トアがあいて、二こと三こと早ロの話しごえがきこえたかと思うと、リノリウムの上をだれか ようす 急ぎ足にやって来る様子です。部屋のドアがさっとあくと、黒っぽい色の服を着て、黒いべール じん をかけたひとりの婦人がはいって来ました。 「こんなにおそくうかがって申しわけございません。」 こう言ったかと思うと、いきなりとりみだしたようにかけて来て、妻の首にだきっき、肩にす がって泣きはじめました。 たす 「ああ、私、本当にこまってしまいました ! どうぞお助け下さいまし。」 妻は婦人のべールをあげて見て、 「あら、ケイト・ウイト = ーさんじゃないの。あたしびつくりしちゃったわ、ケイトさん。は いっていらした時、どなただかわからなかったんですもの。」 「私、どうしていいかわからなくなって、まっすぐあなたのおたくへやって来ましたのよ。」 とうだい いつもこんな風なのです。だれでも悲しいことがあると、燈台へよって来る鳥のように、妻の ところへやって来るのでした。 「いらして下さって、本当にようございました。さあ、水をわったお酒を召しあがらなくちゃ いけませんわ。それから、・この槹子でお楽になさ 0 て、何でもお話をきかせて下さいましね。何 でしたら、ジ = 1 ムズにやすんでもらいましようか。」 ふう へや らく つま
しやっきん それ以上のことはできないにしましても、住む家があって、借金だけはきちんとはらっておりま してね。 こうこく 私どもをまよわせた話の、そもそものおこりというのは、この広告からなんです。ちょうど八 みせ 週間まえのことでした。スボウルディングがこの新聞をもって店へやって来て、申しますには、 『ウイルスンさん、私はつくづく、自分が赤毛だとよかったのにと思いますよ。』 『なぜだね。』 と私はたずねました。 あかげれんめい 『なぜって、赤毛連盟にまたひとり、仕事の欠員ができたんだそうです。その仕事にありつけ しゅうにゆう ば、ちょっとした収入になりますからねえ。この連盟には、赤毛の人の数より、欠員のほうがた いさん くさんあるんじゃないかと思います。遺産をあずかっている委員たちが、とほうにくれているそ しんばい うですから。この毛色を変えることさえできたら、それこそ、何の心配もなしに、 しい仕事にあ りつけるんですがねえ。』 『いったい、それは何の話だね。』 と私はたずねました。ホウムズさん、ごぞんじのように、私はふだん家にばかりいる人間でして しようばい ね。私の商売は外を出歩かずとも、向うからやって来てくれるものですから、時には何週間も、 せけん ずっと家のしきいをまたがないでしまうことさえあります。こんな風ですから、世間にどんなこ いじよう けついん
しんぶんこうこく ・おききしておきたいことが一つ二つあります、ウイルスンさん。新聞広告を最初にあなたに気づ みせ てんいん かせた、あなたのところの店員ですがねーーお店に来て、どのくらいになりますか。」 「一カ月ほどです。」 「どうして、あなたのところへ来たんですか。」 「広告を見てやって来ました。」 しがんしゃ 「志願者はひとりでしたか。」 いえ、十二人ばかりおりました。」 「なぜ、あの男をえらんだのですか。」 ちょうほっ 「調法で、しかも安く使えるからです。」 きゅうりよう 「本当に半分の給料でですか。」 「そうです。」 「どんな人ですか。そのヴィンセント・スボウルディングという男は。」 しかっしりした、仕事のたいへん手早い男で、もう三十以下じゃありませんが、 「背のひく、 ひたいさん 顔にはさつばりひげがないのです。額に酸でやられた白いあざがあります。」 こうみん ようす ホウムズはかなり興奮した様子で、子の上にすわりなおしました。 あな 「そうたと思った。耳に耳かざりの穴があいているのに、お気づきではありませんでしたか。」
咋年の秋のある日のこと、私が友人シャーロック・ホウムズをたずねますと、ホウムズはちょ やくむちゅう うど、ひとりの客と夢中になって話しこんでいるところでした。この客というのは、たいへんふ ろうしんし とった、あから顔の老紳士で、髪の毛がまるで火のようにまっ赤なのです。私はふいにはいって しつれい いった失礼をわびて、部屋を出ようとしますと、ホウムズはいきなり私を部屋の中へひつばりこ んで、うしろのドアをしめてしまいました。 「やあ、ウォトスン。まったくいい時にやって来てくれたね。」 ホウムズは心からこう一一一一口いました。 「話中なんだろう。」 「そうだよ。今、大事な話をしてるところなんだ。」 「それなら、次の部屋で待っていよう。」 ウイルスンさん、この先生はね、ぼくの解・ 「いやいや、ここにいてもかまわないんだよ。 やく 決した事件に、たいてい手をかして助けてくれた人ですよ。あなたの場合にも、大いに役に立っ と思うんです。」 しんし そのふとった紳士は子から半分立ちあがって、ちょっとおじぎをしましたが、ふちがしぼう でふくれた、小さな目で、その時ちらりとさぐるように、私を見ました。 けっ じけん かみ ゅうじん
