く、歩けることは、素敵だなと思面をもっ沖さんは、これまで、九十九歳の母を家で見送ること いました。とはいえ、沖さんがそどのようにバランスを持って、ができました。 胃ろうとおむつで生きる寝た れまで、お子さんと歩まれてきた今を生き、そして未来を志向し 道は、決して平坦ではなかったのてきたのでしようか。その際、きりの母は、一日でも長くお世 常に沖さんの口から出てくるの話をさせてねと願う私に、『せつ です。言葉では言い尽くせない かく生まれてきたんやから』と ほど、苦悩が多かったことも想像が、看取られたお母さんのこと 答えてくれました。 に難くありません。でも、今後何です。 この母が私たち身内だけでな そのお母さんの好きな言葉 が起ころうとも、生涯、決して変 わることのない事実があります。が、 " 耐ゆること。前向きに明く、日々訪れるヘルバーさんや るきこと ~ であり、その言葉が、看護師さんを支えたのです。 それは、 2 人で川原を歩かれた、 『ここに来るといやされる』 沖さんの宝であると言われま とい一つこと。 歩くことには、理由などなくす。沖さんは、そのお母さんの強く大きい者だけが人を支える ことについて、 2012 年 1 月、のではない。弱く小さいものが てもいい。人は、希望をもって、 愛する人や、信じる人たちと歩「生きて」というタイトルで以人の心を支えることを知らされ ました。 けば、その事実と共に、後には下のような詩を書かれました。 こころを病み、つぶれそうに 道ができるのです。 暖かき母のからだを抱きしこと なっている人こそ生きて欲し 今の私を支える不思議 い。障碍というたいまつを掲げ、 生きて 「在宅での看取り四年半、まだ、明けぬ世を照らして欲し 話を元に戻します。色んな側 その一方で、沖さんにとって 一年近くがたち、ほろっと歌があるいは、周囲とのバランスを は、薬局を訪れる患者さん、自生まれた。泣きながら、転びなが優先して、ルーチン的な日課を号 月 宅で介護を続けてきたお母さんら歩いた道も、自分で歩いた道は優先した暮らしを営むことが少 年 と同じく、大切な存在のひとり自分の色に染まっていた。 なくありません。 がお子さんであることは言うま何でもない道を望まないわけ 沖さんは、仕事を終えて帰宅 でもありません。そのお子さんではない。ヾ、 力でこぼこや亀裂し、本当ならば家でゆっくり休っ とのことを、 2011 年 1 月にの入った道でも、生きてさえい みたかったでしよう。でも、ふな ん 「道」というタイトルで、以下れば人は歩ける。今、私はそうと歩こう、いや、お子さんと歩 み のような詩を書かれています。 信じている。 きたいと思い、歩かれたのです。 かわのべ 自分の道を歩くことを恐れてまさに、何かに引きずられるよ こころ病む息子と歩く川辺の道 いるあなたに言いたい。 うに歩こうと思われたのではな よ、たいらであれとは思わず いでしょ , つか 歩こう、一緒に。」 「十六年前の震災時に発症した 幼少期、学童期と歴史を共有し 息子は、急性期を被災生活の中で自分の道を歩くにいたるまで た最愛の子どもが仕事から帰っ 過ごした。戦場のような職場 ( 病多くの人は、日々の暮らしにてくる自分を待ってくれていて、 院 ) から帰ると、息子は待ってい 忙殺されています。かくいう私夜に川原を 2 人だけで一緒に歩 て、夜の川原に降りた。身体もも、です。でも私たちは、今、 かれたのです。私はこの詩を読 心もボロボロだったが、何かに この瞬間にしかできないことがんで、素直に、一度きりの人生に 引きずられるように歩いた。 あるのに、明日の準備のため、おいて最愛の子どもと川原を歩 31 知ることは生きること
ピーカーとして来ていただいた こともあります。気づけば、 号 月 年近くの交流になります。私が 精神科病院を退職して小規模作年 雑談薬局の薬剤師 一業所の所長になった時、さらに ( 自らの人生の主人公としての家族の暮らし特集② ) は、兵庫県を離れ、愛知県にあっ ね る現在の大学に赴任した時、 な ん みんなねっと理事青木聖久 つも応援してくれていたのが沖 み さんです。 新特集の最初にご紹介するの話をすることが、最近の私の楽作業所の所長をしている時、 「これだ」と思って作った、利用 は、沖シノさん ( 仮名【間歳代しみのひとっとなっています。 女性 ) です。沖さんは感性に富 者の体験談を中心にした文集も む方であり、私自身、いつもカ応援しています まとめ買いをしてくれました。 