ドイツ - みる会図書館


検索対象: ドイツ連邦試作戦車 レオパルト3への挑戦
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1. ドイツ連邦試作戦車 レオパルト3への挑戦

・ LL E 0 1 フロント・ドライブパラレルれられなかった。フランスとしては、兵器の重要 0 トイツ側の砲塔開発 ドイツは低姿勢砲塔に否定的であったので、フ 砲ロ ( 5 0 8 ) なコンポーネントの供給を外国に頼るのは安全保 9 ・ ラット砲塔を検討した。フラット砲塔は、砲塔天・ l-l-e E 0d2 フロント・ドライブタンデム障上の障害になると判断したのだろう。また、輸 井高を乗員が着座で乗務できる最低限度に抑えた 砲塔 ( 4 9 ・ 8 ) 出の取り扱いについても意見の相違が生じてい ものである。主砲が俯角をとり砲尾が持ち上がる・ I-LF- E 0d3 リア・ドライブパラレル砲塔た。こうして 1982 年には計画の破綻は明らか と、天井に衝突しないように専用ハッチが開いて ( 51 ・ 5 ) になっていた。その後、フランスは < u.J をパ 砲尾を露出させる様になっている。これにより砲・ L.L}— E 0d4 リア・ドライブタンデム砲塔トナーにしてルクレールを開発した。 塔高を oo % 削減できる。重量は 4 ・減じ、 ( 5 0 5 w) フランスが離脱すると、ドイツは 1983 年 3 総重量 50 になると見積もられた。この方 月から 84 年にかけて今後の開発について改めて 式は、低姿勢砲塔より視界が良く軽量であった。検討の結果、 1980 年の末に LL}- E 0d3 が検討するコンセプト研究を行った。この時、以下 また、側面装甲の問題も生じない 最良とされた。前部駆動は、モビリティ・キル ( 機のオプションが調査された。 フラット砲塔にはデメリットもあり、砲尾ハッ動性喪失 ) の蓋然性を高めるとされ、パラレル砲 チが砲塔の縦方向の剛性を低下させ、 zno 防御塔は人間工学的に好ましいとされた。 ・レオパルト 2 の生産継続。 や潜水渡河に必要な密閉に不安を生じた。また前 ・レオパルト 2 の改造。 ・レオパルト 2 の車台に、装填補助装置を備え 方下方視界も悪かった。通常の砲塔戦車は、砲塔短縮車体 天井の前半部を前傾させて前方下方視界を確保し では、レオパルト 2 車体の短縮案が た 3 人乗り新型砲塔を搭載する。 ている。しかしフラット砲塔では、この傾斜が無検討されていた。この計画は、エンジンを小型な・レオパルト 2 の車台に、パラレル配置のフラッ いので前方視界の確保に配慮が必要だった。 l— 8 8 0 に変更し、あわせて車台を 5 5 2 ト砲塔を搭載する。 乗員配置は、 2 種類が検討された。自動装填装短縮し、転輪を一組減らすというものであった。・新しい戦車の開発。 置を搭載した多くの戦車は、車長と砲手が主砲をこれは重量削減効果があり、この節約した重量で 挟んで並列に並ぶパラレル砲塔と呼ばれる配置に前面装甲を強化する提案も有った。しかし、この こうした検討の中で連邦国防省は、 19 8 4 生・ なっている。これに加えて、 N 9 0 では車長提案を実行すると接地圧は上昇し、許容できない秋に N 9 0 を中止し、後のレオパルト 2 < 5 と砲手が縦列に配置されるタンデム砲塔も検討しほどヴィークル・ダイナミクスが悪化する予想さ及び <()o となる改修計画と、完全に新規の ていた。この利点は、乗員が縦一列に並ぶので砲れた。路外機動性と障害物の克服の観点では、履 Bcvooo の開発を決定した。 塔正面装甲を小型化できることである。砲塔正面帯接地長の中心と車両全体の重心が重なるのが最 こうした判断が下されたのは、砲塔戦車での軽 は被弾率が高く、乗員を守る為に手厚く防御され良の状態である。 量化は効果が低く、共同開発のメリットが得られ ており重い。この為、砲塔正面装甲の小型化は軽 ないなら開発継続の必要性が薄れたからと思われ 量化の効果が大きい る。また 1984 年に、予算の制限から新型戦車 計画の終了 こうした検討の結果、パラレル砲塔とタンデム こうして作業は進められていたが、計画は両国の配備は 1999 年に延期すると決定されて、時 砲塔、前部駆動と後部駆動の 2 種類ずつの案が作の主張の相違により中止されてしまった。ドイツ間的余裕が生まれていた。これによるレオパルト 成され、以下のように命名された。 は、エンジン等の主要なコンポーネントの国外生 2 の旧式化と、冒険的な新技術の熟成が予想され 産を認めないと主張し、フランスはこれを受け入て新規開発の一因となったのではないだろうか

