せんか」と言った。おかみさんが「おや、内田さんを御存知ですか」と驚くと、お客は「内田さ ん ? 」と言いかけて口をつぐみ、囮箱と釣竿を持っと「とにかくタ方かえります」と言い残して 玄関をとび出した。 このお客は喜十さんがお客としてここに来ているのだと思ったのにちがいない。「内田さんい っしょに行きましよう」と言って、すたすた歩きだした。それで喜十さんが釣竿と囮箱を持って 後から追いかけて行き「実は私、あの宿の番頭です」と言うと、太った客は「おや、それでは甲 州の宿の方は止しちゃったのか」と言った。「いや、止したわけではありませんが、あちらとこち らと掛け持ちです。でも、こちらの宿では、私のことをみなさんが内田さんと言って下さいま 持す」と喜十さんは用心ぶかく説明した、太った客にどうかこの土地では自分のことを内田さん と呼んでくれと頼んだも同然であった。すると太った男は突如げらげら笑い出して「そうか、道 うなず 掛理でロ髭を伸ばしかけてるんだね。よくわかった」と頷いたかと思うと「内田さん : : : おい甲州 の人、囮を一びきくれないか」と言った。 川は岸の片方に寄りフカンドとザラを交互につくってながれている。釣師たちは畳一枚ぐらい な小さな舟を浮べたり河原に立ったりして釣っていたが、舟で釣るのはみなコマシ釣りで木挽き 釣りという方法を用いていた。喜十さんとでっぷり太った男はフカンドの水ぎわにおりて行き、 喜十さんは囮を一びき太った男のたも網に入れてやった。太った男はその網のなかをのそき込み 「こいつ、手ごろの大きさだよ。どうも有難う : : : 君、これは軽少だが、ほんのお礼だよ」とそ
喜十さんは素裸に絽の半纒を著ていたので、外人に対する礼儀として著物にきかえ白足袋をは いてアービングさんの部屋に伺った。しかしアービングさんは。ハンツ一つになって涼み廊下の籐 様子に腰かけていた。この外人は外国映画の二枚目のように顔だけは優さ男だが、胸毛が腹部へ 流れ落ちるように一と筋に連らなって下まで蔓びこっている。背も高く隆々たる肉体をして話す 日本語も可成り上手である。「お呼びしてすみません。内田さん、どうかここへおかけなさい」 と日本流に手招きして「そこで内田さん、あなたにおたずねいたします。わたくしのところの選 手の人、キャッフェに行ったり女に冗談を言うのを内田さん見たことがありますか」と言った。 ち 「いえ、私ちっとも存じません」と答えると「わかりました。そこでもう一つお話があります。 持この宿屋の玄関を出ると路の左手に、 ミカドと呼ぶ日本流のキャッフェがある。その家の花子さ んという女の人、内田さん知っておりましよう。誰いうともなく、以前から内田さんは彼女に大 掛騒ぎをしておりますということです。しかしわたくしは、あのミカドと呼ぶ家の、どの女の人が 花子さんか知りません。その花子さんという人の書いた手紙、運動場でわたくしがコーチしてい るとき選手に配達されました」とアービングさんはそう言って、その青く澄んだ目で喜十さんの 顔をじっと見た。 喜十さんはちょっと面くらった形であった。彼は「いやそれはどうも、何で御座いますな」と 言葉を濁したが、アービングさんは「わたくし考えますに、なぜ花子さんの手紙、この宿に配達 されないで運動場に配達されたのでしようかーと静かな調子で自問自答して「それは花子さんと
いう女の人、その手紙を内田さんに見せたくなか「たためでありましよう。しかし今はわたくし の説明で、内田さんはその手紙のことを知りました。そこでわたくしは、もしも内田さんが花子 さんを叱るかもしれないことをおそれます。わたくしのところの選手たちも、同じくそれをおそ れます。選手たちもわたくしと同じように、花子さんとはどんな女の人であるかを知りません。 しかしわたくしども、たぶん彼女が可憐な少女であろうと想像しております , とアービングさん は思い切「た独断をして「わたくしの言いたいことを、わたくしは上手にロで話せません。選手 魚たちの心の平和のため、内田さんの諒解を願います。どうか花子さんを叱らないで下さい」とし んみりと声を落した。