勉となったり抜けたりした光景に、ひどく失笑してしまフた。全く蝦くらい濁った水のなかでよく 笑う生物はいないのである。 山椒魚は再びこころみた。それは再び徒労に終った。何としても彼の頭は穴につかえたのであ る。 魚彼の目から涙がながれた。 「ああ神様 ! あなたはなさけないことをなさいます。たった二年間ほど私がうつかりしていた あなぐら 椒のに、その罰として、一生涯この窖に私を閉じこめてしまうとは横暴であります。私は今にも気 が狂いそうですー 山 諸君は、発狂した山椒魚を見たことはないであろうが、この山椒魚にいくらかその傾向がなか ったとは誰がいえよう。諸君は、この山椒魚を嘲笑してはいけない。すでに彼が飽きるほど暗黒 りト ( ・つ′ムハ、 の浴槽につかりすぎて、もはやがまんがならないでいるのを、諒解してやらなければならない。 ふうてん いかなる瘋新病者も、自分の幽閉されている部屋から解放してもらいたいと絶えず願っているで 冫ないか。最も人間嫌いな囚人でさえも、これと同じことを欲しているではないか。 「ああ神様、どうして私だけがこんなにやくざな身の上でなければならないのです ? 」 岩屋の外では、水面に大小二ひきの水すましが遊んでいた。彼等は小なるものが大なるものク
魚悲歎にくれているものを、いつまでもその状態に置いとくのは、よしわるしである。山椒魚は よくない性質を帯びて来たらしかった。そして或る日のこと、岩屋の窓からまぎれこんだ一びき 椒の蛙を外に出ることができないようにした。蛙は山椒魚の頭が岩屋の窓にコロップの栓となった ので、狼狽のあまり岩壁によじの・ほり、天井にとびついて銭苔の鱗にすがりついた。この蛙とい うらや 山 うのは淀みの水底から水面に、水面から水底に、勢いよく往来して山椒魚を羨ましがらせたとこ ろの蛙である。誤って滑り落ちれば、そこには山椒魚の悪党が待っている。 山椒魚は相手の動物を、自分と同じ状態に置くことのできるのが痛快であったのだ。 「一生涯ここに閉じ込めてやる ! 」 のろ 悪党の呪い言葉は或る期間だけでも効験がある。蛙は注意深い足どりで凹みにはいった。そし て彼は、これで大丈夫だと信じたので、凹みから顔だけ現わして次のように言った。 「俺は平気だ」 息をもらしたからといって叱りつけはしない・ 「ああ寒いほど独りぼっちだ ! 」 注意深い心の持主であるならば、山椒魚のすすり泣きの声が岩屋の外にもれているのを聞きの がしはしなかったであろう。
山椒魚 「出て来い ! 」 どな 山椒魚は呶鳴った。そうして彼等は激しい口論をはじめたのである。」 「出て行こうと行くまいと、こちらの勝手だ」 しつまでも勝手にしてろ」 「よろしい、、 「お前は莫迦だ」 「お前は莫迦だ」 彼等はかかる言葉を幾度となくくり返した。翌日も、その翌日も、同じ言葉で自分を主張し通 していたわけである。 一年の月日が過ぎた。 よみいえ 初夏の水や温度は、岩屋の囚人達をして鉱物から生物に蘇らせた。そこで二個の生物は、今年 の夏いつばいを次のように口論しつづけたのである。山椒魚は岩屋の外に出て行くべく頭が肥大 しすぎていたことを、すでに相手に見ぬかれてしまっていたらしい 「お前こそ頭がっかえてそこから出て行けないだろう ? 」 「お前だって、そこから出ては来れまい」 「それならば、お前から出て行ってみろ」
更に一年の月日が過ぎた。二個の鉱物は、再び一一個の生物に変化した。けれど彼等は、今年の 夏はお互いに黙り込んで、そしてお互いに自分の歎息が相手に聞えないように注意していたの である。 魚ところが山椒魚よりも先に、岩の凹みの相手は、不注意にも深い歎息をもらしてしまった。そ れは「ああああ」という最も小さい風の音であった。去年と同じく、しきりに杉苔の花粉の散る そそのか 椒光景が彼の歎息を唆したのである。 山椒魚がこれを聞きのがす道理はなかった。彼は上の方を見上け、かっ友情を瞳に罩めてたず 山 ねた。 「お前は、さっき大きな息をしたろう ? 」 相手は自分を鞭して答えた。 「それがどうした ? 」 「そんな返辞をするな。もう、そこから降りて来てもよろしい」 「空腹で動けない」 「それでは、もう駄目なようか ? 」 「お前こそ、そこから降りて来い」