をもらっています。沖さんとは、 私は、これまで沖さんと、地 いつも笑顔で「応援団やから」 手紙や電話等で交流をさせてい域家族会の研修会、保健所主催と言ってくださっていることが ただくことが多かったです。この家族教室等で、何度となく、印象深いです。「応援する」、とい こ数年は年に 1 回、地域家族会主話をする機会がありました。まうのは、言われた方に負担感が 催のセミナーに呼んでいただき、た、私が勤務していた精神科病なく、心地よい言葉です。その 終了後、一緒に食事をしながら院の家族教室には、ゲストスことから、私は今、大学生や後輩 のソーシャルワーカー等に何ら沖さんは精神障がいのある人のることでもある』との思いを持 かのメッセージを伝える時、必家族 ( 以下、家族 ) という立場たれています。 ず最後に「応援しています」とい にもあるのです。一方で、お母 う一一一一口葉を使っています。まさに、 さんの介護に携わられた経験も道 沖さんから受け取ったバトンあり、そのお母さんを 2 011 沖さんは大学卒業後、薬剤師 を、社会につないでいるのです。年に看取られています。 として、病院に勤めていました おわかりのように、家族とい が、震災後、調剤薬局に移られ、 市民活動家としての経験をもっ う立場は、沖さんが持っ多くの年より薬局経営をして 薬剤師 側面の一つにすぎません。その います。その薬局には、二つの こだわりがあると言います。一 沖さんの歴史に少し触れるこような沖さんは、家族という立 とにします。彼女は薬剤師であ場になる前より、薬剤師として、 つ目は、人が元来有しているカ り、学生時代から中墨こ、 冫糸。カか精神疾患に苦しむ本人や家族にを信じること。二つ目は、「雑 わる市民活動をした経験をも対して、「身体を病むのと同じ談薬局」として、時間の許す限 と ち、また、文章の勉強もしてように心も病むんです」と言っり、患者さんと薬の話はもとよ こ る おられました。そのような中、てこられたそうです。『心を病り、暮らしにまつわる、様々な き 生 1995 年の阪神淡路大震災のむことは、そのことだけに気持話をすること。 時、お子さんが精神疾患を発症ちを向けることができない。世 町なかの居場所としての薬こ され、しばらくしてから家族会の偏見に向き合わざるをえな局。沖さんは薬剤師人生の集大知 に入られました。そのことから、 。それは、自分の偏見を感じ成としての薬局と言われます。 0
から衣類の入った段ボール箱を取不機嫌な顔をしただけだ。他の患れに対して佐藤がとげのある声を り出しその中を引っ掻き回し始め者は病棟に一一台ある洗濯機で下着かけた。 。どの服を着て行くかという事類などを洗濯して部屋の隅に干す「淵川さん、あんた何も買って なのだが、いったいいっ洗濯したのだが、注仙はそんな事は頓着しこなかったのか ? 外に出られる のか分からないしみだらけの同じない。注の下着もいったいいっチャンスなんてめったに無いんだ ような服が血 3 作にしわくちゃに洗濯した物か分からない。そうい から、菓子でもどっさり買い込ん なって入っていて、ゴミに出すぼ う所はあきは統合失調症というもでくるものだよ。それが手ぶらか ろきれの集まりのようだった。緑のを甘く考えていたというかあくよ、だらしないな」 や茶色系の地味なものが多かったまで常識の前提で考えていた。そ それに対して清治は少し恐縮し が、その中で少しでも汚れのましの常識にかからないのが統合失調たような顔で、 な物を清治は探した。あきがこれ症なのだが。 「うん、うん」 を見たら驚くというより恥すかし病院の車に乗せられて出かけて とうなずいただけだった。そし くなり目を疑っただろう。あきの行った清治が戻って来た。詳しくてまた自分一人の世界にこもって 考えではそういった日常の生活の調べないとはっきりした事は一『〔え行った。 事は、当然病院でケアしてくれるないがどうやら悪性の物ではない ( 次号へ続く ) ものと思っていたからだ。しかし、 という診断たった。清治は相変わ ( きたむらまさき ) 病院はそこまではしてくれない。 らず何事にも無関心な様子で、普 というより清治の服を見てもう少段着ているもっと汚い服に数日え しましな物はないのかと看護婦がると布団に潜り込もうとした。そ し遠慮した小さな声でしゃべって喧嘩しちゃってね。ロだけにしてるその腫物を見て話し合ってい いる。佐藤が一一一一口う。 おけばよかったんだけど足が出た。