大学のほうに、「なんとかして 当時、大学の精神科の医局長確にして、日程計画を立てて実 くれ」という話がありました。 だった私は、人事を預かってお行、それを評価するというやり 同時なので難しいのですが、市り、若手の医者に有無を言わさ方です。これ認知行動療法の進 立病院のほうは、もう病院自体ずここ行け、あそこ行けというみ方と全く同じだとお気づきで が閉まってしまいますので、診 ことが仕事でしたが、さすがにしようか。個人のいろいろなス 療所を開設して、ここに人を出ここに行くのを誰にするのか トレスがかかった時の回復の仕 すということにしました。それ迷ってしまって、迷っているう方、克服の仕方と組織にストレ め で、外来患者人をカちに自分で行こうと思い立ち、スがかかった時の克服の仕方は 進 ーするということにしたので自分とあと 2 人、一緒にやって全く同じなんですね。 す。旭中央病院のほうは救急のくれる人を選んで入ったという まず最初は人数を減らした中 切 基幹病院ですので、精神科救急のがそもそもの始まりです。 で運営しなければいけないのせ も担わなければなりません。何 それで、中央病院で行なったで、 180 床の運用は到底困難 チ とか病棟機能を維持するためにプロジェクトの進め方ですが、です。年、 1 年間の間 元々いらっしやる 2 人の精神科こういうプロジェクトのやり方で床に減らすと、病棟は四つ て の先生が残る予定になり、そこ は大体決まっており、まず、現から一一つにするという計画を立 お 科 に 3 名の常勤を加えて 5 名で運状分析と問題点を洗い出し、目てました。これはかなり無理な 神 精 用でできるシステムにし、少し的を定めて、組織図を作り直し話で、当然無理な退院をする中 集 規模を縮小するという計画を立て、それぞれがどういう仕事をで、救急事例化し再入院してし 特 てて入りました。 どの範囲でやるかというのを明まうリスクが高まることが予想 みんなねっと三重大会記念講演より 精神科においてアウトリーチは 特なぜ大切か、どう進めたらいいか① 千葉大学医学研究院特任教授渡邉博幸 先月号と今月号の特集 2 011 年の 3 月までかかわっがあって、ここも精神科の病床 は、渡邉博幸先生の「みん ておりました千葉県の旭中央病を持っていましたが、相次いで なねっと三重大会」におけ院でのアウトリーチへの移行の閉鎖ということになり、市立病 る記念講演を①①に分けて お話をご紹介します。 院のほうは病院全体が閉鎖とい 年ですから、も一つ 8 お届けしています。 うことになりました。旭中央病 年前になりますが、銚子市の院は、精神科救急を担う大事な 隣にある旭市に、旭中央病院県内の基幹病院でしたが、精神 2 ・旭中央病院のアウト という病院があります。病床保健指定医が次々に退職を願い —ooo 床近くの大規模な総合出るということになって、千葉 ◆精神科病床の縮小とアウト病院で、精神科も 180 床あり県の東側の精神科の治療システ リーチ ました。それからもう一つ、銚ムが破綻に瀕したのです。 私が年の川月から子市には銚子市立病院というの それで、県庁のほうから千葉 みんなねっと 2017 年 3 月号 6
ませんでした。そういう中で長なぜ隔離になっていたかとい きます。心理士さんは、「服薬 期入院になっていましたが、最 うと、「べッドから看護師さんへの不安を解消します」、作業号 月 初お会いした時は、お薬の副作がによきによき生えてきてうつ療法士さんは、服薬カレンダー 年 を一緒につくって、少しでもグ 用で立っことができず、四つんとうしい」といって本当に働い 這いで挨拶されたのです。僕もている看護師さんを蹴っ飛ばしループホームに行った時に、ご と っ 立ったままでは失礼なので、四たりするのです。そういった重本人が自己管理ができるよう ね つん這いになって挨拶したとい篤な精神の症状をもっておられに練習をする、という具合でな み うのが印象深いですが、そんなる方でしたが、この熱心なす。一人のメンバーが投げかけ 感じで治療が始まりました。 の方が、こういう方でも入居たテーマに関して、それぞれの この方の退院はちょっと難しできるグループホームを探して治療チームのメンバーが、自分 きました。