月 年 の副・ : お母さんから質間の ク 街手紙がありました。・ 増 画 -- 0 っ 連載一 ~ ね な ん 〈病気だろうか ? 〉 〈家に閉じ籠もる〉 ないかと心配はしても、病院受 息子の > さんは、東京の理系 2 週間ごとにお父さんと来ら診を強く一一一一口うこともなかなかで れている > さん ( 歳男性 ) はきなかったのです。お父さんのの私立大学の 3 年目に大学に 8 年間家の自室に閉じ籠ってお方が気持ちが暗くなり、一日中行くのが難しくなったようで 息子のことが心配で夜眠れなくす。親は、就職活動がうまく行 られます。 かないことを気にしてはいまし > さんは食事やトイレ・入浴なり、うちへ通院されるように の時以外は一日中部屋から出なりました。そして、ずいぶんたが、いよいよ卒業して親元に とたってから「実は息子のこと帰ってきてからは、息子が周囲 ず、隣近所からも隠れるように が心配で、夜もしつかり眠れてに対して異常な恐怖感を持って して過ごされていました。でも、 いることが分かりました。自室 本人が悩みを相談するどころいなかった」と打ち明けられた から出ようとせず、「中学校時 か、ほとんど一言葉を発しなかつのです。 代に野球部で同級生にけがをさクに相談に行かれていますが、をしたままでいると行き詰って せてしまってから、自分はダメ精神科医も本人と会わないではしまいます。自分一人で考え込 診断を決めることはできなかつまずにほかの人の意見を聞いて になった」などと繰り返すよう になったからです。このころおたようです。そして、対策のなみてもいいと思います。私のク いままに数年が過ぎてしまいまリニックに来てみませんか。あ 父さんは近くの精神科クリニッ した。 なたにちょうど良い薬もあるか 〈勘違いの病気〉 〈ばかにされている〉 私のところで、お父さんが相 その後半年もたったころ、お 談を始めたのは 2 年前です。こ 父さんに連れられて、 > さんは のころから > さんは「頭が変に なりそう。死にたい」と言われ受診されています。 「自分の考えていることを常 たようです。この時私は > さん に否定されているようです」 宛に短い手紙を書きました。 お の うまくいかないことが多いよ 声がするのですか ? ら うですね。人生は大変ですから 「声はしないです。統合失調 療 ね。ただ、お父さんから話を聞症の父方のおばさんがばかにし の 街 くと、あなたには勘違いがあるて笑っているんです」 そのおばさんだけですか ? ように思います。ずっと勘違い ましもと 増本茂樹
彎の一 つ第圄 嫌なことは あるけど い悪 な者 いな そう思えた。 ヾ 0 〇 0 0 0 0 物 結果 電車もバスも 怖くなくなった。 みんないい 人だもんね 00 。 と自尊心みたい なのがでてきて 私って 大切にされている から大切な存在 なんだ 最近やっと 美容室も怖く なくなった。 と周りの人も 大切に思え そうすると 自然と あ、あの人も 大切 あ、あの人も 大切Ⅱ ~ な第どては 33 真澄こと葉のつれづれ日記 なあんだ みんな 大切なんだ みんなねっと 2018 年 2 月号 32
も参加するようになっていましは積極的に多くの授業に参加さ 私は 2016 年に、虹丘さん た。その中で、自らを家族教室れました。ある日、授業後に参たちと数名で、福島原発の被災 につないでくれたの後姿加した懇親会会場のトイレで並地域 ( 帰還困難区域 ) へ行き、ゴー から、「私が目指したいのは高齢んでいる時、声をかけてくれたストタウンと化している街を視 者のケアではなく、精神障がい 学友が、奇遇にも精神障がいの察して、言葉にならない思いを 者のケアだ」と考えるようになつある人の兄弟姉妺だったのです。共有したことがあります。その ていきました。さらに、偶然のこのことがきっかけとなり、兄虹丘さんの一番好きなことは、 出会いも後押しします。