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検索対象: 「奥の細道」に潜む漢詩文
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1. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 十略 ) 予はロを閉じて眠らんとしマいねられず。旧庵を分るる時 堂、松島の詩 あり。原安適、松の浦島の和歌を贈らる。袋を解きて こよいの友とす 西嶽崚增処尊西嶽崚增として尊に処る 諸峰羅ム似児孫 諸嶺羅ムして児孫にス , 、 水光瀲瀧睛方好 水光瀲瀧として第て方に好し 山色空濛雨亦奇山色添どして雨も亦奇な 若杷西湖比子 若し舌湖を杷りて西子に比セば 淡粧蘖抹両拍宣 淡粧抹両つないら宣ろし ( 蘇柬坡飲湖上初睛俊雨 ) 造化鍾神秀 陰陽割昏晩 夏初松島自清幽 夏初、松島自すら清幽 雲外牡鵑聲未同雲外杜鵑の聲永だ同じらず 誂望洗心都似水 眺望心を洗いすべマ水の如し 可憐蒼翠對青眸憐れむべし蒼翠青眸に對するを ( 蛇足 ) 平泉・象潟と菱んて、卒しみにして、 / に 、 , 、、ム島、タ着しマ、一 庭、西胡て、 ( 耳じず。新江の潮を湛ふ」と、の囚の名听を引き 合いに出して文章にも力い入「て来た。芭蕉の気持ちの昂りい それとなく伝わってくるクライマックスに達するとやたらに 漢詩文を踏まえるのい芭蕉の癖、との評もある。 造化は神秀を鍾め 陰陽は昏晩を割く ( 牡甫望嶽 ) ( 杜甫望嶽 ) ( 木堂家事 )

2. 「奥の細道」に潜む漢詩文

余抗門外、日将に哺れむとす 余抗門外日将哺 多景朧どして一景無し 多景朧一景無 雨も奇にして晴も好しのを暗じ得たり 暗得雨奇睛好匂 暗十摸木して西湖を見る 暗十摸木識西湖 水光瀲瀧暗方好山色空濛雨亦奇 若把西湖比西子淡粧県抹両拍宣 、ム島に続いての再登場てあ ( 蛇足 ) 蘇柬坡の「飲湖上初睛稜雨」が、 る。「暗十に摸木して、」は、策彦の詩を踏まえたものて、己 の盛性を和漢の詩情と交響さセないら文章に表呪していくと ころは、推敲の上てはあろうの見事と盛心セざるを得な、 「松島は笑ふいごとく、象潟はむのごどし」は、太平洋岸 の明るい第、しさと、日本海岸の暗いけれどもしっとりとした 美しさを、一言て言い表しており、歳時記の、「山笑う」「山 眠る」を想起さセる ついてなからこの季語も 春山淡冶而如笑夏山蒼翠而如滴 秋山明浄而如粧冬山惨淡而如睡 ( 北宋、禅宗の画家「郭煕」の言。画論一臥遊録一に収﨧 ) い拠っている。 さらに思い出さセるのは、同じく蘇柬坡の「前赤壁の賦」 の「客有吹洞簫者 ・」のくだりてある 芭蕉は、雨稜の潟の風匱を、西施の憂悶に譬えるどどもに、 ・、ロし」と表尻することによって、赤壁の賦の 「象潟はむカ攷 「洞蕭のさまざまな査」ども響き合わセていたのてはないろ うの。もっとも、このことは手元のどの脚注にも無く、豚手 読みとこれ窈芭蕉に叱られるもしれチ ( 蘇柬坡飲湖上初睛俊雨再掲 ) ざくげん

3. 「奥の細道」に潜む漢詩文

風吹拈水睛夭雨 月照平沙夏夜霜 能就江撲銷署否 比君茅舎較清涼 抗州望海 ( 蛇足 ) も卒夭の「江樓タ望」は「江接晩眺」と共に の春秋の眺めを詠じたもの。「和漢朗詠事夏夜」にもそ 夏夜の霜」が掾り入れられて の一節風は拈木を 芭蕉は「蒙求」や「和漢朗詠事」から漢詩文に親しんだの 力もし、れチ 風は枯水を吹く睛夭の雨 月は平沙を照らす夏夜の霜 よく江接に就きて署を銷さんや否や 君か茅舎に比すればやや清涼なり ( も卒夭江タ望招客 ) ( 平成ニ十ニ年五月 ) 孫明復錦段 )

4. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 最上川 ) 所に日和をっ 最上円乗らんと、人石田といふ , 蘆角一声の心 種落ちこぼれて、忘れぬ花の昔を慕い、 この道にさぐり足して、新古ニ道に踏み迷ふといへども道しるべ 一なを残しぬ。このたいの風流ここ する人しなけれはと、わりなき に至れり 翠黛紅顔錦粧 汯尋沙寒出家郷 邊風吹斯狄心偖 隴水流添夜涙行 記、項羽本記」の「富貴にしマ故郷に峰らざるは、嘯を衣て夜 ' : どの注釈もある 「くカ致し」を踏ま - ん / 得淡然の戒めを忘れた項羽のこの俗言を、關越え の深山幽谷の描写に無理に関連づけずに、未直に「夜行くか攷 し」と読むほうか自然な気もする。 翠黛紅顔、錦繍の粧い 汯く汯く沙寒を尋ねて家郷を出ず 邊風は吹き斯っ秋の心の偖 隴水流れ添ふ夜の涙の行 に古き佛諧の をやはらげ、

5. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 尿前の關 ) あるじの、 これより出羽の国に人山を隔ママ、道さたカならざ れば、道しるべの人を頼みて越ゅべきよしを申す。 ( 十略 ) 木の下閤りあいて 高山森々として一鳥聲聞ず、 の十踏み分け、水をわたり岩に躓いて、 端につちふる心地して 肌につめたき汗を流しマ最上の庄に出づ。 錦宮城外柏森森 手擔相對坐終日茅擔に相對して坐すること終日 一鳥不啼山更幽一鳥啼かず山更に幽な 惧疑手堂江麓あやま 0 て疑う手堂江麓にぐるいと 巳に風燈に入れば雲瑞につちふる 巳入風磴霾雲喘 ( 杜甫鄭駲馬宅宴洞十 ) ( 蛇足 ) 「高山森森どして一鳥聲閉ず」の一節も、杜甫の蜀拍とエ安 石の鏡山即事を重ねて引用しており、一国破れて山河あり。城春 にしマ草青みたり」と同じ手法てある。「森森」どの表尻いある 「一鳥啼かず のて杜甫の蜀拍を切り離セない力もしれないカ 、よりのみても充分表尻てきるところと思われる 山更に幽チ なお、本文十、「木の下閤茂りあいマ夜行くいごとし」を、「文 錦宮城外、拍森々たり ( 工安石鐘山即事 ) ( 杜甫蜀拍 )

6. 「奥の細道」に潜む漢詩文

月日は五代の客にして行きかふ年もまた旅人なり 舟の上に生涯をうかべ、馬のロとらへて老をむかふる者は日々旅に して旅を栖とす。古人も多く旅に死セるあり。 久夭地者萬物え逆旅 久れ夭地は萬物の逆旅にして 光陰者五代え客 光陰は五代の客なり 而浮生若夢、為歓幾何 ( 稜略 ) 而して浮生は夢の如し歓を為す幾何ぞ ( 李も春夜宴諸従弟挑李園序 ) ( 発喘 ) ( 蛇足 ) 「奥の道」に潜む漢詩文 引用の、李もの「挑李園の序」は、享卒思想を謳い上げた名文 てはある奥の細道の冒頭には必すしも馴染まないのてはな 、カレ」 い択間は予てより残るところてある 鴨長明の「方丈記」も同様に、「子在川上日逝者如斯夫不舎 夜」 ( 論語子罕篇 ) を踏まえた表呪て ゆく円の流れは絶へずして、しも、もとの水にあらす。 み、手かな、つ子ーカ + ー し′、 *J ま かっ消へかっ喆いて、久 。り・仁へる仁へめしよし。 と女っ」出しているか 、、のほ、つは。ヒタリ・とノ、る 原典の享卒思想を切り捨マての「挑李園の序」の引用は、こ の他にも、西鶴の「日本永代蔵」 など、多く行われており、貞 享のら元求にけての時代の , 丁だったとも言われている 、ずれにセよ、宇宙の本質を、生々流転してとどまるところ を知らぬ旅てある、とする世界観の表明として、芭蕉い李もの 文牽の一郤を用い

7. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 旅ムち ) 子住といふ , , 町にマ <D をあかれは て、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。 行く春や鳥啼き魚の目は泪 羇鳥恋旧沐羇鳥は旧沐を恋い 池魚思故淵池魚は故淵を思ふ 開荒南野際荒を南野の際に開かんとし 守拙峰田園拙を守って田園にる 陶淵明啼田園居その一 ) ( 蛇足 ) 行く春と親しい友との惜別の匱を、ど魚に託しているところは 陶淵明の「峰田園居」を踏まえている、ど一 = 。うのがいとつの説 この句の魚とは、弟子てあり同時に府御用達の魚間屋 てもある杉山杉風 ) ヒ日し、 世話に、よった杉風への挨拶との説も ある。この杉風説、芭蕉をあまり神搖視しないて人問芭蕉として 受け止めマいこうとする、それなりの説とも言える てはあるい、芭蕉の旅ムちを、自然を愛し孤高を求めて俗麈を 離れ田園に峰「た陶淵明ど重ねる前者を抹りたい 「前途十里のおもい」からは、平家物語忠度都落ちのくだり 師の俊成に己の和歌を託し、別れに際しマロずさんだ詩、「前途程 し」云々、を思い起こす 「前途程、馳思雁山え暮雲、稜會期追、霑纓鴻櫨え晩涙 前途程遠し、思いを雁山の暮の雲にす、 力なり 彼會の期遥、 偰を鴻臚の吮の涙に霑す」 ロ漢朗詠事い原典て、人江朝綱い渤海国の使者に贈「た別 のり。古詩に託して心境を伝えようとした文武両道の平家公達の 面目躍如たるところて、源氏の猪武者諸君、以「マ如何と為す 、 / 、ところてある とす 前途三十里のおもい ゅうべ - 均ーい , ふカ・り・

8. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 日光 ) あるじ仏五 ~ 打門のなす事に心をとどめてみるに 。剛毅朴訥の仁に近 か別にしマ正直偏固の者なり ( 十略 ) 質もっとも尊よべし。 子日オ言近仁子日くオ言 ( 黒髪山は霞いりて、雪いまだもし。 リり捨てて黒髪山に衣更 、山を発「てあり。岩洞の項より飛流しマ百尺、十岩の ニ十余 碧覃に落ちたり。 日照呑爐生紫煙 遥看瀑布挂長川 飛流直下十尺 疑是銀河落九夭 ( 蛇足 ) リ殳ト訥は仁に近し」は、同じく侖吾、手而の「巧一 = 。 令色、鮮し仁」と対の言葉 、」几人ト・内を装ったり 七十余年の我が人生を振り「てみると罔オ言 どちらも我が人生、消 巧一 , 0 人マ色を用いたりしたことも数タタ、 し去ることは出來ないカ ないどころか人 日は番爐を照らして紫煙を生ず 遥に看る暴布の長円に挂くるを 飛流直下又十尺 疑ふらくは是れ銀河の九夭より落つるかと ( 李も望廬山布 ) 、「仁に近し」「鮮し仁」と新定してい フとなってはセめてもの救いに思・んる 曾良 ただ無知無 くい、気稾の ( 論語子路編 ) ( 十略 )

9. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 飯塚の里 ) 、よし AJ いへÄJ , 辷なる行くネをへて、かる病おばっか子 れ夭の命な 道路に死なん、こ 羇旅辺土の行脚、恰身無常の鯢念、 と気力聊かとり直し、道黻横に踏んて伊の人木戸を越す。 且予縦不得人葬且っ予、黻い人葬を得ずとも ( 論語子罕 ) 予死道路乎道路に死なむや ( 蛇足 ) 恰身無常の観念ならば、西行の「花のもどにマ春死なむ」の登場か あっマ然るべきところてある 「たとい人葬を得ずとも」を受けて 論語の「道路に死なむや」は、 ( 蛇足 ) 廬山速嶺と日光の山々とては、そのスケールの迎いはあるとして も、か百尺と写実的なのに対し、李もは十尺と例によ 0 て 誇人表尻。ても、続く「疑是銀河落九夭」と併セて鑑賞すれば、 李もらしく気宇壮人なのか良い 宮延を追われた李もが放浪十年、暫し隠接の地に送んだ廬山の 麓は、俊年も居易も草堂をんて詩を賦しいる。その十の一つ、 日高く睡足りて猶起きるに慵し 日高睡足猶慵起 小悶に衾を重ねマ寒を怕れす 小閣重衾不怕寒 遺愛寺の鐱は忱を欹てマ聴き 遺愛寺鐘欹忱聴 番爐峰雪撥簾看 ( 俊略 ) 番爐峰の雪は簾を撥げて看る 稜半が和漢朗詠事にも収録され、忱草子「番爐峰の雪は 何ならん」の清少納言自讃の段 ( ニ九九段 ) 、のおかげて、カな り人口に膾炙している 黒髪山 ( 男体山 ) は歌枕のいとつ。高爐峰の紫煙や雪など、 廬山は十国の歌忱なのだろうい

10. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 箜の碑 ) ばのりの苔を穿ちて文字幽 つぼの石よみは、高さ六尺余、横又尺 四国界の数里をしるす。 ( 十略 ) 昔よりよみ置ける 歌忱タく支 0 り云立といへども 、山雇れ、叫流れマ、道改ま 石は埋 もれて上に隠れ、木は老いて若水にわれば、時移り代変じて、そ いたみ の跡たし力ならぬことのみを、ここて ( 至りて疑いなき手歳の記念、 今眼前に古人の心をす。 噫吁戯危乎高哉 蜀之難難於上青夭 のくだりて、「のたれ死にすることもあるまい」のてあろうら、 ここては、よけ・いにそぐわ・ない丸かす・る あああ危うき力な高き力な 蜀道の難きは青夭に上るより難し