信濃 - みる会図書館


検索対象: 萬葉秀歌 下巻
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1. 萬葉秀歌 下巻

0 くつは あしふ はりみちかりはね いま しなぬぢ 信濃路は今の道刈株に足踏ましむな履著け わ せ 東歌 我が夫〔卷十四・三三九九〕 にひはり 信濃國歌。『今の墾道』は、まだ最近の墾道といふので、『新治の今つくる路さやかにも聞 きにけるかも妹が上のことを』 ( 卷十二・二八五五 ) が參考になる。一首の意は、信濃の國の此 處の新開道路は、未だ出來たばかりで、木や竹の刈株があってあぶないから、踏んで足を痛 めてはなりませぬ、吾が夫よ、履をお穿きなさい、といふのである。履は藁靴であっただら う。これも、旅人の氣持でなく、現在共處にゐても、『信濃路は』といってゐること、前の、 『信濃なる須賀の荒野に』と同じである。山野を歩いて爲事をする夫の氣持でやはり農業歌 の一種と看ていい。『かりばね』は『苅れる根を言ふべし』 ( 略解 ) だが、原意はよく分からぬ。 かりふね 近時『刈生根』の轉 c 井上博士 ) だらうといふ説をたてた。私の鄕里では足を踏むことをカッ クイ・フムといってゐる。

2. 萬葉秀歌 下巻

ういふ歌をも信濃でうたってゐたと解釋すべきで、共に日本語だから共通してゐて毫もかま はぬのである。賀茂眞淵が、この歌を模倣して、『信濃なる菅の荒野を飛ぶ鷲の翼たわに吹 く嵐かな』と詠んだが、未だ萬葉調になり得なかった。『吹く嵐かな』などといふ弱い結句は 萬葉には絶對に無い。 0 くれときゅっ しはやまこ はらふじ 天の原富士の柴山木の暗の時移らなば逢はず 東歌 かもあらむ〔卷十四・三三五五〕 くれ くれ これは駿河國歌で相聞として分類してゐる。『天のはら富士の柴山木の暗の』までは『暮』 ( タぐれ ) に績く序詞で、室に聳えてゐる富士山の森林のうす暗い寫生から來てゐるのである。 一首の意は夕方に逢はうと約東したから、かうして待ってゐるがなかなか來ず、この儘時が 移って行ったら逢ふことが出來ないのではないか知らん、といふので、この内睿なら普通で あるが、そのあたりで歌った民謠で、富士の森林を入れてあるし、ウッリ ( 移り ) をユッリ と訛ってゐたりするので、東歌として集められたものであらう。この歌の、『時移りなば』の 句は、時間的には短いが、その氣持は、前の『信濃なる』の歌を解釋する參考となるもので あま 1 貨

3. 萬葉秀歌 下巻

『すがの荒野』を地名とすると、和名鈔の筑摩郡苧賀鄕で、梓川と槍井川との間の曠野だ とする説地名辭書が有力だが、他にも詭があって一定しない。元は普通名詞印ち菅の生えて 居る荒野といふ意味から來た土地の名だらうから、此處は信濃の一地名とぼんやり考へても 味ふことが出來る。一首の意は、信濃の國の須賀の荒野に、霍公鳥の鳴く聲を聞くと、もう時 季が過ぎて夏になった、といふのである。霍公鳥の鳴く頃になったといふ詠歎で、この季節 の移動を詠歎する歌は集中に多いが、この歌は民謠風なものだから、何か相聞的な感じが背 景にひそまってゐるだらう。『秋萩の下葉の黄葉花につぐ時過ぎ行かば後戀ひむかも』 ( 卷十・ なはのわ・ 二二〇九 ) 、次に評釋する、『このくれの時移りなば』 ( 三三五五 ) 、『わたつみの沖っ細海苔來る 時と妹が待つらむ月は經につつ』 ( 卷十五・三六六一 (l) 、『戀ひ死なば戀ひも死ねとやほととぎす 物思ふ時に來鳴き響むる』 ( 三七八〇 ) 等の心持を參照すれば、此歌の背後にある戀愛情調を も感じ得るのである。つまり誰かを待っといふ情調であらう。そして信濃國でかういふ歌が 勞働のあひまなどに歌はれたものであらう。民謠だから自分等のうたふ歌に地名を入れるの で、他にも例が多く、必ずしも羈旅にあって詠んだとせずともいいであらう。『アラノ』 ( 安良 能 ) といって『アラヌ』 ( 安良努 ) と云はなかったのは、この歌ではアラノと發音してゐたこ とが分かる。一種の地方訛であっただらう。この歌の調子はほかの東歌と似てゐないが、か 116

4. 萬葉秀歌 下巻

さか こひ うすひ いも びなぐもり碓日の坂を越えしたに妹が戀しく わす 防人 忘らえかも〔卷二十・四四〇士〕 うすび をさたべのこいはさき 他田部子磐前といふ者の作。『ひなぐもり』は、日の曇り薄日だから、『うすひ』の枕詞と した。一首は、まだやうやく碓氷峠を越えたばかりなのに、もうこんなに妻が戀しくて忘れ られぬ、といふのであらう。當時は上野からは碓氷峠を越して信濃に入り、それから美濃路 へ出たのであった。この歌は歌調が讀んでゐていかにも好く、哀韻さへこもってゐるので此 邊で選ぶとすれば選に入るべきものであらう。『だに』といふ助詞は多くは名詞につくが、 しろ たなぎ 必ずしもさうでなく、『棚霧らひ雪も降らぬか梅の花険かぬが代に添へてだに見む』 ( 卷八・一 をつき 六四一 l) 、『池のべの小槻が下の細竹な苅りそね共をたに君が形見に見つつ偲ばむ』 ( 卷士・一一一 士六 ) 等の例がある。

5. 萬葉秀歌 下巻

中に入れてある。『相見ては千歳や去ぬる否をかも我や然念ふ君待ちがてに』 ( 卷十一・二五三 九 ) の『否をかも』と同じである。古樸な民謠風のもので、二つの聯想も寧ろ原始的である。 それに、『降れる』といふところを『降らる』と訛り、『乾せる』といふところを『乾さる』 と訛り、『かも』といふ助詞を三つも繰返して調子を取り、流動性進行性の聲調を形成して ゐるので、一種の快感を以て勞働と共にうたふことも出來る性質のものである。『かなしき』 は、心の切に動く場合に用ゐ、此處では可哀いくて爲方のないといふ程に用ゐてゐる。气兄 ろ』の『ろ』は親しんでつけた接尾辭で、複數をあらはしてはゐない。この歌はなかなか愛 ナベきもので、東歌の中でもすぐれて居る。 ぬの イの事だが、 ニスは原文『爾努』で舊訓ニノ。仙覺抄でニヌと訓み、考でニヌと訓んだ。ⅱ 古鈔本中、『爾』が『企』になってゐるもの ( 類聚古集 ) があるから、さうすれば、キメと訓 きぬ むことになる。印ち衣となるのである。 しなぬ な こゑ 信濃なる須賀の荒野にほととぎす鳴く聲会け ときす ば時過ぎにけり〔卷十四・三三五二〕東歌 あらの いな 115