虹丘さ弟姉妺の会につながりました。 ゲラゲラ笑い、ゴクゴク飲むこ んが働いている高齢者施設に、 そして、実際に参加すること と、と言われます。実際、福島 ひとく / 、 以前勤めていた航空会社の 0< によって、家族と言っても、一括県相馬市で入った居酒屋では、 の先輩が実習に来られ、再会をりにすることができず、その立被災した店の大将のいいところ 果たしたのです。「 0< だった者場性によって、距離感等が随分をいつばい引き出され、場を和 でもそんな道があるのか」と、異なることを知れたと言います。ませ、皆で語りやすい雰囲気を と を目指すことに大きくっ 率先して作って下さいました。 こ る ながっていったと言います。 相手が、喜ぶ、元気になるように、 間違いなく、虹丘さんもたくさ き 生 常に受け取リやすいバトンを渡すんの荷物を背負って生きている まなざ 兄弟姉妹の会を知り、つながる ここからは、虹丘さんのこと はずなのに、眼差しは常に応援こ る 虹丘さんはを目指し、を私なりに振り返りながら、未者なのです。それはきっと、こ 知 2014 年、大学に入学した後来を語りたいと思います。 れまでの歩みのなかで、身につ の精神科病院では、主治医と話年 3 月Ⅱ日に起きた東日本大震掲載されている精神科病院を訪 ができるような雰囲気も感じら災です。また、震災の直前には、ねてみたことがきっかけとなり、 れなかったのです。 お姉さんの夫が亡くなり、弟さ「家族教室」の存在を知り、他の このように、これという情報んのこともあり、何よりも、被家族と出〈ムうことになります。 が得られないなかでも、虹丘さ災地の人たちのことを考えると、 そこでは、多くの家族の抱え んが精神医療に求めていたのは、 「ポンヤリしていられない」と一ている悩みが決して同じでない 「弟をなんとか治してくれないか念発起されたのです。 ことがわかった、と言います。 なあ、でも治るのかなあ」とい その後は、持ち前の行動力で、その一方で、精神障がいによる う思いでした。 産業カウンセラー、介護職員基生きづらさを持って生きること 礎研修の受講を始めました。まが、どれほど難しいことかを実 ボンヤリしていられない、動きた、「ふんばろう東日本」という感することもできました。しか 出そう チームに入り、被災地の人々とし、だからと言って希望を捨て 虹丘さんは、年に航電話で話したり、さらには、宮てはいけないこともわかり、虹 空会社を退職した後、 0< とし城県石巻市にも行きました。 丘さんは勇気を得られたのです。 て身につけたものを活かし、塾 やマナー講師、さらには、クリ家族会に参加し、暮らしの多様自分自身の生き方として精神保 ニックで働いておられました。 性を知る 健福祉士 (a-(f)3) になろう そのような最中、大きな転機震災の翌年の 2012 年、虹 虹丘さんはその後、高齢者施 が訪れます。それは、 2011 丘さんは、お母さんが読んだ本に設で働きつつ、徐々に家族会に みんなねっと 2018 年 2 月号 28
さ心 な中 で、治療行為の一環として行わになっているのではないでしょ す みを でれているものと思っていました , っカ の稿一 号 月 患者心理教育も教育入院期間 ナが、どうも先生の個人的なご厚 わ 意による学習会であることを後 ( およそ 2 か月間 ) を過ぎると 年 」便る の第ー わおすに知りました。 地域に戻ります。 つの なら紹 そのため家族を対象とした 6 精神障害者の治療方針が、入 ん と っ 「んに回シリーズの家族心理教育は、院から地域医療へと向かい、社 み ね 〇 当事者・家族にとっては有用で会で受け入れる方向にかじ取り 〇 も病院経営としては負担だけでを変えていく中、田宮病院と同み 〇 医療ポイントにはなってないよじような志を持った病院が全国 〇「みんなねっと」の感想 うです ( 毎回参加者は 2—家に広がることを願います。 