しかし花子という女が可憐な少女だろうなどと言い出すので、喜十さんは 椒自分の腋の下に冷汗が流れるのを感じながら、「いや、よく仰有 0 て下さいました。私は決して 花子さんを叱りません。御心配かけて相すみません。おそれいります」と謝 0 て、一言弁解して 山おきたいことも我慢して引きさがって来た。 ラグビーの選手たちは広間に集ま 0 てタ食をたべていた。喜十さんは念のため帳場に人 0 て宿 帳を調べなおしてみた。ラグビーの選手たちは七月一一十日に投宿し、出発予定日は八月末日頃と な「ている。アービングさんの年齢は二十九歳で職業は運動教師、その生国はアメリカである。 年齢の点で喜十さんより十幾つも若いためか、それとも異人種であるためかもしれないが、この 外人はまるで思いちがいをしているようである。ミカドの花子という女は相手が道楽気を見せそ うな男なら、誰にでも遠慮なく手紙を出す。かって彼女の自慢して話した統計によると、手紙を
% 「内田さん、お手が空きましたら階下でアービングさんが一寸お話したいと仰有ってます」と言 った。アービングさんという外人は、この宿に合宿している立教大学のラグビ 1 選手のコーチャ ーであり目附役のような人である。喜十さんが「はて何の御用だろうな」と不審そうな顔をする と「何でも選手のことで、たいへん大事なお話があるんですって。アービングさん、とても心配 そうにしていらっしゃいましたーと彼女は自分まで心配そうに言った。「いったい何の話だろ う。こちらは選手といっしょに酒を飲んだこともなし、夜遊びに行ったこともない。選手と何の し、 魚関係もない筈だが」と喜十さんは頻りに頭をひねっていた。女中の語る話はひどく遠慮がちでま た曖昧なようにも思われたが、この宿の近所の女からラグビーの選手に手紙が来たそうである。 椒それもこの宿の気附でなしにラグビー練習場の小学校運動場気附にして、選手のユニホームの背 中の番号の何番様へという宛名の手紙である。しかしその何番様という選手当人は、夕食後の散 山歩にも一と足も出たことのない石のように堅い学生である。手紙の中身はアービングさんには読 めないが選手たちの話では、是非とも一度お会いしてゆっくりお話がしたいという文面である。 手紙の差出し人の名前は減多に他人には言えないが、番頭の内田さんにだけは報告しておく必要 がある。内田さんのような粋な人は、何とか巧く取りさばいてくれるだろうという話であった。 喜十さんは大きく腕を組み「そうかね、あれでラグビーの選手たちは、女に好かれるんだな」と 考え込み「よろしい、ア 1 ビングさんに詳しい話をきいてみる . と言ってゆっくり座を立って部 屋から出た。 おっしゃ
することは、お酌してくれる相手方のみすぼらしい心意気を鼻で笑うのも同然である。喜十さん は作法通り飲んだ上、わざと下司に二つ三つ舌妓を打ってみた。これは一種の礼儀である。お花 ちゃんという酌婦もその通りにした。しかし彼女が早くも目のふちを赤くして舌妓を鳴らす有様 は、まことにどうも荒涼たる風情に見えたというよりほかはない。喜十さんが「さあ帰ろう、今 晩また来る」と言って立ちあがると、彼女は「もう帰るの、あんた。今晩また来るね、あんたー と喜十さんを見送った。 喜十さんが川端に行ってみると、太った男はすこし川上のフカンドで首まで水につかって両手 を高く差上げていた。囮を水底の石か木の屑に引っかけて、それを足ではすそうと苦労している 持のである。もしも囮を逃がしたら、喜十さんにもう一びき代りをくれと言うにちがいない。それ で喜十さんは敬遠して川しもの方に行って釣ることにした。 掛夕方、喜十さんは二十びきの獲物を持って宿に帰って来た。それを簀に入れているとタ立が 来た。急いで二階の客間の窓を閉めに駆けつけると、松の二号の部屋で大の字に寝ている客があ った。その客は喜十さんが障子をあけた途端にがばと起きて「喜十さんか、釣れたかね」と言っ た。それから目をこすって「内田さん、釣れたかね」と言いなおした。「ちょうど二十びきで す」と答えると、太った客は「僕は、囮を三びき逃がして、二ひき釣った」と言った。そこへ女 あお うちわ 中がお茶を持って来て、彼女は団扇をとって太った客と喜十さんを等分に扇ぎだした。甲州の篠 笹屋では喜十さんがこんな扱いを受ける図は夢にも見られないが、女中は丹念に風を送りながら
