風 - みる会図書館


検索対象: 新唐詩選
214件見つかりました。

1. 新唐詩選

ものおも 此物最相思此の物こそ最も相思う こうとう 紅豆とは、南天のように赤い小さな實をむすぶ植物、その實をと「て、人におくれば、一種 の花言葉のように、 戀ごころを、うちあけたことになる。 またもう一首は、 あや 淸風明月苦相思淸風と明月に苦しくも相田 5 う と 世のきみいくさおもむ 蕩子從戎十載餘蕩子は戎に從きて十載の餘なり つかいびとゆ いんぎんしよく 征人去日慇懃囑 征人の去く日に慇懃に囑す しばしはふことづ 歸雁來時數附書歸る雁の來る時には數書を附けたまえと うい 二首ともに、王維の詩である。 船沙風江 尾頭燈月漫 跳宿照去 魚鷺夜人 液聯欲只 剌拳三數 鳴靜更尺 船沙支風弯江号 のの燈与月豸 尾頭はは 跳宿をを るる照去 魚鷺らる ははし 漫聯て , し 剌第拳三 ? 只 とと更を數 ししな尺 ててら 鳴靜ん るかと もの

2. 新唐詩選

は、その年最後の行樂である。社甫のこの詩が、どこでの作であるかは、いまびとっ明かでな く、成都での作ともいい 州での侔ともいう。おそらくあとの説の方が正しいであろう。い ずれにしても、山上の高樓から、晩秋の世界を俯瞰しての感懷であり、きびしい晩秋の自然の なかに、百年の憂いを抱きつつ苦悶する社甫の言葉は、悲壯をきわめ、豪快をきわめる。 詩はそのはじめからして、すでにはなはだ切迫する。 「風は急に天は高くして猿嘯哀し」 風は山上なるが故に、はなはだはげしく、山上から見る天室よ、、 をしよいよ高い。風はすべて をふきはらわんとするごとくに吹き、天のとばりは高く高くまきあげられたままである。中國 の室の高さ、あおさを、日本の空のそれで想像してはいけない。廣大で室虚で、ただま「さお な空間、それが今や社甫の前にある。あだかもその室虚をかきむしるように、風がときどき運 んでくるのは、猿のなき聲、聞こえてはまた消える。それは、古來の詩人が爭「て論くように、 至ってかなしい。 さて、 なぎさ めぐ 「渚は淸く沙は白くして島の飛ぶこと囘る」 前の句と對句にな「たこの句では、視線は山すその方 ~ むけられる。はるか下に、揚子江の 流れが透明な空氣を通して、ありありと見える。秋のなぎさはすみ、すなはまの色は、目にし

3. 新唐詩選

船に來ているのは、揚州市内の商人の女、商賈相手の女とここでいうのは、ます素人ではない その道のその種類の婦人である。だから船上の様子は華やか迂陽氣であろう。やがて明月の天 となるが、このあたり江西の風月は、今その巨舶の絃歌によ「て占められた。と、彼らの風 流に多少敬意を表してそういうのである。その景観、この雰圍気には、ここにも亦なかなか宏 壯な趣きがあるではないか。 ようりゅうしし 楊柳枝詞 劉禹錫 ようだいあんぐうべんすいひん 場帝行宮洋水濱煬帝の行宮洋水の濱 ざんりゅう 籔株殘柳不勝春數株の殘柳春に勝えす 晩來風起花如雪晩來風起って花雪の如し きゅうしよう 飛入宮牆不見人 飛んで宮牆に入「て人を見す ばんらい

4. 新唐詩選

といような行き方は異例で、 長安一片月長安一片の月 萬戸擣衣聲萬戸衣を擣つの聲 ( 李白 ) という風の描き出しが常道として採用されている。「天地の悠々たるを思うて、獨り愴然と して涕下る」 ( 陳子昻 ) という風なのはこれも異例で、「庭樹は知らす人の去り盡すを、春來ま た發す舊時の花」 ( 岑參 ) という風の行き方に就く。すべて情感を情感として、その世界でそ のまま直接に語ることをしない方針であるから、戀愛も親子愛も肉親關係も妻妾の家庭的感情 それらに就ては叙 9 も、結局してこの場合のリリシスムの好箇の詩題とはなりえなか「た、 景的形象的假借が成功し難か「たでもあろうし、また本來それがその際に不似合でもあ「たて 千秋萬歳の名 千秋萬歳名 寂寞身後事寂寞たり身後の事 ( 杜市 )