族 ) 。 まずは一番身近な病院と家族 〇◆愛知県佐野久司家族 ( 年 このⅡ年間で先生が、名古屋の意識を変えていくことが当事 齢不詳 ) の病院から八王子の病院へ、さ者回復の近道だと確信していま 2 月号みんなねっと特集記事らに稲沢の病院を経て長岡の田す。 「当事者の地域生活の実現を目宮病院へと転院された経緯は患そのためには家族心理教育を 指す精神科病院」を拝読しまし者・家族にとって有用の治療方医療行為と認めていただき、患 一」 0 法でも病院経営には有用ではな者と家族が病気を学び多くの患 Ⅱ年前に渡部先生の家族 かったからだと思えます。 者を安心してサポートすること 心理教育に参加して病気の本質今も田宮病院には長岡市以外が大事だと痛感します。 を学び、私を含む社会一般の認の全国から患者と家族が心理教何処にその声を届けたらよい 識不足を痛感した一人です。 育に通っていることと推測しまのでしようか。 病院内での研修会でしたのすがおそらく無料での教育研修 「娘さんが発症されたことを 私は 3 人の子に恵まれまし ◆滋賀県万木千枝家族代 ) た。が、長女と長男が難聴です。 2 月号の「みんなねっと」を読きっかけに残業を一切止め会社 ませて頂きました。私は統合失調での肩書を全て降ろす決断をさ二女は普通ですが : ・。長男は 29 症の息子 ( 歳 ) と二人で暮らしれた事」は本当に勇気のいる事歳の時、失恋がきっかけで発症 ですし、部下の人や職員の前で、しました。 ています歳女です。 これまでの人生は子供の事は 自らの主人公としての家族の暮家庭内での状況を包みかくさず らし特集①を読んで山本さんの手話された事は本当にご立派で頭言うまでもなく、夫の事でも随 記を読んで大変感動致しました。 分と苦労しました。しかしこの が下がります。 〇 歳になって夫も亡くなり息子と 〇 一一人の生活を楽しんでいます。 代 わ 今まで生きてきた事の意味を はつ ( ~ も ) し ( て・も しみじみ感じる此の頃です。な 人 ん 本 ◆熊本県田島敬一家族代 ) み 0 ン みんなねっとの月号にケリ〇 わ ャ ーサベジさんという、ニュージ〇 の 0 亠な ーランド国籍の青年が神奈川県〇 ャ内の精神科に躁状態で入院した〇み ところ、身体拘束によ「て日〇 〇一 県後に心肺停止になってしまった 〇〔 媛 そうです。 〇者 ←両手首と両足、腰を拘束され〇読 ておぞましいことです。 ニ : ロ
に負けないで共に頑張りましょ 熊本地震で車中泊をしているきますが、統合失調症は 2 度と 〇 うちにエコノミークラス症候群前の状態には戻りません。 号 〇 月 人々から疎外され迫害され虐 で亡くなった人もあり、みなさ わ ん警戒していたというのに、まめられて生きて行かなくてはな◆北海道スーちゃん本人年 らないです。 ( 代 ) なるで病院が殺したみたいです。 中には大したことはない、な 統合失調症になってはやⅣ と ん身体拘束は広く行われている っ どと豪語する人もいますが、そ年。得た物と失った物がありま みのでしようか。 ね 亠な の人も失敗して精神病院送りにした。 なったりしています。 得た物は入院とジプレキサでみ 〇日常生活 統合失調症は完治する薬の無瓸太ったのでデブトークが出 い豪病です。 来る事です。意外に盛り上がり 〇◆青森県家康本人代 ) 神はなぜこのような試練を私ます。あと家族のありがたみが 〇統合失調症は恐ろしい病気だ たちにくれたのか、わかりませわかりました。 と思います。 〇 失ったのかそうじゃないかし この病気にかかると社会からん。 なんでこんな病気があるのだわかりませんが友達。 〇疎外されてしまいます。 ろうかといつもうらんでいま 普通に結婚して子供を産んで この人なら大丈夫と思ってい 会社で働いてという人生がおく ても自殺したり、精神病院で暴す。 