後からオープンダイアローグ自という一一一一口葉が生きたものとして んな街の中 主勉強会を重ねてきた。今年で自分のなかに入ってくるような での、日常 のちょっと 3 年目に入り、参加してくださっ体験ができた。 「オープンダイアローグは、ス た方々も述べ 8 0 0 人を超えた。 した安心感 昨夜開かれた回目の勉強会トラテジ 1 ( 戦略 ) やテクニック では、フィンランドへ研修に行のようなものではない。それは ら感じられ るかなと、 くときに通訳をお願いしている考え方であり、他の人々や世の ムーミン研究家の森下圭子さん中へどのように関わっていくの 中 を講師としてお迎えした。 かということである」「 T ュ芝目 d と一緒に、 の 常 ひとりひとりが「風光る」と e 目フ試行錯誤の連続」とヤー 私たちは考えていきたい。 で いう季語を使った俳句で内的世コ・セイックラさんは書いてい 今回、このような連載のお話を 中 界を表現し、ひとはみな、自分る。行動の基盤となる考え方を いただけたことは、個人の語りを町 のくせで世界を見ている、そん個人、チーム、そして地域に浸チームの語りにつなげていける なことを体感することができる透させていくことが、オープン貴重な機会になるだろうと思い 一一ように工夫されていた。間人のダイアローグ実践を広げていくお引き受けさせていただいた。そっ お 参加者が五・七・五のⅣ文字で表道のりなのだと私は感じている。 して、私たちの手探りの歩みに、 あ = 一 ( 現したそれぞれの内的世界を見肩の力が抜けて、よく眠れて、共感してくださる方々との新し 五ロ 二一一口 ご飯がおいしく感じられて、一 ながら、「みんな違っていいんだ いつながりを紡いでいけること よ、違っているからいいんだよ」緒に笑いあえる誰かがいる。そを願っている。 聞く私自身の思いが変化し、そ人々に、ゆっくりと伝える日々 必要なものであるか、大切なも 号 のであるか、対話を通じて、ひれに伴い聞く姿勢も変化してきを過ごしている。 月 私に私の語りがあるように、 たのだが。 話されていることを とりひとりが自分の思いを語り、 年 誰もが自分自身の語りを持って チームの実践のなかに取り入れ「症状」と診るのか、「困ってい いて、そのことをチームの中で ることができるように今、ゆっくる体験」として聞くのかで、彼 と っ が一人の世界で苦しむか、話を語り合うことができることは、 りと取り組んでいる。 ね してくれるなかで安心していけ多くの方の語りを聞かせていた ん 個人の語り、チームの語り、 だくことと同じく、とても大切み るか、大きく変わってくると私 そして地域の語りへ は思っている。年に精なことだと感じている。「自分の 私には、『統合失調症』と診断神分裂病から統合失調症に名称偏見 ( 思いこみ ) で人の話を聞 いていないだろうか」そのこと が変わり、病名から受ける印象 された弟がいる。彼は四半世紀 を常に自分自身に問いながら、 を『統合失調症』と共に生きては多少変化したのかもしれない きた。私は、彼の話を統合失調が、「困っている体験」をそれ対話的な関係性を築く道のりを は妄想だと診断される現実が変仲間と一歩ずつ歩んでいる。 症患者の症状の話として聞かな し。何故なら、彼は私の弟で、わったわけではない。精神の病そして、精神科医療を地域の に対する捉え方に変化が起きる、中で実践する私たちにとって、 彼は、実際に自分が経験してい ることを語っているのだというそんなパラダイムシフトが起こ対話的な関係性を築くという思 いを地域に広げていくために、 ことを知っているから。正確にることを信じて、自分の人生の 一一一〔えば、長い年月の中で、話を経験を、聞いてもらえる周りの初めてケロプダス病院を訪ねた か . をつをく ( つづく )
