四軍律きいしき十なれど しつかりセよ」と抱き起 しにもどるては 七戰済んて日が暮れて 探 どうぞ生きてゐてくれよものなと言へと願 故郷・ヘ峰ったポケットに 八空しく冷へマ魂は 時計ばりかコチコチと動いてゐるもけなや 隣に居りし戦友の 三ああ戰の最十ー 俄の にはたと倒れしを我は思はす駟け寄りて ここはお国を何五里離れて速き満州の 赤いタ日に照らされて友は野ネの石の下 戦友 これか見舎ママ置のりよ、つカ 仮包帯も丸の十
秋の詩は六畚まてある。山田耕作・、付けた曲は、 一畚から六番まてそれぞれ 傚妙に異なる。その炊妙な変ヒ・、 イカこの歌のえもいわれぬ味わいとな「マいる。 この曲は、一昨年他界した毋の愛唱歌てあ「た。 死んだらこの歌て送「マ欲 という生前の希望もあ「マ、出棺、適夜、葬儀をじマこの歌を流しつ つ、彼岸の父の許へった。 毋は明治四十四年の生まれ、人正ら昭や初期にけての女挙生の 0 マンチ シスムを、それとなく密に持ち続けて生きたような気もする 力、らたちのレしけは 青い青い針のとげだよ カらたちの花 らたちの花い咲、 もいもい花い咲い
この夏、銀行在職の昔ら長らくご交誼項いている北島德一さんら 「郷愁に浸り盛傷に第れて」と名付けた卅子をおり戴いた。そこには、 「胸奥に残 0 ている懐旧の想いをそそる詩歌に手元の写真添えマ纏めたも のて、それを郷愁に浸るよすかにしてみようと思いムった。 という前きかある。この北島卅子に収された歌の数は五十余曲その十身は 童謡、小唱歌、日本歌曲、歌謡曲幅広く、その歌詞やメロディは、その時々 の思い出を揺りおこす懐かしいものて占められている。また、それぞれの詩歌ー 付されたコメントも軽快洒脱な筆致て、共盛を覚えるものか多い この卅子に刺漱され、われもセんとて、自分なりに懐旧の想いをそそる詩歌を 歌と共にあるな時の情景は今な などに記憶いもあろ・つか 辿ってみた お鮮明てある。共屯する歌も多く、ニュアンスに多少の拍はあ「ても、ほぼ同 時代を生きた先輩と、詩歌を適じマ盛興をともに出來ることは人変しいことて ある 人若し年奇りのセンチメンタリズムど笑わば笑え、詩歌によ「て醸し出され シズムの世界てある る胸奥の想いは、尽速のロマンティシズムとリリ 平成ニ十ニ年九月