しかしそれはそれとして、私れない私にとって、会っても何 れたりしていると、よく聞きま 達統合失調症患者は共に助けあを話したら良いのかわからな す。 、勇気づけあい、立派に生活 統合失調症に一度かかると根 カミングアウトしたら嫌われ 治する薬がないというところがしていけば後世の人も評価して くれるのではないでしようか るのではないか、などと思って 厄介です。 統合失調症のみなさん、病気 いるうちに賀状だけの関係、何 骨折してもいっか骨はくつつ 年かに一度メールするだけの関 いつおわるのかこの苦悩 設けました。 係になってしまいました。 光を求めてどこまでも 一一日目は①各県連から " 外と 毎日作業所に通所している時 繋がるための具体的な活動報告 ~ は仲間や仕事にもまれて気付き と意見交換、② 4 人の当事者の 地域の話題 ませんが、ふとした時に感じる 方の発表、という日程でした。 寂しさです。 ◆みんなねっと四国プロック大懇親会は正調よさこい踊りと 残りの人生どう動くかはわか会ⅲ高知 当事者によるピアノ演奏で盛り りませんが、過去の失敗を繰り高知県精神障害者家族会連合会会長上がりました。 〇 返さないように大人になって歩 横田直子 参加者へのアンケートやスタ 〇 んでいければと考えています。 平成四年度みんなねっと四国ツフの総括からは、津久井やま わ プロック大会ⅲ高知は「地域でゆり園の事件をとりあげたこと 暮らすためにーっながる家族会が良かった。お互いの想いを伝よ をめざして」をテーマに月 5 えあうことが励みとなった。なん ◆千葉県廣瀬新一郎本人日 6 日の両日、開催されました。 どが評価として挙がりました。み 代 ) 初日は相模原市津久井やまゆ 一方で、時間が足りずに分散〇 わ 幾つもの障壁を超え り園の元職員西角純志氏を講師会の意見を紹介できなかったこ〇 の な 進み歩みつづけるこの魂 に「津久井やまゆり園事件ー匿とや、みんなねっと理事長にも〇 燃え尽きるまで 名報道から考える」という演題っと長く国の施策やみんなねっ〇み 果てしなくつづく旅路 で講演会が行われました。 との方向性を話して欲しかっ 〇、一 ゴールはあるのかどうか : 分散会は講演内容を柱にしてた。という意見が課題となりま 〇ペ ただ進化していくこの魂 ①郵政思想②ヘイトクライム③した。 〇諸 褪せるまで続くこの命 匿名報道④共生社会⑤家族会⑥今回の大会テーマ「つながる〇 いっ燃え尽きるだろうか フリ 1 トークの 6 つの分散会を家族会は家族会の深刻な現実か -
ら考えたものでもあります。 応えてくれる人たちの存在を大体化しました。 〇 どこの家族会も大変ですが 3 切に今後も一歩づっ歩みを進め 私たちは、 2014 年に批准 号 〇 月 障害の連携を進めている仲間がていきたいと思います。 された障害者権利条約の精神 わ いたり、精神に特化したボラン ( 権利の主体 ) を大会の柱とす年 なティアネットワークが全国規模◆平成四年度九州プロック家族べく、大会テーマを「長崎から、 んで動いている事実に学び、私達会精神保健福祉研修会長崎大会精神保健福祉の未来へ」、サプ と みもネットワークを広げたい、でを開催して テーマを「創 ( つく ) っぞ、平っ 〇きることから始めていこう。 九州プロック家族会精神保健福祉研和な共生社会 ! 偏見も差別も吹な 〇そう想い、、 しろんな団体や個修会長崎大会実行委員会事務局長っ飛ばせ」としました。さらに、 み 〇人と繋がることを大切にして大 中里和彦シンポジウムテーマを「ありの 〇会準備を進めました。 ままで住める共生社会を目指し 自ら足を運び、いろんな個人 昨年、月 5 ・ 6 日の二日間て」とし、そのキーワードを「当 や団体と繋がっていくことの効 にわたって長崎市のプリックホ事者は求め・家族は開く・地域 ールにおいて標記大会を開催しは共働する」としました。 〇果はすぐに表れました。 