2. ドイツ連邦試作戦車 レオパルト3への挑戦

コロ新 0 ロ ドイツ レオパルト 3 への挑戦 Pk510

3. ドイツ連邦試作戦車 レオパルト3への挑戦

各社の提案の審査が終了した後に、以下の技術開発中のエアバス <<00> 輸送機で空輸出来る 最後に、今後ドイツが開発する戦車について予 について詳細な調査が必要とされた。 ことが求められた。しかし、の歩兵戦闘車想してみよう。恐らく ZKW2000 の様な戦 型では、この制限を守ることができなかった。こ車になると思われる。プーマ歩兵戦闘車が単独で ・武装及び弾薬技術の更なる発展 の為、歩兵戦闘車はから独立して開発が始設計されて共通車台の必要が無くなったので、戦 ・アクテブ防御システム められることになり、後にプーマとして制式採用車に適していないフロント・ドライプには成らな ・ディーゼル・エレクトリック駆動装置 (OUJ<) された。こうして、予算と国際情勢の変化により、 いだろう。乗員 2 名の実現は難しいかもしれない ・ヴェトロニクス ( デジタル・ネットワークの設 z O 計画は 2 0 0 2 年に中止された。 が、 > 2 0 0 0 の調査で技術的に問題があると 計、システム、センサー・システムとの の中止以降、ドイツ連邦軍が新型戦車の判断されたのは、既に年前のことである。 リンク、インフォメーション・フロー等々 ) 開発を始めたという報せは無い。 武装は、プーマ歩兵戦闘車の様に頭上砲式にな ・ 2 名用戦闘室の形成について、人間工学的な調 るだろ - つ。しかし、主砲はにははならな 査と操縦手用光学サイトの調査。 いかもしれない。現在は、 12 5 以上の主砲を 以降 新型戦車の開発が進まない中、ドイツ連邦軍は有する主力戦車や、頭上砲の様な極端な方法で防 この内、最後の項目については I—I•—Y ( 装軌技オパルト 2 の改修を続けてきた。 oo 年代には増御の強化を計った戦車は配備されていない。この 術実証車 ) と呼ばれる技術実証車が製造されてム加装甲を装着した <LD が配備され、 2000 年代為、携行弾数が減少するデメリットもある大口径 ンスターの機甲兵学校で 1999 年の末にフィー には 55 口径 120m 砲を装備した <(0 、これに化の必要性は低く、戦車砲が搭載される ルド・トライアルが行われた。については、対地雷装甲を装着した <()> が配備された。 かもしれない。ただ、将来の発展余裕は余裕は確 外観が分かる資料が入手できず簡単な側面図しか現在は、が O-ØO の名称で提案した市街保されるだろう。 得られなかった。 戦向改修に変更を加えたものを、レオパルト 2 駆動装置には zoæでも検討された、ディーゼ -n 0 Q ( 市街作戦 ) の名称で調達することがノ レ・エレクトリックに期待が寄せられるだろう 決まっている。この改修は、ドイツ連邦軍が保有この方式は、操向変速器の代わりに発電機と駆動 計画の終焉 前述の調査は 1997 年から 2002 年に行わする 350 両のうち 150 両に、 2011 年から用モーターを使用する。これは、伝達軸が不要に れた。これについて、早い段階で明らかになった 2 018 年までかけてゆっくりと行われることに なりレイアウトの自由度を高めることが出来る。 のは、 z U で計画された 3 種類の派生型を同時なっている。 また、燃費の改善、エンジンを停止してのステル に開発することは、財政状況が許さないというこ こうした改修で問題になるのは重量である。こス走行、無段階操向変速、優れた低速時加速力等、 とだった。それゆえ、 1998 年には歩兵戦闘車れまでの改修は、装備を追加する形であった為、戦車の変速操向装置として大きな将来性がある。 型の技術開発だけが続けられることになった。 徐々に戦闘重量が増加し、 < 4 で 5 5 ・ 15 だっ 問題は、開発がいっ始められるかである。現在、 さらに国政情勢の変化が、歩兵戦闘車の開発にたが、 LnO Q では 67 ・にもなっている。ドイツを取り巻く国際情勢は安定しており LIJD 圏 も影響を与えた。冷戦後の国際社会において、ド Q は、平和維持活動での使用を考慮しては軍縮傾向にある。現在の主要な任務である平和 ィッ連邦軍は平和維持・強制活動を本来任務とさ いると思われるが、多くの紛争地域は交通インフ維持活動では、強力な戦車と戦闘になる確率は低 れ、 2001 年春に、への要求は Z<FO ラが貧弱で、重量の増加は問題になるだろう く、レオパルト 2 で苦戦するような状況は考えに や u-JD などの上位の安全保障を基準にするとされ くい。こうした状況で、戦車開発の優先度は低く、 調達は更に先延ばしにされるかもしれない。 た。歩兵戦闘車は地域紛争に迅速に対応する為に未来のドイツ戦車は ?