谷本朽助 ( 本年七十七歳 ) は実に頑固に私を屓している。私がいかに遠い旅先へ行っている まったけ 時でも、彼は毎年、秋になって口から吐く息が白い蒸気となって見える時節になると、私に松茸 、のこ やしめじを送 0 てくれる。うどん箱に苔を敷いて、びた茸類を一ばいつめこんで、箱の表には 魚必ず「オータム吉日」と記してある慣わしである。 彼はそれ等の茸類の発生する山の番人である。その山は、すでに私の祖父の時代に他人へ売却 椒したものであるにもかかわらず、彼は頑迷に昔からの習慣を守っているのである。 私は言い忘れないうちに、彼と私との交友を披露しておきたい。 山私達兄妹三人は幼い時、兄、私、妹、という順序に、同じ乳母車で育てられた。この乳母車 ( ワイの出稼ぎから帰って来た朽助の贈りものであって、子守として私達を乳母車に乗せて 遊ばしてくれたのも朽助なのである。 乳母車の響には外国語で四行の詩が縫いとりされていたが、その詩の意味は「眠れ、眠れ、 幼よ眠れ。タ陽は彼方に入りそめた」というのだそうであ「た。けれど乳母車に乗っている時 には少しも眠りたいなぞと思わなかったので、私はその外国語の歌を好まなかった。 朽助は乳母車に私を乗せて、終日庭の木立を縫うて行きっ戻りつした。それ故、泉水の周囲と でかせ
もくせい 木犀の木の下には、雨が降っても消えないくらい轍の跡が残った。彼の目には常にものもらいが しばしば 出来ていて、実にのろのろと車を押したばかりでなく、彼は履々立ちどまって帯をしめなおす癖 があった。しかし私は乳母車の進行が中止することを好まなかったので、幾度となく彼と口論を 「朽助 ! 早う行きし戻りししてくれというたら」 「いま帯をしめなおしているんですがな。そんなに言いなさるな」 「広大なことを言うなというたら。帯なんかどうでもよいがな」 」谷私が彼をあまり急きたてるためらしく、朽助は幾度となく帯をしめなおしたが、常にだらしな いく結んだのである。 こ・つーもり 助乳母車のシーツをめくると、クッションには黒い色の蝙蝠が幾十匹も描いてあった。蝙蝠達は 朽夕方になると空に舞いあがって、私はクッションの蝙蝠が逃げてしまったのだと信じた。 「朽助 ! また蝙蝠が逃げた。早うあれを捕えてくれというたら」 「黙って静かにしていなされば、明日の朝になると戻って来ますがな。心配しなさるな」 「是ッ非、戻るか ? 」 「是ッ非ですがな。したれど、もう一ペん行きし戻りししますそな」 「目をつむっていると、後ろへ走って行くような気がする。朽助らも乗せてみたろうか ? 」 「つがもない ! 私らはあとで独り乗ってみますがな」 わだら
朽助は乳母車を押しながら、時としては私に外国語を教えようとした。」 「木犀の木や松の木のことは、ツリーといいますそな」 私はツリーという言葉を直ぐ忘れた。彼は私が忘れる度に、 「物覚えの悪い子供はアイズルですがな」 といって叱った。アイズルとは英語の ldle のことなのである。 私は乳母車を妹にゆずった。すでに私は尋常一年生になったのである。そして私は日曜日ごと に、朽助の家へ英語を習いに通うことになった。彼の家は谷底の一軒屋で、おそらく彼はハワイ 魚 で農業のことを学んでいなかったため、山番をするよりほかに能がなかったものであろう。とこ すこぶ 椒ろが彼は、私の個人教師としては頗る厳格であった。彼は私の祖父からもらった袴をはいて、そ れは机の傍を離れて立ち上るとひきずるほど長いものであったが、彼はしかつめらしく坐って、 わきめ 山私にリーダーの三の巻を読んでくれた。そして私が少しでも傍目することを許しはしなかった。 私も袴をはかされていたのであるが、私は膝の上に両手を置いて、彼の訳述して行く言葉を暗記 することにこころがけた。 「闇は深かりし。将軍は決死の部下を率いてポートに乗りし。岸の柳は将軍の肩にふれ、柳の枝 くらずさ かす からは夜露が滴アし。艪の音は極めて微かなりし。将軍は暗き流れを眺め、、且っ静かにロ吟み て、いくさに出かける人の如くにはあらざりし」 彼が訳述を終ると私は、 はかま
