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検索対象: 月刊 みんなねっと 通巻第90号 2014年 10月号
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1. 月刊 みんなねっと 通巻第90号 2014年 10月号

が、病院での年間という長いしながら言っていました。 くなるので、吸入器が手放せま 入院生活にピリオドを打ち、や 退院して年が経った現在、せん。そして、大腿骨を骨折し どかりの里のグループホームへ定期的に精神科への通院はしてたために、杖を使用しての歩行 と、生活の場を移すことになりおり、薬を服用しています。 生活となり、リハビリを受けて ました。 去年、自転車に乗っていて転 います。 倒し、入院中に肺炎になり、今 医療面でのサポートが必要で やどかリの里へ来てから でもタ食の後などに呼吸が苦しはありますが、自身のできる範 囲で歩いて通所し、弁当宅配事必 始めの頃、グループホームで 業などをおこなっている、エン瓰 の生活は「やっていけるのか不 もジュ ( 就労継続支援型・就労な ん 安だった」と言います。年の ど 。助移行支援事業所 ) で洗い物の仕 入院生活から、急に地域に出る 者 は事をしながら働いています。 ことになり、不安は大きかった 呂 仕事が好きで、秋頃からは労 障 と思います。 神 心 ~ はにはは = は【お働時間を増やしたいと考え、リ 精 る グループホームに生活の場を ハビリに力を入れています。 す 移して年、辰村さんは「いい 齢 た 高 人や環境に恵まれて、今が生ま 将来のこと 集 れてから一番幸せなんじゃない かな : ・」と、とてもいい表情を 現在の生活で困っていること 患い、救急車で搬送されて入院。れば入院していなさい」でした。でやっていたことに驚きました。 ( 注 ) 自身のことについて書いた『辰辰村さんは幼い時に両親・弟を 村泰治の七十年時代の波にほんろ 亡くし、行き場がありません。退院が決まるまで うされた一人の精神障害者 ( やどか り出版 ) 』を執筆されています。 そのため、医師に言われるがま それ以後年間精神科病棟に入ま年間の入院生活を送ってい 院長が新しく代わり、ある日 院していました。 ました。 突然「病気は良くなっているか 年前に退院し、それ以来や ら退院しませんか」と言われま した。それは辰村さんだけでは どかりの里のグループホームで病院内でボランティア 生活をしています。 なく、すでに症状は良くなって 「病院で一生を終えると思っ 症状が落ち着いてからの入院 いるにも関わらず入院生活を ていました : ・」と、辰村さんは生活で、院内での掃除や草取送っていた、他の患者にも同じ 一一 = ロいます。 り、厨房での皿洗いの仕事をしことが伝えられたそうです。病 入院して 6 年が経った頃、自ていましたが、無償でした。朝院で一生を終えると思っていた 身の体調が落ち着いたと思ったの 5 時過ぎから働いていたそう辰村さんにとっては「いきなり 辰村さんは、当時の医師に退院です。辰村さんと同じような、何を言っているのか」と理解で したいと相談しました。 症状の安定している方が複数できなかったそうです。その後、 そこで医師に笑いながら言わ行っていました。話しを聞くと、病院のワーカーから「やどかり れた一一一一口葉は「退院ってどこに行実際に病院に雇われている従業の里」があることを知らされま くの ? 行くあてがないのであ員のような仕事内容であり、無償した。半信半疑ではありました 一 J みんなねっと 2014 年 IO 月号 10