4. ドイツ連邦試作戦車 レオパルト3への挑戦

後書 本書をご覧頂きありがとう鰓座いましこ・一作者の名城犬鰤です。 今回から、作画作業を = ながらの紙イ、」ンタルに ルなら拡大して作画できるので : ・細かく書き込みたい僕占よき つ 業時間はアナログと変わらないのですが、綺麗さは 2 割増しになリすのすノしはら、 5 この方法 で作画していく ? もりです。今後ま、紙とンの様な味のある心地ヨレを、一ジタルでも 再現する方法を追求したいと思っています。 今回は新規開発の試作戦車をご紹介しましたがこ次回は、レオバルト 2 KWS Ⅲやレオパル ト 1 A6 の未完に終わった能力向上改修計画をご紹介します。これと合わせて、ドイツが検 討した月装填装置をご紹介します。ドイツは、ルクレールや 9 0 式戦車が用いた方式は、弾 頭が戦闘室を向いている為に被弾誘爆時に搭載している HEAT 諢が起爆し乗員被害をもたら すと、定的な見解を持 0 ていました。これを回避する為に、様々な配置を検討したのですが、 ークな構造で、技術的には凝り過ぎというドイツらしいものでした。 どれ この場借りて、本書の執筆に協力してくれ 3 人をご紹介します。表紙のデザンは、いつ もお願している MECHA さんです。やや地味な解説本である私の原稿が多くの人にご覧頂 けるよ ? にな 0 たのも、彼がデサインする明るく楽しげな表紙のおかげです。本攴そ使用した 図は、犬箱修治さんに作てもらいました。彼自身も原稿があるのですが、毎回忙しお拿間をぬっ て手伝 0 てぐれていま ! 、トン貼りは、ごろりさにお願いしました。彼は平旧は日本の 平和を守るイ壬務に 0 き、休日は僕の締切を守る , ため ( ートーンを 0 てくれるス : てイヾーヒー 0 ー です。今回も氣暴締切に間に合わせることが出来のは、彼らの協力によるものです。 最後に、本書を覧し ) 頂りた皆様、本判こ有難う御座いました。 一意見、ご感想等有りましたら、 下記の連絡先まで、お気軽に連絡下さい。皆様から頂くご意見力新しい着眼点を得ること も多く、執筆する上で参考にさせ - ていて 奥付 連絡先 HP アドレス http://pk510.akazunoma.com/ メールアドレス Twitter pk510@h0tmaiI.co.jp http://twitter.com/pk510bis Pixiv http://www.pixiv.net/member.php?id= 148991 ドイツ連邦試作戦車 レオバルト 3 への挑戦 発行日 2011 年 8 月 1 4 日初版第 1 刷 発行 pk510 著作名城大朗 3 ①