に泊りに来たお客である。喜十さんは「いらっしゃいまし、これはこれは」というような半端な 挨拶をした。相手は間の悪そうに目ばたきをして「たしか喜十さんじゃなかったかしら。湯村の 篠笹屋の番頭さんじゃなかったかしら」と念を押し「ほうれ今年の , ハ月ころ、君が篠笹屋の露天 風呂で僕の目鏡のたまを踏み割った、あの番頭さんの喜十さんだろう」と太った客は言った。な るほどそう言えば思い出す。「いや、思い出しました。その節はどうも相すみませんでした」と あやま 、らっしゃ 喜十さんは改めて謝った。そこへ女中が現われ続いておかみさんが「まあお珍しい、し 魚いませ、どうそ。お疲れで御座いましよう , と泊りつけの客に対する待遇でそのお客を歓迎し 椒でっぷり太った客は玄関にはいってリクサックをおろし「今度は鮎釣りに来ました。どっさり ひも 釣るつもりです」と言った。おかみさんは客が靴の紐をとく間もお愛想を言って「鮎なら今年は 山 とても釣れますわ。内田さんなんか、コマシ釣りで一日に一そくは平気だそうで御座います」と 掛け値を言った。コマシ釣りなら先す五十びきというところである。お客は靴をぬぎ好奇の目を 光らせて「一そくとは凄いですなあ。僕、さっそく釣りに出かけます」と言ってリクサックをあ け囮箱と草鞋をとり出した。おかみさんは「まあ一と風呂あびてからお出かけなさいませ」と引 きとめたが、客はスフ入りの白ズボンをぬぎカーキー色の。ハンツをはいた太い短い足を現わし た。そして草鞋をはきながら「今年は草鞋が十五銭になりましたからね。凄い世の中になったも んです」と言ってから、喜十さんに「いっしょに釣りに行きましよう。囮を一びき分けてくれま こ 0 おとり わらじ すご
津温泉、東洋亭という温泉宿の番頭になる。一人で二つの温泉宿の掛け持ちをするわけで、考え ようによっては時候のいいときだけ山国で勤め、暑いときと寒いときは避暑避寒に適当な海岸の 宿に勤めているともいえるのである。 東洋亭は八月いつばいは忙しい。毎年、この宿には夏休み中、立教大学のラグビーの選手が合 宿することになっている。選手たちは午前中は谷津の小学校の庭に出かけて竸技を練習し、それ からお昼を食べに帰って午後は海岸へ水泳ぎに出かけて行く。彼等は帰って来る度ごとに砂まみ ゅぶね 魚れのままお湯にはいるので、湯槽の底に直ぐ砂がたまる。「よく砂を流した後お湯に入るべし」 と書いた喜十さんの貼り紙はすこしも利き目がない。喜十さんは日に何度も湯槽の底を清めなく ・椒てはならないが、それは表むきのことで、実のところ喜十さんは毎日のように鮎釣りに出かけて 行く。宿の直ぐ近くに河津川といって、天城から流れて来る川が海にそそいでいる。ごく平凡な 山 ような川ではあるが水量がいつも平均して、鮎の釣れ工合は案外すばらしい。喜十さんは谷津に いる間は人ごとにこれを「大切な宝庫」と言い、湯村の篠笹屋でお客の背中をながしたりする場 合、お客が鮎釣りの話を持ちかけても、谷津の宝庫のことはロにしない、湯村方面へ釣りに来る 天狗どもに、谷津の宝庫を嗅ぎつけさせたくないのは勿論だが、もう一つ別の理由がある。甲州 しるしばんてん おうようたばこ の膣笹屋では彼は印半纒を著て蒲団や枕を運んだりしているが、伊豆のこの旅館では、鷹揚に莨 をくわえて廊下などぶらぶらしたり帳場に坐ったりして、おかみさんや女中たちから「内田さ んーと言われている。篠笹屋にいるときには女中の拭き掃除まで手伝ってそれでもまだ女中たち