2. 月刊 みんなねっと 通巻第90号 2014年 10月号

セスも良く、駅周辺には店が建 ち並んでいて暮らしやすそうな 関印象です。夏真っ盛りの暑い日 のでしたが、涼しい風が吹き始め たタ方に駅前のロータリーを進 んでいくと、住宅地の一角に 3 し 階建ての建物があります。 1 階 訪 が地域生活支援センタ 1 プラッ 必 ツ、 2 ・ 3 階部分がピア国分寺援 支 亠な ( グループホーム ) です。 ん ど 者 暮らしを実感できる 住宅地の一角に 共同作業所 ( 多機能型事業所 ) ・ 神 グループホ 1 ム 4 か所・ネット法人本部にもなっている地域 精 る 「社会福祉法人はらからの家ワーク推進事業 ( 医療連携 ) を生活支援センタープラツツは、 す 福祉会」は、精神障害者の街で運営しています。 「みんなが社会参加できる・あ 齢 高 の暮らしを総合的に支援してい 今回は国分寺駅から徒歩 5 分るがままに生きがいを持った生 集 くことを目的に、プラツツ ( 地の場所にあるプラツツ、ピア国活ができる・プラツツには誰か 特 域生活支援センター ) ・さっき分寺を訪ねました。電車のアク いる」という三つのコンセプト はありますか、という質問に対話や訪問をしてくれ、辰村さんなどを勧めています。医療面で は保健師、食事面では栄養士と、 し「将来の自分の生活。以前、 たちの生活を見守ってくれてい 号 月 老後のことを考えたら不安で、るそうです。そうしたこともあ複数の専門職が関わることで、 体調が悪くなったことがある」り辰村さん自身も「毎日見に来病気の早期発見や、健康な身体年 と言っていました。 たり、電話をくれるから、あまを維持できるように生活の場だ と けでなく、様々な面からサポー やどかりの里ではグル 1 プり将来について深刻に考えない っ ね な ホームの利用者に毎日職員が電ようになった」と話していましトしています。 ん 一」 0 増田さんは「その人にあった み 支援を考えながら、その都度必 要なもの ( グループホ 1 ムなど ) その人にあった支援を が出てきたらみんなで考え、や ん 最後に増田さんに話しを聞きどかりの里として必要な環境を 村 辰 ました。 作っています」と言っていまし と 佐やどかりの里では進む高齢化た。進む高齢化において、ニーズ さのなかで精神疾患に併せて身体に合わせながら支援方法を考え 増疾患のある人が増加傾向にありていくこと、これは精神保健の ます。そのため「高齢になって分野だけではありませんが、と も元気でいられるように」と、ても重要なことだと感じました。 ( 取材・齋藤 / 川﨑 ) 法人職員に保健師を迎え、健診 住居の確保と S 0 S が出せるネットワー クづくリが必要 はらからの家 ( 東京都国分寺市 )

3. 月刊 みんなねっと 通巻第90号 2014年 10月号

- って供 集高齢化する精神障がい者に なせ提 特どんな支援が必要か もわをの前 と合援り にに支か、 我が国が今一直線に超高齢化 化スなど にもかかわず、このことはあ一 社会に向かっていることは、誰まり議論されません。一人で暮 齢一々 もが認識していることだと思いらす人には身体的に介護が必要一 高ニ様 ます。精神障がい者も例外ではになった時どう対処ができるの なく、精神科病院での長期在院か、家族と暮らす人はまず親の 者の高齢化は最近の国の会議で高齢化、介護の問題があり、次 「やどかりの里」は、精神障 も問題になり、早期の地域移行には自分の問題が出てきます。 一 ( がいのある人たちが、地域の中 の必要性が強く言われたことで支援をする人や関係者は今から す。しかしこのことは、入院中このことを念頭において準備し で生き生きと暮らし、働くこと の精神障がい者だけでなく、現ていく必要があると思います。 。一を目的に設立されました。 在地域に一人で暮らす、あるい 今回は、独り住まいをめざす 1970 年に " ごく当たり前 は家族と暮らす精神障がい者に人々が暮らすグループホームの一 一の生活 ~ を求めて始まった活動 ついても実は深刻な問題である関係者に、この問題を中心に取、一 と言えます。 材しました。 は、精神障がい分野において先 駆的な役割を果たしながら、現 者生活支援センター と地域活動支援セン高齢化の現状 ター、宿泊型生活訓練 事業やショートステ やどかりの里全体での利用者 かイ、日中活動として生の年齢構成を見ると、代 5 間 ど や活訓練事業や生活介護代までと幅広く、そのなかでも ン ョ 事業を行うサポートス歳代が最も多くなっています。 シ 要 テーションやどかり グループホーム入居者のなか 必 以 ( 旧援護寮 ) 、地域に点には長期入院経験者が多く、す瓰 支 亠な 。〔在するグループホー でに高齢になってからやどかり ん ど サム、就労支援 ( 就労継の里を利用することになった場 者 続支援 < 、型、就労合もあるため、ホーム入居者の カ 移行支援事業 ) をおこ年齢は 8 代が最も多く、高齢化 障 神 が進んでいます。 なう事業所 6 か所など 精 る を運営して、多彩な活サポートステーションやどか す 在は公益法人 ( 社団法人 ) とし動をおこなっています。 りのような精神障がいのある人 齢 高 て、さまざまな活動に広がって 今回の取材では、やどかりの里が宿泊や入所できる施設は、さ います。 の常務理事である増田一世さん いたま市に 1 か所しかなく、市特 さいたま市に、 3 か所の障害が全面的に男してくれました。 内にある 6 か所の精神科病院か い 7 みんなねっと 2014 年 10 月号 6