て、星を見て、何か感じられたら、んのこれまでの歴史を通して、 いなー」ということです。歳 まだ大丈夫と思うようにしてい 私なりの感想を述べたいと思い 代の頃から、世界を旅している る、と一一一一口われます。また、同じ空ます。私たちは概して、何かの日比野さん。目に映る大地、貧 を、別の国の人たちも見ていると課題に直面した時、自分がこれ困による飢えのなかでも必死に 思うと、多くの人たちとのつながまで経験してきたことや、社会生きる人間の姿、人間の情、そ りを感じるそうです。加えて、「知での人間関係を思い起こしながして、どこから見ても変わらな らない街をただ歩いてみる。近所ら、必死に対応を考えます。そ い上空。人間とは不思議なもの の響に老木があるので、時々歩れは、年をとればとるほど、経で、目の前の課題が変わらなく いて、あいさつにいき、感謝する」験値によって、対応する「引きとも、自分自身が多様な生き方 という営みもしておられます。出し」も増えることになります。や価値観を知っておれば、どこ そして、好きな喫茶店で、好きすると、ある人は一一一一口うでしよう。 となく、気持ちの余裕ができる な雑誌を読んで次の旅行を考え 「俺は、こんなにも、社会を知っのです。そんなことを、日比野 ることが、楽しみでもあり、気ているから、どんなことでも対さんは、自身の歩みの中で体感 分転換だそうです。 応できるよ」と。でも実際はとしておられます。 言うと、知っているようで、社 多様な生き方や価値観を知って会には、まだまだ、私たちが知尼さんが背中を押してくれた おれば、どことなく、気持ちのらないことが山積みなのです。 とはいえ、多くの人は、日比 今回、日比野さんの歩みを知野さんのように、世界を訪れる 余裕かできる さて、ここからは、日比野さり、一番の感想は、改めて「広ことができるとは限りません。 だからこそ人は、つながり、補 「外国に行きたければいつでも父ともよく話せるようになった い合いながら、社会で生きてい 行ける。今あなたを世界中で一し、全ての人に、人生のドラマ くべき存在なのではないでしょ番必要としているのはお姉さんがあることがわかった。今後、 , っ 1 刀 だから、日本に戻って、お姉さ多くの人の人生を文章にしてみ 一方で、人間とは弱いものでんのためにできることを」。おそたい」。 す。最初から、自身や家族の精らく、日比野さんは、海外に逃精神障がいのある本人や家族 神疾患をすぐに受け入れること げたのではなく、どのように、 は、暮らしにおいて、多くの不 は、到底できません。実際、日自身の今後の人生を歩むかにつ便があろう。だが、そのことと 比野さんも、 2 年半ぶりに日本 いて、気持ちの整理をする時間引き換えに、日々のドラマから に戻ってきて、お姉さんの精神や、じっくり考えられる場所が彼女たちは、人の優しさや魅力 疾患の発症を知った時、すぐに必要だったのでしよう。それが、 に気づく感性を得ているのであ 現状を受け入れることが出来まタイだった。そして、そこで出る。私は、これからも、そのよ せんでした。日比野さんの言葉会った尼さんが背中を押してく うな彼女たちと末長く交流した をあえてそのまま使えば、「私にれたのだと思います。 い。なぜなら、人として、他の はど , っしょ , つもなく、すぐにタ 誰でもない私が豊かになれるか ら : イ国に逃げた」と言います。す 誰もが自らの人生の主人公。 ると、タイで日本人の尼さんに 日比野さん曰く、「姉のことが 出会い、以下のような一言葉をかあって、高齢者の福祉にかかわ けられたそうです。 るようになりました。おかげで、 ( あおききょひさ ) みんなねっと 2018 年 6 月号 32 33 知ることは生きること
どもとも、離れて暮らしている。護職員として働いておられます。 加えて、お姉さんに対する被害 むな 日比野さんは、妙に虚しい気持 加えて、東京に「きようだい会」者意識を持っていた自分が恥ず ちになりました。そのお姉さんがあることを知り、地元の地域かしくなったと言います。 に対して、入院してしばらくしでも「きようだい会」を作りた た後、主治医の先生が「一番信 いと考え、実際に立ち上げ、現在、ニ人で韓国ドラマを観るのが日課 頼できるのは誰」と聞いたら、「妺その代表を年間続けておられ いま日比野さんは、仕事漬け だけ」と答えたそうです。 ます。 の毎日を送っておられます。一 きようだい会は、週末に、 2 方、お姉さんは落ち着き、 きようだい会で知る新たな価値観 か月に 1 回定例会を開催してい トタイマーとして働き、ご飯を 日比野さんは、この頃より、 ます。その中で、活動を始めて作ってくれますし、洗濯もして 少しずつ、お姉さんに対する想間が無いころ、参加者の一人がくれます。日比野さんにとって、 いが変化していくようになりま「兄はとてもいい人です。私がお姉さんは便利であり、ありが した。と同時に、自身の暮らしなっていたかもしれない病気のたい存在。一方で、お姉さんは も、変化を遂げるようになりまくじを兄が代わりに引いてくれ日比野さんのことを、精神薬よ す。日比野さんは、日本に戻った」と言ったそうです。