だけど、この男性は いのではと思っていましたが、 たちのスキルに応じて能力に応 がリーダーになって個別 1 日 4 回も薬を飲んでいたのにじて協力をしていくというよう チームを作りました。この は 1 日 1 回しかお薬を飲な働き方をするチームなのです がすごい熱心な方で、ご本人むお手伝いができないので、こね。この方は、このような方法 は退院する家がなくて薬も多過のが「先生、薬をがんばつでグループホームに退院するこ ぎて飲めないということもあるて簡単にしてください」と提案とができました。それは一例な のですが、このだけは、するわけです。「じゃあ、やつんですが、こういう取り組みの 「彼はいい人なんです」と言い てみようか」ということになり、 結果、多職種アウトリーチチー 続けるのですね。 医者のほうはそういうふうに動ムを導入したこと、それから入 院での多職種チームを導入した外科とかもある大きな病院なのできません。私が、これまでの ことによって、病床を 180 床で、精神科単独で見た場合は、旭中央病院の取り組みをいろい から ( 私が常勤でかかわった時当然その病院収益は下がりますろなところでお話しさせていた まで ) 田床にし、現在は床まが、それを他の医療収益でカだくと、たくさんの病院の管理 1 することができたのです。者の先生方、院長先生方から「こ で減って 1 病棟になっていま す。そして、月訪問看護件数は病棟が減ってしまうと看護師れはうちではできない、民間病 140 件から件までこのも余ってくるわけですが、配置院としてはとてもできない」と うお話を受けました。病床をめ 転換で対応することができまい 時点で増えましたが、現在は 一つ減らすと、年間約万 450 件。平均在院も 320 日す。それから公立病院ですので、 だったのが現在は日をきって税金面の優遇とか、あと旭中央円の減収になるんです。 切 大 病院はもう、単独独立会計で十床減らすということは、簡単に いるという状態です。 分やっていけている病院なんで言うと 4 億円の減収になるんで甜 3 ・学而会木村病院での すが、他の公立病院の場合ですす。民間病院で、いろいろ公的 取り組み と一般会計からの補てんもあるなサポートを受けないでやって乃 いて、—00 床減らすというこ お 次は、現在働いている民間のので、いろいろな規模縮小やア 単科精神科病院、学而会木村病ウトリーチ移行をしやすい面はとは、考えられないことなんで 神 精 すね。でも、それならば、民間 あるのです。 院での話です。 集 しかし、民間の単科精神科病病院の立場でどこまでできるだ 特 公立の総合病院の精神科での 院では、同じゃり方ではとてもろうかというのが私たちの出発 取り組みにおいては、内科とか
会の仕事も任されているというろ工夫していく必要がありま 4 ・わが国の精神医療の こともあって、妊産婦メンタルす。どれが正しいということで 課題 ヘルスの仕組みを千葉県内でい はないと思っております。 さて、わが国の精神医療の今くつかっくり、精神保健のアウ精神科医療というのは、これ 後の課題についてですが、退院トリーチを応用していこうと考から多職種医療の結び目の役割 支援、アウトリ 1 チ移行の仕組えているところです。 を果たしていかなければいけな みとして、少しずつではありま いと思っています。病床が減っ 5 ・ - 取後に め すが、このような地域の包括ケ ていくのは望ましいことだと思 進 アができてきました。例えば、 最後のまとめです。精神科ア います。長期入院の方が減って こういったネットワークを生かウトリーチは多職種で取り組む精神科病院の規模は小さくなる 切 大 して、なかなか内科ではケアでのですが、トランス型という、 かもしれないが、地域の中で、 きない重篤な認知症の症状を施職種の仕事が少し重なるような行政・保健・福祉、もちろん当 チ 設や在宅でケアする仕組みとチームで運用されます。その一事者やご家族の方から「あんた か、引きこもりの方の支援、妊番のしし幵し 、、彡ま、この包括型地域んとこがないと困るんだ。