せんべい くれた蒲団を敷き、マントと羽織だけぬいで蒲団にもぐった。一般に煎餠蒲団という言葉がある が、私のもぐった蒲団は雑巾を大きくしたような蒲団であった。私は足をちちかめて壁の方に向 せんじゃ き、右枕になって部屋のなかの道具立を見た。天井のがまる見えで、その黒くなった梁に千社 札のようなものが何枚も貼りつけてある。「讃岐何々郡何々村何々々々」と書いた札や「大願成 就」と書いた札があった。こんな薄ぎたない宿に泊った人にさえも、成就したい大願があるもの と思われた。壁に貼りつけた値段表にも、やはり千社札のようなものが貼ってあった。値段表に は「御一泊一人前、三十銭。御食事はお好みによります」と割合い達筆に男の筆蹟と見える字で 宿 すみ 書いてあった。誰か宿泊人が書いてやったものだろう。部屋の隅には脚のない将棋盤が置いてあ そそ ろった。これがこの部屋の唯一の装飾品になって、かえって物悲しい気持を唆るのである。 ん 私は右枕になったまま目を閉じた。もう左枕に向きなおって襖の模様を見る興味がなくなって そろばん へ いた。隣の部屋では算盤をはじく音を ( ラ銭を勘定する音がしていたが、いきなり手をたたく音 がした。十も十一も続けさまに手を拍ちならす音であった。入口の方の部屋から「へえい」と答 える声がきこえると、隣の部屋の人は大きな声で「お酒を持って来てくれえ」と叫んだ。 私は自分の顔の上に ( ンカチをかけ、その上に蒲団をかけた。疲れていたせいか苦もなく眠れ そうで、これは幸いだと思っているうちにうまく眠ってしまった。かれこれ二時間も眠ったであ ろう。気がついてみると蒲団からすこし乗り出して、隣の部屋の話し声で目をさましたのであっ た。きっと三番目の六十ぐらいの婆さんが、酒の相手をしながら話し込んでいたものだろう。 スだ
Ⅲの髪をまいてそれを器用な手つきでぐるぐる巻きにした。そうして隣の部屋から鏡台や衣物を運 こわ んで来て鏡台の前に坐ると、ぐるぐる巻きの髪を毀して、今度は櫛巻きという髪の結いかたに結 いなおし、普通より一一倍も大きなタオルを肩に羽織って洋風の化粧毛で顔をこすりはじめた。 寝床のなかから、女性のそういう化粧している場面を見たりしていると、そういう髪の結いか たや化粧のしかたも悪くないと思いがちである。そうしてとうとう腹が立って来る。 顔を洗いに行って、ついでに瓢簟池のまわりをぶらついて部屋に帰ったときには、彼女は普段 衣に前掛けをしめ、茶ぶ台の上に食事をならべていた。そうしてご飯がすんでから散歩に出て街 魚 の隅から隅まで歩きまわって帰って来たときには、彼女は隣の部屋で新規の客といっしょに大き 椒な声で笑っていた。 「この杉客を、小がたなをつかわず三十五きれに折れるかのう ? 縦に割ったのではつまらん。 山 こうして、えいっ ! ばらばらばらっ ! そういってお客が笑うと、たしかに痛快な遊戯でもしているらしく今度は彼女の声で、 「先生、今度はできます : : : えいっ ! ばらばらばらばらっ ! 」 そういって彼女も笑い、お客も笑ったのである。 彼等は十分に笑ってしまうと、今度は打って変って隣の部屋では落ちついた会話がはじまっ こ。 「今朝、お前がこっそり勘定書をくれたろう ? わしは手紙かと思うておったが、勘定書でつま 、もの
る私を見ると黙って私にお辞儀をした。二人ともなかなか利ロそうな子供である。その隣の部屋 には、大きな男が腹いになって鉛筆を舐めながら帳面を見つめていた。私がその部屋を通りぬ けるとき、 「失礼します」 と挨拶すると、その男は上の空のように、 「やあ失礼しますわ」 魚と言った。私はその隣の部屋に案内された。 極老のお婆さんは、戸棚から浅黄色の夜具をとり出して、 椒「ほんなら、この蒲団を敷いて寝てつかさい」 と言って出て行った。入れかわりに別の六十ぐらいの方のお婆さんがお茶を持って来て、 山 「便所は、その障子の外だよ。夜なかに便所へ行く人がここを通りますきに、寝えても電気を消 さんずつおいてつかされ。明朝はお早うございますか」 私が明朝は遅くまで寝るだろうと答えると、 「そんなら、おやすみなさいませ。ええ夢でも御覧なさいませ、百石積みの宝船の夢でも見たが よございますろうー そういう豪華な愛想を言って出て行った。 私はまだ宝船の夢を見たことがない。また見たいとも思わない。私は極老のお婆さんの出して うわ