そのうち主治医の高田が来て号 月 「森谷さん、あんたこの病院でちゃってね、それで逆戻りさ。こ注射針の先で突っついたりして首 年 幾つめだい ? 俺は転院を四回しの先どうなるか分からないけどをかしげていたが、結局よく分か たよ」 ね」 らず専門の医師に診てもらおうと と 森谷が答えて一朝つ。 森谷はあきらめたように言い、 いう事になった。注の入院して っ ね 「もう忘れてしまったな、だけ佐藤がそれを引き取って言った。 いる病院は綿科の単科の病院な 亠な どここへ来る前は都内の病院に居「お互い十年選手だものな、気ので同じ市内の総合病院に行く事み たんだけどそこはもっと厳しかつが付けば五十を過きているし」 になった。閉鎖病棟の串署が病院 たよ。食事の時は患者はみんな整慣れない環境に疲れた椎野はもの外に出られるのは、症状が良く 列させられてさ。ここみたいにうとっくに眠っており、清治は会なって外出を認められた串以外 ルームの扉が開くまで廊下で思い 話には加わらず目尻に涙を浮かべはこのように他の病院あるいは歯 思いに座り込んでいるなんて事はて天井を薄目でじっと見ている。 科医にかかる場合くらいに限られ 出来なかったよ。それを考えたら注の首に腫物ができたことがる。悪性の物ではないかと周りが この病院はいい方だと思うな。」 あった。首の右側の後ろにピンポ心配するのに対して清治は他人事 「森谷さんは退院したことは無 ン球くらいの半球状の盛り上がりのようなキョトンとした顔をして いのかい ? そんなに具合が悪そができたのだ。周りに比べてそこ うにも見えないけど」 だけが白っぽく膨らんでいる。看看護婦に付き添われて出かける 「退院してた事もあるんだけど、護婦が何人も集まり代わる代わ段になって、清治は自分用の天袋 23 私と家族の手記
できると、沖さんは、ぼんやりで世界一周をすることだったそ せつかく生まれてきたのだかしたり、趣味の「しの笛」を吹うで、いっかは実現させたいと 号 月 かれます。しの笛とは、平安時言われます。 年 代より、主に大衆の間で広く愛 自分で自分をほめなあかん 用されてきた日本の伝統的な木人が共通して願っていること 加えて沖さんは、雑談薬局を管楽器で、細めの竹「篠竹」に 今回、沖さんがこれまで歩んっ 訪れる患者さん、さらには、家唄ロという息を吹きこむ穴と、できた人生のほんの一部を紹介な ん 族等で相談に来られる人たち指穴をあけたシンプルな構造のさせていただきました。そのこ み に、支えられていると言います。横笛です。 とを通して、改めて、「自らの また、普段どちらかというと、 そのような沖さんは、友だち人生の主人公としての家族の暮 沖さんは人の話を聞く側が多い と、「自分で自分をほめなあからし」について述べたいと思い ように感じますが、時折、人生ん」と話されるそうです。頑張っます。 の先輩であるソ 1 シャルワー て片付けをした後など、自分へ 人はたくさんの人たちの人生 カーと話をすることで、気持ちのご褒美として、美術館へ行っを知り、つながることによって、 がリセットできるそうです。そたり、友だちと食事に行かれま今を生き、そして未来を志向で れが、沖さんのガス抜きになっす。そんな沖さんが、元々抱いきるのではないでしようか。人 ていると言われます。 ていた将来の夢は、歳で仕事は、多くの生き方のモデルを知 とはいえ、普段は仕事に追わを辞め、四国八十八カ所をとおることによって、生き方の多様 れているものの、少しゆとりがしで巡ることや、ピースポート性に気づくことができます。ま ら。」 た、人とつながることによって、さん、及び、ホームヘルバーさん / 気負わず、素直に向き合おう 孤独感から解放され、安心感がや看護師さん。また、お子さん、とする人に対して、周囲は心を 得られると共に、支えられたり、及び、家族会の仲間。薬局を訪開くことができる。 一方で、支えていることを実感れる患者さん、友人、信頼のお / 本気で相手を思いやる人の周 けるソーシャルワーカー等でりには、自然と人が集まる。 できます。これらを通して、私 たちは、「ま、これでいいか」す。それらの人たち全てが、沖 人が願うことは、意外と共通 等と、色んな生き方を、自分のさんにとって大切な存在となっ 中で正当化できるのではないでています。沖さんを取り巻く人していることが多いように思い たちは、それぞれ立場は異なります。「案外、この社会も捨て しょ , つか でも、人は自分のことならまます。