大切ア て 産婦さんへのメンタルヘルスや生活支援と言われていますが、 な結び目なんだ」という役割を お 科 児童虐待防止などに、精神保健それはなかなか採算べースに乗期待され果たしていけるように 神 精 でつくった仕組みを応用してい りにくいところもあるので、地 いろいろな工夫をしていこうと 集 くことができないかと考えられ域のアウトリーチを行なうとこ考えているところです。 特 ています。私のほうは現在、学ろの資源の規模などで、いろい ( わたなべひろゆき ) 点でした。 そのロードマップですが、五がんばって動いています。今の 今、そういうことをがんばっ つのプロジェクトが同時進行でところの目標の達成度ですが、 号 月 てやってみてはという、ありが走っていて、そのうちの一つに退院支援で 4 病棟を 3 病棟に減 年 たいお話をいただいて、院長とアウトリ 1 チの訪問プロジェクらしました。床を退院させた して、仲間の一人になって取り トを入れています。私たちのアということです。それから地域 と っ 組んでいるのが学而会木村病院ウトリーチプロジェクトの特徴連携においてはハローワークと ね という千葉市にある病院です。の一つは、もちろん旭中央病院か、県内では比較的大きな有名な み 227 床、千葉駅からほど近い でやったような地域定着・退院な企業 2 箇所と契約を結んで、 ところにあります。外来サテ一フ促進のためのアウトリーチを行就労支援のほうに活発に入って イトを持っていて、千葉駅徒歩 , っことですが、もう一つは就労 いくことになっています。あと、 2 分のところにあります。本院のためのアウトリーチです。一産業メンタルヘルスのほうも行 の木村病院のほうは急性期病棟般就労につなげるためのアウト な , っとい , っことで、こ , つい , っ地 と療養病棟を持っていたのですリーチに非常に力を入れてい 域連携も新たにアウトリーチの が、名の退院をこの 6 か月間て、それを特色にしていこうと形で取り組んでいるということ で進め、 1 病棟あけまして、今考えています。たくさんの人たです。時間外対応が、半年で例 工事に入っています。新たな精ちが五つのプロジェクトに分か年に比べて 2 倍に増えました。 神科の入院治療を展開しようとれて、院内ワークショップでプここは医局の先生方の協力もい 思いまして、病院全部で取り組レ 1 ンストーミングと言って、ただいて、病院一丸となって努 んでいます。 いろんなアイデアを出し合って力しているというところです。
れる地域精神医療の時代です。スコミでも、精神医療が抱える載第 2 回参照 ) の解消です。 すなわちわが国の精神医療政策「二重の格差」を積極的に報道 「二重の格差」の解消は、ほ と精神医療の今日の到達点とはしたり、こころの健康政策構想とんどの国民から支持を得られ 正反対と一一一口えます。しかも隔離・会議や病棟転換型居住系施設反る課題です。 収容の精神医療政策の " 要 ~ で、対運動などにみられるように、 精神医療の現状を憂い改革を 実行機関である精神科病院は、 2 年前には考えられない大きな願う人たちは、小異を脇におい 現在、深刻化する在院患者の減変化が始まっています。主体的て大同団結し、協働の取り組み 少のために、経営は行き詰まり、条件も確実に変化しています。を始める時期を迎えているので はないでしょ , つか 一部の病院では崩壊が始まってこれらの動きを、もうひと回り、 います ( 連載第 7 回参照 ) 。 ふた回り大きくできるなら、精 これは精神科病院の問題に止神科医療改革の本格的な動きに 連載終了にあたって 望 まらず、入院中心の隔離・収容発展させることは可能な時代と 展 の 政策の破綻でもあります。時代なっています。 一年間連載をしてきました。 革 後れとなっている隔離・収容の この連載が、わが国の精神医療 小異は脇において大同団結″ 精神政策の改革が避けられない 改革の取り組みがより確実に進現 の 客観情勢は成熟していますが、 今、何よりも最優先して取りむ契機になることを期待しま 療 医 科 改革を求める主体的条件は、ま組まなければならない課題は、す。