5. ドイツ連邦試作戦車 レオパルト3への挑戦

頭上砲戦車の開発が中止されると、レオパルト QNOO と名付けた。砲塔は、自動装填装置をンについては、これ以上情報が無いので、本項で ン 2 の車体に自動装填装置を装備した新しい軽量砲備えたフラット砲塔で 120 滑腔砲と改良型 LL は低姿勢砲塔の特徴について簡単に述べる。 塔を搭載することが計画された。この方法は、頭 OØを装備する。部隊配備の時期について、当時 上砲戦車より軽量化のメリットは小さいが、リス計画されていた歩兵戦闘車 YBoo の調達が優先低姿勢砲塔は、砲塔前面の高さを抑えて、砲塔 クもまた小さかった。この計画は、フランスと共され、 1996 年まで導入できないとされた。 の軽量化と被弾率軽減を図ったものである。戦車 同で開発されることになった。しかし、この計画 フランスは、この計画をシャール 90 ナポレの砲塔前面は、被弾率が高く、その後ろには乗員 4 は早い段階で中止され、試作車は製造していない。 オンと命名し、重量の上限として >—JOLOO ( 約がいるので手厚く装甲化されている。この為、砲 48t ) を主張した。フランス側は、ドイツの案塔前面の小型化は軽量化の効果が大きい。しかし、 と異なる低姿勢砲塔を計画した。部隊配備時期は、主砲は俯角をとると砲尾が持ち上がるので、この 一 0 経緯 の開発に失敗しイギリスとの共予算の理由で 1991 年とした。 可動域を確保する必要がある。この為、低姿勢砲 ~ 9 同開発が中止されると、 1977 年にドイツはフ 塔は、砲尾部だけ天井が高くなっている。 ・ 1 この方式のデメリットは、砲尾部隆起が車長の ランスと戦車の共同開発を始めた。当時のフラン自動装填装置による軽量化 スは < x 3 0 に続く新型戦車を必要としてい Z90 のレオパルト 2 と比較しての改善点直接視界を遮る点である。また砲塔バスルの自動 た。当初は外国製の戦車の購入も検討したが、要は、自動装填装置の搭載による軽量化である。こ装填装置にもある程度の高さが必要で、これも直 求を満たすものが無いという結論に至った。 の利点は、自動装填装置の設置が砲塔レイアウト接視界を遮る。ナポレオンでは、背の高いペリス 両国は、かっての <>><00 とレオパルト 1 のの自由度を高める為もたらされた。 コープを配置して視界を確保している。 共同開発の失敗を教訓に、今回は細かい技術的な 戦車の戦闘室は、乗員を防護する為に装甲が分これに加えて、砲塔側面の装甲が不足している 問題や試作車の製造の前に、基本的な要求につい厚くなっており重量がかさむ。しかし自動装填装という説がある。これは、どういう意味か具体的 て慎重に共同締約のゴールを定めた。こうして、置なら、戦闘室に配置する必要がないので戦闘室には分からなかったが、砲尾の為の天井隆起部を 最初に以下の点について協議された。お 来の主力を小型化できる。自動装填装置は、装甲の薄い砲指していると思われる。砲塔側面には、空間装甲 戦車に対する要求。共同計画の為の工業機構及び塔バスルに搭載すればよい。また、装填手によるや複合装甲等の特殊装甲を使用しているが、これ 調和の取れた管理。タイム・プランニングだけで装填作業には天井にある程度の高さが必要であっ等は軽量である反面、体積が大きい。この為、砲 なく資金とワーク・パッケージの配分。必要な手たが、自動装填装置ならこれも不要となり乗員は尾部隆起側面に特殊装甲を配置するとペリスコー 順 ( 例えば、評価、契約の種類、費用の償還、等々 ) 着座で勤務できるようになる。こうして天井の高プや乗員ハッチと干渉し、装甲に十分な厚みを持 可能な国際協力及び輸出の規制問題。 さを低くすることも出来る。 たせることができないという意味だと思われる。 この低姿勢砲塔の否定的な面については、ドイ ッ連邦武器技術調達局に勤務されたロルフ・ヒル 1980 年に、ドイツはレオパルト 2 の車台にナポレオンと低姿勢砲塔 新しい砲塔を搭載することを決定した。これは、 (O)O に搭載する砲塔について、フランスメス氏が著書で主張しており、ドイツ連邦軍の見 レオパルト 2 は完成したばかりで、新しく開発し側はどの様な砲塔を提案したか詳しい情報は得ら解を反映していると思われる。実際に連邦軍では、 ても大きな進歩が見込めなかった為である。このれなかったが、グランドパワー誌 2005 年 8 月低姿勢砲塔の本格的な検討は見られなかった。 アイデアは、フランスからも認められた。 号に簡単な図が掲載されている。これによるとナこうして、 QNOO でドイツ側は低姿勢砲塔 ドイツ側は、 1981 年の末に提案をまとめ、ポレオンは、低姿勢砲塔になっている。ナポレオとは異なるフラット砲塔の搭載を検討した。