5. 新唐詩選

こうなんしゅん 江南春 千里鶯啼いて綠紅に映す モ里鶯啼綠映紅 すいそんさんかく 水村山郭酒旗の風 水村山郭酒旗風 南朝四百八十寺南朝四百八十寺 多少の樓矗烟雨の中 多少樓臺烟雨中 というようなものの、千里は恐らく十璽であろう、千里は誇張にすぎた、という讒が本國に もあるそうだから ( その説はもちろん愚説として顧みられなか「たが ) 、そうそう無意識にのみ この種の數字を使「ているのでないことは、當然なこととして想像がつく。けれどもとにかく、 これを産する國土が廣袤涯しのない大國だから、詩中に千里萬里の語の頻出するのは、意識的 我らがそれに驚くよりはす「と彼らにあ「てそれが自然なのはます を無意識的とに拘りなく、 道理であろう。 これも唐詩に限らないが、中國の詩はい「たいに、情を抒べるに睿「て最も景を敍するにカ をつくす詩風である。景あり情あ「て兼ね備わらんことを求めるのは彼らの美學であるが、そ うち

6. 新唐詩選

茅屋爲秋風所破歎のの秋風に破られし歎き た さけ 八月秋高風怒號八月秋は高けて風は怒り號び かや むね 卷我屋上三重茅我が屋の上なる三重の茅を卷く かわ そそ 茅飛度江酒江郊茅は飛んで江を渡りて江郊に洒ぎ かかまと 高者掛買長林稍高き者は長き林の稍に掛りい ひく ただよまろ いけくば 下者飄轉沈塘黝下き者は飄い轉びて塘の黝みに沈む あなど 南村群童欺我老無力南の村の群童は我が老いてカ無きを欺り ま あた はたら むご 忍能對面爲盗賊忍くも能く面の對りに盜賊を爲き 公然と茅を抱き竹に入りて去る 公然抱茅入竹去 かな かわ ただ 脣焦ロ燥呼不得脣は焦れロは燥けども呼ぶこと得わす 歸來杖に倚りて自ずから歎息す 歸來倚杖自歎息 しばらく 俄頃風定雲黒色俄頃にして風は定まり雲は黒色に こんこく そらばくばく 秋の天は漠漠として昏黒に向う 秋天漠漠向昏黒 しとね 布衾多年冷如鐵布の衾は多年のあいだ鐵の如く冷かなるに きようじね 嬌兒惡臥踏裏裂嬌兄は臥ざま惡しくして裏を踏みて裂く よ

7. 新唐詩選

くせんがための手段であった。 、いにしえぶりと 詩に對する彼の抱負を端的に表白したものとして、大の詩がある。「古風」 題した五十九首の五言古詩、その第一首である。それをあげて、この書物の李白の部分のむア びとしよう。元來の全集では、開卷第一に位する。つまり彼の詩の總論なのである。 いにしぶ 古風 古え風り 大雅久不作大雅は久しく作られず 吾衰竟誰陳吾れ衰えなば竟に誰か陳べん おうふうつるくさす 王風委蔓草王風は蔓草に委てられ けいしん 戰國多荊榛戰國には荊榛多し たんしよく 龍虎相啖食龍と虎と相がいに啖食し きようしんおよ 兵戈逮狂秦兵戈は狂秦に逮びぬ びまう 正聲何微茫 正しき聲は何そ微茫たるや あいえん そうしん 哀怨起騒人哀怨なるは騷人の起るなり 上うよ くす はげ 揚馬激頽波揚と馬とは頽れゆく波を激ませども