大会初日には、各報告に続き、 〇療もの協賛広告が得られたこました。 と。 大会には、九州沖縄各県から長崎と原爆に関する基調講演。 地元の新聞に講演内容が紹介名を超える家族会員や当様々な障がいを持っ掛屋剛志さ されローカルテレビで会長のイ事者・支援者が集い、意義深いんのピアノ演奏。夜は、賑やか ンタビューが放映されたこと。大会となりました。 な懇親会。 読者欄への投稿で参加の電話 この大会の開催にあたり長家 2 日目は、第一会場では、「家 をいただいたこと。 連としては、一昨年のⅡ月には族会のこれから」と題した記念 どれも初めての事ばかりで、準備委員会を、翌月には実行講演と家族・当事者等によるシ とても力になりました。動けば委員会を立ち上げ大会準備を具ンポジウム。第二会場では、「家 族による家族学習会担当者研修びました。同時に、そうした家 会」を行いました。 族・当事者の勇気を支える地域 私たちは、この二日間の大会のネットワークづくりの大切さ を通して、何より平和な社会をも学びました。 守ることの大切さ、家族・当事 一方、大会の成果を広く地域 者が「地域社会の主体」としてに還元すべく、数多くの報道機 一歩踏み出す勇気の大切さを学関に大会取材の要請を行いまし たが、結果的に、一社からの取 材もなく日頃からの情報発信の 不足を思い知り、外に開かれた 活動の大事さを再認識する機会 となりました。 今後は、大会の成果と教訓を 胸に、内にこもらず地域の資源 としての家族会活動を続けてま いります。 k 、物から、物物保・物被の東第ヘ一 葷和と第・ : 人物の安全と国第の安全 会大 ・物・・第ビ′第満・掛屋第志民 〇 〇 わ の ん み 「読者の皆様へ」 な 当会では本誌内容について、執筆〇 者への直接のお取り次ぎは致してお〇み りません。内容についてのご意見ご〇 感想等は、投稿としてお寄せいただ 〇、一 ければ幸いです。また、「みんなのわ」〇ペ コーナーにお送りいただいた各種文〇者 書、作品等は原則としてお返し致し ませんので、ご了承ください。 原稿を募集しています メールでの原稿募集を始めました。 アドレス : minnanet.seishinhoken@outlook.jp ・「みんなのわ」コーナー ( 300 ~ 350 字程度 ) ・「地域の話題」コーナーへ皆様の原稿をお寄 せ下さい ! ( 1000 ~ 1200 字程度 )
それでも、私たちは利用者の感じるようになってきたことも 回復を信じています。良くなる驚きです。ケロプダス病院の U<NOU のスタッフのみなさんと信じています。短期間にではオープンダイアローグのミー なく、笑ってしまうくらいの長ティングでは、終わるときに、 い年月のスパンで見ているの参加者全員がそのような感情に で、 1 年ごとの計画などは立て包まれることは珍しいことでは ません。いっか良くなると信じないそうです。 て見ています。一人ひとりの思 「対話」という種をフィンラ いを大切にして、その年月を共 ンドのオープンダイアロ 1 グか に生きて行きます。 らもらって、いま、みんなで育 切 そして凄いと思うのは、そのてているところです。仕事そのを 0 ように考える仲間が増えていくものがオープンダイアローグだ ことです。 >Z<NOO には、そと思っています。共存と平和が 尊 のように考える人々が集まってあまねく地域に実現する日を楽 の スタッフになり、みんなで利用しみにして、これからも続けてと 者は良くなると信じています。 ゆきます。 と オープンダイアローグのミー 集 ティングに参加して、スタッフ がお互い同士を「愛おしい」と 二一題が解決したら次の課題に取とも、の責任としてしたいと願っています。地域に 「対話」の土壌を培ってゆきた 号 り組みます。いろいろな状況に取り組んでいます。 月 いのです。 