社甫が人間の心情の美しさを歌う詩人であり、李白が人間の行爲の美しさを歌う詩人である とすれば、王維は主として自然の美しさを歌う詩人である。 中國における自然詩の歴史は、そんなに古くはない。最古の詩である詩經と楚辭には、島獄 草木の名がしばしば見えるけれども、それらは自然を詠ぜんとして自然を詠じたのではない。 人事の比喩として、或いは人事をいい出す手がかりとして、使われているにすぎない。專ら自 とうしん 然を詠じた詩、それは五世紀、東晉の世に至「て、はじめてあらわれる。しかしそれらも、自 しゃれいうん 然の美しさを人間の道理の源泉、典型としてあがめつつ、詠するものであ「て、謝靈蓮の山水 詩は、その代表であり、陶淵明の詩も、その傾向にある。 ところが王維の自然詩は、他への關心をた「て、純粹に自然の美を探究する。彼が一方では うつ あや 山水晝の大家であ「たのは、偶然でない。自分でも、「宿し世にては罎ま「て詞客なれども、 おそ 前のよの身は應らくは晝師」とい「ている。そうした態度での自然美へのあこがれをはたすた おう 王維 ( 七〇一ー士六一 ) 十ニ百
かない。おのれは政治家として、おのれの = ネルギ 1 を、人人に對する善意として、はたらき かけたいのに、そののぞみはいつまでも達せられない。人間も自然の一物である以上、自然の ごとく秩序と調和にみちた世界を作り得るはずであるしオ 。、よ、人間は、自然のうちでも、最も 能動的な、萬物の靈長である以上、秩序と調和とを、自然の本來以上におしすすめ得るはずで ある。しかし實際は、そうはゆかない。能動的であるだけに、そうはゆかない。秩序と調和の 泉でありその典型である自然。その自然の選手たる地位を與えられながら、秩序と調和を失 いがちな人間。兩者はかくて阻隔する。↓の阻隋に對する悲しみ、それはひとり社甫の詩のみ ならす、中國の詩のおおむれの奥を流れる普遍な感情の、また一つである。 この詩に對する H. A. GiIes の英譯は、次のごとくである。 1 三 te gleam the 巳 ls across the darkling tide, 0 the green hills the red コ 0W2 ・ seem to bu 「 Æ\las 一 I see another spring has died.. 1 ィ一 le will it come—the day of my return 一 Chinese ト e 、ミ、 2. . 153
行到水窮處行きて水の窮る處に到り 坐看雲起時坐して雲の起る時を看る りんそうあ 偶然値林叟偶然林叟に値い とき 談笑無還期談笑して還る期無し この五言古詩は、自然に對する王維の態度の、序説となり得べきものである。 「中歳にして頗る道を好み」。中歳は中年とおなじ、三十歳ごろの年ごろ。そのころから余 はなかなか佛敎すきであ「た。「道」とは佛敎をいい、「頗る」はいささか、なかなか、相當の 意。實は大 ~ んな佛敎すきであるのに、「頗る道を好み」と遠慮したのは、言葉の禮儀である。 とり ばん かく早くから佛敎を愛した結果、「晩に家す南山の年」、いまや晩年にはい「た余は、南の山の ー莊をいとなむこととな「た。「南山」とは、國都長安の南を東西に走る山脈で すみつこに、別 しょ もうせん あ「て、一名は終南山。いわゆる帽川の別墅は、その山あいにあ「た。 「興來けばに獨り往き」。別莊 ~ ゆきたくなれば、いつも自分びとりで出かける。王維の ように山水を愛する人間は、そうたくさんはいないからである。そうして「勝事」すなわち自 然のけだかい美しさを、「室しく自すから知る」。自分だけで知「ている。自分一人だけで知「 ているのだから、世の中の役には立たないわけで、つまり「室しく」知「ているわけだけれど 12 :