6. ドイツ連邦試作戦車 レオパルト3への挑戦

ー : ロロ当 00Q TTK TechnoIogieträger Kette 装軌技術実証車 実際に試作されたはずだが、 実写画像は見つからなかっ 〇 〇 ◎ , ◎〇。◎ Z U の 開発中止以降は 新型戦車開発の 〇動きは見られないよ それにしても 開発中止の理由が 予算っていうのが 一番ツマンナイねー ↓レオバルト 2 PSO KMW が提案したレオパルト 2PSO ( 平和維持 活動 /Peace Support Operations) は、 MOUT ( 市街地における軍事作戦 ) を重視 した改修になっている。ドイツ連邦軍は、 れを自らの要求に合わせて仕様を変更したレ オパルト 2 UrbOp ( 市街地作戦 /Urbane Operationen ) の調達を 計画している。 KMW は、 UrbOp を A7 + の名称 で軍事市場にも提 案している。

7. ドイツ連邦試作戦車 レオパルト3への挑戦

ントの小型化と、装甲技術の進歩に 戦車の近未来は ? 今回は、ドイツが構想した第四世代戦車につい より、従来と同等以上の装甲防御を て紹介したが、最後に世界の戦車開発について簡有していると言われている。こうし 単に述べる。 た在来型砲塔での進歩は、多くのリ 現在の所、第四世代戦車と呼ばれる物は出現しスクを含む頭上砲の必要性を弱める ておらず、定義は定まっていない。現在でも戦車かもしれない。 開発は活発に行われているが、新興国による開発 が、多く第三世代戦車を超える戦車を開発可能な また、技術的な変化の他に想定さ 国は少ない 一方で、先進国による戦車開発は冷れる戦闘環境の変化も、戦車への要 戦の終結により鈍化している。それでも一部の先求に変化を与えるかもしれない。 進国で、ドイツと同じようにレイアウトの変更で戦後の戦車は、機甲戦だけでなく非 第四世代戦車を構想したが、そうした計画で実現対称戦への投入も期待されている。 したものはない。 こうした任務には、直接視界の良い アメリカの LL O c.D ( 将来戦闘システム ) の 0 砲塔戦車が要求されるかもしれな (D は、 ZOC に近い計画であった。この計画では、 。また、戦車の設計に正規戦以外 共通車台から多数の派生型が計画され、戦車型はの任務への適応力を、どの程度に盛 乗員 2 名の頭上砲式だった。動力も、 z U と同 り込むべきか考えなければならない だ「つ、つ じディーゼル・エレクトリックが予定されていた。 ロシアの試作車 e 9 5 は、、 ョ公毒のまま計画が 中止されたが、頭上砲式に大口径砲を装備してい 頭上砲の技術的な問題は、時代と たと一三ロわれている。 共に解決されつつある。しかし、そ 第 4 世代戦車とは言えないかもしれないがヨルれでも相対的にリスクとコストは高 ダンも頭上砲戦車を試作している。これは、チャ いままになっている。こうした点と、 レンジャーの車体に頭上砲式のファルコン砲塔を 非対称線への適合性は国によって、 搭載するというものであった。この計画は、試作 価か異なり、異なる方向性の第 4 車の製造まで進んだが正式採用は実現しなかっ世代戦車が出現するかもしれない。 た。この様に、今のところ頭上砲戦車の前途は厳将来登場する第 4 世代戦車は、頭上 しい状況だ。 砲によるブレイクスルーを図るか、 砲塔戦車を磨き上げる形になるのか 一方、日本で開発された 10 式戦車は、在来型未だ分からない。 砲塔に自動装填装置を搭載した構造だが、 4 45 4 8 と軽量になっている。これは、コンポーネ ご覧頂き ありがと一つ ございました 今回のお話は ここまでです お疲れ様でした 次は旧式戦車の 戦力向上改修の 話だよ また見てね 5 しオ / ( ルト 2 28

