で騒然としてい 異な行動をとるようになってい お言葉だったのでしようね。病号 月 ました。若者にとって先のみえました。それでも病気とは考え棟に行き、手続きに来られた若 年 ない不安な時代でした。息子はられず、不安な日々を過ごしてい先生から私は本当のことを教 一一度の大学受験に失敗し、大き いました。私は、息子の悩みをえられました。 と く自信を失い、長い浪人生活に解決する方法として、息子に地 「息子さんは分裂病です。家っ 亠な 疲れきっていました。一日中部方の大学へ推薦で入学すること庭環境、育ち方などは関係あり 屋に閉じこもったまま、食事もを勧め、息子も不本意ながら入ません。これは青春期に発病すみ とらない、眠らない 学しました。息子は大学の入学る精神の病気です」 私は、こんな息子の姿も病気式から帰ってから「どうも僕は 私は足が震え、目の前が真っ というより、人間として自立しおかしい。神経科で診てもらう」暗になり、自分がどこに立って て行くための試練であり、苦悩と言い出しました。私も心配し いるのかさえ分からなくなりま の姿と受け止めていました。私ていましたので、とうとうそのした。その日、どうして帰宅し もまた一般社会の人々と同じく気になり、親子で府立病院に行 たのか今でも覚えていません。 精神病に対して、何の知識もな くと、即入院となりました。 私が平静を取り戻すのに、長く く、偏見を持っていました。「我診察して下さった教授は息子つらい時間がかかりました。兄 が子がまさか」「そんなはずな に「あなたは強度のノイローゼ弟、親類に誰もそんな人がいな い」、精神病などは特殊な世界ですね。三か月の入院を要しま 凶みまし いのに何故 ? 私は悩 のことと思っていました。 す」と話されました。しかし、 た。心の病は遺伝だと私も考え 洋 ていました。 鉄格子の部屋でひとり治療を受 村 一週間後、息子けなければならないのかと、私 は心の底から深い悲しみがこみ 掩に面会行きました が、お薬の副作用上げてきて泪があふれました。 なのか、息子はも 普通の病気と違う悲しい病気 うろうとして看護でした。看護人さんだけが頼り 人さんにつきそわの不安と苦悩の日々でした。 れて現れました。 面会の度に息子の様子が変わ 私は息子を安心さりがないか、いつも心配ばかり せようと努めて明の入院生活でした。それでも、 るく話しかけまし一か月、一一か月とたっ内に息子 たが、息子は、「僕は少しずつ元気になってきまし がこんなところに た。ある日、若い担当の先生 入ってしまって心 が、「お母さん、北村君よくな 配かけてすいませりますよ。復学できるかもしれ ない。入院以来、日記をつけて こんな重い状態で いて、最後に必ず、僕は治ると も家族がっきそっ 書いてあります。自分から書き てやれない、暗い 始め、治そうという意欲がある

2. 月刊 みんなねっと 通巻第87号 2014年 7月号

私と子どもの ~ あゆみ ー母として、 す。さらに支援者が感じる本人 の変化を定期的にお伝えするこ 3 ・まとめ とは、長いあいだ試行錯誤しな がら本人に接してきたご家族に 成人期の < Q 支援として とって喜んでいただけることでは、薬物療法やデイケアでのリ はないでしようか。 ハビリテーションがあり、ディ 昭和大学附属烏山病院では、ケアプログラムの詳細について ご家族を対象として講演会と懇 は別の機会とさせていただきま 談会を組み合わせた「家族のっすが、自分の特徴を理解するこ どい」を年 3 回実施しています。と、自信を持っこと、本人を一 実施に当たっては発達障害家番近くで支えるご家族を支援すソ こち 族会「烏山東風の会」のご協力ることが大切だと思います。 も得ながら、毎回—oo 家族以解明されていないことも多い・、、、 ) , 上が集まる会になっています。発達障害ですが、治療法、支援 今後も家族会と共に、成人の発方法の開発を本人、ご家族と共 達障害支援をおこなっていきた におこなっていければと考えて いと思います。 います。 ( いがらしみき、よこいひでき ) 家族として① 京都府北村よしゑ です。拭いても拭いても、泪が 一、発病の頃 後から後から流れました。 私は、息子が発病したことを これは、かの有 ドクターからお聞きした時は余名なシェイクスピアの『ハム りのショックに二、三日寝込んレット』のせりふですが、若く でしまいました。主人は一度もして発病した人々の切実な心か 息子に面会に行きませんでしらの叫びでもあります。 た。そして、ある夜遅くお酒に 私の息子も妹の縁談がつぶれ 酔って帰って来て言いました。 た時、自分のせいと思い込み、 「お前の血筋やろ。俺の家には夜中午前一一時、高速道路の陸橋 そんな病人はいない」と。私は から飛び込み自殺を図りまし その時、この人は他人だと思い た。神の恩寵か ? 長距離トラッ ました。「私は聖母マリアで、クの運転手さんがみつけ、直前族 家 息子はキリストなのでしよう」 にプレーキをかけて一命はとり 、カ す と言いました。ひとりになってとめました。ハイウェイバト で 気 台所に立っと、急に泪があふれロールで外科病院に運ばれて命 お ました。次から次へと泪が流れ、を助けていただきました。 瀧のように一日中止まらないの 息子は、昭和四七年四月、 みんなねっと 2014 年 7 月号 20