その一『〔りも勝る存在だと一『〔うそうです。 た当初、英会話学校、日本語学校、葉を聞いた時、日比野さんは、そして、一一人で韓国ドラマを観 パッケージ企画のデザインの仕 こんな風に考えることができるるのが日課になっています。 事に就いていましたが、介護福人が世の中にはいるんだと、新 日比野さんは、朝焼けを見て、 祉士等の資格を取り、以降、介鮮な気持ちになったそうです。雲を見て、タ陽を見て、月を見 いと言っている」と、お姉さんに は、お姉さんが部屋の片隅で、自分の知り合いだけには迷惑を 伝えたそうです。このようなこ かけないでほしい 足踏みをしていることでした。 お姉さんは、一人暮らしをして 日比野さんは、ふと、これまとを言われれば、きっと、「退院 みつ いましたが、恋人に貢ぎ、婦人でのお姉さんの行動を思い起こできるためだったら、姉は自分 服地のデザインの仕事を辞め、しました。回想すると、お姉さの一一一一口うことを聞くに違いない」、 精神的なバランスを崩していたんは、かって日比野さんの知人と日比野さんは思っていました。 に、ストーカーまがいのことを のです。 「天国みたい」という一一 = ロ葉を聞き、 そして、親戚中に、「両親をよしていました。でも、その当時は、 ろしく」と、意味深な手紙を送っまさか精神疾患の症状によるも悲しくて仕方が無かった ところが、意外な一言葉が返っ ていました。そのことに驚いたのだとは考えもしなかったので 両親は、お姉さんを実家につれす。いずれにせよ、日比野さんてきたのです。それは、「病院の ほうが楽。たばこが不自由だけ は、この時、自分の知り合いだ 戻したのです。しかし、両親は ど、何も心配せず、何もしなく 医療機関には連れて行きませんけには迷惑をかけないでほしい、 というのが正直な思いだったとていいから天国みたい」と言っ でした。すると、しばらくした後、 たのでした。日比野さんはこの お姉さんは異性関係のことで再言います。 話を戻します。その後、日比言葉を聞いた時、悲しくて仕方 度調子を崩し、婦人警官を蹴り、 初めて精神科病院に入院するこ野さんは、精神科病院の閉鎖病が無かったと言います。 棟に面会に行き、「お父さんが謝お姉さんは、精神疾患を発症 とになってしまったのです。 らないと、病院から出してやらなした。また、結婚して産んだ子 31 知ることは生きること みんなねっと 2018 年 6 月号 30
さ、い か学んで記入しました。 な判人組の一人が私の方を振り向き、 まだ結果は得ていないのです みをでもう一人の男性が「今すれちが 号 の稿一 月 赭投ナった女デカイなあ ! もしかしてが、大変記事が参考となりまし わ 年 広リコオカマ ( 原文のママ ) じゃねー 」便る の 2 度の申請の際感じた事です わおすの e: 」と言ったのが、私の耳に のの介 が、息子は発達障害と統合失調 なら紹入りました。 と ん 当時まだ若く乙女 ( 々 ) だっ症を持ち合わせ、それぞれの症っ み 状は軽めの時もありますが、か た私はたいそうへコみました。 〇 今でも心の古傷です。 け合わさった時の苦しさはなんみ 〇 〇 とも言い難いです。 申請時に一種の精神症状ずつ 〇「みんなねっと」の感想◆東京都マルム家族代 ) 息子は歳の時 1 回目の障害しか記載できないことが大変残 〇◆茨城県海老沢ゅリこ本人年金の申請をしました。結果は念です。 代 ) 「該当せず」でした。書き方がよ 〇 2018 年 3 月号の真澄ことくわからないまま、とにかく沢◆熊本県森一玄本人 (8 代 ) 〇 葉先生へ この度当回復クラプ「虹の会」 山書いたのですが、相手には生 私も背は高い方 ( 172 ) 活のしにくさが伝わらなかったの総会で市役所の福祉課より「地 域移行」について御講演頂くこ ですが、先生のように「イチャ様です。 イチャのだし」にされたことは 歳になり、やはり就職できとになりました。 ありません。 そこで、「みんなねっと」の ない現実にぶつかり、再度年金 2018 年 1 月号を読みました しかし年ほど昔、スカート申請にチャレンジしました。こ をはいて街を歩いていた時、男のときは「みんなねっと」を購ところ、特集での柳尚夫先生の 性 2 人組とすれちがい、その 2 読し白石先生の記事からいくっ御講話「ピアサポータ 1 と協同 売者のページ した地域移行支援の実践」に大変 るようになりたいです。 感銘を受けました。 