8. ドイツ連邦試作戦車 レオパルト3への挑戦

為に、自動装填装置も新しく製造された。試験の外の参加国も za を配備した国はなかった。 140 戦車砲 ZO-NE 背景 : ・ 1979 年に配備されたレオパルト 2 は、結果、レオパルト 2 への搭載は可能と証明された。 120 戦車砲と複合装甲を装備した優れた戦車 mNE*NOOO の計画終了 であった。しかし、この優位性はソ連戦車の進歩性能・・・ za は、大口径化と装薬量の増大は、乗員 2 名の実現に技術的 により、何時かは失われると考えられた。ソ連戦により砲ロエネルギーが強化され、約 cvo な問題を抱えていた。しかし、そうした開発リス 1 1 5 1 0 0 車の主砲は、 125m と着 -) にもなった。ラインメタル 44 口径 120m 戦クの発生とは関係無く、冷戦の終結とドイツ再統 ~ 亠 実に強化されていた。装甲は、東側の技術水準が車砲からを発射した場合の 9 ・と一の影響により 1992 年に中止されてしまっ どの程度か推測の域を出なかったが、西側が複合比較して約 2 倍である。 た。冷戦終結は、予算の削減に加えて国際情勢の 装甲を獲得したのと同様に強化されると考えられ 140 砲弾の装薬は、 102 から 202 に増変化による装備の優先度をも変化させた。こうし た。実際には、 60 年代中盤に出現した T64 か加した。この為、砲弾の全長約 r-ooo た事情により、同時期に行われていた歩兵戦闘車 ら既に複合装甲が使用されており、 mo 年代にはから約 1500 に増加した。そして重量は約と駆逐戦車の開発計画も同様に中止されている。 爆発反応装甲の配備が始まり眼に見える形で脅威 20 瓸から約 380 瓸に増加した。弾薬は、強度 が増大した。こうしたソ連との緊張関係のもと、を確保し、取り回しを容易にする為に 2 分割式に 1 より強力な戦車砲が必要とされた。 された。またその重量と寸法から自動装填装置の E E E E ・羊 E Z 使用が不可欠になった。弾薬の巨大化により、戦 E m00 言 m00 0 0 5 、 0 0 0 0 0 4 4 7 ・ 0 0 LO 0 -1 -1 CD 糸′ ( 、 8 【 0 -1 4 ^ 0 開発 ・・・ 19 8 0 年 5 月に、米英独仏の 4 カ国車への弾薬搭載量は、従来の 4 0 発から 3 2 発に ~ 4 は将来戦車主武装 (LLF><) の名称で 140 減少する予想とされた。 戦車砲を開発する了解覚書を交わした。これは、 主砲の高威力化は反動衝力を増大させ、プラッ 砲と弾薬に関する基本的なパラメーターの取り決トフォームへの負荷が著しく増大した。駐退器に E Z Z め、インターオペラビリティ、個々のコンポーネよる後退距離は 160m の増加で済んだが、反動 E g っ乙 6 っ 0 ワ」 4 0 -1 4 ントの互換性を確保する為だった。開発には、各衝力は 4 4 口径砲 12 0 の約 5 5 0 z ( 5 5 国から以下の企業が参加した。米ウォーターブ ) から約 14 0 0 z ( 14 0 ) に激増した。 4 リート・アーセナル、英ロイヤル・オードナンス、射角は、 120m 砲と比べて 10 % 増加した。こ 3 a- 仏ジアット・インダストリーズ、独ラインメタル。 れは、軽量構造・結合揺架そして、多段式尾栓等師Ⅲ 0 っっ名っ 4 0 7 、 1982 年から研究と予備調査が始められ、 1 の重量面で有利な構造により可能になった。 -1 1 【 0 9 / ー、 7 ・・つ 0 ( 0 っ 0 988590 年に設計上の個々の問題を抜き出すこうして戦車砲 zc の開発は完了 為の技術試験と実現可能性の調査が行われた。 1 した。しかし、ドイツでは搭載を予定していた 重ノ 9 9 0 5 9 2 年にはラインメタルにより 14 0 が中止されてしまった為、配備に ギ れ S 一 z N ( 新型戦車砲 ) の名称でデモンストレー は至らなかった。 z N は、この他にもレオパ レ 取 E モ ターが製造され、射撃台を用いた射撃試験が行わルト 2 の改修計画Ⅲ、歩兵戦闘車 ネ仂 ~ が衡 長工薬圧足 角平 れた。そして 1992 年にレオパルト 2 の試作砲の対戦車型、後述するにも搭載が予定され 径身ロ戦ス座動曲寸不 ロ砲砲ガ後反印 ( 塔 T19 を改造して車載テストが行われた。このていたが、。 とれも中止されてしまった。ドイツ以

