たしかに、あの男のはいってきたとき、。ほくはすぐに身の危険を感した。あいつにとって、 たったひとつの逃けみちは、ぼくに口をきけなくすることだからね。だから、とっさにひきだ あいて へやぎ しから。ヒストルをとりだして、ポケットにいれ、部屋着の下から相手をねらっていたのだ。 さて、あいつにそういわれて、。ほくはポケットからビストルをだし、打ち金をおこしたまま、 テーブルの上においた。あいつはあいかわらずにやにやしながら、まばたきしている。だが、 その目を見ていると、なぜか。ヒストルを手放してよかったという気がしてきた。 『きみはわたしをよく知らんようだな。』 と、あいつがいた 『どういたしまして。これでもよく知っているつもりです。まあ、おかけなさい。何かいう ことがあるなら、五分間だけ時間をつごうしましよう。』 『わたしのいいたいことは、もうとっくに、きみにはわかっているはずだが。』 『それでは、ばくの返事も、あなたにわかっているはすじゃありませんか。』 『どこまでも、がんばるつもりかね。』 『そりやそうです。』 あいつがポケットに手をつつこんだから、ぼくもテーブルの・ヒストルをつかんだ。しかし、 とりだしたのは、ただ、日づけなどを書きこんだメモ帳だった。 てばな きけん 199
もならないほど、形がばやけています。ホウムズはしばらく、そこへかがみこんでいましたが、 かた 立ちあがって、肩をすくめました。 「これでは、だれが見ても、役に立っとは思えないな。ひとつ、家をひとまわりして、どろ しよくど ) おおまど ばうがなぜ、とくにこの部屋をねらったのか、見てみましよう。むしろ、客間や食堂の大窓の ほうが、どろぼうの目につきやすいと思うんだが。」 どうろ 「あそこは、道路からまる見えですからね。」 と、ジョゼフがいいます。 「ああ、そうか。なるほど。ここにドアがありますね。いかにもどろばうのねらいそうなと ころだ。これはなんのドアですか。」 「商人の出入りする通用ロです。もちろん、夜はかぎをかけます。」 「前にも、こんなどろほうさわぎがありましたか。」 しいえ、いちども。」 と、フェルプスが答えました。 しよっき 「おたくには、どろぼうが目をつけそうな、金銀の食器や何かがおありですか。」 「金目のものは、なんにもありません。」 ホウムズは、両手をポケットにつつこみ、めずらしく彼らしくない、なげやりな態度で、家 166
わす わす が、つい用事に先をいそいで、忘れるともなく忘れてしまいました。 マイリンゲンにつくまで、一時間とちょっとかかったでしようか。シ = タイラー老人は宿屋 げんかん の玄関に立っていました。 「やあ、患者さんはだいじようぶだろうね。」 わたし いそいで近よりながら、私はことばをかけました。 すると、相手はびつくりしたような顏をしています。そのまゆがきゅっと動いたのを見たと わたししんぞ ) たん、私は心臓が止まったかと思いました。 ポケットから手紙をだして、 「これはきみが書いたんじゃないのか。ここに病気のイギリス人はきていないのか。」 と、たずねると、主人は大きな声で、 「いいえ、とんでもない。でも、うちのマークがついていますね ! あ ! これはお客さま がたのおたちになったあとでおいでになった、背の高いイギリスの方がお書きになったにちが いありません。あの方のお話ではーーー」 せつめい しかし、そんな説明をきいているひまはありません。私はおそろしさに胸をはずませながら、 村の大通りをぬけ、いまくだってきたばかりの山道をめざしてかけだしました。なにしろ、く たき だりには一時間かかっています。ですから、もういちどライへイハッハの滝へもどりつくまで かんじゃ わたし むね ろうじんやどや 219
なぞふ 『少なくとも、これでもうひとつ、謎が増えたわけですね。しかし、前のよりは、このほう なぞと なぞと しつれい がずっとおもしろい。この謎が解ければ、前の謎も解けそうです。失礼な話だが、マスグレイ ヴ君。あの執事は、すばらしく頭のいい男で、十代もつづいたこの家の主人たちより、もっと すぐれた眼力をもっていたような気がするんた。』 『きみの話はよくわかりませんね。こんな紙きれがそれほど実の役に立っとはとても思え ない。』 ナカばくにはすごく実用むきのものだと思えるんだ。ブラントンだって、きっと同し意 ばん 見だったはずです。あの男はきっと、あの晩、きみに見つかる前にも、これをのそいたことが あるらしいな。』 ほねお 『それはそうでしよう。ぼくたちはべつに、骨を折ってまでかくそうと思っていなかったか ら。』 きおく 『プラントンは最後の晩に、もういちど見て、記憶をたしかめたかっただけなのだと、ぼく は思います。あのとき、何か地図のようなものを手にしていて、この紙きれと見くらべていた、 そうして、きみがはいってくると、それをポケットに突っこんだそうですね。』 『そのとおりです。でも、あの男は、うちのこんな古いしきたりを、いったいどうするつも もんどう りだったのでしよう。それに、こんなくだらない問答に、どんな意味があるというのですか。』 しつじ がんりき さいご ばん じつよう じっさ