ある様々な方々の、それぞれの 年 渡邊さんと = 一ッ井さんの信念 私たちは、利用者の能力のス ご苦労に寄り添うのが願いで 訪問看護ステーションの仕事テップアップを大切なこととは す。 と には、病状や服薬の管理、健康思いません。また、問題を解決っ いまは、オープンダイアロー 亠な グとは、人と人とのより良い係状態のチェックの範囲を大きくすることを目指しているのでは ん み り方に付けられた名前かもしれ超えた目的があります。それは、ありません。利用者一人ひとり 利用者の心の安定です。今までのニ 1 ズに合わせて支援します ないと思っています。 いろいろなことに傷ついて失っが、自尊心や心の傷の回復こそ 今後に向けて が何より大切です。そう思うと た尊厳の回復でもあります。 自分の生活や人生を自分で決きに、オープンダイアローグか の今後の方向性と して、オープンダイアローグをめることが、いろいろな状況から学びたくなります。 利用者の生死の問題や、「助 取り入れて特別な存在になるのら難しくなっています。それを けてください」と言われて助け ではなく、地域に開かれた存在回復させることは、 だけではできません。地域の協られないときのしんどさ ( : : : ) になることを目指しています。 地域の支援者たちがつながってカできるいろいろな人と手を取があります。支援していても、 一緒に取り組んでいく姿勢にみり合いながら、総力を挙げて立ち直れるかどうかは分かりま 係ってゆく地域のあり方を実現せん。 んながなれるよう働きかけるこ ( 取材・野村 )
知るごとは生きるごと 連載 % 回 の後、お父さんの会社の転勤に より、 5 歳から 2 歳まで台湾の 号 月 台北で過ごされています。その 年 ことから、虹丘さんは台北を第 持っ私が今を一生懸命生きる 二の故郷と思っており、当時の と おさななじみ ( 自らの人生の主人公としての家族の暮らし特集⑤ ) 恩師や幼馴染みとは、今も 1 年っ 亠な に一度は集まるそうです。とに ん みんなねっと理事青木聖久 かく、伸び伸びとした環境で生み 活できたことが、何よりだった にじおかそら 今回ご紹介するのは、虹丘空就労継続支援型事業所で生活と言われます。ちなみに、虹丘 さん ( 仮名【歳代女性 ) です。支援員をされています。 さんには、お姉さんと弟さんが 虹丘さんは、歳から年間に 虹丘さんは、 2014 年に社おられます。 わたって、航空会社のキャビン会人学生として大学に入学され、 そのような中、 2 歳で日本に アテンダント ( 以下、 (<) とその年の夏に、スク 1 リングで帰国した際、何かにつけ、「日本 して、世界の空を飛び回り、さお会いしたのが、私との出会い は禁止事項が多いなあ」と感じ らには新人の教育係となり、後です。 たそうです。市民プールでは、 進育成に務めてこられました。 プールサイドから飛び込むと、 航空会社を退職麦ま、、 し / つ、か 帰国子女として学童期を過ごす「ピピ 5 ツ」と笛を吹かれ、怒ら の職業に就き、 2016 年より、 虹丘さんは日本で生まれ、それるのですが、内心「ちゃんと して 5 年目を迎えた歳の時、 います。 安全なことを確認して飛び込ん 虹丘さんの趣味の一つが茶道弟さんが精神疾患を発症された でいるのに」と思っていた、と で現在も続けているのですが、のです。実家から片道 2 時間か 言います。 そのきっかけは、 0< として空けて大学に通っていた弟さんが、 航空会社での ( < として心豊かを飛んでいた時だったそうです。一人暮らしを始めた直後のこと な人たちと出会って 歳の時に機内で外国人のお客でした。虹丘さんにとっては、 これまで精神医療との接点が全 その後、歳から虹丘さんはさんに「あなたは日本人女性だ から茶道もやるし、着物も着るくなかったこともあり、家族全 航空会社の 0< になるのですが、 ふり返ると、 0< 時代に出会っんでしよ」と聞かれ、両方とも員が出口の見えないトンネルに た同僚やお客さんは、心豊かで出来ない自分が恥ずかしくなり、入っていく心境だった、と当時 固有性に富む人が多く、まさに、帰国後すぐに茶道と着付けが出を振り返っておられます。 