「蓮暮穴一潭の曲 安禪毒龍を制す」 、まったく不可能ではない。しかしそ 末の句は、王維自身が坐禪するのだとして讀むことも うではあるまい。じ「と自分を殺して、自然の美しさにとけこもうとするのが、王維の詩であ る。「日色靑松に冷か」な幽遠な風景、その幽遠さをます點景人物として、そこにいる价形を えがいたとする方がよい。自分の心境をもち出すのは、なまなましすぎる。王維の詩の中の入 間は、どこまでも自然と調和し、自然の美しさをそえるものでなければならない。自然の美し さをやぶるなまなましい人間であってはならないのである 9 もうしようおう 孟城黝 新家孟城ロ新たに家す孟城のロ 古木餘衰柳古木裳柳を餘す のち 來者復爲誰われより來の者は復た誰となす せきじんゅう 空悲昔人有室しく晋人の有なりしことを悲しまん 127
年年歳歳花相似 ( 劉廷芝 ) 歳歳年年人不」同 というが如きは、びとすじに對句の妙を買われたのであろう、これなどは恐らく異例に屬し ようかと思われる。 つい絵談に亙「たが、それほど叙景に熱心な中國詩の、その自然景觀は、長江大澤、千山萬 峰、平沙あり荒蕪あり、城關あり驛亭あり、という風で變化に富むとともに、べら棒に廣大で ある。この自然景観の茫漠とした大きさ、涯しない黄土のひろがり、我々のと異「たそんな室 間に育まれた詩的情感には、たしかに我々にと「て一つの珍らかな、共感と奇異の感とを同時 に喚び醒ます「キゾティ , クな魅力がある。 ( これに比べていえば、佐渡に横たふ天の川も、 春雨をあつめて漲る最上川も、殆んどものの數ではあるまい。 ) 私どもが唐詩を歡ぶ一端は・ たしかにそういう外的自然の魅力にも繋がるところがあるだろう。 ジカラ
は我が愁いのために開くをいい、花自 の色はむろん可憐である。一一愁いの爲めに開く、 ら愁いを含んで開くをいうのであろう。結旬五字輕快にしていい。「一一」は枝頭に着く花の幻 はららかに疎なるをいい、また見る人の一つ一つこれを看るをもいうであろう。然らばこれを 可憐とは見るが、なお悄然として憂悶の情の解けがたきさまもまた言外にある。すべて五言詩 は言を盡さすして意が永いから、こういう詩味の搖曳を生するところが面白いのである。 くくりかえし説いたところは、要するに詩中に一閃何かきらりとするものがあっ 以上やや長 て、これを見落すようでは話にならぬ。輕く驚き深く思い當るところのあるのが、また常に詩 を讀む者の一つの歡びでなければならないのをい「たのである。 唐詩に限らないが、中國の詩には大きな本間長大な距離感の歌いこめられたものが多い。詩 の表面にでなくともそれが背後にとり入れられて餘情とな「ているものが甚だ多い。十中八九 の詩が、そういう茫漠とした天地の寂寥感となにがしか繋が「ている、密接に、親密に、殆ん ど修辭上の常識のような形にな「て繋が「ているとい「てもいいであろうか。本國人にはそれ とぼく が自然で、どこまでそれが意識的なのかは一寸想像がむつかしい。たとえば社牧の市名な一首、
白雲無盡時白雲は盡くる時無し この詩も、強い意志的な詩である。世の中が面白くないから、南の山の片ほとり ~ 歸「て、 れそべりながら氣ままに暮らそうという友人、それを送る王維の言葉は、いつになく強い。そ うか、行きたまえ、僕はもテ何もいわない。あすこでは淸潔な白雲が、 人の世では不遇な君の 友人として、人の世の不潔さをあざけり笑うように、 いつまでもいつまでも、うすまいている たろうからな。 いつもの王維は、必ずしもこういう風に、人間に對立するものとしては、自然を詠じない。 自然の美を強調した詩では、人間はいつも點景人物として、片すみに遠慮させられていること、 前に述べた通りであるけれども、それは必すしも、自然の美しさに對立するものとして、人間 のきたなさを意識しているのではない。ところがこの詩では、盡くる時無き白雲が、人の世の きたなさに對立するものとして歌われている。「但だ去れ復た問うこと莫からん、白雲盡時無 し」。こうした強い言葉をはき得る人でも、王維はあ「た。 送元ニ使安西 あんせい 元一一の安西に使ずるを送る