4. 月刊 みんなねっと 通巻第90号 2014年 10月号

と」の本をいただいて読むのがでに 420 時間程度勉強してき ですが、先生にはめぐまれて 〇楽しみです。 ました。合格には—ooo 時間おり良い先生なので、希望を捨 号 生きていればうれしい事、悲 月 は必要と言われてます。無理してず、またデイケアから頑張ろ わ しい事、いつばいあります。でないでコッコッ勉強を今後も続うと思ってます。つづけば良い 年 しつも笑顔でい けていけたら幸せです。 よすが息子には、、 ートですが : をしながらの兼業受験生です。 んてほしいです。 み ◆滋賀県抹茶パフェ本人っ ね 〇◆岐阜県こうた本人 ( 代 ) ◆群馬県あられ本人代 ) 代 ) 亠な 〇ぼくは統合失調症です。最近、 ん 私は広汎性発達障害の他に、 普通の生活がしたい。朝おき み 〇認知行動療法というのがあるこ統合失調症であるとかて、昼活動し、夜眠る。家族で 〇とを知りました。さ「そくアマとか、医師が変わるたびに病名生活したい。 ゾンで本を注文して、自分で認 がころころ変わり、グレーでは おはようで始まり、主人が出 〇 知行動療法のトレーニングをしつきりしません。 勤し、子どもが登校する。何も 〇 てます。 病名が変わるせいではないの特別なことは求めない。 〇それを始めてから、物事に対ですが、私の人生も働けたり働我が家は今、子どもは施設で して不安がなくなりました。皆けなかったり、デイケアに行け生活している。離ればなれだ。 さんも不安に悩んでいる方は、 たり行けなかったりでころころ子どもの退所は厳しい。再入所 ぜひ本を買ってやってみて下さ変わり、なかなかはっきりと先となり、子どもの心に傷がっか 科学的に効果が実証されてが見えず、無意味に日々を過ご ない為だ いるようなので、効果はあるとしていてむなしいです。 もし私の余命が 3 ヶ月なら、 思います。 生きがいだった絵も、趣味のこの普通の生活がしたい。早く 今の夢は、国家資格である行範囲に格下げになり、描けなか手元で育てたい。 政書士になることです。現在まったりでつまらないです。 どこでも通用する 不思議なキーがいるらしい 詩・その他 それは未知の ◆岡山県多田恵里子本人自ら望むことのみによって 代 ) 生まれる 希望というかぎ NEXT 自分のため 自分のためというけれど そのために できることはごくわずか その一つが 何か他人のためにもなれば 私はしあわせです open the d00 「 会いたい気持ち せつない気持ち どうしてもままならぬこと いくつものドアを 人は持っている待っている そのドアのカギを 一つ一つあけるには こんヒみは。つ / 2 材せ不 5 、 な叺 2 ワ + ィの 宅ハま←のま書コけ感り者 せ、一れ想まへ当 も、物 ん作ナば等せの会 の品ー幸はん直で者 ノこれ不も。 で等にい、。接はの 朴応キ絵耜 、はおで投内の本皆 ご原送す稿容お誌様 了則り。とに取内 0 ”承といましつり容 く、、した篌てい次に たてだおてぎっ さおいみ寄のはい 、返たんせご致て し各ない意し 致種のた覓て執 し文セだごお筆 ◆福島県ペンネーム燈なゆな本人 ( 20 代 ) - 〇〇〇〇〇〇〇〇〇みんなのわ〇〇一 39 読者のページ ( みんなのわ ) ともしび

