「奥の道」に潜む漢詩文
「蘆茄」 ( あし笛 ) と「胡角」 ( つの笛 ) を注交した芭 ( 蛇足 ) 「蘆角」は、 蕉の新造語か、それども「蘆茄」又は「胡角」の問い 、ずれにセよ、「笛」を土の風流とみなしていることには目 辺土に一なの連をして「風流こ , : い至れり」ど充実 した気持ちて、芭蕉は、夭候回復待ちて足止めされた人石田を 離れたのてあろう。 「王昭君」は、奴の 詩十の、漢宮を出されて奴に嫁い 王呼韓耶平于の愛を一身に事めて一男をもうけ、さらにエの 胡角一聲霜稜夢 漢宮萬里月前腸 昭君若贈黄企賂 定是終身奉工 死俊、彼の地の慣習により、エの子との門ー どすわれている き直るど女の強いのはいつの世も同じて、ある吠蕃 ( チベッ ト ) に嫁した唐の皇女・文成公主もそうだい、悲劇のヒロイン とよばれるのは、稜世の様々な文学作品上の話、本人は外と 充実した人生を公うしたのかも知れ子 胡角一声、霜の稜の夢 咲宮萬里なり月前のおもい 昭君若し黄金の賂を曽らましのば 定めてこれ身を終ふるまて支に奉へまつらまし ( 人江朝綱和漢朗詠事「王昭君」 ) 、ニ女をも、つけた、
( 平泉 ) 云代の榮耀一睡の十にして、人門の跡は一里こたれあり。秀が 跡は田野になりて、企鶏山のみ形を残す。 ( 十略 ) さても、義臣すぐ「マこの城にこもり、功名一時の叢どな 「国破れマ山河あり。城春にしマ草青みたり」 と箋 - っち敷きマ、 時の移るまて泪を落としはべりぬ 夏草や兵どもい夢の跡 卯の花に譱房見ゆるも毛な ーノ孑こ存 / り」と杜甫の描写ゃ一磁た 嶽上のあ々に寸しては、「も禾てス , 、 松公体の美景には、「その景穹然として美人の顔を粧ふ」 と蘇柬の詩を下敷 きにしたりして漢詩文の引用は縦横てある 柬坡は西湖の美を西施の化粧した顔に譬えたの、芭蕉も松島 の美しさを西施に見亥 1 たのだろうか。それとも人山祗神の美 っこのだ , わ、つカ 人の、木花咲那姫に譬えたの / 杜甫の「望嶽」は泰山望の詩てある。「造化は神をめ」 云々の五ナ。古詩のほうは、「岱宗久れ如何」て芝ダ、「い女ら ず当に絶項を凌ぎて、一たい衆山の小なるを覧べし」てめく くる若き日の作品。芭蕉の本文同掾引用の杜甫の詩も亦、カの こもったものてみる 曾良
月日は五代の客にして行きかふ年もまた旅人なり 舟の上に生涯をうかべ、馬のロとらへて老をむかふる者は日々旅に して旅を栖とす。古人も多く旅に死セるあり。 久夭地者萬物え逆旅 久れ夭地は萬物の逆旅にして 光陰者五代え客 光陰は五代の客なり 而浮生若夢、為歓幾何 ( 稜略 ) 而して浮生は夢の如し歓を為す幾何ぞ ( 李も春夜宴諸従弟挑李園序 ) ( 発喘 ) ( 蛇足 ) 「奥の道」に潜む漢詩文 引用の、李もの「挑李園の序」は、享卒思想を謳い上げた名文 てはある奥の細道の冒頭には必すしも馴染まないのてはな 、カレ」 い択間は予てより残るところてある 鴨長明の「方丈記」も同様に、「子在川上日逝者如斯夫不舎 夜」 ( 論語子罕篇 ) を踏まえた表呪て ゆく円の流れは絶へずして、しも、もとの水にあらす。 み、手かな、つ子ーカ + ー し′、 *J ま かっ消へかっ喆いて、久 。り・仁へる仁へめしよし。 と女っ」出しているか 、、のほ、つは。ヒタリ・とノ、る 原典の享卒思想を切り捨マての「挑李園の序」の引用は、こ の他にも、西鶴の「日本永代蔵」 など、多く行われており、貞 享のら元求にけての時代の , 丁だったとも言われている 、ずれにセよ、宇宙の本質を、生々流転してとどまるところ を知らぬ旅てある、とする世界観の表明として、芭蕉い李もの 文牽の一郤を用い