でも、人として、願ってたもんじゃない」と感じ、人や いること、感じ方は共通する部社会を信じることができるよう だしも、こと最愛の家族のこと になるなかで、少しずつ、人は 分が多いことを実感できるにつ になると、今もさることながら、 よろい 未来が心配でたまりません。それて、自分を開いた生き方につ自分の鎧を脱ぎ、等身大の生き ながっていくのだと思います。方に近づくのではないでしよう のような時、様々な立場の人た ちと交流する中で、多くの情報 ( あおききょひさ ) を知れたり、人の情を実感する / 人は、一度きりの人生を有意 なかで、「ま、何とかなるか」義に過ごしたいと願っている。 / 人が、穏やかな雰囲気を醸し と未来が志向できます。 沖さんの場合で一一一一〔えば、お母出すと、周囲はいやされる。 かも 33 知ることは生きること
院している患者さんの立場だっ ためにどうしたらよいのか今回 号 たら、「いっ外してもらえるの 月 はご一緒に考えてみたいと思い だろう ? 」「大声を上げたら逆 ます。 年 に外してもらえなくなるので 身体拘束とは ? は ? 」「身体がかゆくなっても と っ かくこともできない ! 」など、 まず、「身体拘東」とはどの ね 亠な 次から次へと思いが浮かびまし ようなものなのでしようか ? ん た。この精神科病院において「身み 人を、自分では出ることので 体拘束」される人が急増してい きない部屋などに閉じ込めるこ るというのです。 とを「隔離」と言い、自分では ほどけないような状態にしばる 年で 2 倍に増えた身体拘 ことを「身体拘束」と言いま 束、平均実施日数は 3 か月 す。今回は、「身体拘東」に絞っできていてちぎったりできない 図 1 のグラフをご覧くださ て説明します。写真をご覧くだようなものです。これで、両 い。精神科病院の中で身体拘束 さい ( 写真 ) 。これは私自身が、手、両足、腰が縛られ、べッド 病院などで用いられている「拘に固定され、動くことはできまを受ける人の数は、 東具」を実際に装着し、身体拘せん。私自身はこれを装着して年に 5109 人だったものが 束を受けた時のものです。拘束もらって身動きがとれずとても 2014 年には 1 万 682 人と 具は柔道着のような強い材質で苦しかったと同時に、これが入なっています。実に川年で 2 倍 11 , 000 1 切 000 9 , 000 0 9 , 79 9 ′ 883 9 ′ 695 9 , 13 ・ 283 9254 ′ 930 8 ′ 800 0 0 0 7 隔離・患者数 ( 人 ) 824 3097 7 741 8 ′ 000 7 , 336 , 363 第 370 05 , 193 7 ′ 161 7 ′ 015 フ 86 6 ′ 000 6 ′ 008 5 ′ 623 5 ′ 000 5.10 , 242 4 ′ 000 9 0 、ル丐ら (o へ 9 0 、ル丐 →ー隔離室の隔離者数身体拘束を行っている患者数 図 1 身体拘束と隔離に関する実態調査 に急増してきています。 それでは身体拘束をされると どれくらいされ続けるのでしょ うか ? 今回のケリーさんの場 合は、身体拘束を受けて川日後 に心肺停止になりました。私は 一昨年、全国のⅡの精神科病院 を対象に、身体拘束と隔離に関 する実態調査を行いました。身 る え 体拘束の平均実施日数は、日 考 を 間でした。約 3 か月間です。ど 拘 、、象してみてください うカ想イ 体 身 時間だろうが、 2 分だろうが、 る お 5 分だろうが身体拘束を受ける のは苦しいものです。身体拘束療 をされるとトイレに行けません科 精 から、オムツを付けられその中 集 に排尿、排便をすることになり 特 ます。「導尿」と呼ばれる尿道
月 ・ : 車の運転に大事なのは 他の人と折り合うことですよね : 増増 っ 連載店回 ね な ます。そして精神科医の診察をみ 受け、 " 統合失調症の妄想状態 〈措置入院〉 にあり、他人を害する恐れが強 お父さん、その診断書は今回 ~ とされて、精神科病院に措 さん ( 歳男性 ) は都会の はうちでは書けません。 と断ったのは、運転免許の更大学を卒業して大企業に 2 年間置入院になっています。この時 新のための診断書です。精神科勤めた後、起業されましたが、の入院では、すぐに妄想や幻聴 を言わなくなり、親元で療養す に通院しているけれど、この先うまく行きませんでした。 