高山 - みる会図書館


検索対象: 「奥の細道」に潜む漢詩文
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1. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 尿前の關 ) あるじの、 これより出羽の国に人山を隔ママ、道さたカならざ れば、道しるべの人を頼みて越ゅべきよしを申す。 ( 十略 ) 木の下閤りあいて 高山森々として一鳥聲聞ず、 の十踏み分け、水をわたり岩に躓いて、 端につちふる心地して 肌につめたき汗を流しマ最上の庄に出づ。 錦宮城外柏森森 手擔相對坐終日茅擔に相對して坐すること終日 一鳥不啼山更幽一鳥啼かず山更に幽な 惧疑手堂江麓あやま 0 て疑う手堂江麓にぐるいと 巳に風燈に入れば雲瑞につちふる 巳入風磴霾雲喘 ( 杜甫鄭駲馬宅宴洞十 ) ( 蛇足 ) 「高山森森どして一鳥聲閉ず」の一節も、杜甫の蜀拍とエ安 石の鏡山即事を重ねて引用しており、一国破れて山河あり。城春 にしマ草青みたり」と同じ手法てある。「森森」どの表尻いある 「一鳥啼かず のて杜甫の蜀拍を切り離セない力もしれないカ 、よりのみても充分表尻てきるところと思われる 山更に幽チ なお、本文十、「木の下閤茂りあいマ夜行くいごとし」を、「文 錦宮城外、拍森々たり ( 工安石鐘山即事 ) ( 杜甫蜀拍 )

2. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 平泉 ) 云代の榮耀一睡の十にして、人門の跡は一里こたれあり。秀が 跡は田野になりて、企鶏山のみ形を残す。 ( 十略 ) さても、義臣すぐ「マこの城にこもり、功名一時の叢どな 「国破れマ山河あり。城春にしマ草青みたり」 と箋 - っち敷きマ、 時の移るまて泪を落としはべりぬ 夏草や兵どもい夢の跡 卯の花に譱房見ゆるも毛な ーノ孑こ存 / り」と杜甫の描写ゃ一磁た 嶽上のあ々に寸しては、「も禾てス , 、 松公体の美景には、「その景穹然として美人の顔を粧ふ」 と蘇柬の詩を下敷 きにしたりして漢詩文の引用は縦横てある 柬坡は西湖の美を西施の化粧した顔に譬えたの、芭蕉も松島 の美しさを西施に見亥 1 たのだろうか。それとも人山祗神の美 っこのだ , わ、つカ 人の、木花咲那姫に譬えたの / 杜甫の「望嶽」は泰山望の詩てある。「造化は神をめ」 云々の五ナ。古詩のほうは、「岱宗久れ如何」て芝ダ、「い女ら ず当に絶項を凌ぎて、一たい衆山の小なるを覧べし」てめく くる若き日の作品。芭蕉の本文同掾引用の杜甫の詩も亦、カの こもったものてみる 曾良

3. 「奥の細道」に潜む漢詩文

( 松島 ) ( / れど、松島は扶第一の好風にしておよそ洞庭・西 湖を恥ぢず。柬南より海を入れマ、江の十里、江の潮を湛ふ。 島々の数を尽くして、欹つものは夭を指し、伏すものは波に匍匐ふ。 あるはニ重に重なり又重に畳みて、に分かれ右に連なる。負へる 公のユこまや に、枚葉潮 あり抱けるあり 児孫愛すいごとし 風に吹きたわめマ、屈曲おのずらためたるかごとし。その色穹 づみ ちはやふる神の昔、人山祇のなセるわざに 然としマ美人の顔をよ。 づれの人か筆をふるい、言葉を尽くさむ ゃ。造化の天又、 ( 蜷足 ) その昔、喆婚式にお招き項いマ、寄セきの色紙い廻「て来た時、 若気の至りて、したり顔て書いた一ついこの「比翼連理」てあり そしても、つ一つか 「熟田に船乗りセむと月待マば龠もかないぬ今は漕ぎ出てな」 ( 額田工、下葉事な一 ) てあ「た。 力し、よく考えてみれば、長恨歌は玄宗ど揚責妃の悲恋の歌 てあり、熟田津の歌も惨敗したも村江への出陣の歌て、ともに もしてくるか ′、レ 4 よ目応し子よ、 お祝いの色舐にす 今とな「マはの祭りてある 熟田津は存予松山市の郊外にある。機会を非「て訪れてみた し較・均新・し 何時誰建てたのか、レ 今はもう浜甦てはない 「熟田津の ・」の歌碑のぼつんとム「ていた。