後、主に 2 か所一人で行って 日奎活 私自身ピアサポートの制度の確 みたい所があります。 D いろいろチャレンジします。 D 立を心から願っており、柳尚夫先◆山口県ユキ本人 ( 代 ) 生に同感する方々が一人でも多く 私は自分でできることを増し 現れる様祈っています。 たいです。 D ◆愛知県ロトニア本人 ( 代 ) そして精神障害者自身が良い方 いろんな手続きの申請して出 日常生活のこと 向へ変わり、社会が変わるよう望したり、電車やバスに乗って決 歳で自殺未遂をおかして精 〇 みます。 めた範囲での所だけでも行かれ神病と一言う悪友と手をつないで 〇 しまいました。 わ 現在は絽歳でデイケアに通所 をて の 2 代しています。 入き 8 ぼくの悩みというのはデイケん アの人たちにはいい顔をするのみ ル人 ヒス本に ( ご機嫌をとる ) 、母には何故〇 わ ら / を か冷たく接してしまうことです。〇 の 「一奈 里親孝行が幸運の一歩と言うの〇 やれア 〇み 木にそれができない 親不孝の息子ですが、日々家ジ 〇一 市ん都に帰ると苛々して困ります。 〇ペ ぼくはダメな人間なのか、誰 中み京 〇諸 ◆か教えてください ( 統合失調症〇 という悪友は死へと向かわせる ニ一一口
たか」と、ビルギッタさんに尋のいないところで本人のことをワ 1 クジャパンが今年、発表し ねたところ「一日よ」と答えが決めない」精神科医療システムた対話実践のガイドラインに記 返ってきた。「やる ! とみんなでヘの改革と同じ時期に、はじめされている。 べてるの理念とは 決めたから、変化するには一日の一歩は踏み出されて第をを 「三度の飯よりミー しかかからなかった」というそ ティング」「安心し 7 つの原則とは「 1 ・ 一の答えに、「決めたら、行動した てサポれる職場づく らいいのだ」と希望が溢れてき即時対応」「 2 ・社会的 り」「自分でつけよう で ネットワークの視点を 、 ( 一たことを覚えている。 中 自分の病名」「場の の 持つ」「 3 ・柔軟性と機 常 KAZOC 事務所の壁に貼られ 日 力を信じる」「弱さ 動性」「 4 ・責任を持っ ( 一 た『 7 つの原則』と『べて で を絆に」「弱さの情 こと」「 5 ・心理的連続 中 るの理念』 の 報公開」「昇る人生か 性」「 6 ・不確実性に耐 町 かぞっく ら降りる人生へ」「苦 3 年ほど前から K く OC の練える」「 7 ・対話主義」。 労を取り戻す」など こよオープンダイア 馬事務所しし 豊富な臨床実践と臨一 ~ 新 % っ など、ワクワクする ロ 1 グの 7 つの原則と、べて床研究をもとに導き出 ようなワードが並んお るの理念が貼られている。偶然されたオープンダイア ~ 彎第 あ でいる。私たち自身り にも、北海道浦河べてるの家はローグの骨格をなすも 五ロ 一三ロ の実践にとって、こ のであると、オープン 1984 年に生まれており、前 れらの原則や理念が 述したケロプダス病院で「本人ダイアローグ・ネット第」ーー ス病院へやってきた。講義をき ケロプダス病院のはじめの き「これならできる」と考え、 一歩『本人のいないところ 語りあおう、 その翌日にさっそくスタートし で本人のことを決めない』 た。その時、最初に決めたこと つながろう、 昨年の夏、東京大学の安田講は「本人のいないところで本人 町の中で堂で、オープンダイアローグののことを決めない」ということ。 創始者ャーコ・セイックラさん 1 病院全体で 10 人ほどのス 日常の中で とビルギッタ・アラカレさん 2 のタッフがいたそうだが、「変化に 講演会が開かれ、オープンダイかかった時間はどのぐらいでし 臨一す一域ダ策ネ①変にしイ 訪問看護ステーション Y<NOU 看護師アローグが生まれたフィンラン 、ロ関口区プ対ラ、の軟貫ダ 授アにア健ロ症アは態柔一ン 三ッ井直子ド西ラップランドのケロプダス 教イグイ保ケ調のと状にでプ , 学ダ一ダ神で失学こ②ズま一用 病院でのはじめの一歩をお話し 大ンロン精ま合大き、一るオ引 ラプアブド年統クベとニ至の くださった。 ュ一ィ一ン 4 ドルすこたにら キオダオラ 1 ンウ筆たじ療とか スでン。プ o ラト特れ応治こ著 1984 ・ 8 月日、 ア院プるカッ 2 ンてで入にる環 ヴ病一あ 2 ラら。イしルり清か酉藤 Need-Adapted approach ュスオが 8 西かたフとデ取駟療を斉 、ダ、作 9 る年めに環モをの診気 ( ニーズ適合型アプロー ドプり著 1 い 5 務代一の入れ③にか ンロわ・て 9 を年のこ介ぞ、度何 チ ) 3 を実践していた ラケ関文医れ 9 長 c ト。