住んでいたマンションで、「誰るという条件で、 2 週間後に退 〇〇年は車を運転するのに支障 があるほどの症状はない、と保もが自分を邪魔する」「隣人が院となっています。 5 年以上も親元に連絡なく、 証するものです。 1 年前には私自分を病気にしようとして、変 が " 薬を飲んでいて、今は危なな音楽を鳴らす」と考え、隣室ゴミだらけのマンションで家賃 も滞納しておられたため、迎え い症状はない。 1 年後にまた考に侵入し、警察に収容されてい に行ったお父さんと共に故郷にまってしまいました。この時、がないと更新できないのに行こ 帰って来られました。 罪を認めなかったためでしょ うとしないので、先生にお願い 一「ー日Ⅱい一 ( 「う、数日間警察に拘留されましに来ました」と言われます。 〈入院治療を希望〉 た。それまでも家で母親と言い 今治療している精神科医でな うちのクリニックに初診され合いをして、手を出すことも いと、運転できる精神状態だと た時、さんは幻聴や妄想を一一一口あったため、お父さんは、病的 いう診断はできません。 < 病院 われることはありませんでした なものを治すのに薬が役立つなの先生に病気は重くないと言わ が、診察室では精神科医を警戒ら入院して調整してもらおう、れたのなら、「ちゃんと運転し してか、質問にほとんど答えらと考えられ、近くの < 病院に入ますから」と頼んだら、証明書 れませんでした。お父さんから、 院治療を頼まれました。 を書いてくれるはずです。 家では外を警戒するようにカー 〈本人が受診しない〉 〈相対的欠格〉 テンを閉め切っている、と聞い て、私は前医と同じェビリファ お父さんの話では、その後 1 昔の法律では統合失調症の人 イを飲んでもらうことにしか月程度で退院したらしい は " 絶対欠格。で、運転禁止だっ お ました。 「 < 病院の先生は、そんなに たのですが、今は ( 2 0 0 2 年ら さんはほとんど喋らないま病気ではない、と言われるので道路交通法改正以後 ) " 相対欠 療 まに何度か受診されましたが、すが、息子は < 病院を嫌って行格 ~ と言って、幻覚や妄想によ ほどなく、他人の自転車を盗んきたがらないのです。今回運転る不適切な行動がなく、安全運街 で乗っていたとして警察に捕免許の更新時期が来て、診断書転ができる人は免許の更新がで 街の 診療所から のホ便り 〈診断書〉 ましもと 一三ロ
就す。年金コーナーの白石先生の家族との生活の中で色々な経験 みをで欄も大変勉強になっています。をしてきました。これからは家 の・古同 号 擲ナ新小説「雀の子—」のコーナー族で田舎に移住して自然の中で明 わ 静かに暮らしたいと思います。 ま則コも楽しみです。 年 の わ扠す 移住を決断したものの日々不安 のの介 坊紹◆熊本県高村ちえ子家族な気持ちが募る中で、 9 月号有 ん と 木温子さんの投稿を読んでとて っ 元代 ) み ね 作業所に通う息子を持っ母親も前向きな気持ちになりまし 〇 亠な ん です。雀の息子を読んで気持ちた。まずは田舎道を歩くことか 〇 み 〇 が引き寄せられ心に残るものがら始めたいと思います。 〇「みんなねっと」の感想あります。 誰もが精神疾患になりにくく 日常生活 〇◆神奈川県久保田安子家族なったとしても本人がしあわせ (€代 ) に暮らすための貴重な資産にで◆静岡県杉山雅俊家族 (€ 〇 夏苅郁子先生の御自身の病人きるような社会に変えてゆかな代 ) 〇 当事者としての時代をふり返ければ : ・と思って下さること有私の息子は歳で 1 級の精神 り、精神病を今生きている人のりがたい気持ちで読ませていた障害者手帳を持っています。 共感と力強いメッセージとなっ だきました。 歳—学校に不登校となり、自宅 たと思います。本当に私達に明 にひきこもりとなり、その後Ⅳ るい光を届けて下さったと感謝◆京都府みさき家族 ( 代 ) 歳の時に精神科病院に行き、統 します。どうぞお身体を大切に 合失調症と診断され、入院しま 「みんなのわ」毎月楽しみに されて私達当事者、家族を支援しています。 した。その後、入退院をくり返 して下さい。宜しくお願いしま 長年都会に住み統合失調症のしていました。そして 5 年程前 読者のページ から精神保健福祉士・した。 6 月仕事をはじめた直後のため早急に・職員の方・ 保健師が我家に訪間していまから息子は 6 時間の半分の時間私と妻・そして息子とで話し合 いをし、彼の訴え通り半日の仕 す。