5. 月刊 みんなねっと 通巻第90号 2014年 10月号

たりしました。上の子ども達に どもに付き添う生活になりましれ程泣いたことでしよう。私は、 は我慢ばかりさせて本当に胸が 涙が枯れてしまう位に子どもに 痛みました。 三女は ( 出生時瓸と謝まりながら泣きました。 その頃、先天性股関節脱臼は 大きな赤ん坊でしたが ) 、小さ な体をベッドに縛られて身動き二割が治らずに障がいとして持軽い知的障がいも見つかる ができず ( 当時の牽引という治ち越してしまう病気でしたが、 療法のため ) 、泣き続ける子ど娘はその一一割の障がいが残る方しかし、それだけでは終りま になり、本当に神を呪いました。せんでした。 もと一緒に、「私の故」と、ど 成長するにつれて、硬学齢期が近づく頃、ギブスも 性コルセットで固定されコルセットもはずすことができ ながらも自分のカでコルて自力で歩けるようになってい て セットを引きずり這い廻たのですが、「軽い知的遅れが し れるようになり、工夫しあるのでは ? 」と思い、検査を母 て作っていただいた椅子受けたところ、 (n) と判定さ み ゅ に座って過ごす時間が増れました。 あ の も えて来ました。 児童相談所では、「普通学級 ど 子 座ったままで絵を描い のほ , つがいいのでは」とい , っこ と たり、折り紙、お手玉なとで、普通学級に入ることにな どで遊べるように工夫しりましたが、その後ずーっと、 あ私 母ゆ、と。 、 3 とみ子 心身重複障がいを持つ、 娘と共に生きる日々① ーこれからの日々に不安を抱えて一 岩手県松崎ふみ子 私は夜だけは子ども達と過ご したいと夜勤半年間の免除を行 号 先天性股関節脱臼が見つかる 月 使しました。 年 私は絽歳になる三女と二人暮しかしその後、今度は斜頚に 加えて先天性右股関節脱臼が見 しです。 と つかり、すぐに入院治療が始ま っ 次女を交通事故で亡くした一 ね りました。 亠な 年後に三女が生まれたときは、 アルコール依存症の夫は国鉄み 本当に嬉しかったです。 しかし生後しばらくして、斜職員 ( 的歳で退職 ) でしたが給 頚が見つかり、一か月後から治料はまったく持って来ませんで したので、医療費と生活費のた 療が始まりました。 当時私は県立病院の看護婦めに仕事を止めることはでき ( 師 ) として働いており、今とず、実家の母の手も借りること になりました。 違って産後休暇は 8 週間、保育 時間などはなく、人間らしく働 きたいと労働組合運動でやっと子どもに付き添う生活 勝ち取った産後一年間の夜勤免 しかし、自分の働らいている 除も、皆が行使するわけではあ 病院なので、勤務時間以外は子 りませんでした。