一年間ありがとうございま 神 精 だ成熟はしていません。 先進諸国の精神医療と国内の一した。 しかし、テレビや新聞などマ 般医療との「二重の格差」 ( 連 集会は、精神医療史上初めてのえる基本問題を一斉に報道しま録しました。この高い視聴率は、 した。 出来事でした。 精神障害の問題が決して一部の 号 月 国民の問題ではなく、大勢の国 年 ②マスコミで積極的に取り上げる③大きな反響があった「クロー 民が関心を一小す社会問題に浮上 日比谷野外音楽堂での緊急集ズアップ現代」 しているという、社会の変化を と っ 会の大成功は、新聞やテレビに 2 014 年 7 月日、 Z 示しています。 ね 大きな影響を与えました。 の「クローズアップ現代」は、『精 これは、川年前には考えられな み 病棟転換型居住系施設構想神科病院「施設内退院」の波紋 ない大きな変化が起きてきたと の問題は、新聞各紙で積極的で—どうしたら精神科病床は減一一一口えるでしよう。 に取り上げられ、新聞報道はらせるのか 5 』と題して放映さ ( 3 ) 改革を進める条件が育っ 2014 年の 1 年間で、紙・れ、病棟転換型居住系施設問題、 ている 圏回 ( 内社説Ⅳ回 ) の報道がさそして諸国と比べて異 れました。 常に多い精神病床・長い入院日 わが国の精神医療政策は、戦 これらは、病棟転換型居住系数など、わが国の精神医療が抱後数年間、精神科病院への入 施設の問題に止まらず、全紙がえる深刻な問題を取り上げまし院中心の隔離・収容を基本とし 共通して「日本を除く先進諸国た。 ています。しかし今日の精神医 の平均在院日数絽日、しかし日 この視聴率は、 ・ 9 % で、療は、精神の病気や障害があっ 本は、万人が 1 年以上の長期 2014 年の「クロ 1 ズアップても、医療支援と生活支援に 入院」と、日本の精神医療が抱現代」の年間視聴率第 2 位を記よって、地域で、社会生活を送 ( うじいえのりあき )
ので、人件費を払うことができしようということで、みんなでまくいきません。助手さんとか ないのです。ここまでがアウト工夫をしました。もう病棟が病棟に掃除に入っている方と 号 月 減っていますから、例えば、短か、そういう方たちも含めて取 リーチの話です。 年 期間で退院できない方は、長り組まなくてはいけない。そう いう助手さんとかが疲れた仕事 期病棟に移そうとはいきませ ◆早期退院の仕組みづくリ と っ いて、年に、救急ん。移す病棟がもう閉鎖して無の合間に、お茶の時間にですね、 ね いからです。そうなると当然そ「渡邉先生、またヘンなこと考な 入院機能を維持して、なるべく み 早期に退院させられるような入の病棟での在院日数が延びてしえてるよ。サチコって何 ? 」と か「サチコって誰 ? 」とか、そ 院の仕組みも整えました。そまい、入院が長期化してしまう の頃は、病棟を減らし病床も恐れがあるのです。そこで、そういうような、ちょっとお茶飲 180 床から床にして、スれを防ぐための多職種チームをみ話になって注意を向けてもら いたいというのがあって、親し タッフ、医師も、ちょっとひと作って、新たなロングスティ、 息ついたのですが、自分たちが 1 年以上の長期化を防ぐというみやすい名前にしたのです。こ の名前がそのまま続いていまし 楽になるために患者さんやご家仕組みをつくったわけです。 それをみんなで、ニックネー て、現在も旭中央病院のほうで 族に無理をさせて、退院を進め たのでは何の意味もありませムで「サチコ」と言ってます。は、このサチコはそのまま続け ん。病棟を少なくした分、病棟精神科の中でこういうプロジェており全国に発信しています。 の働きを高機能化して、新たなクトを行なう時に一部のメン担当の精神保健福祉士の方が、 バーだけが一生懸命やってもう素晴らしい方なので、その方が 長期入院をつくらない仕組みに これを引き継いでいろんなとこで、病棟では看護師のほうにい 事者の方を速やかに退院にもっ ろに啓発されていると伺っておろんな権限があったり、主治医ていき、退院後も再入院させな ります。 い仕組みに移していくという の権限が強かったりするところ パッケージです。 