2 としかりつけました。 ところが、がんはわたしの親切を誤解して、治療が終るまで、わたしの胯の間からは、あの秋 の夜ふけに空を渡るのと同じがんの声が、しきりにきこえるのでありました。 治療が終ってからも、わたしは傷口の出血がとまるまでかれを縛ったままにしておきました。 さもなければかれは部屋の中をあばれまわって、傷口にごみの入るおそれがありました。 わたしは治療の結果が心配でした。手術の器械などわたしは持っていないので、鉛筆けすりの ソ小刀でもって、かれの翼から四発の散弾をほじくり出し、その傷口を石炭酸で洗って、ヨードホ ルムをふりかけておきました。六発の散弾が翼の肉の裏側から入り込んで、そのうちの二発は肉 サ カんが空に舞い上がっ 上を裏から表に突きぬけていました。たぶんこの鳥を狙い撃ちにした男よ、、、、 の たところを見て、銃の引金を引いたのでしよう。そしてたまに当たったがんは、空から斜めに落 ちて来て、負傷のいたでがなおるまで青草の上で休んでいるつもりでいたのでしよう。ちょうど そこへわたしが通りかかったわけで、そのときわたしは、ことばに言いあらわせないほどくった くした気持で沼池のほとりを散歩していたのです。 わたしは、縛ったままのがんを部屋のなかに置きざりにして、隣の部屋で石炭酸のにおいのす る手を洗い、がんに与えるえさをつくりました。けれどわたし自身たいへん疲れているのに気が ついて、わたしは火ばちにもたれて眠ることにしました。こういう眠りというものはしばしば意 外に長い居眠りとなってしまいます。
引越しが終った。私達三人はこまごましたものを持って、蒲団や風呂橋は牛の背中に載せて運 んだ。私達は赤土の原つばをたった三人と牛一頭から成立するカラ・ ( ンをつくって、幾度となく 往復したわけである。 新築家屋は、六畳と四畳半と広い土間とを主要な部分としていた。そして家屋の設計と材料と 椒は、朽助のこれまでの住いと寸分も違わなかった。のみならず六畳の窓の外には杏の木まで植え てあって、更に家の東側には藁囲いの牛小屋と小便所さえもあった。ただ古いのと新しいのとが 山異なる点であったのだ。私は苦笑しながら推察した。この家屋を設計した男は、模倣性が強かっ たばかりでなく、何という経済家を兼ねていたことであろう。山間の農民は、これ以上に安直で軽 便な家屋の設計は考案できないのである。六畳の部屋は居間と食堂と寝室と応接間とを兼ね、四 畳半の部屋は夜具と柳行李とを入れる押入れであり、且っ叱られた幼児が逃げ込んで泣き叫ぶ場 所である。 私達は荷物を運んでしまってから、部屋の掃除をした。莚畳の上には枇杷や杏の実が散らばっ たばこ す たきび て、プリキの片には莨の殻が棄ててあった。そして焚火の木炭でもって、壁に幾つかのらく書が 鼾をかきはじめてみた。すると相手も直ちに鳴咽することを止して、大きな鼾をかいて眠りはじ めたのである。 、れ わらがこ
129 そう言って、彼は箱の小舟を本船の船尾の方へ漕いで行った。 私の部屋の釣りラン。フは、その明るみで向い側の崖の面に窓のかたちを丸く且つ大きく描い た。海から吹いて来る風は一たん崖にあたって、それから窓に吹き込むので、崖の持っ温度や匂 いは私にったわって来た。 部屋の入口の廊下で伊作の咳払いがしたので、私はランプを提げて扉をあけてみた。伊作もラ ンプを提けてそこに立っていたのである。私達は互いに並んで廊下を歩いて行った。そうして突 景 きあたりの談話室 ( 三等船室であったらしい広い部屋 ) に入って行って、釘にランプを釣りさげ、 叙私達はそれそれ自分の釣りラン。フに背中をむけて積草の上に腰をかけたのである。 翌朝は潮順が干潮であった。私と伊作は、村上オタッがかならず帰って来るに違いないという レ ことに話を定めて、甲板に出て陸地を眺めた。そのとき、私達は次のような談話に耽ったのであ 「アサリのおっゅを君が盗んだのでないことは、僕も信じているが、彼女が何故そういうことを 言いだしたのか、僕には了解できないね」 「それというのが難題を言いかけるためだりますがな。そのように言わなんだら、ここの家から 密航しだす因縁がなかるまいでしようがな」 「しかし彼女は、兎の所有権を遠慮しなくてはならないことになるだろう」 「それでありまするからして、オタッは是っ非もどって来るのだりますがな」
