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検索対象: 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界
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1. 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界

おおた慶文・主な出版物 定価 ¥ 1.550 ¥ 1.800 ¥ 1 .500 ¥ 2.400 ¥ L550 ¥ 2.300 ¥ 1.600 ¥ 1.860 ¥ 1.600 ¥ 2.300 ¥ 2.000 ¥ 2.400 ¥ 1.000 ¥ L500 ¥ 2.400 ¥ 3.200 ¥ 1.800 ¥ 1.000 初版発行日 1985.12.15 収録点数 48 点 51 点 83 点 40 点 49 点 35 占 48 占 38 占 40 点 32 点 45 点 39 点 25 点 引点 35 占 72 点 47 点 21 占 発行所 ( 株 ) 白泉社 ( 株 ) サンリオ ( 株 ) 白泉社 ( 株 ) サンリオ ( 株 ) 白泉社 ( 株 ) サンリオ ( 株 ) 白泉社 ( 株 ) サンリオ ( 株 ) 白泉社 ( 株 ) サンリオ ( 株 ) ムービック ( 株 ) サンリオ 工ディション q ( 株 ) 河出書房新社 ( 株 ) サンリオ ( 株 ) サンリオ ( 株 ) 白泉社 ( 株 ) 河出書房新社 書名 あのこ おくれ毛は風のかたち そして はっ恋 風のラビリンス まえぶれの刻 碧のシルエット 惹かれて きっと 風色のくちづけ フリーランス 夢語り 大好き ! / 共著千場しおり 花うらない / 共著俵万智 花盛り フォーシーズンズ / 再版 やくそく 花うらない / 新版共著俵万智 集集集集集集集集集集集集本本集集集本 絵 絵絵 歌歌 歌 匪画画画画画画画画画画画画短短画画画短 1986.1 L20 1987.11.11 1988.01.05 1989.09.02 1989.11.11 1991.04.02 199L09.20 1992.05.05 1993.07.20 1995.02.01 1995.08.20 1996.11.11 1996.11.29 1997.02.20 1998.05.20 1998.08.15 1998.1L30

2. 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界

備考 白泉社創作童話「あたしのいもうと」挿絵 ク クククククククク クククククククククククククククク ン ンンンンンンンンンンンンンンンン ンンンンンンンン ララララララララララララララララ ララララララララ カ カカカカカカカカカカカカカカカカルカカカカカカカカ オ彩彩彩彩彩彩彩彩彩彩彩彩彩彩彩彩彩彩彩ク彩彩彩彩彩彩彩彩 画水水水水水水水水水水水水水水水水水水水ア水水水水水水水水 サイズ ( mm ) 300 x 240 280 x 395 310 x 235 310 x 240 390 x 320 490 x 350 440 x 320 275 x 250 310 x 390 320 x 350 360 x 380 340 x 370 370 x 430 420 x 470 415 x 450 400 x 450 410 x 450 390 x 540 400 x 570 440 x 365 410 x 430 415 x 430 410 x 425 410 x 430 475 x 535 410 x 350 450 x 480 435 x 460 制作年 1984 1985 1985 1987 1987 1987 1987 1987 1988 1989 1990 1992 1992 1992 1992 1992 1992 1993 1993 1995 1996 1996 1996 1996 1996 1996 1996 1996 号 1 ワっ 0 4 「 / 一 8 一 9 、 0- 1 ワ】叮 0 作品名 ほっれた心 フレンド パジャマ姿でもう少し うさぎといっしょ 画集「あのこ」 「くもんのそろそろおこさまに / はさみ編」表紙 「やーだもん」 夏少女 新年のここち 愛より「小大」 ばくも 3 さい 初姿 よりそい あこがれから 椿可憐 旅立ちの V サイン カモメに歌って アキアカネの応援 そよ風のメロディ リトルフレンズ れんげ草のうた プレイボール ソフトクリーム カラフルサマー 花火の夜 笑顔でゴール 緑の中の赤ちゃん メリークリスマス 赤いおべべのお正月 ( 株 ) 台糖ファイザー 88 年カレンダー 月刊「園児のおかあさん」 88 年 4 月号表紙 月刊「園児のおかあさん」 88 年 11 月号表紙 月刊「園児のおかあさん」 89 年 7 月号表紙 ( 株 ) 丸善建設 91 年カレンダー ビクター益田宏美 CD 「きようだい」ブックレット画 画集「きっと」 ( 株 ) クボタ 93 年カレンダー ( 株 ) クボタ 93 年カレンダー ( 株 ) クボタ 93 年カレンダー ( 株 ) クボタ 93 年カレンダー 93 年 ( 株 ) ビバリーのジグゾーパズル画 93 年 ( 株 ) ビバリーのジグゾーパズル画 一 8 一 8 一 8 一 8 一 8 9 、 9 、 9 、 9 、 9 、 9 、 96 年東京ドームインフォメーション・カレンダー 96 年東京ドームインフォメーション・カレンダー 96 年東京ドームインフォメーション・カレンダー 96 年東京ドームインフォメーション・カレンダー 96 年東京ドームインフォメーション・カレンダー ビクタ—CD 「ほーら、泣きゃんだ ! 」シリーズジャケット画 96 年東京ドームインフォメーション・カレンダー 97 年東京ドームインフォメーション・カレンダー 水彩・カラーインク 水彩・カラーインク 水彩・カラーインク アクリル・水彩 水彩・カラーインク 水彩 アクリル 月刊「詩とメルヘン」 98 年 1 月号 月刊「詩とメルヘン」 98 年 2 月号 画集「やくそく」カバー 月刊「詩とメルヘン」 98 年 5 月号 画集「やくそく」 98 年東京ドームインフォメーション・カレンダー 月刊「詩とメルヘン」 98 年 8 月号 寒流 暖流 タレント 早春のしすく 望み 虹色の雨空 心さらさら 435 x 600 330 x 465 320 x 470 395 x 495 355 x 530 580 x 450 445 x 570 1997 1997 1998 1998 1998 1998 1998 99 100 101 102 103 104 105