なれと態は ン。に論科さ 1 院 8 ク発速そこなと イ士発の神践。の 9 工開迅者る的グ トウルク大学のチーム フ理開数精実務院 1 ジがの患す療一 心の多、が勤病ロら期や応治ロ が講師としてケロプダ 1 床グる 2 グでス 3 プン早化対てア 5 オープンダイアローグに学ぶ 日々のなかで気づいたこと 5 回、 矛トプンダイアロ↓ーグのうの原則。 第ツッテシルットッの競かを : 物第豊任の第なの明確化ま 0 新日 : 。 を心な続をもツて : 第朝紅年ま : 、不第がさに第えて ( な回気ミ長イ諞を第、 、一一を対ををま朝新に みんなねっと 2018 年 6 月号 14
知るセこ一は生ぎるごと , 連載回 自宅を離れて、美術の道を目指ちが楽になりました。 んは気持ちがふつきれ、大学 して、芸術大学に進学されたの その一つが、「蟻と自分は対等も無事卒業し、再度、日本を です。 な存在」というものです。この出たいという気持ちにかられ、 ことを知って、「こんな自分で 170 万円を貯めて、世界放浪 インドが私を呼んだ も生きてていいんだ」と思えたの旅に出掛けます。 2 年半にわ ところが、その半年後、お姉と言います。日比野さんは、そたり、西アジアやアフリカ北東 さんも家から出て、日比野さんこでの暮らしを通して、色んな 立ロ、さらには、ヨーロッパを巡り、 の近くに住むようになりました。人たちが、ずうずうしく、堂々スペイン、ドイツ、イスラエル それから年月が流れ、大学 2 年と生きているインドが大好きにでは、仕事もされました。 生になった時、日比野さんは失なったのです。 日比野さんは、大地での暮ら 恋がきっかけとなり、「インドに しに一喜一憂するなか、日本に 行った」というより、「インドが姉が精神疾患を発症していた いる家族のことを、すっかり忘 私を呼んだ」という感覚で、半その後、日本に戻ってきたもれていました。ところが、日本 年間インドで放浪生活をしておのの、日比野さんはカルチャー に戻った時、お姉さんは精神疾 られます。インドに行った時は、 ショックで引きこもり生活にな患を発症していたのです。 死ぬことが運命なら、それでもりました。そのような中でも、 しいと思っていたそうです。そ唯一、様子を見に訪れてくれた 部屋の片隅で立ったまま、足踏 れが時間の経過と共に、インドのがお姉さんでした。 みをしていた の価値観に触れ、不思議と気持 しばらくすると、日比野さ 日比野さんが一番驚いたこと 01 に入られていたと言います。で ′も日比野さんは、自分のことが ほんぼ・フ 好きではなく、自由奔放なお姉 さんのことが羨ましかったそう 大地でた y ましく生きる人たちか です。一方で、中学生の頃から、 ら得た、「蟻と自分は対等な存在」 ( 自らの人生の主人公としての家族の暮らし特集⑨ ) 人形作りや、彫刻刀での彫り物 が好きでした。 みん。と理事青木聖久 そのような中、日比野さんが 高校生の時、お母さんとの関係 今回ご紹介をするのは、日ヒ 上すが、本特集を組むにあたり、で、精神的に深く傷つくことが 野亜美さん ( 仮名【歳代女性 ) 日比野さんの歴史や背景をもつありました。加えて、家庭内で です。日比野さんとは、約 2 年と知りたいと考え、迷うことな は、お母さんとお姉さんのけん 前、日比野さんが代表をつとめく依頼をさせていただきました。 かが絶えません。これらのこと る「きようだい会」の研修会で が重なり、今の環境から逃れた 知り合いました。今でも、その自分の好きなことをするために いという気持ちが徐々に高まっ 時の、日比野さんの広い視野と美術の道に ていきました。そして、日比野 快活さが、脳裏にずっと焼き付 日比野さんは、お姉さんとのさんは、これまでの優等生だっ いています。実は、それから、 2 人姉妹です。両親からは、優た自分と決別して、「自分の好き 殆ど交流なく経過していたので等生である日比野さんの方が気なことをするんだ」と心に誓い、 あり 3 うらや 29 知ることは生きること みんなねっと 2018 年 6 月号 28