6. 月刊 みんなねっと 通巻第90号 2014年 10月号

な族に、温かい優しい言葉で語り全国の民間病院の半分の医者 みをでかける、そしてどうにか分から及び職員を、アウトリーチの職 ←の ~ 局 ~ 猪擲ナせて頂けるありがたさ。そこに員として地域医療に専任させ、 わ ま則コは先生の自信に満ちた専門知識国の責任において病床をⅣ万床 の と高潔な人格に依るものと拝察解体すれば、当事者及び家族は 少し気が治まる。また精神科医 ら紹しています。 ん いずれ先生より、その後の進の生活も保障されることを祈念 み 捗についてご寄稿があるだろうする。 〇 と信じています。本当にご連載 〇 〇 ありがとうごさいました。 ◆鹿児島県家族 5 月号ページの発達障害の 〇「みんなねっと」の感想 ◆三重県ペンネーム三重太郎記事を読ませてもらいました。 <coQ ( 自閉症スペクトラム障 〇◆神奈川県川上祐彦家族家族元代 ) 8 イ 現在、国は民間の精神病院内害 ) の特徴が、息子と全く同じ 〇 とうとうその日が来てしまい に、職員の生活確保の場として、なのでほっとしました。 〇 ました。菊山裕貴先生の「統合グループホームの創設を検討し 引歳の息子は、歳でアスペ 失調症はどこまでわかったか」ている。 ルガーと診断されました。その の連載、 7 月号最終回である。 過去 3 年前より、国は偏見と頃この病気はほとんど知られて いなくて、医者からも認知の障 連載のこの 5 年間、家族として差別の産物として精神病院に加 の勇気と希望をどれほど頂いた 担し、万人の患者を入院させ害とだけ言われました。 か図り知れません。 障害の「軽いがゆえのつらさ」 ている。原因は国と精神科医の 最先端を走る医学の専門知識利害関係と談合ゅ着で、現在もと本文にありましたが、まさに 息子の日常生活は中途半端な常 を、素養のない知識のプアな家続行している。 読者のページ 識と非常識が交差して、家族は その息子も 7 年目の現在、作 か。こんなことを考える今日こ 手がつけられない状態でした。業所に行っています。テキパキのごろです。 地域住民からは、野放しにするとはできませんが、カだけはあ なと、何度も電話がありました。 るので農業を手伝っています。日常生活 アスペルガーの事を知りたく今年初体験で田植えもしまし て本屋に行っても、学童向けのた。非常識な部分も少しずつ減◆愛知県家族 ( 代 ) ってきました。 学校や家庭内の躾や訓練は、 息子と生きる 歳の息子には何の役にも立ちま 〇 せんでした。「みんなねっと」◆神奈川県 MOTOKO 本人息子が高校生の時、神経の使 〇 を読んで、私達は無駄な親子喧 ( 代 ) い過ぎだといわれて、病気にな わ 嘩をしたなと反省しています。 近年「精神病院」という言葉って早年になります。 その後、人間関係の不得手ながあまり使われなくなり、「精今は週 3 日デイケアにかよ「な 息子と一一人で大阪に住むのは無神科病院」と呼ばれることが多ています。みんなと一緒にごはん 理と思い 、思い切って鹿児島に くなったように感じます。少しん食べたり、話をするのが楽しみ 引越しました。 3 年間は環境にやわらかな感じがして、 いいなみみたいです。 わ なじめない病気の特徴で苦労しと思います。 幼稚園のころ自転車で行く〇 の な ました。 けれど、精神病は脳の病気な時、亀が道路に歩いていて、ひ〇 〇み 誰も知らない人ばかりですのだから、もう一歩ふみこんでかれるといって自転車のカゴに が、家族会には本当に励まされ「脳病院」という呼び方をする入れて持っていった思い出があジ 〇一 ました。場所が変わろうと家族のはいかがでしようか。昔の「脳 ります。いつまでもそのやさし 〇ペ の悩みは皆同じで、本当の家族病院」のイメージが強くて悪、 しさを忘れないでほしいと思いま 〇諸 に出会った安心感がもてまし印象を与えるなら、「脳内科病す。 こ 0 院」と呼ぶのはいかがでしよう 私は、家族会で「みんなねっ みんなねっと 2014 年 10 月号 36