9. ドイツ連邦試作戦車 レオパルト3への挑戦

0 「ホップの単砲身ケースメイト戦車 (Einrohr kasemattpanzer) こんな名前だが、旋回範囲が 限定された砲架を有する 頭上砲戦車である。ー 年代は技術の進歩により これまで不可能だった = = 言力可能こなり 様々な案が検討されました クラウス・マッファイの 低姿勢砲塔 自動装填装置の弾庫は 縦置きベルトコンべア ( 立体駐車場の様な ) になっているので ルクレールと比べて 後方視界が良い。 クラウス・マッファイの 頭上砲戦車 主砲後部に搭載弾薬の 全てである 40 発が 搭載された。 この方式は周囲の視界が 良いが、対空警戒に問題を 生じると思われる。また、対空 機銃はリモコン式が不可欠になるだろう。 しかし頭上の武装は、トップアタック・ミサイルや クラスター爆弾から乗員を守る盾としても機能する。 0 を MaK の DRK ( 双砲身ケースメイト戦車 ) については 「ドイツ連邦 駆逐戦車開発小史 編」で詳しく 解説しましたので 参考にして下さい 0 、」の 0 0 分 9 乗員は 2 門の主砲の間の コンパクトで軽量な 戦闘室に配置されており 重量効率が良い。戦闘室両脇の武装は 戦闘室を守る空間装甲としても機能し残存性が高い。 气、 0

