踏まえ - みる会図書館


検索対象: 「奥の細道」に潜む漢詩文
4件見つかりました。

1. 「奥の細道」に潜む漢詩文

月日は五代の客にして行きかふ年もまた旅人なり 舟の上に生涯をうかべ、馬のロとらへて老をむかふる者は日々旅に して旅を栖とす。古人も多く旅に死セるあり。 久夭地者萬物え逆旅 久れ夭地は萬物の逆旅にして 光陰者五代え客 光陰は五代の客なり 而浮生若夢、為歓幾何 ( 稜略 ) 而して浮生は夢の如し歓を為す幾何ぞ ( 李も春夜宴諸従弟挑李園序 ) ( 発喘 ) ( 蛇足 ) 「奥の道」に潜む漢詩文 引用の、李もの「挑李園の序」は、享卒思想を謳い上げた名文 てはある奥の細道の冒頭には必すしも馴染まないのてはな 、カレ」 い択間は予てより残るところてある 鴨長明の「方丈記」も同様に、「子在川上日逝者如斯夫不舎 夜」 ( 論語子罕篇 ) を踏まえた表呪て ゆく円の流れは絶へずして、しも、もとの水にあらす。 み、手かな、つ子ーカ + ー し′、 *J ま かっ消へかっ喆いて、久 。り・仁へる仁へめしよし。 と女っ」出しているか 、、のほ、つは。ヒタリ・とノ、る 原典の享卒思想を切り捨マての「挑李園の序」の引用は、こ の他にも、西鶴の「日本永代蔵」 など、多く行われており、貞 享のら元求にけての時代の , 丁だったとも言われている 、ずれにセよ、宇宙の本質を、生々流転してとどまるところ を知らぬ旅てある、とする世界観の表明として、芭蕉い李もの 文牽の一郤を用い

2. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 旅ムち ) 子住といふ , , 町にマ <D をあかれは て、幻のちまたに離別の涙をそそぐ。 行く春や鳥啼き魚の目は泪 羇鳥恋旧沐羇鳥は旧沐を恋い 池魚思故淵池魚は故淵を思ふ 開荒南野際荒を南野の際に開かんとし 守拙峰田園拙を守って田園にる 陶淵明啼田園居その一 ) ( 蛇足 ) 行く春と親しい友との惜別の匱を、ど魚に託しているところは 陶淵明の「峰田園居」を踏まえている、ど一 = 。うのがいとつの説 この句の魚とは、弟子てあり同時に府御用達の魚間屋 てもある杉山杉風 ) ヒ日し、 世話に、よった杉風への挨拶との説も ある。この杉風説、芭蕉をあまり神搖視しないて人問芭蕉として 受け止めマいこうとする、それなりの説とも言える てはあるい、芭蕉の旅ムちを、自然を愛し孤高を求めて俗麈を 離れ田園に峰「た陶淵明ど重ねる前者を抹りたい 「前途十里のおもい」からは、平家物語忠度都落ちのくだり 師の俊成に己の和歌を託し、別れに際しマロずさんだ詩、「前途程 し」云々、を思い起こす 「前途程、馳思雁山え暮雲、稜會期追、霑纓鴻櫨え晩涙 前途程遠し、思いを雁山の暮の雲にす、 力なり 彼會の期遥、 偰を鴻臚の吮の涙に霑す」 ロ漢朗詠事い原典て、人江朝綱い渤海国の使者に贈「た別 のり。古詩に託して心境を伝えようとした文武両道の平家公達の 面目躍如たるところて、源氏の猪武者諸君、以「マ如何と為す 、 / 、ところてある とす 前途三十里のおもい ゅうべ - 均ーい , ふカ・り・

3. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 十略 ) 予はロを閉じて眠らんとしマいねられず。旧庵を分るる時 堂、松島の詩 あり。原安適、松の浦島の和歌を贈らる。袋を解きて こよいの友とす 西嶽崚增処尊西嶽崚增として尊に処る 諸峰羅ム似児孫 諸嶺羅ムして児孫にス , 、 水光瀲瀧睛方好 水光瀲瀧として第て方に好し 山色空濛雨亦奇山色添どして雨も亦奇な 若杷西湖比子 若し舌湖を杷りて西子に比セば 淡粧蘖抹両拍宣 淡粧抹両つないら宣ろし ( 蘇柬坡飲湖上初睛俊雨 ) 造化鍾神秀 陰陽割昏晩 夏初松島自清幽 夏初、松島自すら清幽 雲外牡鵑聲未同雲外杜鵑の聲永だ同じらず 誂望洗心都似水 眺望心を洗いすべマ水の如し 可憐蒼翠對青眸憐れむべし蒼翠青眸に對するを ( 蛇足 ) 平泉・象潟と菱んて、卒しみにして、 / に 、 , 、、ム島、タ着しマ、一 庭、西胡て、 ( 耳じず。新江の潮を湛ふ」と、の囚の名听を引き 合いに出して文章にも力い入「て来た。芭蕉の気持ちの昂りい それとなく伝わってくるクライマックスに達するとやたらに 漢詩文を踏まえるのい芭蕉の癖、との評もある。 造化は神秀を鍾め 陰陽は昏晩を割く ( 牡甫望嶽 ) ( 杜甫望嶽 ) ( 木堂家事 )

4. 「奥の細道」に潜む漢詩文

余抗門外、日将に哺れむとす 余抗門外日将哺 多景朧どして一景無し 多景朧一景無 雨も奇にして晴も好しのを暗じ得たり 暗得雨奇睛好匂 暗十摸木して西湖を見る 暗十摸木識西湖 水光瀲瀧暗方好山色空濛雨亦奇 若把西湖比西子淡粧県抹両拍宣 、ム島に続いての再登場てあ ( 蛇足 ) 蘇柬坡の「飲湖上初睛稜雨」が、 る。「暗十に摸木して、」は、策彦の詩を踏まえたものて、己 の盛性を和漢の詩情と交響さセないら文章に表呪していくと ころは、推敲の上てはあろうの見事と盛心セざるを得な、 「松島は笑ふいごとく、象潟はむのごどし」は、太平洋岸 の明るい第、しさと、日本海岸の暗いけれどもしっとりとした 美しさを、一言て言い表しており、歳時記の、「山笑う」「山 眠る」を想起さセる ついてなからこの季語も 春山淡冶而如笑夏山蒼翠而如滴 秋山明浄而如粧冬山惨淡而如睡 ( 北宋、禅宗の画家「郭煕」の言。画論一臥遊録一に収﨧 ) い拠っている。 さらに思い出さセるのは、同じく蘇柬坡の「前赤壁の賦」 の「客有吹洞簫者 ・」のくだりてある 芭蕉は、雨稜の潟の風匱を、西施の憂悶に譬えるどどもに、 ・、ロし」と表尻することによって、赤壁の賦の 「象潟はむカ攷 「洞蕭のさまざまな査」ども響き合わセていたのてはないろ うの。もっとも、このことは手元のどの脚注にも無く、豚手 読みとこれ窈芭蕉に叱られるもしれチ ( 蘇柬坡飲湖上初睛俊雨再掲 ) ざくげん