ンヤーロック・ホウムズのことば はじめてホウムズの物語を読む人々のために しよくぎよう 「ねえ、ウォトスン。ぼくはひととちがった職業をもっている。こんなことをやっているのは、 せかいにゆう こもんたんてい 世界中できっと、ぼくひとりくらいのものかも知れないよ。顧問探偵というやつなんだ。どんな ことをするものか、君にわかるかい。 けいさっ しりつ れんじゅう このロンドンには、警察の探偵も、私立探偵もたくさんいるが、この連中は、とほうにくれる そうさ と、みんなぼくのところへやって来るんだ。そこでぼくは捜査の道すじをまちがえないように、 しようこ うまく取りはからってやるのさ。連中がぼくの目の前に、証拠をのこらすならべて見せるのを、 あくじ じゅんじよ ちしきりよう はんざいれきし ぼくは犯罪の歴史の知識を利用して、たいてい順序よくそろえてやることができるんだよ。悪事 というものは、どれもこれもよく似かよっているから、千の犯罪をよくおばえておきさえすれば、 しけん かいけっ 千一ばんめの事件を解決できないのが、ふしぎなくらいなのさ。 うそく ぼくにとっては、推理の法則ってものが、じっさいに仕事をするときに、とても役に立つんだ よ。物をよく見るくせが、ぼくの生まれながらの性質みたいなものになってしまっているんでね。 ナいり せいしつ
ちょうしょ 「君の口かずが少いのは、まったく大した長所だよ、ウォトスン。だから君は友だちとしてか けがえがないんだ。話し相手があるというのは、ぼくにとってたしかにありがたいことだよ。ぼ こんやげんかん みじん くの考えていることは、あまり楽しいことじゃないからね。今夜玄関であの婦人と会ったら、な んてあいさっしたらいいのか、それを考えていたところなんだよ。」 わす 「ぼくはまだ何も話をきいてないんだぜ。忘れちゃいけない。」 じけん 「リー市へつくまでに事件の話をする時間くらいはあるようだな。これはばかばかしいほどか たくさん んたんな事件なのに、まだ何一つわかってはいないんだよ。手がかりはむろん沢山あるんだが、 どれも一つとしてつかめないような有様なのさ。 では、かいつまんで話をしよう。そうすれば、ぼくにはまるで見当のつかないことも、何か君 が見つけてくるかも知れないからね。」 「じゃ、きかせてくれたまえ。」 せいかく 「五、六年まえーー正確にいうと一八八四年五月のことなんだが ネヴィル・セント・クレ しんし じようす アという、見たところ金持らしい紳士がリ 1 市へやって来た。彼は別荘を一軒手にいれて、上手 じようひん に土地をひろげたりして、まず上品に暮らしていたのさ。それからだんだんに近所の人たちとも むすめけっこん つき合うようになったし、一八八七年にはいなかのつくり酒屋の娘と結婚して、今ではふたりも 子供があるんだ。 けんとう べっそう けん
道づたいに畑をつつきると、ずっと近道でございますよ。ほら、女の人が歩いておりますでしょ ホウムズはひたいに手をかざして見ていましたが、 じより 「ふむ、あれはストーナ 1 のお嬢さんだよ、きっと。君の言うとおりに、近道したほうがよさ そうだな。」 私たちは馬車をおりて、料金をはらいました。馬車はがらがらと、またレザヘッドのほうへか えってゆきます。 みだん ホウムズは踏段をのぼりながら、 ぎよしゃ けんちくぎし 「ぼくはこういうことも考えたんだ。あの馭者にはね、ぼくたちが建築技師か何かで、まあ、 みよう 、ってさ。そうすりや、あいつが妙なうわ そんな用事でやって来たように思わせておくほうがいし さをふれてまわることもあるまいよ。 やくそくまも ゃあ、こんにちは、ストーナーさん。どうです、ちゃんと約東を守ったでしよう。」 けよう ストーナー嬢はさもうれしそうな顔つきで、私たちのほうへかけて来ました。そうして私たち あくしゅ と心をこめた握手をかわしながら、 「す 0 かり首を長くして、お待ちしておりましたわ。万事とてもうまくまいりましたの。義 はロンドンへ出かけていまして、タがたまではもどるまいと思いますわ。」 0 ようじ ばしゃ りようきん はんじ 182