さんにさんざん油をしぼられた。 オトキさんは甲府で芸者をしていたこともあるし、そのうえ韮崎の泰さんという顔役を旦那に 持っている。気も強いしロも達者である。 「喜十さん。あんたは、御自分でお客さまの目鏡を毀しといて、この目鏡は幾らだいなんて大き な声を出してたってね。ずいぶん、お客さまに失礼だわよ」とそう言って、彼女は立て膝で莨を ふかすのである。「すみません。あのとき私は、お客さんが含嗽をしてなすったので大きな声で ち言ったんですよ。ちょうどそこへ、オョッさんが来たんですよ」と喜十さんが弁明につとめると 「それじゃあまるで、あんたをオョッさんが私に告げロしたと言ってるようなものね。あんたは 持お客さまに迷惑かけといてオョッさんを恨むのねーとオトキさんが言った。まるで阿呆扱いに頭 ごなしに言うのである。喜十さんは弁解するロがきけなくて、ただ無念のあまり涙が出そうにな 掛るのを押しこらえ「すみません」と言った。オトキさんはそれでも勘弁してくれなかった。「喜 十さん、あんたはいい年をして、泣いているのね」とオトキさんは高飛車に言って「宿屋の番頭 というものは、泣いたり笑ったりしちゃあ駄目。どんなときでも顔色を変えては駄目、お面のよ うにしてるものなの」と彼女はそう言って立て膝の恰好をなおした。彼女の説によると宿屋の番 頭というものは、ホテルのポーイと同様にお面のように顔色を冷たくしていなくてはいけないの である。お客の前でおびえたり喜んだりするのを顔色に出すと、お客は直ぐに番頭と馴染みにな 皿ったつもりで見くびってしまう。なぜかというに、こちらはお給金をもらう番頭で、先方は心づ
家庭との戦い源氏鶏太蟹工船・党生活者小林多喜二 柳生武芸帳 ( 中 ) 五味康祐 口紅と鏡源氏太への手紙・私小説論小林秀雄 薄桜記五味康祐 掌の中の卵源氏鶏太作家の顔小林秀雄 お吟さま今東光 歌なきものの歌源氏鶏太ドストエフスキイ 小林秀雄 の生活 春泥尼抄今東光 女の顔源氏鶏太モオッアルト・ 林秀雄悪 ( あくみよう ) 名今東光 無常という事 時計台の文字盤源氏太 笑近藤啓太郎 近代絵画小林秀雄微 ずこいきり源氏鶏太 作 痴坂口安吾 の 若 海源氏太地球にな 0 た男小松左京白 本 、くれない佐多稲子 アダムの裔小松左京 小泉八雲集上田和夫訳 庫 戦争はなかった小松左京素足の娘佐多稲子 文父・こんなこと幸田文 闇の中の子供小松左京体の中を風が吹く佐多稲子 流れる幸田文 、さだまさし 時間エージェント小松左京 さだまさし 時のほとりで おとうと幸田文 夢からの脱走小松左京田園の憂鬱佐藤春夫 裾幸田文 愁幸田文物体 0 小松左京人の砂漠沢木耕太郎 幼児狩り・蟹河野多恵子春の軍隊小松左京佐藤春夫詩集島田謹二編 おしやべりな訪間者小松左京多情仏心里見弴 アメリカン・スクール小島信夫 ガン病棟の九十九日児玉隆也秘剣・柳生連也斎、五味康祐北海道の旅更科源蔵
また顔を覆った。堅く顔を覆って身動きしないのである。四角なものは畳の上をころがって行 き、それがいかにもお粗末な品のように見え井能さんに気の毒であった。喜十さんがそれを見か ねて「オウメさんは、強情だね。お客さまに失礼たよ」と慰める代りに咎めると、井能さんは、 「どうも弱った。僕は失礼して寝るとしよう」と言いながら、掛蒲団を頭から冠って寝床に横に よっこ 0 それでもオウメさんは、顔を両手でおさえてじっと坐っていた。泣き声を出すまいと一生懸命 にカこぶを入れ、そのために石のように堅くなっているのに違いなかった。しかしお客さんが寝 ち ているのに、女中や番頭がその蒲団の傍に居残っている法はない。喜十さんは勿論そこを立ちの 持かなくてはならないのを知っていたが、そうかといってオウメさんをそこに置き去りにするわけ にも行かないのである。「オウメさん、もういい加減にしないかね。お客さんはおやすみになった 掛んだよ。私は階下に行くよ」と部屋を出て行くような足音をしてみせたが、オウメさんは断じて 動こうとしなかった。それで、顔を覆っている手をつかんで連れ出そうとすると、その手を振り きって彼女は泣き声を立てそうになった。あまり手荒な扱いをすれば、彼女はわっと泣き出すに ちがいない。おかみさんもびつくりして駆けつけて来るだろう。ラグビーの選手たちも、木刀を 持ってどやどやと押しかけて来るにちがいない。 オウメさんはいつもは愛嬌のいい子であるが、こんなに強情な子であろうとは全く意外であっ あき た。喜十さんは殆ど呆れてしまったので、ただ黙って坐っている時間を消すために、オウメさん おお