す。まず私が居候する四畳半のの病気にもなりました。心身とまで、とにかく大変でした。体 がだるくなったり、眠くなった 部屋には大きな洗濯機と乾燥機もにボロボロの状態が続いてい 、いたるところに が置いてあり たそんな時の事です。私は堪らりと仕事に差し支えて仕方あ カビが生え、肉眼で確認できるず、高校の保健室の先生に悩みりませんでした。その上治療費 ほどの大きなダニが数えきれなを打ち明けました。先生は目をは全て自分で働いた賃金でまか なっていました。ですので、仕 いくらいたくさんわいており、そらさず、親身になって話を聞 窓はありましたが太陽の日差し いてくれたのです。その後も私事を休むわけにはいきません。 倒れてしまった時なども、点滴 はまったく入ってきません。しはその先生にたくさん助けてい かし雨風しのげるだけでも助か ただき、また支えていただきまをしてすぐ仕事に戻りました。 : それからしばらくすると、職 りました。そして精神疾患を抱した。・ : 私は思いました。薄ら えながらの生活で、いつも寝て笑う絶望のそばで、希望の光を場の方から、精神保健福祉手帳 いる事が多かった私に、怠けて灯し続けたその結果がこの先生の取得を勧められました。です との出会いを生んだのだと : が、取日守の・後に、。はったりと仕 いると思われたのでしよう : 義理の兄から、「お前生きてたっ それから私は高校 4 年生から、事を任せてもらえなくなりまし て何の役にも立たないから、せある企業で事務職をしておりまた。そればかりか、私が入れた めて体を売って金でも稼いで来した。以前から精神の不調を感お茶は飲みたくないなどと言わ希 と い」と本当に心無い言葉を浴びじていた私は、家族の誰にも一一一口れたり、偏見差別の為、仕事を愛 せられたりもしました。後の事わずに、一人で街の小さな精神続けられなくなってしまったの 集 ですが、この劣悪な環境の中、科のクリニックを訪ね、投薬治です。私は、心が折れ、その仕特 過度のストレスの為、婦人科系療を始めました。薬が体に合う事を辞めてしまいました。失業 カンニングしていると思われてした。いじめも続きました。 校に入学しました。小学校から しまいますので注意してくださ そして、とうとう心が壊れた中学校卒業まで続いたいじめは いね」と思わず耳を疑うようなのです。中学 1 年生の頃、幻聴・無くなり、希望を胸に、新たな 事を言われたりもしました。家妄想・対人恐怖などの精神疾患気持ちで高校に通いました。し 庭内では親から虐待、学校ではを発症しました。明らかに言動かし、家庭内では虐待が続き、 先生生徒からいじめ、私は心と がおかしくなったのを今でも覚精神疾患もひどさを増すばかり 体を何かに蝕まれていくのがわえております。同じ頃、身体にでした。 かりました。しかしその事だけも影響が出ていました。激しい そんな折、高校 2 年生の時の にとどまらなかったのです。登胃痛、吐き気やおう吐、激しい事です。乂の虐待が原因で、私 下校中に、痴漢にあったり、車下痢とひどい肌荒れです。しか バリカンで は、自ら」を切り、 の中に引きずり込まれて、連れし誰も助けてはくれません。せ頭を丸めました。私はこれ以上 去らわれそうになったり、性的めて、親からの虐待を止めても実家にはいられないと思い、駄 暴行をされそうになったりと、 らおうと、教育センターの相談目元で姉に相談しました。しか 家や学校以外でも大変っらい思 室などに駆け込み、事情を説明し姉は快く受け入れてくれまし いをしておりました。そのようしても理解されませんでした。 た。その頃すでに姉は結婚をし に度重なる不幸が、再び私を絶その日、その日を生きるのが精ておりましたので、私は義理の いつばいでした。 望へと導くのでした。 兄と姉の家にお世話になること になりました。ですが、そこで 中学でも虐待が続いた 定時制高校の時、精神科に受診 もまた義理の兄からいじめを受 中学校入学後も虐待は続きま 私は中学校卒業後、定時制高けることになってしまったので みんなねっと 2018 年 6 月号 8