多様な価値観を知ることになっ来る親友に相談し、お茶の稽古また、弟さんが入院していた 病棟の窓が鉄格子で覆われ、病 を始めておられます。 たそうです。退職後、勤めてい 室が畳部屋だったことから、虹 た航空会社が経営不振に陥り、 持っていた株が大暴落をし、虹弟さんが疾患に遭遇し、家族丘さんにとって精神科病院は、 非日常の別社会として映り、言 丘さんは大きな損失を受けまし全員かどうしてよいかわからず たが、それでも、そこで得た体虹丘さんは 0< として、まさ葉にならないものがありました。 加えて、今でこそ、家族支援と に充実した日々を過ごされてい 験を考えれば、比較にならない いう一言葉が使われますが、当時 ほど、素敵な年間だったと一一一一口ました。そのような中、 0< と 27 知ることは生きること
「みんなねっと」の ホームページをご覧ください ☆メルマガ会員募集中 ( 無料 ) ☆ 「みんなねっと」で検索 ! http://seishinhoken.jp/ LINE 公式アカウント【@ minnanet 】 公式ツィッター【@ minnanet 】 2 月号通巻第 130 号 8 0 LINE@ 【表紙の絵】織田信生 ロ 知っておきたい精神保健福祉の動き 2 0 特集ひとリひとりの自尊心と思いを大切に 訪問看護ステーション「 K A ZOC 」の願い一訪問取材 - 6 事例からみる精神障害者の障害年金の実際 【連載第 1 1 回】病歴・就業状況等申立書の書き方伯石美佐子 ) 16 街の診療所からのお便り【連載 129 】 ( 増本茂樹 ) ・・お母さんから質間の手紙がありました・・ 知ることは生きること ( 連載 26 回 ) 元航空会社の CA という側面を持つ私か今を一生懸命生きる 《自らの人生の主人公としての家族の暮らし特集⑤》 ( 青木聖久 ) 26 みんなねっと @minnanet 精神障害者家族会の全国事務局スタッフー同 東京都豊島区東池袋 91 フ第「 : に 96 メディア みんなねっと @前 n 聞 n ( 三時 社会保障審議会障害者部会 ( 第 85 回 ) 降害者総合支援法の一部改正に伴う検討や陸 害福祉サービス等報饂改定について いいね 詳細情報一宮業時問 , 定休日 , 電話番号 . 住所なと一 0 0 みんなねっと 県連イベント情報 ・友だち追加の方法 ・フォローの方法 回・ - 回 ① Q R コードから Twitter ページより LINE アプリを起動し 「@minnanet」で検索 「その他」→ →プロフィールページへ行き、 「友だち追加」→ プロフィール画像のすぐ下に 「 QR コード」から QR コードを ある「フォローする」をタップ 読み取り「追加」をタップ ② ID 検索から LINE アプリを起動し ご登録 ! 「公式アカウント」→虫眼鏡マー お待ちしています ク→みんなねっとと検索し「追加」を タップ 「みんなねっと」電話相談のご案内 TEL : 03-6907-9212 受付時間 : 水曜日 IO 時 ~ 15 時 ※祝日と重なった場合はお休みです。※お昼 ( 12 時 ~ 13 時 ) はお休みをいただきます。 みんなねっとのホームページではメールマガジンを発行しています ( 無 料 ) 。当会の活動だけでなく、各都道府県連の情報なども随時お知らせす るメルマガになっています。ぜひ、ご登録ください。詳しくはホームペー ジをご覧ください ( 「みんなねっと」で検索ください ) 。 6 / 8 16 : 12 22 真澄こと葉のつれづれ日記 ( 第 83 回 ) 32 みんなのわー一読者のページ・地域の話題 34 原稿を募集しています メールでの原稿募集を始めました。 アドレス : minnanet.seishinhoken@outlook.jp ・「みんなのわ」コーナー ( 300 ~ 350 字程度 ) ・「地域の話題」コーナーへ皆様の原稿をお寄 せ下さい ! ( 1000 ~ 1200 字程度 )