この仕組みは、そんなに難しが多いので、の方が計画 いものではありません。まず、を立てるというのが非常に特色 なのです。それで、 455 名の その日の緊急入院が入る時の、 ◆ある事例での働き方 サチコでの個別チームが取り 医者のほうの曜日の当番と曜日個別チ 1 ムが編成され、この め の担当のを決め、そのチームで退院までお世話をする組んだ事例をご紹介します。 進 前任の医者から、引き継いだ にいろんな情報が集約されというやり方です。入院して 1 るようにします。そして、入院週間以内に新入院カンファレン方は、ずっと隔離されていた 切 を受け入れた時のべッドコントスといって長期化のリスクが評代の若い男性でした。 2 年間措駄 ロールとか退院の計画とか、例価され、 1 か月経ってもなかな置入院で、はじめ 3 年、措置入 チ 院をして、ちょっと出るとすぐ えば家がない方だから、ハウジか退院の目途が立たない場合 ウ・ ングの人を外から呼んでチ 1 ムは、どこに問題点があるのかと近隣のお年寄りとかを殴ってま て いうことがみんなで検討されてた再入院となってしまう。残念 に最初から入ってもら , っとか、 お 科 なことにお母さまはもうお亡く 解決策が提案されます。その解 ご本人を中心にして病棟の 神 精 が、そういう段取りを組むと決策に基づいてアウトリーチのなりになっていて、お父さま 集 も精神科ューザーの方でした チームが入ったり、住居のチー いう仕組みです。 特 これはなかなか難しいことムが入ったりしながら、この当ので、ご本人を支える術があり
組子さんと計一さんは 2 人ない」と泣く計一さんに、組子ささんは、自分の入院の経緯や現 きようだいです。組子さんと計んは「そんなことないよ」と答在の状況を組子さんに説明して くれるように依頼してい 一さんの父母は既に他界しておえるのがやっとでした。面会後、 り、組子さんが計一さんと最後病室に戻る計一さんの後ろ姿をたそうです。 にあったのは 3 年前の母親の葬見送る組子さんに、精神科ソー 組子さんは自分が知らないと ころで弟がそんな状態になって 儀のときです。組子さんはあわシャルワーカー ( 以下、 いたことにショックを受けまし てて計一さんの自宅と携帯電話と名乗る女性が話しかけてきま に連絡をしましたがどちらも不した。時間があれば医療相談室たが、同時に、家族以外に計一さ 通でした。 で少し話をしたいとのことでんに寄り添ってくれる存在がい 眠れぬ夜を過ごした組子さんす。組子さんはの話を聞ることを知ってほっとしまし は、翌日、書類の問い合わせ先とくことにしました。 た。少し心の余裕ができたので なっていた福祉事務所に電話を しようか。組子さんは、ふと、あ 組子さんの心配 し、計一さんが精神科病院に入院 ることが気になりました。 していることを知りました。組子 は、計一さんがうつ病 それは、計一さんの入院に要 さんは、すぐに計一さんが入院すで入院していること、 2 年前にするお金のことです。組子さん る精神科病院に向かいました。 離婚し会社も辞めたこと、そのも生活保護が経済的に困った人 面会室で再会した計一さんは 後は単身でアパートに住みアルを支援する制度だということ ハイトで生計を立てていたことは知っています。その生活保護 顔色も悪くやつれていました。 「姉さんに迷惑をかけて申し訳を組子さんに伝えました。計一を申請した計一さんに、入院費 一を例に生活保護について見てい きましよう。 号 月 年 事例 いつものように自宅の郵便受 と っ けを開けた柿沢組子さん ( 歳 ) ね な は、馴染みのない自治体からの封 ん 書を見つけました。その手紙を見み て、組子さんは大変に驚きまし た。そこには、組子さんの弟であ この連載では、精神障害者のは、預貯金があればそのお金や労る柿沢計一さん ( 絽歳 ) が生活保 働ができる状態であれば労働能護の申請をしていること、きよう 経済的支援のための制度やサー ビスを紹介してきました。今回力など、あらゆるものを活用してだいである組子さんは弟の計一 に対して扶養義務があることが はこれに引き続き「生活保護」もなお、基本的な生活を営むこと が難しい方です。