「愛と希望」 忘れ、絶望していきました。 きました。・ : その瞬間、私は目信じる心と希望を、再び持っこ をつぶり、グッとこらえました。 とができたのです。その後も虐 初めて人に助けられて しかし痛くはありません。恐る待は続きましたが、その方を思 恐る目を開けると、なんと、目 6 歳の時の事です。風邪をこ い出し、人を信じる心と希望を じらせ、高熱でうなされていたの前で父が倒れていたのです。失うことなく過ごしてまいりま 私は、耳に痛みを覚えました。見知らぬ男の人が父を殴り飛ばした。 その後すぐに、強烈な痛みが私し、私を助けてくれたのです。 を襲います。しかし救急車は呼私はただただ、目を丸くして、 小学校でいじめに遭う ばずに、母は父の車を運転して、そこに立っていました。・ : ふと、 小学校に入学して間もない頃 診てもらえそうな病院をぐるぐ 私の目の前はゆがんで見えましです。いじめの標的にされまし ると探し回るだけです。どの病た。目いつばいに涙があふれてた。学校へ行くと、私の机だけ 院も医師が不在との理由で診てきていたのです。私は生まれて教室の一番後ろに片づけられて いただけず、 1 時間半後、仕方初めて人に助けていただきまし いて、机の上には花が飾ってあ なく自宅へ戻ってきました。そた。しかし、お礼を言おうとしり、机には鉛筆で「死んでくれ の間にも耳の奥はとても痛くな た瞬間、私を乗せた車は、走りてありがとう」などと書かれて いたりと、とても陰湿ないじめ希 り、こじらせた風邪もひどくな出してしまったのです。後日、 と り、ついには父の車の中で吐い その方の事を聞きましたが、母を受けていました。担任の先生愛 てしまったのです。父は自分のは教えてはくれず、結局最後まにも、目と目があっただけで「は 集 いみなさん、注目してください。 車が汚れたことに怒りが爆発し、でお礼を言えずにいました。し 私に向かって拳で殴りかかってかし、私はその方のおかげで、 この子のように目つきが悪いと、 父親からの虐待 3 歳の時の事です。その頃か ら親から虐待を受け始めます。 もともと酒乱だった父は、お酒 を飲んでは大暴れする人でした。 暴れるだけでなく、母を殴るな どの暴力をふるっていたのです。 しかし、その暴力の矛先は私に 向いたのです。父からは手首や 足首をライターの火であぶられ たり、タバコの火を押し付けら 昭和年 ( 1985 年 ) 6 月ナックを経営しておりました。れたりしました。また、性的虐 5 日に私は産声をあげ、生まれ 3 人の義理の姉は、長女は高校待やネグレクトなどを受けて育 てきました。 生、次女は中学生、三女は小学ちました。そして、満足に食事 私は父、母、そして母の連れ生で、ともにまじめで、成績優をさせてもらえなかった私は、 子である 3 人の義理の姉の 6 人秀な子供だったそうです。当の自分の爪やその周りの角質を食 家族でした。私の父は、建築現本人、つまり私は、勉強はできべて飢えをしのぎました。もち ろん、毎年訪れる私の誕生日な 場でショベルカーなどを扱う仕ませんでしたが歌を歌うことと、 事をしておりました。一方母は、絵を描くことは大好きな子供でどはめったに祝ってはもらえま せん。いっしか人を信じる心を 自宅の一階をお店に改装し、スした。 置ー第■■■・第置・■ 特集、 zo-o 法人ぜんせいれん佐藤真智子 ■第・一■■■第■・第 みんなねっと 2018 年 6 月号 6
「みんなねっと」の ホームページをご覧ください ☆メルマガ会員募集中 ( 無料 ) ☆ 「みんなねっと」で検索 ! http://seishinhoken.jp/ LINE 公式アカウント【@ minnanet 】 公式ツィッター【@ minnanet 】 2018 LINE@ 0 みんなねっと お知らせしますみんなねっとの活動 2 特集愛と希望 (N p O 法人ぜんせいれん ) 佐藤真智子 5 語りあおう、つながろう、町の中で、日常の中で ~ オープンダイアローグに学ぶ日々の中で気づいたこと ~ ( 第 3 回 ) 三ツ井直子 14 続・事例からみる精神障害者の障害年金の実際 《 3 》診断書表面のイ欄について ( 白石美佐子 ) 18 多事彩「〇さんの主治医」 ( 野村忠良 ) 22 街の診療所からのお便り【連載 133 】 ( 増本茂樹 ) ・・うまく行かない時期にはがんばり過ぎないことが大事です。・ 24 知ることは生きること ( 連載 30 回 ) 大地てたくましく生きる人たちから得た、「蟻と自分は 対等な存在」《自らの人生の主人公としての家族の暮らし特集⑨》 ( 青木聖久 ) 28 真澄こと葉のつれづれ日記 ( 第 87 回 ) 34 みんなのわー一読者のページ・地域の話題 36 第を第をを、をこ一響」よ : 宿 1 をド物 ーを物リー叮ス事物物第コいす 0 第第イベント物、 ■友だち追加の方法 ■フォローの方法 ① Q R コードから Twitter ページより LINE アプリを起動し 「@minnanet」で検索 「その他」→ →プロフィールページへ行き、 「友だち追加」→ プロフィール画像のすぐ下に 「 QR コード」から QR コードを ある「フォローする」をタップ 読み取り「追加」をタップ ② ID 検索から LINE アプリを起動し ご登録 ! 