彼らの支援のおかげで今年で働きたいと話していました 6 月—就労支援型 ( 自宅からが、私と妻又職員は「ガンバレ・事で働くこととなりました。 それ以後息子は自分を取り戻 歩いて 5 分 ) へ行きはじめましガンバレ」と言っていたのが負 た。そこで仕事も覚え、又そこ 担になった様でした。 8 月末にし、イライラ感が取れたようで はイライラ感が再発し妻に「みす。社会人としての再出発がで の職員の方とも話ができるよう になりました。ところが 8 月のんなぼくの気持ちをわかってくきそうです。今後妻と私は、施 〇 夏休み後から休みがちになりまれない」と話していました。そ設の中での仕事を通し成長でき 〇 る様、専門職の方・施設職員の わ 方と連携・協働して息子に寄り 添い見守っていくことを第 1 優な 代先にしていくことを話し合ってん います。 み わ の 本◆群馬県高槁健ニ家族 ( 〇 亠な 君 みんなねっと 4S9 月号に障〇み ま害年金についての仕組み、認定ジ 〇一 基準、そして診断書への記載ポ 〇ペ イントが述べられました。とて〇者 茨も有意義な内容であり、ありが〇 たく思います。 : ロ
巡る状況を「まるで中世のよ お兄さんとお会いしてお話をし う」と表現されたことを覚えて ていると、ご家族がどれだけケ 会 いらっしやる方も多いでしょ リ 1 さんを愛していらっしやる う。その後も、精神科医療の身 かがわかりました。いろいろお 体拘束の問題については、新聞 よ 話しているうちに、どう考えて いても日本の精神医療における 〕 ( 榔各紙や教育テレビのハ トネット +> でも取り上げられ このような身体拘束の状況はお ご かしいのではないか ? それを ん徐々に社会のなかで知られるよ うになってきていると思いま しつかり変えていこ , つ、とい , っ る べ え す。 話になりました。 考 そこから、様々な関係者と調 拙稿をお読みの方々は、大切 拘 なご家族を精神科病院に託さな 整に入り、 7 月日の厚生労働 体 身 る ければならない状況であると思 省内と外国特派員協会での 2 回 お います。しかし、ケリ 1 さんに の記者会見を行いました ( 写 ご存知のようにケリ 1 さんのされた身体拘束、これによって療 真 ) 。この亡くなられたケリー・ サベジさんのご家族、みんな件、会の発足を国内外の多くのご本人や家族が辛い思いをされ科 精 ることは決して珍しいことでは ねっと等の皆さんと一緒に「精メディアが報道しました。 神科医療の身体拘東を考える ケリ 1 さんの母マーサさんがありません。先ずは身体拘束の特 日本の精神医療の身体拘束を現状を知り、大切な家族を守る 会」を発足させました。 精神科医療における 身体拘束を考える 杏林大学教授長谷川利夫 きない旨も看護師から伝えられ ニュージーランド青年 ました。面会謝絶の時に、お兄号 サベジさんの死 さんは病院に電話し、「拘束 ( の 年 ニュージ 1 ランド国籍のケ解除 ) はまだですか ? 」と尋ね リー・サベジさんは、大学で専たそうです。それでも身体拘束 と 攻した日本語を活かすために 2 が解除されることはありませんっ 亠な 年前から鹿児島県の小中学校ででした。 ん み 英語教師として働いていまし そして身体拘東をされて川日 た。平成四年 4 月 S 日神奈川県後、ケリーさんは心肺停止とな 内の兄の家にいた時に躁状態に りました。転送先の病院で蘇生 なり、県内の精神科病院に措置を試みるも、その後亡くなった 入院となりました。病院に到着のです。歳のあまりに早すぎ した際は穏やかで医師の指示通る死でした。 りにべッドに寝たところ両手首 「まるで中世のよう」な と両足、腰を拘束されました。 日本の精神医療 付き添っていた兄は「え ? なん で拘東 ? 」と強く疑問をもった筆者は、この痛ましいケリ 1 そうです。また、。 コールデンさんの死の後、ご家族から相談 ウィーク中は身体拘束を解除でを受けていました。お母さん、