そのため、生活書かれてあったからです。さら を取り上げます。 生活保護は、経済的な理由に保護はセ 1 フティネットとも称に、組子さんが計一さんを扶養で きるか否か、組子さんの世帯構成 よって、基本的な生活を営むことされます。 それでは、柿沢組子 ( 仮名 ) さや資産の状況等を記載して返送 が困難になった人を支援する制 する書類も同封されていました。 度です。生活保護の対象となるのん、計一 ( 仮名 ) さんきようだい 0 生活保護 ( 経済的支援特集⑨ ) 関西学院大風間朋「卞 0 0 29 知ることは生きること
現在、民間の力をお借りしたグ訪問看護ステーションを設置します。それから外来通院を支援 ループホームは川か所まで増えたのです。そこからリュックしたり、再発防止や服薬の援助 ています。そこに随時退院促進サック背負って普段着の形で出をする定期的な訪問でまかなえ をして、住んでもらっているとかけるわけです。それで、いろる方の場合は、それよりさら いうことです。 いろなミーティングが非常に大に広い範囲をカバーしていま もう一つ四番目は、新たにグ事で、対象者の方の情報を、毎す。片道キロ、 1 日一回り ループホームをつくってそこを日共有して、誰が行ってもサで、 4 — 5 件ぐらい回るのが 担当していただく看護チームをポートできるように綿密に情報やっとです。過疎の田園地帯で 共有をするというやり方になっすから、住宅が密集していませ 作ったんです。病院の近くにこ ん。軽自動車で走っても、大体 のグループホームをいくつかっています。 切 1 日 12 0 キロぐらいが精一杯ぜ くっていただいたので、そこに この訪問看護ステーションの 入るチームを、病院のほうからアウトリーチの対象エリアでです。そういうエリアをカバ チ 派遣して、サポートしたのです。すが、旭市の真ん中辺りにあしているのです。皆様方が地元 アクト これは、訪問看護ステーションり、いわゆる <0+ として、包に帰られた時の訪問看護のエリ て 括型の地域生活支援、生活面もアと比べていただければと思い の設立当初のメンバーですが、 お 加味した支援を行うのは非常にます。 1 日 455 件回りません この旭中央病院の付属の内科の 精 診療所が本院から 6 キロ離れた時間もかかりますので、この旭と、独立採算ができません。そ 集 ところにあって、その 2 階が使市と近隣 2 市の合わせて 3 市にれ以上少ないと、訪問看護ス 特 テーションとしては赤字になる われていなかったので、ここに 住んでおられる方に対応してい されました。それでアウトリー た次第です。 それから訪問看護ステーション チの仕組みを作ったというわけ 次にその具体的な仕組みでからは看護師が入って、一人の です。 す。アウトリーチの仕組みを四精神科ューザーを支えるという っ作りました。一つは訪間看護というパッケージ ( チーム構造 ) ステ 1 ションを新たにこしらえ になっています。 ◆アウトリーチの仕組み どんな仕組みかと言いますたということです。開設当初は それからご自宅を失ってし と、まず、実際は 101 名の方看護師 5 名、事務 1 名で運用しまっている方も多かったので、 が長期入院されていたのですましたけれども、現在は看護師居住支援グループというのをつ が、そのうちの四分の一、名 7 名、事務の方 2 名で少し規模くりまして、退院後の住まい確 の方が 1 年の内には何とか在宅が大きくなっています。 保をしました。それで、半年間 のほうに移行することができま それから病院の中から、精神ぐらいしてからミーティングを した。残りの方は、ご高齢の方保健福祉士の方や作業療法士の行ない、民間居宅支援事業所に や認知症を患っておられる方な方がアウトリーチで在宅に入る参入していただいて、グル 1 プ どで、なかなかすぐに退院支援というチームも作りました。そホームを二つ、この時につくり の体制をとることができなくれが多職種アウトリーチチームました。それから、これは非常 て、いったんはいろいろな施設です。 に珍しいことでしたが、公的病 や近隣の療養型の病院に移って つまり、この病院から多職種院でおそらく初めてだと思いま いただいて、そこから退院支援アウトリ 1 チチームとして、相すが、公的病院立の移行型のグ をするというような手続きをし談職の方や技術職の方が入り、 ループホームをつくりました。 みんなねっと 2017 年 3 月号 8
