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検索対象: 「奥の細道」に潜む漢詩文
9件見つかりました。

1. 「奥の細道」に潜む漢詩文

日殿 岩に腆かけてしばしやすらふほど、尺はかりなる桜のつほみ半ば いらけるあり ふり積む雪の下に埋もれて、春を忘れぬざくらの 花の心わりなし 。灸天の掩花 ここにをるかごとし。 , 丁尊 2 正の歌 ここに思い出てマ、なほあはれもまさりて覚ゅ 雪裏芭蕉摩詰画雪裏の芭蕉は摩詰の画 炎夭悔篆簡斎詩炎夭の篆は簡斎の詩 宅時相見非生客宅時拍見るは生客に非ず 箸倚琅琲一段奇琅琲一段の奇に若倚セん ( 蛇足 ) 人峰にマ思いもかけず桜の花の咲きたりけるを見て詠める。 もろどもにあはれと思へ山桜 化 . よ - り・ほか にしる人もよし ( 行尊企葉和歌事 ) 岩に腰のけて休息のいと時、雪の下に埋もれながらも春を忘れぬ 遅桜に愛しみの心を注ぐ姿が目に浮ぶ一 行尊の歌は、百人一首ておなじみてあるカイ ・、、乍者名を隠セば 行の歌と思う人もいるいもしれチ 山伏惨験者どして諸国 をまわった行尊は朝野の季崇厚く、稜に建暦寺座主、人僧正どな る。芭蕉の湯殿山十ての孤独盛が、「もろともにあはれと思へ」と 吉野山十の山桜ー て ' 、いして呼いけた行尊の惜に共鳥したのも 肯ける 「炎夭の花」の原詩ては、作者の簡斎は、王の猤と自分の詩 ( 簡斎簡斎詩 ) ( 摩詰は王維の字 )

2. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 最上川 ) 所に日和をっ 最上円乗らんと、人石田といふ , 蘆角一声の心 種落ちこぼれて、忘れぬ花の昔を慕い、 この道にさぐり足して、新古ニ道に踏み迷ふといへども道しるべ 一なを残しぬ。このたいの風流ここ する人しなけれはと、わりなき に至れり 翠黛紅顔錦粧 汯尋沙寒出家郷 邊風吹斯狄心偖 隴水流添夜涙行 記、項羽本記」の「富貴にしマ故郷に峰らざるは、嘯を衣て夜 ' : どの注釈もある 「くカ致し」を踏ま - ん / 得淡然の戒めを忘れた項羽のこの俗言を、關越え の深山幽谷の描写に無理に関連づけずに、未直に「夜行くか攷 し」と読むほうか自然な気もする。 翠黛紅顔、錦繍の粧い 汯く汯く沙寒を尋ねて家郷を出ず 邊風は吹き斯っ秋の心の偖 隴水流れ添ふ夜の涙の行 に古き佛諧の をやはらげ、

3. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 箜の碑 ) ばのりの苔を穿ちて文字幽 つぼの石よみは、高さ六尺余、横又尺 四国界の数里をしるす。 ( 十略 ) 昔よりよみ置ける 歌忱タく支 0 り云立といへども 、山雇れ、叫流れマ、道改ま 石は埋 もれて上に隠れ、木は老いて若水にわれば、時移り代変じて、そ いたみ の跡たし力ならぬことのみを、ここて ( 至りて疑いなき手歳の記念、 今眼前に古人の心をす。 噫吁戯危乎高哉 蜀之難難於上青夭 のくだりて、「のたれ死にすることもあるまい」のてあろうら、 ここては、よけ・いにそぐわ・ない丸かす・る あああ危うき力な高き力な 蜀道の難きは青夭に上るより難し

4. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 潮越の松 ) 越前の境吉嶮の入江を舟に掉さして、潮越の松を尋ぬ よもすから嵐に皮をはこばセて 西行 月をたれたる潮越の松 この一首にマ数景盡きたり。もし一弁を加ふるものは、無用の指を 支つるが・ことし。 駢足者速無用え肉也足に駢するは無用の肉を速ぬるなり 枚手者樹無用え指也手に枚するは無用の指を樹つるなり ( 荘子駢拇編 ) ( 蛇足 ) 「この一首にマ景盡きたり」とは、 ・」の歌は蓮如の作とされマいるか 「よもすから のだろ、つカ 芭蕉の時代には、西 , 丁の歌と信じられていた 六本あること。何蛇足 「手に枚する」のは、手の指い , 無用の指をムマるべのらす、と芭 てもカ - んよ、つものな、ら、 被に叱られそ、つだ 将に行賛仰の一節

5. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 羽黒山 ) 別当代会覚閣 六月日羽黒山に登る。図司佐吉といふ 者を尋ねて、 リにす。南谷の別院に舎して憐愍の匱こまやにあるじセらる 四日本昉にいマ誹諧興行。 有難や香をかをらす南谷 人皆若炎劵人は皆炎を若めども 我愛夏日長 我は夏日の長きを愛す 薫風自南来薰風南より来り 殿閣生歔涼 殿閣歔涼を生ず ( 蛇足 ) 「有難や」のは、霊山羽黒山のすいすがしさに盛じ入る共 句会を催しマくれた会覚に対する挨拶の気持ちもめている このの初案は「有難や雪をかをらす風の」てあ。たい、 話にな「た羽黒山の別院僧坊の「南谷」ど、柬坡の「薫風自南 」とを重ね合わせて「南谷」に改め′ , ケてあるカ 挨拶りとしては芸の佃い戸 ・、、初の「風の」の ほうか木直に霊山の雰囲気を醸し出しているように思える ( 蘇柬坡足柳公権連 )

6. 「奥の細道」に潜む漢詩文

避けマ ( 永平寺 ) 。邦機千里を 五十丁山に入りて永平寺を礼す。道元禅師の御寺な 尊きゅゑ有りとや。 カカる山に ~ 小をのこし ~ 立も 邦機十里、これ氏の止まる所 ( 詩経 ) ( 敦賀 ) 十四日のタぐれ、つるいの聿に宿をもとむ。その夜、月に青れ / り。「あすの夜もくあるべきにや」といへば、「越路の習い、 と、あるじに酒すすめられて、気比の なほ明夜の陰暗はかりかた 卩月、より。社頭神・さいて、松の木の 明神に夜参す。仲哀夭皇の子 月の焉り入りたる 玉蟾初上欲円時 銀冠無聲な暗垂 清愽瑟宜先賞 明夜陰睛永可知 ( 蛇足 ) 邦機は奄都の。日本てすえば、さしずめ「内」か 邦機千里、惟民所止 お前のも砂、霜を敷けるがごとし。 玉蟾初めマ上りて円ならんと欲す 銀冠聲無くして、露暗に垂れ 清擲瑟、宜しくまず賞ずるべし 明夜の陰睛未だ知るべらず

7. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 平泉 ) 云代の榮耀一睡の十にして、人門の跡は一里こたれあり。秀が 跡は田野になりて、企鶏山のみ形を残す。 ( 十略 ) さても、義臣すぐ「マこの城にこもり、功名一時の叢どな 「国破れマ山河あり。城春にしマ草青みたり」 と箋 - っち敷きマ、 時の移るまて泪を落としはべりぬ 夏草や兵どもい夢の跡 卯の花に譱房見ゆるも毛な ーノ孑こ存 / り」と杜甫の描写ゃ一磁た 嶽上のあ々に寸しては、「も禾てス , 、 松公体の美景には、「その景穹然として美人の顔を粧ふ」 と蘇柬の詩を下敷 きにしたりして漢詩文の引用は縦横てある 柬坡は西湖の美を西施の化粧した顔に譬えたの、芭蕉も松島 の美しさを西施に見亥 1 たのだろうか。それとも人山祗神の美 っこのだ , わ、つカ 人の、木花咲那姫に譬えたの / 杜甫の「望嶽」は泰山望の詩てある。「造化は神をめ」 云々の五ナ。古詩のほうは、「岱宗久れ如何」て芝ダ、「い女ら ず当に絶項を凌ぎて、一たい衆山の小なるを覧べし」てめく くる若き日の作品。芭蕉の本文同掾引用の杜甫の詩も亦、カの こもったものてみる 曾良

8. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 尿前の關 ) あるじの、 これより出羽の国に人山を隔ママ、道さたカならざ れば、道しるべの人を頼みて越ゅべきよしを申す。 ( 十略 ) 木の下閤りあいて 高山森々として一鳥聲聞ず、 の十踏み分け、水をわたり岩に躓いて、 端につちふる心地して 肌につめたき汗を流しマ最上の庄に出づ。 錦宮城外柏森森 手擔相對坐終日茅擔に相對して坐すること終日 一鳥不啼山更幽一鳥啼かず山更に幽な 惧疑手堂江麓あやま 0 て疑う手堂江麓にぐるいと 巳に風燈に入れば雲瑞につちふる 巳入風磴霾雲喘 ( 杜甫鄭駲馬宅宴洞十 ) ( 蛇足 ) 「高山森森どして一鳥聲閉ず」の一節も、杜甫の蜀拍とエ安 石の鏡山即事を重ねて引用しており、一国破れて山河あり。城春 にしマ草青みたり」と同じ手法てある。「森森」どの表尻いある 「一鳥啼かず のて杜甫の蜀拍を切り離セない力もしれないカ 、よりのみても充分表尻てきるところと思われる 山更に幽チ なお、本文十、「木の下閤茂りあいマ夜行くいごとし」を、「文 錦宮城外、拍森々たり ( 工安石鐘山即事 ) ( 杜甫蜀拍 )

9. 「奥の細道」に潜む漢詩文

余抗門外、日将に哺れむとす 余抗門外日将哺 多景朧どして一景無し 多景朧一景無 雨も奇にして晴も好しのを暗じ得たり 暗得雨奇睛好匂 暗十摸木して西湖を見る 暗十摸木識西湖 水光瀲瀧暗方好山色空濛雨亦奇 若把西湖比西子淡粧県抹両拍宣 、ム島に続いての再登場てあ ( 蛇足 ) 蘇柬坡の「飲湖上初睛稜雨」が、 る。「暗十に摸木して、」は、策彦の詩を踏まえたものて、己 の盛性を和漢の詩情と交響さセないら文章に表呪していくと ころは、推敲の上てはあろうの見事と盛心セざるを得な、 「松島は笑ふいごとく、象潟はむのごどし」は、太平洋岸 の明るい第、しさと、日本海岸の暗いけれどもしっとりとした 美しさを、一言て言い表しており、歳時記の、「山笑う」「山 眠る」を想起さセる ついてなからこの季語も 春山淡冶而如笑夏山蒼翠而如滴 秋山明浄而如粧冬山惨淡而如睡 ( 北宋、禅宗の画家「郭煕」の言。画論一臥遊録一に収﨧 ) い拠っている。 さらに思い出さセるのは、同じく蘇柬坡の「前赤壁の賦」 の「客有吹洞簫者 ・」のくだりてある 芭蕉は、雨稜の潟の風匱を、西施の憂悶に譬えるどどもに、 ・、ロし」と表尻することによって、赤壁の賦の 「象潟はむカ攷 「洞蕭のさまざまな査」ども響き合わセていたのてはないろ うの。もっとも、このことは手元のどの脚注にも無く、豚手 読みとこれ窈芭蕉に叱られるもしれチ ( 蘇柬坡飲湖上初睛俊雨再掲 ) ざくげん