円 ) レる、 むさ わ。 か、やさしく接してもら ■前回 2 月号の編集後記 0 〈凸裕」 2 のトれさし で子どもの立場の家族学った経験にとぼしく、き よアさどさ んノ稿くた価譴せ 6 6 習会をやっている事を書ようだいがいても孤独な 定購合ビ 4 み一投入く きました。 気持ちで頑張ってきたと 。 O いチ 5 ( メ※記 費 6 問グ一 ジの・ いう子どもの立場の人が 今年度の開催に先立ち、 会 3 お リ 7 一生 昨年の参加者で「今度は少なくありません。 一稿」お ホ 8 ペ〔信 ペ投。 , を 号費間間 3 9 ム田 担当者をしたい」と希望研修には代—代の男 月会年年 のて他ム 1 3 ホ織 してくれた人に担当者研女が行きましたが、あた 者た扣の一 助人一一 ' / 読しそネ年賛個団 c.O っ 0 「 / 伝 修会を受けていただきまたかい言葉をかけてもら 4 0 1 の した。 4 人が同じ担当者って、うれしくて、親の 引まん【 5 会 一 3 紙 8 表 ま本 研修会に行きましたのでぬくもりを感じて泣いて / きカ 0 に @ 族方号連袋 3 グループワークの時に同しまったそうです。 会池 1 3 7 古。う家る 祉東 1 一社 じグループで体験を語る 主催者側からは「親の黐 よれ 福区 2 0 会 几又 o , 」 事になりました。同じグ立場だけを考えてきた家 ループで話を聞いていた族会とは何だったのか改 第保豊一。愀 丿で ' 、殳巻神都 7 3 親の立場の方々から「大めて考えさせられました」 一。齢 で通精和京 0 1 印 1 国義東 9 0 敷 変でしたね。よく頑張っという言葉をいただきま メレ年ム 月全條 3 6 0 倉 と てきましたね」と心からした。 ハ『所一 人本田一 っ 法 9 3 替本 のねぎらいの言葉をかけ今度は自分達の学習会でわメ住ネ ね年団長間振製 のが、ン 、ひ / 社 ていただき、感極まって参加者をあたたかく包め面 ′ 1 益事 1 --a 便 ん 2 公理〒旺郵刷 みんなで号泣してしま 0 ればと頑張 0 ています。ん投皿氏 0 印 子どもの立場のホームペ たそうです みのははお 」日者 げへス方な ージを作りました。 親が病気であると、自 月発発 ( 松本 ) ⅸ 分の事だけで精一杯なの 知っておきたい精神保健福祉の動き / 特集 ( 各号にタイムリーなテーマで 掲載します ) / ( 投稿 ) 私と家族の手記 / 連載①街の診療所からのお便り 連載②精神科医療の現状と改革の展望 / 連載③知ることは生きること / 連 載④真澄こと葉のつれづれ日記 / みんなのわ ( 読者のヘージ ) ほか ・に月刊みんなねっと」これまでの特集の紹介・ ■ 2015 年・ 7 月号 : グループホームの運営ってどうなっているの ? 8 月号 : 家族をひろげ元気にする家族相談活動ー愛知の経験から ( 木全義治 ) 【品切れ】 9 月号 : 全科が無料になる医療費助成一地域家族会のとりくみ 1 0 月号 : 精神障がい・精神保健の正しい教育を一世界の教科書比較 ( 山田浩雅 ) 【品切れ】 11 月号 : 日本でも本人と家族をともに支援する家族支援の実現を 1 2 月号 : 戦後 70 年と障害者権利条約 ( 藤井克徳 ) ■ 2016 年・ 1 月号 : 世界から見た我が国の精神保健医療福祉 ( 長谷川利夫 ) 2 月号 : 精神障害者と差別解消法 ( 池原毅和 ) 3 月号 : 障害者総合支援法施行 3 年後の見直し ( 本條義和 ) 【品切れ】 4 月号 : 家族だからできる家族支援『家族による家族学習会プログラム』 ( 岡田久実子 ) 【品切れ】 5 月号 : 精神障がい者と家族 - それぞれが自立し、ささえあうために① ( 白石弘巳 ) 【品切れ】 6 月号 : 精神障がい者と家族 - それぞれが自立し、ささえあうために① ( 白石弘巳 ) 【品切れ】 7 月号 : みんなねっと「政策委員会」の取リ組み① ( 野村忠良 ) 8 月号 : みんなねっと「政策委員会」の取リ組み① ( 野村忠良 ) 9 月号 : メンタルヘルスと福祉教育をめざして ( 松本すみ子 ) 10 月号 : 訪問看護が家庭内暴力とどう向き合うか ( 原子英樹 ) 11 月号 : 家族の思いから立ち上がった ACT のとリくみ ( 宮崎富夫・倉知延章 ) 12 月号 : 家族が求めていた訪問支援が実現するまで ( 岡田久実子・吉澤美樹 ) ■ 2017 年・ 1 月号 : 東京ソテリアにおけるイタリア交流事業のとりくみ ( 塚本さやか他 ) 2 月号 : 精神科においてアウトリーチはなぜ大切か、どう進めたらいいか① ( 渡邉博幸 ) 3 月号 : 精神科においてアウトリーチはなぜ大切か、どう進めたらいいか① ( 渡邉博幸 ) 4 月号 : オープンダイアローク ( 開かれた対話 ) の話 ( 飯塚壽美・野村忠良 ) 5 月号 : イタリア精神保健見聞記 ( トレントの地域精神保健医療 ) その 1 ( 野村忠良 ) 6 月号 : イタリア精神保健見聞記 ( トレントの地域精神保健医療 ) その 2 ( 野村忠良 ) 7 月号 : それぞれの自立をめざしてその 1 ( 夏苅郁子 ) 8 月号 : それぞれの自立をめざしてその 2 ( 夏苅郁子 ) 9 月号 : それぞれの自立をめざしてその 3 ( 夏苅郁子 ) 10 月号 : 当事者の地域生活の実現をめざす精神科病院 ( 木全義治ほか ) ( ・「月刊みんなねっと」のバックナンパーのお申し込み方法・ 電話、 FAX 、みんなねっとのホームページよりお申込みいただけます。 