り、時によっては技師であると推定したりする。そして帰りには彼は必ず私の近所の家に寄っ て、私が東京で技師をしているとか歯科医をしているとか吹聴してまわり、わがことのように自 慢して行く慣わしである。 しかし私は彼のおせつかいを嘲笑するものではないーーー私は彼のたった一人の教え子である。 丿ーダーの三の巻が終了した時、彼は教え子に対して次のように語ったのである。 一一十年前、 「若しあんたが立身せなんだら、私らはいっそっらいでがす。そんなめに逢うほどならば、私ら はなんぼうにもつらいでがす」 私はそのとき激しく感動して、そして帰ろうと思って外に出ると、いつの間に降りだしたの 椒か、雪が谷底にも峰にも一ばい降り積っていた。 私は知っている。若し私が、最近の彼の推定は誤っていて私は東京で弁護士をしているのでは 山ないということを彼に告白したならば、彼は狼狽と絶望とを罩めて言うであろう。 「私らはなん・ほうにもつらいでがす ! 」 そして胸に手を置き悲歎に沈むであろう。 私は彼の面前ではあくまでも少壮弁護士を装っていなくてはなるまい。 タエトという少女のことについて、私は幾らか言い遅れた。私は彼女のことはあまり知ってい
ない。また彼女には一度も会ったことがない。幸い彼女からよこした手紙をここに発表する必要 があるので、その文面から彼女の経歴をもくみとることにしよう。 「益々御健勝のことと拝察中しあげます。私どもの方では祖父朽助ことも無事にて働いており ます。さて一昨年以来、毎日々々池の工事が続いてまいりまして、今日では漸く堤防も出来上 りました。大きな堤防であります。山と山との間の谷をせきとめたのでございます。水がたま ると周回二里半の池になる由であります。それで私どもの家は立ちのかなくてはならないので ございます。池は日本政府が許可し命令してつくっているのであります故、私どもは立ち退き 間 谷に反対することを許されないのですけれど、祖父は如何なることがあっても立ちのかないと反 対いたします。しかし池が出来上って水が池にたまってしまえば、私どもの家は水の底の一ば 助ん深いところに沈んでしまいましよう。常々祖父の噂をうかがいまして、弁護士の要職におい でになるあなたにお願いいたしますれば、祖父も立ち退く決心をいたしますかと思います。ど うか御手紙にて祖父を説き伏せて下さい。先日も当地から出られた代議士の人が参られまし て、今度の選挙のとき自分の名誉にも関することであるから、横ぐるまを押さないで立ち退い てくれと申されました。祖父の申しますには、選挙民を買収しようとたくらんで池をつくって ( 中略 ) と中します。この前の選挙の時にも、赤と白とのだんだら染めの棒を持った測量師を 派遣して測量させたりして、やれ鉄道を敷設してやるのだと演説されましたが、今では沙汰が ございません。祖父はそのことを今さら中し立てまして人々を困らせます。祖父が若し気まぐ
れから ( 中略 ) を申しますのならば、私は ( 中略 ) を軽蔑する気持から敗けるように思われま す。私は私自身のことを申し上げなければなりません。私は一昨年ハワイから祖父の家に参り ました。名前はタエトと中します。説明申し上げますならば、祖父 ( 日本人 ) と祖母 ( 日本 人 ) との仲に出来ました私の母 ( 日本人 ) と私の父 ( アメリカ人 ) との仲に私が生れたのでご ざいます。先年、父は ( ワイで母や私に無断で故国アメリカへ帰りましたので、私はアメリカ 人のような姿ですけれど、やはり日本人でございます。そうして一昨年十二月、私は母に連れ られましてここに参りました。その時は谷や山の木が枯れていて、私は寒さや淋しさに弱りま 魚 した。母は姿も顔も人種的にも日本人で、また貯金もしていましたので、ここに参ると直ぐに 椒再縁いたしました。けれど気候の変化が原囚でしようか、二個月目になくなりました。私は日 本人としての教育をうけましたので、日本は ( ワイよりもいいところだと思って、母と一しょ 山 に参りました。日本は私の祖国でございます。私は日本人の心を真似て、この谷間で暮すのが いいのだと思っております ( 後略 ) 」 私はこの手紙から想像して、そして考えた。朽助はとんでもない口達者な異人娘を背負い 込んだものである。おそらく彼は彼女にやりこめられて、森に行って腕組みばかりしていること であろう。彼は何故、私にタエトのことや池のことを言ってよこさなかったのであろう。私は早 速にも出かけて行って、彼の利権擁護のために運動してやらなくてはなるまい、場合によっては、 私は出発した。 県庁まで出かけて行っても述べなくてはなるまい