( 旅ムち ) 子住といふ , , 町にマ <D をあかれは て、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。 行く春や鳥啼き魚の目は泪 羇鳥恋旧沐羇鳥は旧沐を恋い 池魚思故淵池魚は故淵を思ふ 開荒南野際荒を南野の際に開かんとし 守拙峰田園拙を守って田園にる 陶淵明啼田園居その一 ) ( 蛇足 ) 行く春と親しい友との惜別の匱を、ど魚に託しているところは 陶淵明の「峰田園居」を踏まえている、ど一 = 。うのがいとつの説 この句の魚とは、弟子てあり同時に府御用達の魚間屋 てもある杉山杉風 ) ヒ日し、 世話に、よった杉風への挨拶との説も ある。この杉風説、芭蕉をあまり神搖視しないて人問芭蕉として 受け止めマいこうとする、それなりの説とも言える てはあるい、芭蕉の旅ムちを、自然を愛し孤高を求めて俗麈を 離れ田園に峰「た陶淵明ど重ねる前者を抹りたい 「前途十里のおもい」からは、平家物語忠度都落ちのくだり 師の俊成に己の和歌を託し、別れに際しマロずさんだ詩、「前途程 し」云々、を思い起こす 「前途程、馳思雁山え暮雲、稜會期追、霑纓鴻櫨え晩涙 前途程遠し、思いを雁山の暮の雲にす、 力なり 彼會の期遥、 偰を鴻臚の吮の涙に霑す」 ロ漢朗詠事い原典て、人江朝綱い渤海国の使者に贈「た別 のり。古詩に託して心境を伝えようとした文武両道の平家公達の 面目躍如たるところて、源氏の猪武者諸君、以「マ如何と為す 、 / 、ところてある とす 前途三十里のおもい ゅうべ - 均ーい , ふカ・り・
( 十略 ) 予はロを閉じて眠らんとしマいねられず。旧庵を分るる時 堂、松島の詩 あり。原安適、松の浦島の和歌を贈らる。袋を解きて こよいの友とす 西嶽崚增処尊西嶽崚增として尊に処る 諸峰羅ム似児孫 諸嶺羅ムして児孫にス , 、 水光瀲瀧睛方好 水光瀲瀧として第て方に好し 山色空濛雨亦奇山色添どして雨も亦奇な 若杷西湖比子 若し舌湖を杷りて西子に比セば 淡粧蘖抹両拍宣 淡粧抹両つないら宣ろし ( 蘇柬坡飲湖上初睛俊雨 ) 造化鍾神秀 陰陽割昏晩 夏初松島自清幽 夏初、松島自すら清幽 雲外牡鵑聲未同雲外杜鵑の聲永だ同じらず 誂望洗心都似水 眺望心を洗いすべマ水の如し 可憐蒼翠對青眸憐れむべし蒼翠青眸に對するを ( 蛇足 ) 平泉・象潟と菱んて、卒しみにして、 / に 、 , 、、ム島、タ着しマ、一 庭、西胡て、 ( 耳じず。新江の潮を湛ふ」と、の囚の名听を引き 合いに出して文章にも力い入「て来た。芭蕉の気持ちの昂りい それとなく伝わってくるクライマックスに達するとやたらに 漢詩文を踏まえるのい芭蕉の癖、との評もある。 造化は神秀を鍾め 陰陽は昏晩を割く ( 牡甫望嶽 ) ( 杜甫望嶽 ) ( 木堂家事 )
( 日光 ) あるじ仏五 ~ 打門のなす事に心をとどめてみるに 。剛毅朴訥の仁に近 か別にしマ正直偏固の者なり ( 十略 ) 質もっとも尊よべし。 子日オ言近仁子日くオ言 ( 黒髪山は霞いりて、雪いまだもし。 リり捨てて黒髪山に衣更 、山を発「てあり。岩洞の項より飛流しマ百尺、十岩の ニ十余 碧覃に落ちたり。 日照呑爐生紫煙 遥看瀑布挂長川 飛流直下十尺 疑是銀河落九夭 ( 蛇足 ) リ殳ト訥は仁に近し」は、同じく侖吾、手而の「巧一 = 。 令色、鮮し仁」と対の言葉 、」几人ト・内を装ったり 七十余年の我が人生を振り「てみると罔オ言 どちらも我が人生、消 巧一 , 0 人マ色を用いたりしたことも数タタ、 し去ることは出來ないカ ないどころか人 日は番爐を照らして紫煙を生ず 遥に看る暴布の長円に挂くるを 飛流直下又十尺 疑ふらくは是れ銀河の九夭より落つるかと ( 李も望廬山布 ) 、「仁に近し」「鮮し仁」と新定してい フとなってはセめてもの救いに思・んる 曾良 ただ無知無 くい、気稾の ( 論語子路編 ) ( 十略 )