薬が合ってない可能性がありま対して「立派な人間になってくと思います。自由に生きたいで す。 れ」と願うものです。ス しい会すね。そのためには、夜はちょ それから、気にしなくていし 社に入って、たくさんの給料をうどよく寝て、朝起きてご飯を ことで頭が迷い続け、楽しいこもらって」とも思うでしよう。食べたら、仕事と遊びが自然と とも明るいこともできなくなつでも、病気をもらってしまったあって、夕方には程良く疲れて てしまうのは精神病の特徴でら、そういうわけには行きませ休息モードに入りたい。病気で す。薬が強過ぎる場合は、眠くん。「薬を飲まないでいいよう ない丈夫な人では、無理に頑 なったり、身体が重くなったり になってほしい」というのも難張ってたくさんのお金を儲ける します。 しい。まず親が子供の病気の部人もありますが、精神病の人は 分を認めていろんなことを諦めそんなに頑張ることはできませ 〈諦められない〉 なければ、子供はなおさら病気ん。でも、そうだから、 " 無理 このお母さんからのメモを読を認められません。子供は親のに頑張らないで生きて行く気 むと、息子は希望して頑張って期待に応えたいものですから。 とい一つことを阜・ / ハ刀かることが できるはずなのです。 〈ちょうどよく生きる〉 実を、お母さんは受け入れて おられないようです。お父さ 精神科の治療の目標は何で んは医者と何年間も話してきしようか ? 私は、その人の心 て、元々の希望は諦めておられに自然に生じた楽しいことを ます。どこの親も自分の子供にやって行けるようになることだ れ、「夜は眠れる。昔の嫌な人 「誰でもみんなが自分のことれなら、精神病の患者さんはい をばかにしているような」 つから薬を飲むようになるのと縁を切りたい」などと言われ号 月 るようになりました。 そういう風に考えるのは病気でしよう ? > さんの場合は、 年 のせいと思いますよ。 " そんな「死にたい」と言い出して、車 0 ー ( 、鷲」、、・。要 ~ 。《、 〈お母さんからの質問〉 に考え続けなくてもいいですに火鉢を持ち込んでいたり、縄 と っ 今回の受診ではお母さんのメ よ ~ という薬を飲んでみませんを持って裏山に行ったりされま ね 亠な か ? 飲んでみて感想を聞かしした。危ないですね。それからモを持って来られました。お母 ん み てください。と言って、ほんのはお父さんも " 馬鹿にされたとさんの意見は初めてです。 「本人が、いらいらすると言 少量の抗精神病薬のロナセン 2 思わなくてもいいように ~ と、 います。薬の副作用ですか ? 」 を処方しました。もし、強す薬を勧められるようになりまし 「意欲が出ないようなのです ぎたら眠くなったりして、それた。薬はオランザピン川から が、薬が強すぎるのでは ? 」 きり飲んでくれないですから始め、に増やしています。 いらいらするのは頭でしよう その後も「薬を飲んでも何の ね。 嗽、。。。。。 ~ 、 ( → ) 。一 ( ( 一 ~ 効果もない」と一『〕われるので、か、身体とか手足とかでしよう 〈自分は病気ではない〉 効果がないのは量が足りないのか ? 精神的なイライラでした でも > さんは薬をすぐには飲だろう。きっと > さんにびったら、それは症状です。イライラ まれませんでした。人は、自分りの薬があるはず、と説得しての元を考え、薬の工夫が必要で は病気ではないと頑張っているきました。この 3 か月は本人が、す。そうではなく、手足がイラ 間は薬を飲まないものです。そお父さんと 2 週間ごとに通院さイラするのでしたら、抗精神病 25 街の診療所からのお便り