8. 新唐詩選

お家の門の前まで出て見ますと、あなたが毎日おふみならしにな「たところに、す「かり苔 がはえて、なっかしいあなたの足あとをかくしてしまいました。苔の掃除をしようと思います が、とてもぶあっく生えていて、お掃除などとてもとても。それにことしは氣のせいか、秋風 も早く吹くらしく、はやはらはらと木の葉がおちます。 季節はもう陰暦の八月、つまり陽暦の九月、びらひらと飛んで來る蝴蝶は、ことし最後の蝴 蝶でしようが、それでも二匹つれだ「て、西の花園の草の上を飛んでいます。蝴蝶でさえも二 匹仲よくと思うと、何だか悲しく「て悲しく「て、 . まだ紅ゃいでいるはずのわたしの顏も、急 におばあさんになりそう。 四川省のことを三ともいうそうですが、その三巴から舟でお下りになるのは、早晩ですか し かま てがみ しら。そのときは預らかじめお書で家に報らせてくださいれ。遠く「ても道いません。お出迎 ちょうふうさ えに出ます。せめて長風沙のへんまで。ええ行きますとも、ま「すぐ長風沙のへんまでム。 ちょうかん そういう長風沙は、今の安徽省池州のあたりにあるという。しからば長干からは四五百キ戸 ' 婦人のびとり旅はむずかしそうである。 この詩はいろいろと英語に譯されているが、 Ezra PO d のものが最もすぐれる。 'TJIE RIVER-MERCIIANT S WIFE 】 A LETTER ちしゅう はな くだ っ

9. 新唐詩選

その頭上には皇帝の寵遇という、何よりの光榮がかがやいていた。 一方またわたくしは、不遇 の書生であったけれども、今よりは幸輻であ「た。いや、お互いばかりではない、それは人み なが幸輻な時代であった。わたくしもきみもその幸な室氣を吸って生きる人間であった。 そこで詩は過去の追憶から、急に現在へと轉ずる。 「正に是れ江南の好風景、落花の時節又君に逢う」 まさ 「正に是れ」とは、あたかもこれ、げにもこれ、の意であ「て、目の前にあるものの實體を 見きわめ、見さだめようとする時に、下される言葉である。いま、お互いの目の前にあるもの こうなん は、何か。土地は江南である。揚子江の南である。ここには、南方の地域にふさわしい、さわ やかな風と、あかるい日光とがある。好風景がある。風景という二字は、必すしも今のわれわ れの用法と同じでない。景の字は日の光を意味する。中島敦は ;4 ・・ステ 1 ヴンスンの南洋 における生活をえがいた小詭を、「光と風と夢」と題したが、その光と風である。戰亂にみた こっぜん された十年、二十年、そうした複雜な時間ののちに、忽然として得た今日の再會は、ほかでも かぜ、みなあ ない、「江南の好風景」の中においてであった。南方のあかるい自然、びかり くまでも美しい。しかしそれは、むかし君とよく出あ「た岐王の宅ではない。相九の堂ではな 。要するに長安の都ではない。都からとおくかけはなれた江南の土地である。むかしの君な らは、こんないなかへ、足をふみ入れることなど、夢にも考えなか「たであろう。おれだ「て また

10. 新唐詩選

なお前者をとりたい 9 宿昔は遠い昔。蹉鉈たりはことに蹉きて思うにまかせぬさま。 前二首から自ら聯想されるのは李白の例の白髮三千丈であろう。 しゅうほか 秋浦歌 白髮三千丈白髮三千丈 縁愁似箇長愁いに縁って箇の似く長し 不知明鏡裏知らす明鏡の裏 何處得秋霜 何れの處よりか秋霜を得し 詩もこういう風になると、す「かり話が違「て來る。同じく鏡裏に衰殘を見るのでも、この 最後のものなどはまるで詩想が明期豁達で、愁暎の氣味合いなどは實ははとんど感じられない。 寧ろ駿颯爽快という風の趣きに近く聞えるから面白いではないか。李白を謫仙人というよりあ おまい つまず かくごと うち 199