この男はチョッキのポケットから、折りたたんだ白い紙きれを出して、 じようとう こんや 『これを今夜、あの番人に渡して下されば、一ばん上等の服をあなたにさしあげますよ。』 ヒよちゅう ようす この男の横をすりぬけると、 女中は、その様子があまりしんけんなので、こわくなってしまい まど しよくじ いつも食事をわたす窓のところへかけていった。窓はもうあけてあって、ハンターは小さなテー ・フルの前にすわっていた。女中が今の話をしはじめると、さっきの男がまたやって来て、 「今晩は。』 と言いながら、窓ごしに家の中をのぞきこんだ。 『あなたに少しお話したいことがあるんですがね。』 こういった時、この男のにぎりしめた手の中から、小さい紙包みのはじがたしかにはみ出して しようげん いたと、女中はあとで証言している。 こよう 『何か御用ですか。』 わか と若いものがたずねると、 しようはい 『金もうけになる仕事があるんですがね。ウセックス賞杯に出る馬がここに二頭いるでしょ よそう ・ブレイズとべィアードでしたね。ちょっとたしかな予想を知らしてくれれば、、 シルヴァ あなたに、けっしてご損はかけませんよ。べィアードはおもりをつけて、千百ャードで百ャ 1 ド ・プレイズをぬくだろうというので、うまやの人たちはみんなべィアードにかけて はシルヴァ はんにんわた そん
しも まど ざしました。なにしろ外はもうひどく霜がおりていて、窓にはあつい氷がはっているのです。 私は、 ぼうし 「あまりりつばな帽子ではなさそうだが、それにまつわる何かこわい話でもあるのかね。 ばっ これを手がかりにふしぎななぞをといて、だれかわるいやつを罰しようとでもいうのかい。」 と一一一口いますと、シャーロック。ホウムズは笑いながら、 はんざい 「いや、いや。犯罪でも何でもないんだよ。ごくつまらない出来事でね。わずか二、三マイル しう 四方のところに四百万人もの人間が押しあいへしあいしていれば、これぐらいのことはいくらも 起ってこようというものさ。せまい場所にこう大ぜい人が集まっていて、一つ事があれば必すそ のおかえしがやって来る。だから、いろいろな出来事がいろいろちがったもつれ合いかたをして、 起って来ると考えてもいいじゃよ、 オし力。小さな問題でさ。犯罪ではないにしても、おやっと田 5 う きみよう ような、奇妙なことがたくさんそのへんにころがっているたろう。ぼくたちも今まで、そんなこ とによく出会って来たはすだよ。」 じけん 「なるほど。ぼくがノートに書き加えた近頃の事件の中では、六つのうち三つまで、法律上の 犯罪ではなかったものね。」 ( 1 ) 「そうなんだよ。アイリン・アドラーの書類をとりかえそうとした事件、メアリ 1 ・ サザーラ ( 2 ) ほうけん ンドさんのふしぎな事件、それにロのまがった男の冒険と、この三つを君は言っているんだろう。 そと しよるい はうりつじよう 111
じけん 「ある点では、まったくふしぎな事件だった。たしかにぼくは、モグラみたいに先が見えなか ったよ。しかし、ちえのわいて来るのがおそくとも、ぜんぜんわいて来ないよりはましだからね。 まあ、よかったよ。」 ロンドンの町へはいって、サリー州よりの道を走るころは、早起きの人たちがやっと窓からね なそうに顔を出しはじめていました。ウナタールー橋すじを通って、テームズ川をわたり、ウ = リントン衒をぬけて、大きく右へまがると、そこはボウです。シャーロック・ホウムズは警察 とぐち けいかんけいれい のほうにもよく顔を知られていましたので、戸口でふたりの警官が敬礼をし、ひとりが馬のロを あんない おさえている間に、もうひとりが私たちを中へ案内してくれました。 とうちよく 「当直はどなたですか。 警部どのです。」 うわぎ ちょうど背の高い、でつぶりとふとった警部が、とがった帽子にかざりボタンのついた上着と ろうか いういでたちで、しき石の廊下をこちらへやって来ました。 「やあ、プラッドストリ 1 トさん。お早うございます。ちょっと内しょの用事があってやって 来たんですがね。」 「そうですか。じゃ、ぼくの部屋へおはいり下さい、ホウムズさん。」 やくしょ その部屋は小さくて、いかにも役所らしい感じがしました。テープルの上には大きな帳簿がお ぼうし まど ちょうぼ けいさっ