1988 - みる会図書館


検索対象: 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界
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1. 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界

ごあいさつ 少女や子供の繊細で微妙な表情を、透明感あふれるタッチで描く画家、 おおた慶文の世界展を開催いたします。 おおた慶文は 1981 年、サンリオ主催の『詩とメルヘン』第一回イラス トコンクールで最優秀グランプリを受賞し、以来、その独自の画風は 高く評価され、多くの人々の共感を得ています。 おおた慶文の描く子供たちは無邪気であどけなく、無心に生の歓びを うたっています。少女たちは黒い大きな瞳に優しさをたたえ、ときに 不安、戸惑い、哀しみの眼差しをのぞかせますが、その純真な美しさ は見る者の心をとらえて離しません。 人は年齢、時代とともに様々な矛盾に出会い、迷い、何かを失ってい くものですが、慶文の世界の少女たちは、 " 清らかさ " " 純真さ " を永遠 に失いません。この混沌とした時代に、私たちに大事なものを訴えか けてくる少女たち・・・・・・、年齢を越え、時代を越え、永遠の命を持ち続 けていくのでしよう。 今回展示される 140 点の作品は、少女、子供、新作の三部構成で紹介 されており、おおた慶文の世界をより深くご覧いただけるようになっ ております。 本展開催にあたり、ご協力いただいた関係者各位に心より御礼申し上 げます。 主催者 3

2. 永遠の少女伝説 おおた慶文の世界

普遍的な表情の発見 ( 株 ) サンリオ月刊詩とメルヘン編集部 西村俊昭 おおた慶文さんに初めてお会いしたのは 1986 年の初夏、ちょうど少女画を中心にした最初の画 集『おくれ毛は風のかたち』を出版しようとしていた頃です。その時から翌年末にかけて、画集 の編集や書店などでのサイン会、原画展、とりわけ 87 年の新宿高野ギャラリーでの個展などで頻 繁にお会いする機会がありました。 おおたさんの画集を出すこと、そのために作品を描きためていただくことが仕事でしたから、当 然のことながら、おおたさんの絵 ( すでに「美少女画」と名付けられていました ) をどう考えるの か、自分の中で繰り返し繰り返し問い続けていました。その答えのひとつは次のようなものです。 おおたさんの絵は「美少女」を描いたから「美少女画」になったのではなく、少女の普遍的な 表情 ( あるいは感情 ) を発見し、描かれた表情が素晴らしく美しいものだったので、結果として 「美少女画」になったのだ、と。 微妙な差に思われるかもしれませんが、私には決定的なことと思われました。その当時、おお たさんの作品を模倣した多くの作品のどれひとっとして、おおたさんの作品が持った魅力の足下 にも及ばなかったのは、形だけ美しい少女を描いても決して「美少女画」にはならないことを証 明していたと確信しています。 しかし、その表情は、決して純真無垢とか、天真爛漫といったものではなく、喜びも哀しみも 含めて一途に何かを想い続けるひたむきさが込められていたと思います。 面白いことに、 20 代の女性たちは、おおたさんの絵を見るのが少し恥すかしいと言いました。 おそらくは他人に見せてはいけない表情を感じとったのではないかと想像しています。それに対 して、男性の支持は圧倒的で、サイン会などでも熱心な男性ファンがたくさん並んでいました。 男性にとって、その表情は永遠の憧れのようなものだったのでしよう。 『おくれ毛は風のかたち』を出版してから間もなく、使用した作品の返却のために、当時三郷に 住んでいたおおたさんのもとを訪ねた際、引き換えに『詩とメルヘン』で依頼した作品を受け取 りました。その時受け取った作品が「前髪」と後に名付けられたもので、一目で強く惹き付けら れてしまいました。私は今でも「前髪」は初期のおおたさんの代表作であると信じていますが、 その作品を見て直ぐに次の画集の計画を立てました。画集のタイトルもあらかじめ『はつ恋』と 決めてしまいました。私に限らすこの「前髪」に惹き付けられた人は多く、私どもの社長の辻信 太郎も、この作品を購入して、今でも社長室の受付に展示しています。 おおたさんが『詩とメルヘン』でデビューしてからちょうど 20 年、見るものの心に胸騒ぎをお こす強い磁力を持った「美少女画」はその間独走を続けています。 707