れない専門医が頑張って下さっ静岡の東病院にたどり着いたの たのですが、薬が増えるばかりです。 平成 2 年の月即入院となり で日に 2S3 回起きる発作を止 ました。中学生の息子を静岡の めることはできませんでした。 都内、近県十数軒の病院を回病院に残して東京に帰るため、 り、やっと " テレビゲーム光て最終の新幹線を待っ寒い駅の んかん ~ ではないかと診断され、ホームに立って、病院に置いて きた息子のことを思い悲しかっ たことは今でも忘れられませ ん。 中学・高校時代 弟は、中学、高校と同学年に それから、中・高一貫校に通なった兄が、学校で度々発作を 学しておりましたので、出席日起こすのを見て、つらい思いを 手 の 数の関係で、中学生活を 4 年、したと思います。 そのあいだ、自宅からの電車家 高校生活を 3 年間過ごし、一つ と 下の弟と同時に高校を卒業する通学ができず、学校の近所にア ことができました。 ートを借りて、毎日私が学校 私と 家族の 手記 難治性部分てんかんや幻聴と 闘った息子と家族の 28 年① ( 東京都 ) R . T てんかんの発作 忘れもしない昭和年 1 月 7 日、当時の官房長官小渕恵三氏 がタ方のテレビで " 平成 ~ と書 かれたプラカードで元号が変 わったことを告げた翌朝早く、 次男が私達の部屋に飛び込んで きたのです。 お母さん、お母さん、大変だ よ、お兄ちゃんがべッドの上で発作でしよう、と 253 日分の 跳ねているよ、それからのこと薬を出し様子を看ることになっ たのです。 は、息をしてない長男に覆い被 さり夢中で息を吹き込んだこと それから今日まで年間、て を覚えております。 んかん発作と闘うことになろう 救急車で運ばれいろいろ検査とは想像もできませんでした。 を受けたのですが、脳波も正常、右腕が肩まで上がりガクガクと お医者さんは成長期によくある動く発作を止めるために数え切 一三ロ みんなねっと 2017 年 3 月号 20
息子なりに手帳を持っことに に " 薬を飲まないから ~ と攻め んだようでしたが試験に受かるられたことだと言っておりまし ことができました。その時通学た。 するか寮に入るかで家族で悩み 川練校は 1 年間で卒業でした ましたが寮生活をして自立できが、息子は 7 か月ぐらい経った るのではと期待したのです。 時、突然所沢の学校から電車に 寮生活でも発作が止まらず苦も乗らず自宅まで徒歩で帰って しんだようですが、一番彼がっきたのです。その時の様子は、 らく思ったのは、指導員の方達普通の状態ではなく、興奮してで訓練校に戻りましたが、残り どうやって帰ってきたか解らなの授業を受けるため毎日送迎を することになったのです。 い状態でした。 そしてこれ以後、精神薬のセ レネ 1 スと副作用止めのアキネ 再入院 トンの服用が始まりました。訓 次の日も眠らず興奮は続き、練校を卒業するにあたり、就職 睡眠薬を飲んでも眠ることがで先を決めなければならないのでの きず、とうとう静岡の病院にますが、発作が止まらないと就職家 と た入院することになりました。 は難しいと言われました。 《次号へつづく》 3 か月ほど入院し、今度は通学 まで送り迎えをしたのです。 そのため家族とは別居生活で大学生活 した。当時、自営業だった我が 家の生活は主人と 3S4 人の従高校卒業後、並立している大 業員で営業しておりましたが、学に通うようになりましたが、 働き手の一人だった私が抜けてさすがに大学への送迎はでき 経営は大変だったと思います。 ず、学校、電車の中での発作の 何としても治したい、手遅れ度に電話があり、その度、渋谷 にはしたくない、との思いで、まで車で主人と迎えに行きまし 良い病院があると聞くと、茨城、た。 入退院を繰り返し薬の調節をし 宮城、埼玉県等々、息子と一緒大学時代の思い出には、サー ながら 7 年かかって大学を卒業 に診てもらいに行きました。