けいさっ 地の警察にもとどけておりません。」 フ = ルプスのこの話は、シャーロック・ホウムズにとってかなりショックだったようです。 こうふん 椅子から立ちあがると、興奮をおさえきれないように、部屋の中を歩きまわりました。 「不幸って、まったく重なるものですねえ。」 じけん フ = ルプスはゆうべの事件にかなりまいっているはずなのに、ほほえみをうかべながら、こ ういいました。ホウムズは、 「いや、あなたの不幸もこのへんで、おしまいでしよう。ところで、・ほくといっしょに、家 のそとをひとまわり、歩いてごらんになれませんか。」 「ええ、 しいですとも。すこしは陽にあたりたいと思っていたところです。ジョゼフもいっ しょにきてくれるでしよう。」 「あたしも、おともしますわ。」 じよラ ハリスン嬢もいいました。しかし、ホウムズは首をふって、 「あなたは、いままでいらしたこの席に、そのまま残っていていただきたいのです。」 ハリスン嬢はおもしろくなさそうな顏つきで、もういちど腰をおろしました。しかし、兄の くわ しばふ ジョゼフは一行に加わって、私たち四人は家を出ました。芝生をまわって、フ = ルプスの部屋 まどした の窓下にきてみますと、なるほど話のとおり、花壇の上に足あとはのこっていますが、どうに ふこう じよう ふこう わたし せき かだん のこ こし 165
なぞふ 『少なくとも、これでもうひとつ、謎が増えたわけですね。しかし、前のよりは、このほう なぞと なぞと しつれい がずっとおもしろい。この謎が解ければ、前の謎も解けそうです。失礼な話だが、マスグレイ ヴ君。あの執事は、すばらしく頭のいい男で、十代もつづいたこの家の主人たちより、もっと すぐれた眼力をもっていたような気がするんた。』 『きみの話はよくわかりませんね。こんな紙きれがそれほど実の役に立っとはとても思え ない。』 ナカばくにはすごく実用むきのものだと思えるんだ。ブラントンだって、きっと同し意 ばん 見だったはずです。あの男はきっと、あの晩、きみに見つかる前にも、これをのそいたことが あるらしいな。』 ほねお 『それはそうでしよう。ぼくたちはべつに、骨を折ってまでかくそうと思っていなかったか ら。』 きおく 『プラントンは最後の晩に、もういちど見て、記憶をたしかめたかっただけなのだと、ぼく は思います。あのとき、何か地図のようなものを手にしていて、この紙きれと見くらべていた、 そうして、きみがはいってくると、それをポケットに突っこんだそうですね。』 『そのとおりです。でも、あの男は、うちのこんな古いしきたりを、いったいどうするつも もんどう りだったのでしよう。それに、こんなくだらない問答に、どんな意味があるというのですか。』 しつじ がんりき さいご ばん じつよう じっさ
りかけたある日、ヴィクターから一通の電報を受けとった。もういちどドニソープへ来てほし ちゅうこくえんじよひつよう ぜひきみの忠告と援助が必要だ、という文面だった。むろん、ばくは何もかもほうりだし て、また北へむかって出発した。 かれ かれ 彼は一頭だての二輪馬車で、駅へ迎えに来ていてくれたが、ひと目見て、この二か月は彼に しんろう とってひどくつらいものだったことがわかった。心労にすっかりやせ、やつれて、彼らしい はなしず あの話好きな、快活なところが、まるでなくなってしまっていたのだ。 ことば かれさいしょ 『おやじが死にそうなんだ。』これが彼の最初の言葉だった。 『おどろいたな。いったい、 どうしたんだ。』 のう しんけい 『脳いっ血だ。神経をすりへらしたからな。きようもずっと、生死の間をさまよっている。 これから帰っても、死に目にあえるかどうかわからない。』 この思いがけないしらせに、ぼくはほんとうにびつくりした。きみにも想像がつくだろう、 ウォトスン 0 げんいん 『何が原因だ。』 『うん、そこなんだ。さ、乗りたまえ。馬車のなかでも話はできる。きみはおぼえているだ ろう。きみの帰る前の日の夕方、やってきた男のことを。』 - 『よくおぼえている。』 と。 ) けっ 力いかっ りんばしゃ むか でんぼう ばしゃ ふんめん そうぞう れ