3. 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界

まなざしの彼方にあるもの ( 株 ) 白泉社代表取締役 小長井信昌 縁あって、小社白泉社からも、おおた慶文先生の絵本を何冊か出版させていただいていま すが、どれも売れ行きがよく、大変感謝しております。小社は、少女まんがの雑誌や絵本な どに力を入れている関係もあり、若い女性の読者が多いのですが、おおた先生のファンも、 若い女性・少女が多く、読者層が合って有り難く思っています。 先生の描く少女は、本当に愛らしく魅力的です。その魅力はどこから来ているのだろうか、 と考えたことがあります。そのソフトなタッチ、柔らかな頬の輪郭、・・・・・・しかし、何といっ ても一番の魅力は、どこかをじっと見つめているような「まなざし」にあるような気がしま す。彼女のまなざしは、どこを向いているのでしようか。先生が育ったのは、北海道苫前郡 羽幌町だと聞いています。特にタ焼けの美しい所だそうです。彼女が見ているのは、北海道 の爽やかな緑の原野、その向こうに浮かんでいる白い雲、あるいは美しいタ焼けでしようか。 草原に咲く小さな花、小さな子猫、子狐など愛らしいものたちでしようか。 読者は、先生の描く少女に永遠の憧れを感じ、自分の分身を憶っているのではないでしょ うか。おおた先生にはこれからもぜひ、魅力的な汚れなき少女を描いていってほしいと思い ます。 先生は現在、北海道とどこか似た感じのある南箱根の丘陵に、美しい奥様、可愛いお子様 ( もう、かなり成長されているでしようが ) と住まわれ、いよいよ筆は冴えています。それ も一脈通じる所があるのでしよう。 れたのではないかと思うほどです。美しいフォーム、柔らかなアプローチなど、絵の世界と 実は先生は、ゴルフもまた天才的な腕の持ち主です。もしゴルフを職業に選んでも、成功さ 私事ながら、おおた先生とは、たまにゴルフをご一緒させていただくことがありますが、 も、よい絵が生まれる秘密のひとつだとも思います。 ノ 0 です。 美を提供していただきたいと思います。今後益々色々な方面でご活躍されることを願う次第 私は、おおた先生には、今の絵の良さを磨いていただき、社会に、安心できる美・素直な しい、良いものは良い、人間本来が求める美は、そう変わるものではないと思います。 も多様化し、少女達の間では、きつい化粧が流行ったりもします。しかし、美しいものは美 確かに、世紀末から新世紀へと、現代の社会は、目まぐるしく変化しています。美の基準