10. ドイツ連邦試作戦車 レオパルト3への挑戦

Kpz3 度な防御を達成するのは、初期の段階で軽蔑され排除して非常に小さい。これにより、装甲重量は レオバルト 3 へ レオパルト 2 以降の戦車開発は、まだレオパルていた無砲塔戦車だけだとされた。 軽減され、その分を戦闘室の装甲強化に回して乗 ト 2 が開発中だった 19 7 2 年から始まってい レオパルト 2 は、革新的な Z70 (>me 員の生存性を向上させることもできる。また、乗 た。レオパルト 2 は、 M48 を置き換えることに ) の開発失敗もあり、比較的保守的な設計だっ員は被弾率の低い車体に位置するので生存性が更 なっていたが、近い将来レオパルト 1 が旧式化すた。 LLOØや装甲素材には技術革新があったが、 に高まる。車体弾薬庫を戦闘室から排除するは、 るのは避けられず、後継車両が必要とされた。 レイアウトはほぼ在来型のままだった。 誘爆の被害から乗員を守るメリットもある。 こうして、レオパルト 1 を mo 年代後半に置き レオパルト 2 以降の開発は、特に防御の向上に のもう一つの特徴は、ケースメイト戦車 換えるオペレーション要求が発布された。この計重点が置かれた。西側第三世代戦車は、装甲重量でありながら行進間射撃が可能な点である。 画は、イギリスと共同開発することとなり、イギの約半分を車輌筐体と装甲が占めており、レイアのは、旋回式照準器で照準したまま、車 リスは >Ol--coo 、ドイツはと命名した。ウトの改善が出来れば相当の軽量化でき、この余体を目標方向に旋回させると最適のタイミングで そして 1975 年までの間に、、 ooe 、裕で装甲強化が可能であると考えられていた。無自動的に発砲するというものである。この行進間 ラインシュタール・トランスポルトテヒニク、ク砲塔戦車が注目されたのは、こうした理由による射撃に必要な安定化の為に、砲架は仰俯のみ可能 ラウス・マッファイ、ホッブズ・グループ・ものであった。こうして双砲身ケースメイト戦車だった。また、は高速で蛇行機動をとりな オブ・コンサルティング・エンジニアーズの 5 社と頭上砲戦車の実現性を調査する為に技術実証車がら発砲を繰り返すことで、被弾率を低減した。 が、 9 種類のコンセプトを提案した。それは、判が製造された。また、当時注目されていたフロンの射撃方法は、技術実証車の射撃試験で要 明している範囲では以下の様なものだった。 ト・ドライブ戦車の調査も行われることになった。求を満たす命中精度を実現した。 ・後部駆動の砲塔戦車 しかし、は、運用試験で許容不能な欠点 ・前部駆動の砲塔戦車 が指摘されて、戦車部隊から配備を拒否されてし の開発 ・双砲身ケースメイト戦車 ( 0 ) ( 双砲身ケースメイト戦車 ) の開発は、まい計画は中止された。まず、部隊行動中の蛇行 ・頭上砲戦車 1972 年にから始められた。 OCY-Y の構造は、軌道射撃は、隊形の維持が困難で、先行車が後続 車体両端に主砲が設置され、その後部に自動装填車の射界に入り危険であった。また、 2 本の砲身 提案は、デザイン研究の後に行われたプロジェ装置が配置されていた。乗員は 3 名で、 2 門の主が突き出している為、市街地や森林での行動も不 クト・デフィニション段階で次の 3 案に絞られた。砲の間の戦闘室に配置された。この様な配置に適格とされた。蛇行機動戦闘は広大な平地が適し ・砲塔戦車 ( クラウス・マッファイ ) なったのは防御の向上を狙ってのものだった。 ているが、そうした地形は限られていた。そして、 ・双砲身ケースメイト戦車 ( ) 戦車は、車両全体の装甲を分厚くすると重量過射撃する時は目標に進路を向けなければならない ・頭上砲戦車 ( ホップ ) 多になってしまう。この為、乗員の生存だけでもので、目標と並走しながらの射撃も出来なかった。 確保する為に、戦闘室は重点的に装甲化されてお これを受けてイギリスは砲塔戦車の案を提示し これらのコンセプトは、イギリスの提案と共にり重い。この為、戦闘室の小型化は、軽量化の効たが、ドイツはレオパルト 2 と比較して改善点が 比較評価された。しかし、イギリスの提案は非常果が大きい。在来型の戦車は、乗員が車体と砲塔無いとして拒絶した。そして、有効なアドバンテー に高度な作戦上の要求を満足させられなかった。 に分かれており、さらに戦闘室内には主砲や車体ジを達成し得るのは、ラディカルなデザインへの そして、 1976 年に始められたパラメーター 弾薬庫が配置されており戦闘室を肥大化させてい挑戦だけだとして頭上砲戦車の開発を始めた。イ 研究において >—IO()O の重量制限を守りつつ高る。これに対しの戦闘室は、武装と弾薬をギリスはこれを拒絶し、共同開発から離脱した。