しんらい 〈ほう ! おまえをこれほど信頼していたのに、これがそのしかえしか ! あした、ここを 出ていってもらおう。〉 かれ 彼はまったくうちのめされたような顔つきで、頭をさけ、だまったまま、ぼくのそばを、逃 ろうそく けるように立ち去りました。蝋燭はまだテーブルの上においたままになっていて、その光で、 かれ じゅうよう 彼が引き出しから取りだした紙きれを見たのですが、おどろいたことに、それはちっとも重要 しきし ぎしきようもんどうふんうつ なものではなくて、マスグレイヴの式詞とよばれている、かわった、古い儀式用の問答文の写 ぎしき いっしゅしぎてん なんせいき しにすぎなかったのです。その儀式はわが家だけの、一種の式典のようなもので、何世紀もの おこ つま 間、マスグレイヴ家のものが成人に達したときに行なわれることになっていました。 きようみ やもんしよう こうこがくしゃ り、ひとつのうちのなかでしか興味のない、し冫 、わま、わが家の紋章のようなもので、考古学者 たしよう じつよう には多少、役にたっかもしれませんが、まるで実用にはならないしろものなのです。』 『その紙きれの話は、またあとで聞かせてほしいな。』 ひつよう かれ 『あれがそんなに必要なものと思いますか。それなら、そうしましよう。』と、彼は、いくぶ んためらいながらいいました。 『まあ、とにかく、ぼくの話をつづけることにします。それから、・フラントンの置きつばな しにしていった鍵で、もういちど引き出しをしめて、部屋を出ようとしたとき、おどろいたこ こ 0 かぎ せいじんたっ
は二重の輪の形をしていたが、ねじまけられて、原形をとどめていなかった。 おうとうは ( 5 ) 『当時、王党派は、チャールズ一世の死後も、イギリス国内で兵を進めていたけれども、 ざいさん よいよ国外へのがれるとき、大切な財産をほとんど埋めていった。あとで平和な時代になった わす ら、取りもどそうと思ってね。この話を忘れちゃいけませんよ。』と、・ほくはいった。 せい ( 6 ) 『ぼくの先祖の、ラルフ・マスグレイヴ卿は、すぐれた王党派の一員で、チャールズ二世の ぼうめいじだい みぎうで 亡命時代には、その右腕でした。』 『ああ、なるほど ! それで話のすじが全部とおりました。それが知りたかったんです。き れきしてき みにおめでとうをいわなくちゃならない。もともと大した値うちのある記念品だが、歴史的に きちょう めす みて、もっと珍らしい、貴重な品を手にいれたわけですからね。』 『というと、これはいったい何なんです。』マスグレイヴはびつくりして、あえぎあえぎたず ねた。 『まぎれもない、むかしのイギリス国王の王冠です。』 『王冠ですって ! 』 『そのとおり。あの式詞の言葉を思い出してみてください。なんて書いてあります。それ はだれのものであったか〉〈消えた人のもの〉これはチャールズ一世の処刑されたあとのことで おとず す。〈それはだれのものとなるか ) 〈やがて訪れる人のもの〉これはチャールズ二世のことで、 おうかん せんそ しきし きょ ) おうかん おうとうは しよけい