代金は「 300 円 x 冊数 + 送料 80 円」となリます。 バックナンバー発送時に振込用紙 ( 郵便振込 ) を同封させていただきます。 公益社団法人全国精神保健福祉会連合会 ( みんなっと ) 〒 1 70 ー 0013 東京都豊島区東池袋 1 ー 46 ー 1 3 ホリグチビル 602 電話 : 03 ー 6907 ー 921 1 FAX : 03 ー 3987 ー 5466 月刊みんなねっと ~ 毎月こんな内容でお届けします ~ 編集後記
くり返していじっているし、椎野ない串著で看護婦のを受けな 他の入院串著に知れ渡ってしまう がら食事をしている。大学病院の のだ。清治はいつもこうやってたも本を読んだりタバコを吸いに かられ、番長はその菓子で子分をルームという食堂を兼ねた多目的ような予算に余裕がある所と違っ 集めて自分の部屋でパ 1 ティを開室へ行ったりしているのだが、清て一般の綿病院の食事は粗末な くのだが。 治たけは一日中敷きつばなしの布物である。米だけはそれなりの物 そのたかりを見ていた同室の佐団に入って、顔に仏像のような笑を使っているが、おかずに至って 藤も森谷も眉はひそめても番長いを浮かべながら昭和四十年代くは肉屋や魚屋で売り物にならない はんば物のようなのばかりで、ま に注意する度胸は無く仕方ないとらいに洫何った「木蓮の花」を小 して注はそれを刻んで食べる訳 いったおびえた視線を泳がせ、入さな声で歌っている。 院したばかりの若い椎野は目を白食事も漬治は刻みという他の患だから食事というより単なる栄養 黒させていた。ただ清治は番長が者とは違う物を食べている。補給のようなものだ。しかし、清 行ってしまった後、別に悔しがるルームに数十人が集まって食事を治は不満も一一一一口わず犠的に咀嚼し するのだが、注伯は隅の一角で料ている。 訳でもなく残った菓子をポリポリ 理を細かく刻んだ物をもくもくと病棟の消灯は九時である。一斉 と食べていた。 いったいその病棟でも清治くら食べている。清治のまわりで同じに電気が消されると常夜灯の無い 手 の い咸宿の起伏が無く何もしない患ものを食べているのは、病気がひ病室は真っ暗で廊下の常夜灯の明 者は少ない。同室の森谷はいつもどくなって手足が麻痺して自力でかりが僅かに差し込むだけだ。そ家 ラジカセで音楽を聴いているし、食事のとれない串署や、年を取っの暗闇の中で隣り合って寝ている 佐藤も自分のわずかな荷物をひって細かくした物でないと飲み込め佐藤と森谷が眠る前のいっとき少 五ロ 一三ロ 、北村昌紀 その 5 開かれ直次という一一一十過きの男が 入って来た。病棟ではみんなに番号 月 長と恐れられている男だ。その直 年 あきは支援センターを尋ねる前次が、 、冫 , ししよな ? 」 にまた清治の所に面会に行った。 と と血作に清治の菓子に手を伸 注の顔を見て自分を奮い立たせ っ ね ばした。清治は悲鳴に近いような 亠な るつもりだった。いつもの面会と ん み 同じ様に部屋まで行き、何も話さ声を張り上げて、 「半ハしていって」 ない清治に向かって自分の計画は と言い、さすがに直次も全部取 話さず世間話をした。そして差し 入れの菓子を置いて重い腰を上げり上げるのは気が咎めるのか、ビ た。あきは自分の差し入れで当分スケットやせんべいの袋を乱暴に 開けると、中身の半分を注の布 は清治が満ち足りた思いをするも のと思っていた。しかし、精神病団の脇にばらまくように置くと 残りを持って行ってしまった。病 院の中でどういう事が起こるか、 棟では面会に来る人はめったに無 あきは知らない。 あきが帰った後、清治が差し入く、来ると院内放送でアナウンス れの菓子をぼんやり見つめているされるので、誰の所に見舞いが来 と、部屋の戸が大きな音を立ててたか、つまり差し入れがあったか 3 一三ロ