4. 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界

普遍的な表情の発見 ( 株 ) サンリオ月刊詩とメルヘン編集部 西村俊昭 おおた慶文さんに初めてお会いしたのは 1986 年の初夏、ちょうど少女画を中心にした最初の画 集『おくれ毛は風のかたち』を出版しようとしていた頃です。その時から翌年末にかけて、画集 の編集や書店などでのサイン会、原画展、とりわけ 87 年の新宿高野ギャラリーでの個展などで頻 繁にお会いする機会がありました。 おおたさんの画集を出すこと、そのために作品を描きためていただくことが仕事でしたから、当 然のことながら、おおたさんの絵 ( すでに「美少女画」と名付けられていました ) をどう考えるの か、自分の中で繰り返し繰り返し問い続けていました。その答えのひとつは次のようなものです。 おおたさんの絵は「美少女」を描いたから「美少女画」になったのではなく、少女の普遍的な 表情 ( あるいは感情 ) を発見し、描かれた表情が素晴らしく美しいものだったので、結果として 「美少女画」になったのだ、と。 微妙な差に思われるかもしれませんが、私には決定的なことと思われました。その当時、おお たさんの作品を模倣した多くの作品のどれひとっとして、おおたさんの作品が持った魅力の足下 にも及ばなかったのは、形だけ美しい少女を描いても決して「美少女画」にはならないことを証 明していたと確信しています。 しかし、その表情は、決して純真無垢とか、天真爛漫といったものではなく、喜びも哀しみも 含めて一途に何かを想い続けるひたむきさが込められていたと思います。 面白いことに、 20 代の女性たちは、おおたさんの絵を見るのが少し恥すかしいと言いました。 おそらくは他人に見せてはいけない表情を感じとったのではないかと想像しています。それに対 して、男性の支持は圧倒的で、サイン会などでも熱心な男性ファンがたくさん並んでいました。 男性にとって、その表情は永遠の憧れのようなものだったのでしよう。 『おくれ毛は風のかたち』を出版してから間もなく、使用した作品の返却のために、当時三郷に 住んでいたおおたさんのもとを訪ねた際、引き換えに『詩とメルヘン』で依頼した作品を受け取 りました。その時受け取った作品が「前髪」と後に名付けられたもので、一目で強く惹き付けら れてしまいました。私は今でも「前髪」は初期のおおたさんの代表作であると信じていますが、 その作品を見て直ぐに次の画集の計画を立てました。画集のタイトルもあらかじめ『はつ恋』と 決めてしまいました。私に限らすこの「前髪」に惹き付けられた人は多く、私どもの社長の辻信 太郎も、この作品を購入して、今でも社長室の受付に展示しています。 おおたさんが『詩とメルヘン』でデビューしてからちょうど 20 年、見るものの心に胸騒ぎをお こす強い磁力を持った「美少女画」はその間独走を続けています。 707

5. 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界

おおた慶文略年譜 ■ 1951 ■ 1964 ・ 1967 ・ 1970 ・ 1975 ・ 1977 ・ 1980 ・ 1981 ・ 1982 ・ 1983 ・ 1985 ・ 1986 ・ 1988 ・ 1991 ■ 1992 ■ 1994 ■ 1995 ■ 1996 ー 1998 〃イ 北海道留萌郡鬼鹿村に生まれる。 7 歳のとき留萌市に移り、 11 歳のとき羽幌町に移る。 町立羽幌中学校入学。プラスパンド部に入部しトランペットを吹く。 プラスパンドー色の 3 年間であった。 道立美深高等学校入学。親元を離れ下宿生活を送る。 フォークソングが流行、ギターを覚えて曲作りに興味を示す。 2 年生のとき、部は全国大会に出場し 4 位入賞。 高校卒業後、横浜の富士コカ・コーラボトラーズに就職。その後東京門前仲町の丸善デパートに転職。 この頃、音楽雑誌に応募した自作の曲が最優秀賞受賞。音楽かデザイン方面の仕事に携わりたいと思う。 知人の紹介から店鋪デザイン事務所に転職、設計製図を学ぶ。 東京銀座の建築デザイン会社に勤務。 シンガーソングライター小椋佳の音楽に触発。 24 歳のとき作曲を試みたくフリーとなる。 書きためた自作の曲を小椋氏宛に一方的に郵送。くしくも小椋氏と面会が実現される。 以後、同氏の著書やアルバム等の題字のデザインを担当。その一方で、いわさきちひろ氏の影響から水彩画を試みる。 仁ノ平和代と結婚。妻の実家近く葛飾区四つ木に住む。 週刊『住宅情報』等の挿絵を長期にわたって担当。 ( 株 ) キテイミュージックの専属作家となり、小椋佳アルバムのジャケット画やコンサートボスター画等を担当。 サンリオ主催第一回『詩とメルヘン』イラストコンクールにて最優秀グランプリ受賞。主催者やなせたかし氏と会い、 アドバイスを受ける。月刊『詩とメルヘン』に初制作、本格的デビューと位置づける。 東京銀座のギャラリーで初の個展開催。 長女・綾花誕生。誕生をモチーフに作った歌が、 NHK 幼児向け番組『おかあさんといっしよ』に採用。 サンリオより初の画集『ひだまり』『こもれび』を相次いで刊行。 住居を埼玉県三郷市に移す。長男・剛タ誕生。白泉社より画集『あのこ』を刊行。 この頃より少女画を本格的に描き始める。サンリオ刊行の『おおた慶文の世界』に発表。 初の少女画集『おくれ毛は風のかたち』を同社より刊行。一躍新しい美人画の描き手として注目を浴びる。 この年のサンリオ美術賞受賞。 サンリオより少女第二画集『はっ恋』を刊行。 NTV 系テレビドラマ『風少女』のタイトルバック画を担当。 この反響により全国 5 都市原画展は好評を博す。 静岡県伊豆に新居をかまえる。画業 10 周年記念画集『フォーシーズンズ』刊行。 白泉社からは画集『碧のシルエット』刊行。 この年よりデパート会場において原画展を開催。展覧数 1 開点規模開催が恒例となる。 東京自由が丘に『おおた慶文ギャラリー』を 1 年間限定で開館する。 従来の画材にアクリル絵の具を加え、新たな色彩と質感の表現を試みる。 全国 5 会場で原画展を開催。延べ 6 万人の観客動員を記録する。 サンリオより画集『夢語り』刊行。 CD-ROM ソフト『おおた慶文の世界』発売。 東京ドームのインフォメーションポスターを毎月担当。以後 3 年続く。 河出書房新社より短歌絵本『花うらない』 ( 俵万智短歌 ) 刊行。 原画展を開催。白泉社から画集『やくそく』を刊行。