金はないのに、いろいろと支出が多いらしい。むろん、きみだって気がついたろう。靴の底が れいばしやこうこく 張りかえてあったぜ。さ、ウォトスン。もうきみの仕事のじゃまはしない。例の馬車の広告に 返事さえこなければ、きようはぼくもすることがない。ただ、あしたも、きようと同じ汽車で、 ウォーキングへいっしょにいってくれると、はなはだありがたいな。」 こうこく そこで、あくる朝、ホウムズと会い、またいっしょに、ウォーキングへ出かけました。広告に じけん こたえるものは、だれもなかったし、事件には、なにも目あたらしいものは見つからないとい をいったんこうと思いこんだら、まるでアメリカ・インディアンのよ う話でした。ホウムズよ、 そうさ まんぞく ひょうじよう うに、まったく表情をうごかさなくなるので、捜査のすすみかたに満足しているのか、いない かれ のか、顔色をうかがっても、まるでわからないのです。そのときの彼の話は、たしかべルティ そくていかんべつう ( 7 ) ョンの測定鑑別法で、このフランスの学者を一生けんめいほめていたことをお・ほえています。 ・フル。フスは、まだいいなずけの手あつい看護をうけていましたが、きのうより わたし はずっといいように見え、私たちがはいっていくと、ソフアから身をおこして、あいさっした ほどでした。そうして、 「なにか、おわかりでしたか。」 と、しきりにたずねるのです。ホウムズは、 「思ったとおり、お知らせすることはあまりありません。フォーブスにも会い、あなたの伯 ししゆっ いっしよう かんご くっそこ 161
けいふく 敬服どころの話ではありません。なにしろ引きつづいておこった数々の事件に、すっかり恐怖 の一日となったのを、なにげない顔つきで、すわったまま話しているのですから。 と 「今夜は、うちへ泊まっていっていいだろう。」 と、私はききました。 と 「いいや、泊まらない。・ほくはぶっそうな客だからね。すっかり計画は立てたし、万事うま さいばん ひつよう くいくはずだ。裁判のときこそ・ほくは必要だが、つかまえるだけなら、ばくが手つだわなくと じゅんび けいさっ いように、ちゃんと準備はできている。だから、警察が活動をはじめるまでの二、三日は、 4 ~ 、いり′、 ・ほくのいないほうがかえっていいのだ。ひとっきみが、し 、つしょに大陸へいってくれると、ば くはひじようにうれしいんだがな。」 「医者の仕事はひまだし、なんでも、となりにたのんでいける。よろこんでごいっしよしょ 「あすの朝、たてるかい。」 ひつよう 「必要なら、こっちはかまわないよ。」 ひつよう 「ああ、ぜひ必要なんだ。ここできみに話をしておくから、そのとおりちゃんと守ってくれ あくとう じつりよく はんざいそしきあいて ないか。なにしろすごく頭のきれる悪党と、すごく実力のある犯罪組織を相手に、ばくと組ん でダブルスのゲームをやろうというんだからね。 ししか、よくきいていてくれ。もっていく荷 0 わたし じけん ばんじ きようふ
こんな話しぶりは、いつもとまるでようすがちがっています。あてもないのに休みをとるな しんけい どとは、およそホウムズらしくないことですし、青ざめ、やつれたその顔を見ただけで、神経 と わたし をひどく緊張させていることがわかります。いかにも問いたけな私の目の色を見てとると、ホ ウムズはひざにひじをのせ、両手の指先をあわせながら、いちぶししゅうを物語ってくれまし 「きみは、モリア 1 ティー教授の話をきいたことがないだろう。」 「ないね。」 ロンドンのすみすみま 「まったく、たいした天才がいるものだ。おどろくべきもんだよー せいりよく で勢力をのばしていながら、だれひとりこの男のことを知っているものがいない。だから、犯 さいこうち ざいぎろく 罪記録の中で最高の地位を占めるわけだ。ねえ、ウォトスン。まじめなはなし、・ほくがもしあ しようがいちょうてん いつをやつつけて、世の中を救うことができたら、ばくの生涯も頂点にゆきつくし、あとはも っとのんびりした生活にはいることを考えてもいい。ここだけの話だが、ちかごろスカンディ じけんかいけっ きようわこく ナヴィアの王室とフランス共和国に手をかして、事件を解決したために、ばくの性にいちばん けんきゅう しす 、化学の研究にうちこむことが、やっとできるようになったのだ。 あった静かなくらしをおくり きようじゅ しかし、このモリアーティー教授のような男が、ロンドンの町なかをわがもの顔に歩きまわっ まったく、いても立ってもいられ ているかと思うと、にくはとてもじっとしてはいられない。 きんちょう きようじゅ しよう はん 194