7. 月刊 みんなねっと 通巻第90号 2014年 10月号

を立ち上げ、連携支援をおこれています。 いくか、支援のあり方を考え深 なっています。クリニックは連人は誰でも年齢を重ねていくめ、対応策をもたないといけな 号 月 携で往診もするとの事で、福祉 につれ、身体面の衰えが出てき いと思う。まさに、地域の力と と医療が密接に共同連携できてます。そこに加え長年の服薬や迎え入れる覚悟が必要。力をみ年 いると感じました。 生活状況によって、総じて皆さんなで持ち寄って、隙間を埋 と 更に国分寺の家族会であるあん、年齢よりも体力が衰えてい め、ジャンルにこだわらず連携 っ ね ゆみ会が、クリニックで講習会ると感じるそうです。今後はする。その連携を強めてセーフ 亠な ん を開いて勉強する場を設けるなもっと、介護と看護、身体面・ティーネットをつくる」 み ど、家族会ともつながりを持っ精神面どちらも兼ね備えた支援 伊澤さんの口からは「対応 ています。 イ制が必要不可欠となっていま力」、「支援力」という言葉が何 す。 度も出てきました。 対応力・支援カ しかし現状はとても厳しく、 通過型のグループホームの場 今問題となっている地域移行と合、高齢化の問題はホームから 伊澤さんは日々支援に携わる合わせて伊澤さんはこう話しま自立した後にさまざまな間題が 中で、「介護・看護の目線の必す。 出てきます。 要性を強く感じる」と話します。 「歳以上の人を地域に移行 体力の低下や病気、転倒など 以前、グループホームで暮らすすれば、すぐに介護の問題も含の事故が起きても、が出 方や支援センターの支援対象者め支援の密度を濃くしなければせる環境が必要です。「はらか のアパートでの突然死も経験さならない。どう地域で支援してらの家福祉会」ではそうした問 題に対応できる地域のネット いからハードルが高くなり、グ改善していかなければならない ワークづくりを少しずつでも進ループホームの質も量も上がらと思いました。 めて、徐々に体制を作ってきてない。グループホームにはグ精神障がい者の高齢化の問題 いることがわかりました。 ループホームとしての特化した は、地域に出れば普通の高齢者 問題と同じとは言えません。高 基準を作らないと増やしていく ことが難しい」という話もあり、齢者施設においては精神障がい グループホームづくりの現実 簡単にグループホームを増やすへの誤解や偏見があります。他 また、地域で暮らすためのグといっても、現実にはかなり難科の医療機関でも同様です。誰必 ループホームを作るにも大きなしい問題があることを知りましかがサポートしなければ、高齢援 者の制度を使うことも困難があな 問題があるとお話がありました。 ど 国の精神保健福祉に関する施るでしよう。その時では間に合 者 基本的に現在のグループホー策の中心は「地域生活支援」「街いません。「はらからの家福祉 ムの報酬単価が低く、厳しい運で暮らす応援」です。その地域会」のように今から準備をして 神 いくことがとても大事であるこ 営状況にあります。充分な運営生活を可能にする第一の課題は 精 る 体制を敷いているとは一一一口えませ住居を用意することですが、ことを感じました。 す 伊澤さん、さまざまな示唆を ん。さらにまた、「消防法、建のような状況ではとても住まい 齢 高 ありがとうございました。 築基準法、都市計画法、とそれは増えません。 集 ( 取材・長妻 / 良田 ) このグループホームのことは ぞれの法規制がある。規制がバ 特 ラバラで政策がかみ合っていなもっと多くの関係者が主張し、