主クルの中の女子学生とお友達にしました。 人は私達の思いに答えようと一 なり、デート中に発作が起き、 おどろ 生懸命働いてくれました。 彼女がどんなに愕いたかを話し訓練校時代 バブルはとっくに弾け、使用てくれた時の息子の悲しそうな 人も二人おりましたが、、 とんな顔が忘れられません。それ以来、 卒業後どうするかで悩み、所 に大変だったか今になると解り女の子の話は息子から聞くこと沢市にある障害者職業訓練校に ます。 はありません。大学在籍中服薬入学を希望しましたが、障害者 拒否、登校拒否等ありましたが、手帳を持っことが条件でした。 一三ロ 一三ロ みんなねっと 2017 年 3 月号 22
です。 は「ゼロ」で「病棟転換型居住 花万筆を集約しました。 「こころの健康基本法」の制系施設」は実質破綻した状態に ②地方議会からの意見書採択定を求める意見書のきわめて高なっています。 、采尺率よ、国民の中に、ここ 地方議会からの意見書採しおキ、一。 択は、都道府県議会 ( % のろの健康問題は誰でも身近な問①精神医療史上初めて日比谷野 題と感じる社会の変化によっ 音で大集会 採択 ) を含む 3 8 2 議会で採 2014 年 6 月日、東京の 択され、その傘下の人口は、て、精神医療に対する高い関 心・精神医療改革を求める世論日比谷野外音楽堂で「生活をす 1 億 369 万人となり国民全体 が育っていることを示していまるのは普通の場所がいい の % に当たります。 0 ! 精神科病棟転換型居住系 意見書が採択されていない議す。 施設リ 6 ・緊急集会」が行わ 会は、取り組む体制がないため ( 2 ) 「病棟転換型居住系施設」 望 れました。緊急集会の開催決定 請願も陳情も提出していない所 展 反対運動 がほとんどです。東京都に加え、 が 6 月 3 日で 3 週間という " 超 ~ 革 改 厚生労働省は、 2015 年春短期間の取り組みでしたが、当 と その県内にあるすべての議会に 請願や陳情を提出した青森・東に省令を改正し「病棟転換型居日は、沖縄から北海道まで全国塘 住系施設」 ( 連載第 9 回参照 ) 各地の人々が集まり、会場を満療 京・和歌山・岡山・鳥取・島根 には合計 191 議会がありますの実施が可能になる体制を整え杯にした名の熱気で大科 いに盛り上がりました。集会の精 が、その内意見書採択の議会数ました。しかし 2016 年月 は 154 議会で、別 % の採択率末現在、それを実施する病院メッカ、日比谷野外音楽堂での 健医療福祉政策の改革をめざし て、当事者・家族そして精神保健号 精神科医療の現状と改革の展望 第 医療福祉関係者囲名が参加して 3 昭和大学烏山病院家族会あかね会監事 年 氏家憲章 社会福祉法人うるおいの里・理事長 「こころの健康政策構想会議」 ( 構想会議 ) が発足しました。構 と っ 想会議は、提言の実現、こころの 《連載》最終回改革の展望を示す新しい動きが起きている ね 健康基本法の制定を求めて、署な み 1 年間の連載も早いもので、願う当事者や家族そして精神保名運動と地方議会から「こころ いよいよ最終回となりました。健医療福祉関係者の協働の取りの健康基本法」の制定を求める 今回は締めくくりに、精神医療組みによって、つくり出した新意見書採択の取り組みを行いま した。 改革の展望を示す新しい動きをしい動きです。 その象徴的動きであった、こ みてみます。長い間、改革に向 ころの健康政策構想会議と病棟①署名運動の取リ組み けた動きがなかった日本にも、 「こころの健康基本法」の制 年代に入って、改革に転換型居住系施設反対の取り組 みを見てみます。 定を求める署名の取り組みは、 向けた運動が起きています。 当事者・家族そして精神保健医 それは、国 ( 厚生労働省 ) や ( 1 ) 「こころの健康政策構想会 療福祉の関係者や市民、そして 精神医療関係団体が率先してつ 議」の運動 いろいろな団体が街頭をはじめ くり出したのではありません。 年 4 月 3 日、精神保全国各地で積極的に取り組み 精神医療の現状を憂い、改革を