「こんな手紙を読んで、どうして死ぬほどこわがったのだろう。わけがわからない。たかが ぶんしよう おかしな文章だっていうだけのことしゃないか。」 じっさい 「まったくだ。しかし、実際、これを読んだ人は、りつばな、しかも、たくましい老人だっ けんじゅうだい たのに、 こいつがまるで拳銃の台じりのように、その人をたたきのめしてしまったのだ。」 「そうなると、いやでもその先が聞きたくなる。でも、きみはいま、とくにばくがこの事件 をしらべてみるだけのことはあるといったろう。なぜなんだ。」 あっか 「これが、ぼくの扱った最初の事件だったからさ。」 わたし はんざいそうさ 私は、この友人が、いったいなんのきっかけで犯罪の捜査などをはじめる気になったのか、 いままでになんどもたずねようと思ったのですが、どうもそんな話をしてくれそうな気分の彼 ぎ力い かれひじ いすすわ にめぐりあう機会が、なかなかありませんでした。ところが、いま、彼は肘かけ椅子に坐って、 しよるい 身をのりだし、ひざの上に書類をひろげると、パイ。フに火をつけ、たばこをくゆらしながら、 そのページをめくっているのです。 かれ 「いままでヴィクタ ー・トレヴァーの話を、きみに聞かせたことはなかったかな。彼はばく ゅうじん しやこうてき が大学にいた二年間の、たったひとりの友人だった。ぼくはあまり社交的な人間ではなかった じこりゅう しね、ウォトスン。 いつも部屋にとじこもって、自己流の物の考え方をあみだしたりしている す のが好きだったから、同じ年ごろの人間とっきあうことが少なかった。フ = ンシングと拳闘は ゅうじん さいしよじけん ろうじん けんとう じけん れ
じようだん なかば冗談めかしていってはいるが、老人の目の奥には、やはり恐怖の色がただよっていた。 ひょうし うで さかな 『かんたんなことです。ポートに魚を引きあけるとき、腕まくりをなさった。その拍子に、 ひしの角のところに、・ << といれずみのしてあるのが見えたんです。文字はまだ読めますが、 うすれているのと、そのまわりの皮膚にきずがついていることから、それを一生けんめい消そ かしらもじ ん うとなさったのがはつぎりわかりました。この頭文字は、以前はあなたにとってひじように親 しめ わす しかったが、のちには、なんとか忘れてしまいたいと思った方のものだということを示してい ます。』 さけ がんりき 『なんという眼力だ ! 』老人はほっとため息をついて、こう叫んだ。『きみのいうとおりだ。 しんゅう だが、その話はもうやめよう。幽霊のなかでも、むかしの親友の幽霊はいちばんこまる。さあ、 どうきゅうしつ 撞球室へ行って、ゆっくり葉巻でもふかそうじゃないか。』 その日から、トレヴァー氏がどんなに歓待してくれても、・ほくに対する彼の度には、どこ むすこ か疑いぶかいところがみえていた。息子でさえ、その話をもちだすのだ。 『きみのせいで、おやじはすっかり変ったよ。きみがどこまで知ってるか、何を知らないか、 たし そんなことももう確かめようとはしなくなったぜ。』 かたときわす たしかに、トレヴァー老人はそれを顔に出すまいとしているのだが、片時も忘れられないと かれふあんたね みえて、そぶりのはしはしにそれがうかがえるのだ。たしかに、彼の不安の種ははくなのだか うたが かど ジェイエイ ろうじん ろうじん はまぎ ゅうれい かわ ろうじん かんたい おく きようふ もじ いっしよう した