( 飯塚の里 ) 、よし AJ いへÄJ , 辷なる行くネをへて、かる病おばっか子 れ夭の命な 道路に死なん、こ 羇旅辺土の行脚、恰身無常の鯢念、 と気力聊かとり直し、道黻横に踏んて伊の人木戸を越す。 且予縦不得人葬且っ予、黻い人葬を得ずとも ( 論語子罕 ) 予死道路乎道路に死なむや ( 蛇足 ) 恰身無常の観念ならば、西行の「花のもどにマ春死なむ」の登場か あっマ然るべきところてある 「たとい人葬を得ずとも」を受けて 論語の「道路に死なむや」は、 ( 蛇足 ) 廬山速嶺と日光の山々とては、そのスケールの迎いはあるとして も、か百尺と写実的なのに対し、李もは十尺と例によ 0 て 誇人表尻。ても、続く「疑是銀河落九夭」と併セて鑑賞すれば、 李もらしく気宇壮人なのか良い 宮延を追われた李もが放浪十年、暫し隠接の地に送んだ廬山の 麓は、俊年も居易も草堂をんて詩を賦しいる。その十の一つ、 日高く睡足りて猶起きるに慵し 日高睡足猶慵起 小悶に衾を重ねマ寒を怕れす 小閣重衾不怕寒 遺愛寺の鐱は忱を欹てマ聴き 遺愛寺鐘欹忱聴 番爐峰雪撥簾看 ( 俊略 ) 番爐峰の雪は簾を撥げて看る 稜半が和漢朗詠事にも収録され、忱草子「番爐峰の雪は 何ならん」の清少納言自讃の段 ( ニ九九段 ) 、のおかげて、カな り人口に膾炙している 黒髪山 ( 男体山 ) は歌枕のいとつ。高爐峰の紫煙や雪など、 廬山は十国の歌忱なのだろうい
( 箜の碑 ) ばのりの苔を穿ちて文字幽 つぼの石よみは、高さ六尺余、横又尺 四国界の数里をしるす。 ( 十略 ) 昔よりよみ置ける 歌忱タく支 0 り云立といへども 、山雇れ、叫流れマ、道改ま 石は埋 もれて上に隠れ、木は老いて若水にわれば、時移り代変じて、そ いたみ の跡たし力ならぬことのみを、ここて ( 至りて疑いなき手歳の記念、 今眼前に古人の心をす。 噫吁戯危乎高哉 蜀之難難於上青夭 のくだりて、「のたれ死にすることもあるまい」のてあろうら、 ここては、よけ・いにそぐわ・ない丸かす・る あああ危うき力な高き力な 蜀道の難きは青夭に上るより難し
( ネの松山 ) ネの松山は寺を造りてネ松山といふ。 松のあいあい皆蟇はらにて、 カノ、の・、 . ど、 . どト 9 し、 のネも冬ては、 はねをかはし枚をつらぬる契り もさりマ、塩のまの浦に入相いのかねを聞く。 在夭願作比翼鳥 夭に在りては願はくば比 翼のと作らん 在地願為連理枚 也に在りては願はくば連理の枚と為らん 夭長地久有時盡 夭は長く地は久しくとも時ありての盡く 此恨狒狒無絶期 北の恨は・々として絶ゆるの期無からん ( も居易長恨歌 ) ( 蛇足 ) 地崩山摧壮士死 然後夭梯石找拍鈎連 剣閣崢嶸而崔嵬 一久當関萬久莫開 ( 稜略 「山崩れ、円流れマ、道改まり」の表尻を、李も、蜀道難の 「地崩山摧壮士死」の一節によるとする脚注は、 力なり付人に 思える。本当にそ、つなの芭霍 ( に閉いてみたいところてある 蛇足のついてに この蜀道難の誇の稜半に「一久閧に當たるや 萬久も開くなし」と、 う「箱根八里」の歌詞い出てくる。子供の 頃求もわいらすに、お軽よろセく歌っていたカ 俊年この詩 の一即に安し、 なにやら旧友に出会ったようなかしさかこみ上 、け、て、たこと′ど憶 , てている 地崩れ山摧げて壮士死す 然る稜に夭石桟ねい鈎連す 剣崢嶸として崔嵬 一久閧に當るや萬久も開く莫し ( 李も蜀道難 )