6. 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界

永速の少女伝説 おおた慶文の世界 K E I B U N O H T A

7. 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界

ごあいさつ 少女や子供の繊細で微妙な表情を、透明感あふれるタッチで描く画家、 おおた慶文の世界展を開催いたします。 おおた慶文は 1981 年、サンリオ主催の『詩とメルヘン』第一回イラス トコンクールで最優秀グランプリを受賞し、以来、その独自の画風は 高く評価され、多くの人々の共感を得ています。 おおた慶文の描く子供たちは無邪気であどけなく、無心に生の歓びを うたっています。少女たちは黒い大きな瞳に優しさをたたえ、ときに 不安、戸惑い、哀しみの眼差しをのぞかせますが、その純真な美しさ は見る者の心をとらえて離しません。 人は年齢、時代とともに様々な矛盾に出会い、迷い、何かを失ってい くものですが、慶文の世界の少女たちは、 " 清らかさ " " 純真さ " を永遠 に失いません。この混沌とした時代に、私たちに大事なものを訴えか けてくる少女たち・・・・・・、年齢を越え、時代を越え、永遠の命を持ち続 けていくのでしよう。 今回展示される 140 点の作品は、少女、子供、新作の三部構成で紹介 されており、おおた慶文の世界をより深くご覧いただけるようになっ ております。 本展開催にあたり、ご協力いただいた関係者各位に心より御礼申し上 げます。 主催者 3

8. 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界

美少女画の流れ 瀬木慎一 日本独特の美人画 日本の絵画に「美人画」と呼ばれるものがあり、古来、一つの流れ を形成していることは、良く知られている。この「美人画」は、どの ように定義されるかというと、かならずしも明確ではないが、総じて、 女性を憧憬の対象として設定し、美的な修飾を加えて、その理想像を 描き出すことを目的としている、と言えようか。 この特殊な絵画が盛んになるのは、室町時代の末期からで、特に、 浮世絵が発展する江戸時代において、一つの広大な分野を確立する。 しかし、「美人画」という呼称はどこにもなかった。そして、意外な ことに、本体である浮世絵が 200 年以上もの歴史を経て、明治後期に 袞退する段階においても、この絵画は消滅することなく、それどころ か、装いを新たにして次の時代に存続し、「美人画」という名称を初 めて正式なものとする。 このように、日本人の心性に深く根ざしている美人画にはさまざま な様態があるが、その特色となる一つに、少女を中心に描いた絵画が あって、それはそれで、一つのジャンルを生んでいることに私たちは 気付く。 通常、絵画に描かれる女性は、圧倒的に若いとしても、その大多数 が、思春期から成熟期に差しかかっているか、それに達した年代であ るのに比して、もう一段階若く、ようやく思春期に達したか、達しよ うとしている文字通りの「少女」。この年代の女性は、昔は「乙女」 と言われることが多く、明治・大正あたりまでは、この方が一般的に 使われていたが、それに代わる「少女」という言葉が新しい響きを以 て大いに普及するのは、欧米の近代文化の浸透と完全に軌を一にして いる。遡ると、明治後期から、広義の婦人雑誌の一種として、その誌 名に、「少女」、「新少女」、「少女画報」、「少女倶楽部」などと、掲げ られるものが続々と世に出されたことによって、定着したと見られる。 並行して、百貨店の白木屋が「少女歌劇」を創始したことも一つの画 期であり、それが後に、阪急電車の小林一三による宝塚少女歌劇に発 展することは、言うまでもあるまい。