8. 月刊 みんなねっと 通巻第90号 2014年 10月号

樹 です。 英 1 ・はじめに の症状が原因で生じ 号 月 る生活上の困難としては、不注 士注意欠如多動性障害意によるミスや忘れ物だけでな年 く、自閉症スペクトラム障害 ( < 心 Q) を簡単におさらいすると、 と 臨注意力を持続できない、物をよ coQ) と同様に人間関係のトラ っ ね 院 く失くすなどの「不注意」症状プルが少なくありません。 病 < 山 島や、落ち着きがなくしゃべりす人は成長する過程で誰しも多豊み 附ぎる、思い立ったら後先を考えくの失敗を経験して学んでいく 達解 大ずに行動するといった「多動・ものですが、発達障害の特徴を 昭衝動性」症状を特徴とする障害 持っているとそれがただの失敗 です。 体験となって自分に自信が持て 8 月号でも少し触れているよなくなったり、他人を避けたり うに大人のの支援にはするようになるなど、ますます 大きく分けて一一つの方法があり学習や経験のチャンスが減って ます。一つは近年大人にも使用 いくという悪循環が起きてしま います。 が可能になった薬物療法であ り、もう一つ欠かせないのが心 そこで私たちが大切だと考え 理教育を含めた心理社会的支援ているのが、同じような特徴を 集団療法です。薬物療法によっ方や行動のパターンを修正する散って集中力が維持できない、 て症状を緩和し、その上でコための認知行動療法プログラ逆に好きなことに熱中しすぎて ミュニケーションや対人関係のム、③お互いの悩みや解決策を生活リズムが乱れてしまう人な 維持の仕方を学習することが有共有するディスカッションプロどさまざまです。困っているこ との対処法を考えるうえで、な グラムです。 効だと考えています。 まず心理教育プログラムでぜ困難が生じてしまうかの理解 2 ・支援プログラムは、の医学的な解説をを助ける役割があると考えてい 行うことでメンバーの共通理解ます。 次に認知行動療法とは、人が 昭和大学附属烏山病院でを得るところから始まります。 年から始まった自分の特徴を正しく理解するた物事を認識して意味づけを行 支援ですが、 2013 年末からめにも大切なことです。たとえ い、行動するというメカニズムナ 大人の支援プログラムば大人になっても半数近くの人を学習し、困難への対処能力を解 理 の が悩まされている不注意症状一高めるためのプログラムです。 を始めました。 害 プログラムは大きく三つで構っとっても、その現われ方や困特徴を持つ人はその症障 状によって適切な対処法を学ん発 成しており、①の主症り感は人それぞれです。 だり利用したりすることに困難 状である不注意、多動性、衝動仕事上で書類にミスが多いこ

9. 月刊 みんなねっと 通巻第90号 2014年 10月号

らの長期入院患者を多く受け入あります。一直線の階段を上っ中はそれぞれの意向に合わせ た先にホームの入り口がありまて、ホームで過ごしたり、サポ 1 れてきました。 トステーションやどかりや、作 やどかりの里での多彩な活動した。中に入ると、長い廊下が の中からは、グループホ 1 ムの続いていて両サイドに居室が 8 業所で過ごしたりしています。 ここでは職員の鈴木恵さんに 一つである「みなみハウス」と部屋あります ( 1 部屋につき 6 話を聞きました。 畳 ) 。 「サポ 1 トステ 1 ションやどか 「ここも高齢化が進み、以前 ここはやどかりの里のグルー り」を見学させていただきまし た。またサポートステーションプホーム内で唯一、時間職員ホーム内で入居者の方の看取り が常駐していて、主に見守りのを行ったことがあります。ご本 やどかり内においては、やどか りの里のメンバーである、長期必要な方が入所しています。職人の意思を尊重しながら、職員 入院経験者の辰村泰治 ( 行歳 ) 員体制は日中が常勤十非常勤のが協力してみんなで看取りを行 いました」と話していました。 2 名、夜間は 1 名の職員体制と さんにインタビューしました。 また増田さんは「ここは 2 階なの なっています。 で、急な階段を登らなければなり グループホームみなみハウス ません。代中心のホ 1 ムとして 代中心のホーム は改善が必要です。もっと安心し 最初に私たちが向かった場所 て暮らせる場を整えていくこと このホームも 8 代が中心で、 は、「みなみハウス」です。み なみハウスは住宅街のなかにあ認知症や糖尿病などのさまざまが必要です」と話します。 日本において、高齢化は深刻 な理由の方が入居しており、日 り、 2 階建て家屋の 2 階部分に に、その人の年齢や時ています。共有スペースもあり、 期に合わせて必要な支この日は 2 名の方が座って話を 援を見直していました。 されていました。 この 2 階、食堂スペースをお借 サポートステーション りして、メンバーの辰村泰治さん やどかり ス にお話しをお聞きしました。 ウ やどかりの里として 要 年間の長期入院を経て 必 最初にできた施設であ り、平成年 4 月から 援 支 宿泊型自立訓練事業、 辰村泰治さんは現在行歳です。 ん ど 短期入所事業 ( ショー 笑顔が素敵で、とても穏やかな トスティ ) 、翌年 4 月方という印象を受けました。辰者 より自立訓練 ( 生活訓村さんは満州に生まれ、その後 障 練 ) 事業・生活介護事帰国。大学に入るまでは母の実 る な問題ですが、精神保健の分野業を新たにおこなっています。家がある金沢で過ごしました。 す でも同じことが言えます。 3 階建ての建物になってお両親、弟を亡くし周囲に支えら 齢 高 みなみハウスでは一人ひとり り、 1 階では作業活動や書道なれながら生きてきました ( 注 ) 。 に寄り添った関わり方をしてい どの創作活動をおこなってい 大学生 ( 歳 ) の時に統合失特 て、進む高齢化に対応するためて、 2 ・ 3 階部分が居室となっ調症を発病し、歳で胃潰瘍を みんなねっと 2014 年 10 月号 8