きなかった。それはたしかだ。だから、このふたり以外の他人が部屋にはいってきたと考える へや しばふ しかない。しかも、その人間は、窓からしかはいれなかったはずだ。部屋と芝生をよく調べて みれば、このふしぎな人物について、何か手がかりが見つかるかもしれないと、・ほくは思った。 きみはぼくのやり方をいろいろ知っているだろう、ウォトスン。この捜査に、・ほくはそれをぜ んぶ使った。そのあげく、 いくつか手がかりを見つけたが、それはばくの考えていたものとま るでちがったものだった。そのとき、部屋のなかに、もうひとり人間がいた。道から、芝生を 横切ってやってきたのだ。ばくはひじようにはっきりした足跡を五つも見つけることができた どうろ ひとつは、低い塀をよじのばった場所の道路の上に、それから、芝生の上にふたっ、はい しばふ った窓のちかくの、よごれた板の上に、かすかながらふたつあった。芝生の上はかけ抜けたと みえて、つま先のほうがかかとよりずっと深くついていた。しかし、ばくがびつくりしたのは、 その人間より、むしろその連れだった。」 「連れだって ! 」 ホウムズはポケットから、大きなうすい紙を一枚、とりだして、ひざの上で、それをそっと ひろけました。 「これはなんだと思う。」 紙には、何か小さな動物の足跡をうっしたものが、いちめんに書いてありました。ちゃんと まど っ ひくへい っ あしあと まど し力し あしあと そうさ しばふ しばふ
にくってかかったのでしよう。そのうちに、あなたもがまんできなくなって、芝生をかけ抜け、 すがたあら ふたりの前に姿を現わした。」 かれ 「そのとおりです。わたしを一目見ると、彼はさっと顔色をかえました。あんな顔つきをし ろ・こうし かれ た人間はいままで見たこともありません。そうして、彼はひっくりかえり、炉格子に頭をぶつ たお しそう つけたのです。でも、倒れる前に、もう死んでいました。そのときの死相は、暖炉の上に見え せいく るあの聖句と同じくらいはっきりと、彼の顔にうかがえました。わたしが目の前にあらわれた つみ じゅうだん だけで、罪におののいていたあの男の胸は、まるで銃弾を受けたようにくだけたのだと思いま 「それから、どうしました。」 かぎ 「それから、ナンシーが気を失いました。わたしは、その手から鍵を取って、ドアを開け、 ようす ふり 助けを呼ぼうとしました。 ; 、 カこの場の様子はわたしに不利ですし、もし、つかまれば、秘密 に もばれてしまう、だから、ここはそのままにして、逃けたほうがいいと思いました。で、あわ かぎ てて、鍵をポケットに突っこみましたが、カーテンにかけあがったテディを追いかけているう っえ ちに、杖をおとしてしまったのです。テディを、なんとか逃けた箱にもういちどいれて、わた に しは大いそぎで逃けだしました。」 「テディってなんですか。」 0 っ うしな はこ だんろ しばふ ひみつ 114
く巻いた、青天色の紙がのっていました。フ = ルプスはそれをつかんで、くいいるように見つ めていましたが、やがて、胸に押しあてると、うれしさのあまり、奇妙なさけび声をあげなが こうふん ら、きちがいのように部屋の中をおどりまわるのです。そのうちに、興奮のあまり、くたくた に疲れて、ひじかけ椅子にたおれこみ、私たちは気絶されないように、ブランディを口の中に つぎこんでやるさわぎでした。 ホウムズはその肩をたたいて、なだめるように、 「さあ、しつかりしてください。いきなりこんなだしかたをして、申しわけありませんでした。 しかし、ウォトスンにおききになるとわかりますが、どうも・ほくは、ちょいと芝居じみたこと をやらずにはいられないたちでしてね。」 フ = ルプスはその手をつかんで、キスしました。 めいよすく 「とんでもないー あなたは・ほくの名誉を救ってくださいました。」 めいよ 「いや、・ほくの名誉もあぶなかったんですよ。あなただって、お仕事の上でしくじるのはお いやなように、・ほくだって、たのまれた事件に失敗するのは、いまいましいですからね。」 しよるい うわぎ フ = ルプスは、たいせつな書類を、上着のポケットのおくふかく、しまいこみました。 「これ以上、あなたのお食事のじゃまをするにしのびませんが、それでも、どうして手にい れたのか、どこにあったのか、お話をうかがいたくてたまらないんです。」 つか いじよう せいかいしよく かた むねお わたし じけんしつばい きぜっ きみよう 178