9. 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界

「美少女画」の誕生 今から考えるとまことに奇妙だが、江戸時代には、「少女」という 言葉は、現代における意味では使われていなかったのは事実だが、 15 歳までは一人前の娘とは見なさない、というある意味での通念が存在 したことは、半ば以上実話である八百屋お七の有名な一件で明白であ ろう。放火犯は火刑に処せられる、というこの時代の法規を斟酌して、 「その方は 15 歳であろう」と促す北町奉行に対して、「いいえ、 16 歳で ございます」と答えて彼女が鈴が森で火あぶりとなるあの基準である。 この少女を、自分の絵画の主要な画題として全面的に描く一人の絵 師が、突如、江戸中期に出現して、世人の注目を浴びる。言うならば 「美少女画」のその先駆者が鈴木春信である。春信が描くのは、多く の場合、若い男女の相思相愛の情景であるが、一見すると、両性の区 別が付きかねるものが少なくない。それほど幼げで清楚であり、年齢 はお七程度でしかない。もともと、成熟しきった遊女を描くことから 始まり、それが定型だった浮世絵一般との根本的な違いを見せている。 その未熟な肉体にほのかに芽生える性感情の清純な美を捉えるところ に、作者の狙いがあり、当時の人々、とりわけ、精神的な頽廃を深め ていた元禄期以降の上層人の眼に新鮮に映ったにちがいない。まさし く泥中の蓮の観があるこの少女憧憬のロマンティスムは、彼らの深層 を快く刺激し、前例のない「美少女画」は、たちまち、一世を風靡する。 しかし、次の段階になると、歌麿から北斎などへと、前にも増して 頽廃を深めていく時代の相を現実的に濃艶に表出する絵師が続々と出 現して、この清純時代はほんの 20 年間ほどで終息してしまい、浮世絵 の主流は、ひたすら、ただれたような爛熟美にのめり込んでいく。春 信の錦絵に見られたほのばのとした少年少女の純愛物語は、ほんの一 夜の夢でしかなかった。 近代の「美少女画」 「美少女画」は、このようにして、確かに短期間に消滅した。とこ ろが、繰り返すのが歴史だとしたら、思いがけない後の時代になって、 5

10. 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界

それが蘇っても不思議ではない。それはどんな時期だったか、と言え ば、先に示唆したように、「少女」が近代用語として一般に使われる ようになる明治の後期と特定することが出来るのではなかろうか。 周知のように、産業と軍事をいちじるしく整備して発展した近代社 会を主導した文化は、当然、国家体制の要請に叶う実用的なものだっ たが、その反面で、伝統が尊重され、精神的なものにも眼が向けられ、 教育がより多くの人々に行き渡るのに伴って、柔らかく優美なものが 復活し、また、更新される。その気運のなかに誕生した女性文化であ り、各種の芸能とともに、美術の領域では、女性が中心的な画題をな し、女性を主な対象として、女性自身によっても描かれる独特の絵画 が創出される。 この明治後期の転換期に、ようやく正当な市民権を得た美人画は、 主として、浮世絵の最後の大流派である歌川芳年の一門から、清方、 輝方、蕉園、深水、恒富、成園らの幾多の能才が出現することで活気 を呈し、時を同じくして、関西では、円山四条派の流れから、栖凰、 松園、小坡、麦僊らが進出して、見事に呼応する。松園を始めとして 女性画家が輩出するのも、この空気のなかである。「美少女画」とい うことで言えば、松園、清方、麦僊、深水らには優れた作例が少なく なし、。 専門画家の出現 近代美人画の流行は、次々に発刊されて読者を増やす女性雑誌と少 女雑誌に鮮やかに反映し、それらのための表紙、ロ絵、挿絵を描く専 門画家が短期間に生み出される。特に「美少女画」の分野で挙げられ るのは、竹久夢二、高畠華宵を先駆として、蕗谷虹児、加藤まさを、 山名文夫、中原淳一らであり、また、洋画家のなかからも、藤島武二 青木繁、岸田劉生、東郷青児、猪熊弦一郎、小磯良平、宮本三郎らが 出て、昭和前期にかけて、それぞれ特色のある美少女像に腕を振い、 かってない盛況が生まれる。この現象は、江戸中期の春信以来のこと であり、それ以上のものがあった、と言ってもけっして過言ではない。