「公式アカウント」→虫眼鏡マー お待ちしています ク→みんなねっとと検索し「追カⅢを タップ 「みんなねっと」電話相談のご案内 TEL : 03-6907-9212 受付時間 : 水曜日 10 時 ~ 15 時 ※祝日と重なった場合はお休みです。※お昼 ( 12 時 ~ 13 時 ) はお休みをいただきます。 みんなねっとのホームページではメールマガジンを発行しています ( 無 料 ) 。当会の活動だけでなく、各都道府県連の情報なども随時お知らせす るメルマガになっています。ぜひ、ご登録ください。詳しくはホームペー ジをご覧ください ( 「みんなねっと」で検索ください ) 。 感想・意見・投稿を募集しています メールでの原稿募集を始めました。 アドレス : minnanet.seishinhoken@outlookjp ・「みんなのわ」コーナー ( 300 ~ 350 字程度 ) ・「地域の話題」コーナーへ皆様の原稿をお寄 せ下さい ! ( 1000 ~ 1200 字程度 )
月刊みんなねっと 2018 年 6 月 1 日発行 2007 年 7 月 24 日第三種郵便物承認 月刊みんなねっと ( 毎月 1 回 1 日発行 ) 通巻 134 号 2018 年 6 月 1 日発行 2007 年 7 月 24 日第三種郵便物承認 ・特集・ 愛と希望 ( 佐藤真智子 ) ・連載語りあおう、つながろう、町の中で、日常の中で第 3 回 ( 三ッ井直子 ) ・知ることは生きること ( 胃木聖久 ) 連載ロ 大地でたくましく生きる人たちから得た、「蟻と自分は対等な存在」 《自らの人生の主人公としての家族の暮らし特集⑨》 精神疾患がある人や家族に役立つ出版物 A 4 判・ 1 1 2 頁 定価 1 OOO 円 ( 別途送料 ) 家族相談の活動は家族会の原点ですコ好評発売中 ! ! 本書は、全国から寄せられた家族による相談事例の中から 32 事例を掲載しま した。事例を、日常生活、医療、家族会、家族依存、地域連携、親亡き後、制度の七 つに分類し、それにコメントを加えた初めての家族相談事例集です。同じ家族 としての立場から相談にのり、情報を伝え、家族会につなげていく活動は家族 会の原点ともいえます。みなさんの活動に役立てていただければと思います。 精神ミい者相爍 精神障かい者家族 相談事例集 2018 社会資源ハンドック ↓凸凸物 命凸台 精神獰がい者と家族に役立つ 社会資源ハンドブック B5 判・ 180 頁・定価 1400 円 ( 送料込 ) 【内容】医療に関する制度 / 地域で生活するための支援 / 日中活動の 場、就労や復学の支援 / 経済的な支援を受けたいとき / 財産の活用 や保護、法的な支援など / 家族が情報を得る、相談できるところ 家族会員・支援者のための 覊道営☆家族会運営のてびき A4 判・ 18 頁・定価円 ( 送料込 ) 会からのラ蚊は 1 冊 600 円に割引します 家族会の設置から運営の仕方まで家族会の活性化に役立つ「てびき」ができま した ! 会報や案内パンフなどの見本の資料ページもあり、家族会とつながり のある支援機関でもせひご活用を ! 【内容】精神障がし、者家族会とは / 家族会 活動をおこなおう / 運営・活動費 ( 財政基盤 ) について / 家族会の組織強化をし よう / 地域にとけこむ活動への積極的参加 / 新しい家族を家族会につなげよ う / 新しく家族会を立ち上げよう / 支援者・関係者の方々へ / 資料編 ☆家族相談ハンドブック A4 判・ 76 頁・定価 700 円 ( 送料込 ) テキストができました ! 家族会からの注文は 1 刪 500 円に割引 【内容】家族による家族支援 / 精神障がい者の状冫ル / 精神障がい者家族の状況 / 家族相談の 意義と特徴 / 家族相談の目標 / 家族相談の留 / 相談実習の進め方 / 家族相談の方法 / 新しく家族相談事業を立ち上げたいときは / 家族相談員の養成 / 家族相談の事例 問い合わせ先 家族相談 / ウドブック 公益社団法人全国精神保健福祉会連合会 ( みんなねっと ) tel 03 ー 6907 ー 9211 / fax03 ー 3987 ー 5466 ホームへージ http //www.seishinhoken.jp