10. 月刊 みんなねっと 通巻第90号 2014年 10月号

もともと「はらからの家」は様々な方達との出会いや支えが名だそうです。 福祉ホームでしたが、法改正に数多くあったのではないかと思 「何かあればすぐ相談にのれ よりグループホームとの一元化 います。 る体制をとって継続的な支援関 がなされ、「はらからの家」は 係を保つようにしています」と グループホームとなりました。継続的な支援 伊澤さん。困ったことがあった 一一兀化によりグループホームに 時、自分を知ってくれている人 もホームヘルバーが入れるよう 現在ピア国分寺で暮らしてい にすぐ相談できるのはとても心 要 になりました。また社会的にもるのは、主に代半ばの方強いでしよう。特に高齢になっ 必 グループホームという名称のほ が中心となっています。病院かてさまざまな困難が起きたと 援 支 うが好ましいと伊澤さんは言わら退院して入居する人以外に家き、身近に支えてくれる人がい ん れます。 ど 庭から自立するために利用すえることはとても大切です。 さて今回は法人の理事・総合る人もいるそうです。 3 年程暮 そして 2 010 年には「国分者 カ 施設長である伊澤雄一さんにおらした後、次のステージとして寺すずかけ心療クリニック」 ( 心 障 神 話をうかがいました。伊澤さん他のグループホームに移った療内科、精神科、精神科ディ・ 精 る は、 19 81 年に築年のア り、アパートで生活を始める方ケア、ナイトケア ) が開院し、 す ートを部分借りして、福祉的が多いということです。その際医療と福祉の共同連携を目的と 齢 高 共同住居をスタ 1 トさせた開設 には支援センターに登録をするして、はらからの家福祉会から 集 当初から活動している方です。のだそうですが、現在、支援セ職員が 1 名出向してネットワー 特 地道な歩みの中で、苦労や喜び、 ンタープラツツは登録者 130 ク推進事業として自主的な活動 の独自事業のショートスティとという本で読んだ一文が頭に浮 して、退院準備のためのお試しかびました。食事は毎日の暮ら で利用できる部屋になっていましと密接に結びついています。 す。ホームの環境や雰囲気を実サポートを受けながら、地域で 際に肌で感じることができ、周生活していくことを実感できる 辺の地域情報も知ることができ場なのだと思いました。 ます。初めての場所は見えない 「はらからの家」のはじまり 不安が沢山ありますが、事前に 体験することで不安を安心に変 1981 年 ( 昭和年 ) 4 月 える第一歩となるのではないで に任意団体「はらからの家」と しょ , つか して活動を開始してから芻年、 部屋には、チェスト・テレビ・ 1998 年 ( 平成川年 ) に社会 冷蔵庫が備え付けられていて、 にもとづき、相談支援や障害者ミニキッチンもあります。もと福祉法人として認可されてから ケアマネジメント、居場所提供もと便利な所にあるので、近所年を迎えます。その間には漏 のスーパ 1 等を上手に活用しな電火災事故遭遇による福祉ホー 等をおこなっています。 がら、ほとんどの方は炊飯器をム焼失等、様々な問題に直面し そしてピア国分寺は、定員 7 名の通過型グループホ 1 ムで使ってご飯を炊いているそうでながらも確実に歩み続けてきま す。建物の中の 1 室は、東京都す。「食べることは生きること」した。 法人の理事・総合施設長の伊澤さん みんなねっと 2014 年 10 月号 14