まん前にある、シャクナゲのしげみにたどりつくと、そこにうずくまって、ことのなりゆきを 見まもりました。 ハリスン嬢がテー・フルのそばで本を読んで 部屋のよろい戸はまだしまっていなかったので、 いるのが、よく見えます。十時十五分、あの人は本をとじて、よろい戸をしめ、出ていきまし た。ドアをしめる音がきこえ、かぎをかけているようすが、手にとるようにわかります。」 「かぎ、ですって。」 と、フ = ル。フスは、また大きな声をだしました。 「そうです。おやすみのときは、そとからドアにかぎをかけて、そのかぎをもっていてくだ じよう さいと、 いつけどおり、ひと ハリスン嬢におねがいしておいたのです。あのひとは、ばくのい つひとつ、きちんとやってくれました。あのひとに手つだってもらえなかったら、その書類も 1 じよう 5 わぎ あなたの上着のポケットにはもどらなかったかもしれません。さて、ハリスン嬢がいなくなり ) あかりも消えて、あとは、シャクナゲのしげみにひそむ、ばくひとりきりになりました。 しゆりようか 気もちのいいでしたが、それでも、ねずの番はひどくつかれます。むろん、狩猟家が水ぎ いっしゅこうふん わにかくれて、大きなえものを待っときのような、一種の興奮はあります。その長いこととい しようじけん 、事件を調べていたとき、きみと ったらーーーほら、ウォトスン。あの『まだらのひも』という幻 きみ ふたりで気味のわるい部屋に待っていたことがあるだろう。あのくらいの長さなのだ。ウォー じよう しよるい 180
して、あの部屋を病室にしたという。あの部屋に物をかくすとすれば、ジョゼフのほかにはな かくしん いのですから、そこへしのびこみたがっている人間があるときいて、うたがいはみな確信にか ばん わってしまったのです。ことに、はじめてつきそいがいなくなった、その晩に、しのびこもう としたのだから、これはどうしても、家の中のようすをよく知っているもののしわざだという ことになります。」 「なんというめくらだったのだろう、ばくは。」 はんい 「この事件の真相は、・ほくのさぐりだした範囲では、まずこんなところです。あの晩、ジョ ゼフ・ハリスンは、チャ】ルズ街に面した通用口から、役所にはいっていきました。そうして、 かれ 勝手を知っている彼は、まっすぐあの部屋へいった。それは、あなたが出た、すぐあとだった しよるい のです。だれもいないので、さっそくべルを鳴らしたものの、それと同時に、机の上の書類を じゅうようしよるい 見つけた。一目見ただけで、とほうもない国家の重要書類が、手の中にころけこんだと思い すぐさま、それをポケットにねじこんで、出ていった。お・ほえていらっしやるでしよう。ねば 、ベルのことを注意されるまで、三、四分はかかっている。そのあいだに、どろ けた小使いに よゅう ・ほうの逃げる余裕はじゅうぶんあったわけです。 ゆきあたりばったりの汽車に乗って、ウォーキングへかえり、えものを調べてみると、まさ にたいへんなねうちのものです。そこで、いちばん安全だと思うところへかくしておき、一日 こけんしんそ , へや つくえ ばん 185
しず びに、・ほくは先手を打って、そいつをくいとめた。この静かな決闘をこと細かに書いていった そうさしじよう ら、きっと捜査史上もっともはなばなしいつばぜりあいの記録ができあがるだろう。いままで てき こうげき ・ほくはこれほど力をふりしぼったこともなかったし、これほどひどく敵から攻撃をうけたこと もなかった。肉を切らせて、骨を切るというやつだ。けさ、最後の仕上げをやって、あと三日 すれば万事できあがるところまでこぎつけた。そこで・ほくは事件のことをあれこれ考えながら、 きようじゅ 部屋にすわっていた。ちょうどそのとき、ドアがあいて、ほかでもないモリアーティ】教授が 目の前に突っ立ったしゃないか。 ばくもかなり気の強い男だが、いま考えていたその相手が戸口に立っているのを見たときは、 正直なところ、ぎよっとしたよ。あいつの風采は前からよく知っている。背がすごく高く、や せていて、ひたいは白くはけあがり、両の目はふかくく。ほんでいる。ひげをきれいにそりあげ、 きようじゅ ぎようじゃ 青白い、行者ふうな、しかもどこかまだ教授らしいおもかげの残っている顔だちだ。勉強しす はちゅうるい かた ぎたらしく、肩をまるめ、顔を前につきだして、まるで気味のわるい爬虫類のように、からだ をいつも左右に、ゆっくりゆすっている。あいつは目を細めて、しげしけとぼくのほうを見つ めていたが、とうとうロをきった。 『きみは思ったよりおでこではないな。してみると、あまり頭はよくないらしい。部屋着の ポケットの中で、たまをこめた。ヒストルをいじるのは、あぶないくせだそ。』 しようじき ばんじ ほね ふうさい きろく さいこ じけん けっとう のこ へやぎ 198