3. 月刊 みんなねっと 通巻第87号 2014年 7月号

から、きっとよくなると思いま病名告知の問題ですが、家族でした。今のようにセンターも、 す」と教えて下さいました。私としてその時は大変ショックで保健所の十分なケアも、作業所 号 月 の心は、やっと少し明るくなりしたが、私はかえってそのためもない時代でした。 年 ました。そして、一一か月の在に精神病を甘く考えず、真剣に 私は、息子の退院後の生活を 院で一兀気に退院となりました。 対処できたと思っています。当どうしたらいいのか心配にな と 今から考えますと、当時の府時、一般的には、お医者さんは り、懇意にしていた精神科の先っ 亠な 立病院の治療は、熱心で進歩的病名を家族には告知されなかっ生をお訪ねしました。先生は、 ん だったと思います。家族に、閉たそうですが、なかなか難しい大変親切に、息子の病気は緊張み 鎖病棟や開放病棟の見学をさせ 問題だと思います。一一〇年前は、 刑亠といい お薬がよく効くタイ てくれましたし、電気ショックまだまだ精神病は人間として認プ。回復期の状態は割合いいが、 治療も民間病院では当たり前。 リこめてもらえない状況でした。 再発を繰り返しやすいタイプだ 行われていたそうですが、事前 から、「お薬をしつかり飲むこ に主治医が家族に了解を求めら一「回復期について と」と、四つの生活規則を教え れました。私は、たとえそれが て下さいました。 どんなに効果があろうと、その 退院した時、主治医の先生か①規則正しい生活 非人間的な治療に納得できず拒ら在宅療養について何もご指示②適当な運動を毎日続ける 否しました。主治医が家族の意はありませんでした。他の患者③徐々に自立を促す ( 本人に 見を尊重して下さったことに私さんの家族の方にも聞いてみま とってどんなにいいと思うこ は心から感謝しました。 したが、何も知らないとのこと とでも決して家族が強制して ④は の、月い 項、な ない は ヨ 回ク 復を 期与 あな つい に勉強したいと伏見の美術研究 た息子に大変ありがたいアドバ 所に入り、週四日、毎日午前九 イスであったと思います。 私と息子は、早速、翌日から時から午後四時まで絵を描くた 実行に移しまめに通いました。 デッサンから油絵まで絵の基 した。息子は 一か月後には礎を習得できたことは、彼の人 やましな 山科中を走り生に後々大きな自信と変化をも 回って体を鍛たらしたと思います。一年半ほ え、四か月目どの勉強で、社会復帰をめざし には市民美術ていた彼は、染織専門学校に入 アトリエに学しました。そこでデザイン科 通って絵をに入り、図案の勉強をしました。 一歩一歩、社会復帰に近づいて 描きたいと言 行きました。 、三か月間 岡崎の美術館 に通いまし た。そこで、 絵の楽しさを 覚え、本格的 ( 次号へつづく ) ( きたむらよしえ ) 25 私と子どものあゆみー母として