して島はよ白く」という。 第二句、「山は亠円くして花は然えんと欲す」。むろん「江」にのぞむ山山である。「靑」、これ はさみどり。前の「碧」が碧玉を原義とし、凝集的な、從「て沈靜な靑さであるのに對して、 これは發散的よ、、 オしきおいのよい靑さである。音聲的にも、前の碧が、 bik と、みじかい、び きしまった音であるのに對して、靑は ching と、はれあがる。わきあがるような新綠の山山、 それを更にめざましくするのは、火のような赤さで、あちこちに険きはこる花、花、花。「山 おう、 もうんべつぎよう は靑くして花は然えんと欲す」。然の字は、燃の字と、ま「たくおなじい。王繼の輌川別業の 詩にも、「雨中の草色は綠にして染むに堪え、水上の桃花は紅くして然えんと欲す」という。 しからはこの詩が「然えんと欲す」という言葉であらわすものも、桃の花であ「たか。 江碧鳥逾自、山亠円花欲然。要するにそれは、自然が、そのエネルギ 1 を、最も充實した形で 示す時間である。強烈なもの、剛毅なもの、充實したものを愛する社甫の心を、強くびきつけ るべき自然であり、また剛毅な言葉、強烈な言葉を愛するこの詩人にして、はじめて表現され クワ コウ ョクゼン へキデウ 得べぎ自然であ「た。」一 a ゴ bik ゴ→ ao 一は bok, shan ching hlla ぎ ran と、一語一語の音 聲も、みなはなはだ強烈である。 しかし、萬物はみな推移する。この自然の精力を、滿幅に示す時間も、やがて次の季節へと うつりゆくであろう。さればいう、「今の春も看のあたりに乂た過ぎなんとす」。推移の感覺、
それは常に中國の詩の根底にある。社市の場合も、もとより例外ではない。去年の春も、おと としの春も、おなじようにしておのれの前を通りすぎて行「た。今年の春も、又このようにし て、通りすぎてゆくので、あろうか。依然として旅人であるおのれをおきざりにして。「今春 も看のあたりに又過ぎんとす」。 ところで注意すべきは「看のあたりに又過ぎんとす」の看の字である。自然の推移に敏感で ある人間は、反射的にそれに抵抗して推移をおしとどめたく思う。それは徂く春を惜しむとい う風流の心からばかりではない。少くとも社甫の場合は、そうではない。季節の變化によ「て 示される自然の推移、それとおなじ時間の上にの「て、おのれの生命も推移して行く。かくお のれの生命をも卷き込みつつ推移してゆく世界の推移、それを少しでもおしとどめようとする 意慾、それは、風景に對する熟視とな「て現れる。しかしながら、それはむなしき熟視であっ て、じ「と見つめる社甫の目の前を、自然は冷淡に音もなく推移してゆき、春ははや牛はをナ ぎんとする。「今春看又過」。看の字には、そうした感情がこもっているのである 9 かくて推移の感覺をよびさまされた詩人は、最後の句では、推移の流れのなかにうかぶおの れをとりあげて、おのれの悲しみをのべる。 「何の日か是れ歸る年ぞ」 一度失「た官吏としての地位を、再び得るためには、ます長安に歸らねばならぬ。しかしそ
その詩が、憂愁に富むのは、まずその爲である。 しかし杜甫の詩の憂愁は、そればかりで生まれているのではない。その誠實な人格のゆえに こそ生まれる。世の中の不合理、不公正に對する誠實ないきどおりが、常にその心にあ 0 た。 そうして常にしいたげられたものの友であろうとしたのである。その誠實さは、自然をうっす にあた「ては、對象をつきとおす熟視となり、自然そのものと莊厳さを爭う言語ともな「た。 「語もし人を驚かさすんば死すとも体まず」と、みすからもいう。その表現はいのちがけであ 0 た。大藝術を成り立たせるものは、偉大な誠實であるということを、杜甫の詩は身をも 0 て 示すものである。 社甫の作品の現在傳わるものは、千五百首ばかり。それに選擇を加えることは、古來むつか しいこととされているか、いまはます短い詩からはじめよう。 ぜっく 絶句二首 江碧鳥逾白江は碧にして鳥はよ白く 山靑花欲然山は靑くして花は然えんと欲す 今の春も看のあたりに又過ぐ 今春看又過 こうみどり