4. 月刊 みんなねっと 通巻第87号 2014年 7月号

さ心 から願っています。応援してい る日が来ること。許す許さない な中。 ででなく、病気だと認識してくれます。 号 月 ' 猪投ナることを待ちたいと思います」 わ ◆愛知県ペンネーム草魔龍樹年 まりコという文章がありました。 」便る の 一わおす 私はこれを読んで深く同感し本人代 ) 、をのの介 いつも「みんなねっと」を読 と ら紹ました。自分も同じようにやっ ん っ みんにと母のことを病気だと認められんで元気をもらいます。 ね み 亠な るようになってきたからです。 そして残念なことがありま 〇 私が生まれてから統失になり、す。いつも「みんなねっと」でみ 〇 〇 今も母は幻聴に苦しみ、時折私読んでいた「絵を描く人たち」 も一言葉による暴力を受けることの織田先生の話が 3 月号で終わ 〇「みんなねっと」の感想 ってしまい、とてもショックで がありますが、病気であるとい 〇◆東京都まり家族代 ) う前提を踏まえて、少しずつでした。 私も絵を描くので、読んでい 4 月号の「病者である母のこすが対応に慣れてきているよう 〇 れからのあゆみ」を読みました。 て勉強にもなりました。いつも に思います。 〇 私は代の女性で、母 ( 代 ) 時間がかかることかもしれま自分の絵はイラストばかりだけ が統合失調症で今入院していませんが、病気に対しての理解がど、織田先生の話を読んでいる す。病気の母を持っ子の立場で進めば「雨」さん自身への理解、と、それでも立派な絵であるこ 書かせていただきます。 そして、これまで大変な中、育とがわかり、今ではイラストを 「雨」さんが、これからのあててくれたことに対して感謝の描いて手紙など送っています。 ゆみの方向に挙げていた一つに気持ちも生れてくると思います。「絵を描く人たち」のような話 「子どもが大人になって『お母 は、とても好きです。 子どものことを信じつつ、ご これからも「みんなねっと」 さんは病気だったんだ』と分か自身 ( 「雨」さん ) の健康を心 読者のページ を読んで勉強したいです。織田半端な文章になりました。 頂きありがとうございます。少 先生、ありがとう、そしてお疲 ない人数でこれだけの中身の濃 れさまでした。また「みんなね◆神奈川県日比野浩久本人 い冊子を作って頂き、本当に感 っと」楽しみに読みます。 ( 如代 ) 謝しております。 親亡き後やその後の生活の備 「私と子どものあゆみ」は、 ◆京都府鬼酔本人元代 ) えとして「みんなねっと」をと毎月自分の事のように読ませて 「みんなねっと」楽しみにしっています。 頂いております。時には涙する ています。 4 月号千葉県の「雨」 非常によいことが書かれてい事も。平和な家庭に急に訪れた 〇 さんの「病者である母のこれかて、特に生活保護については、不幸。誰もが予期せぬであろう 〇 らのあゆみ」を読み、私とあま 非常に大きな影響を各制度に与出来事に、一生つらい思いをし びつくり わ りにもそっくりなので吃驚しまえるのだと思いました。病気にてあの世へ旅立つ人。また薬や した。 ついての解説も詳しく書かれて環境のおかげで再び幸福をとりな 私の場合、躁状態の時に対人 いてタメになります。 もどした人。いろいろな人生がん 関係がよくなり、抑うつ状態は精神障害者が偏見の目で見らあります。 み 年に 2 度ばかり訪れ、とてもネれなくなる日がきっと来ると思 運命とはいえ、少しでも障害〇 ガテイプになります。私も来年います。なりたくてなった病気者をもっ家族の方々が幸福な人〇の な は後期高齢者になる歳なので、 ではありません。この病気をき生を歩んで欲しいなと思いま〇 少々悟って、軽躁の時の楽しくっと治してくれる日がくることす。薬もまだまだ良くなり、障〇み 明るい毎日の生活のことを考を信じます。 害者をとりまく環境も良くなり 〇、一 え、静かに行き過ぎるのを待っ ます。きっといつの日か、この 〇ペ 事にしています。 ◆大分県福田八重子家族病気で苦しむ人がなくなる世の〇者 「雨」さん、どうか自分ばか (€代 ) 中が来ると思います。その日ま〇読 りを責めないでください。中途毎月すばらしい冊子を届けてで頑張りましよう。