190 嘘ばかり言ってユキコが客人を部屋に案内したらしい気配になると、私の予期していた通り窓 をあけてユキコが、 「あなた、岡さんがおいでくださいましたわ」 と報告した。もうそのときには、私はきき耳たてたりしないで顔を洗いつづけていた様子につ さっき くろい、客人の手前はあったけれど先刻からの行きがかりで、ぞんざいに答えた。 「知ってるよ」 魚私は上気していることなど、その素振りによってユキコに感づかれてはつまらないと用心し 椒客人のいる部屋に私がはいって行ったときには、たったひとり客人は部屋のなかに置き去りに され、座蒲団をはずして彼女は恰好よくうなだれて坐っていた。そしてすっかり肉つきのよくな 山 っている彼女の膝先には、そこから一一尺も離れたところに番茶をついだ湯呑みが一つ置いてあっ て、その有様が彼女をつらそうにして見せていた。 彼女は私が坐るのを待って、一途に訴える目つきで私を見つめたが、心配の表情と乾いた唇の 色のために、その顔は今にも泣き出そうとしていたところではないかと思われた。そして実際、 まっげ 私の思った通り彼女の目には一度に涙が込みあげて来て、涙は一度に睫毛からこ・ほれ落ちたが、 案外にも彼女は落ちついた様子でお辞儀をして、よく響く声で次のように言った。 「ごぶさたいたしました。あたくし恥ずかしいほど、ごぶさたいたしましたけれど、お変りござ こ 0
はじめ私はこの宿屋の入口に立ったとき、これは漁師屋をそのまま宿屋にしたのだろうと思っ た。もう暗くなっていたので外見はよくわからなかったが、入口の障子や低い軒のエ合が平凡な 漁師屋と変りなかった。私は入口の障子をあけて狭い土間に立っと、 「こんばんは、もしもし、泊めてもらいたいんですが」 と声をかけた。なかから障子をあけ、年のころ五十ぐらいの女が現われて、 「おや、おいでなさいませ、お泊りですろうかー と言った。障子のなかがすぐ居間になっている様子で、八十ぐらいの皺くちゃのお婆さんと六 宿 十ぐらいのお婆さんが火鉢を囲んで坐っていた。お婆さんたちは私を見ると「おや、おいでなさ いませ」と言って、なお愛想よく「さあどうぞ、奥へあがってつかさいませ」と言った。 ん奥の部屋へ行くためには、その上り口の居間を通りぬける必要があった。おまけにその狭い部 めしびつ すずりばこ へ屋にはお膳や飯櫃が並べてあったので、私は火鉢や硯箱などをまたいで通りぬけなければならな きよくろう かった。私が硯箱をまたぐとき、八十ぐらいの極老のお婆さんが、 「どうそ御遠慮なく、けんど足もとに気をつけてつかされ。このごろ電気が暗うございますきに」 そう言って、しゃんと立って私を案内してくれた。 ふすま 三つの客間は、襖で仕切られて三つ並んで続いていた。入口の居間に続いている部屋は、これ は客間兼自家用の居間のように思われた。十二ぐらいの女の子と十五ぐらいの女の子が、お互い に向いあって同じ机についていた。この子供らは読本の書き取りをしていたが、部屋を通りぬけ しわ
103 喜十さんが帳場机に頬杖をついて新聞を読んでいると、遠くで雷の鳴る音がしてつづいて呼鈴 の鳴る音がした。「松の間二号でお呼びだ」と喜十さんは独りごとを言って二階に行ってみた。 松の間一一号は広い部屋である。以前この部屋は、隣室の松の間一号とつづいた大広間であった あぐら のを、仕切りを入れて一号二号と分けたものである。でつぶり太った客は広い部屋の片隅に胡坐 をかき、うつむいてをすすりながら友釣りの仕掛けをこしらえていた。「お呼びで御座います か」と喜十さんが入口にかしこまると、井能さんという太った客は「ちょっと、ききたいことが あるので」と言った。何か重大なことでもきくのかと思っていると、「ここの川ではテグスは何 厘ぐらいが理想的ですか」と言った。しかし喜十さんがまた返事をしない間に、井能さんは「厘 持半ではどうだろう。こないだ僕は富士川の十島で厘半を使ってみたがね。ところがどうだろう。 八寸九寸というやつが幾らでも釣れるんた。それで夢中になって釣っているうちに、三時間に十 掛八びき釣れたね。今日は三びき放流したことになったけれど、今日のような不漁は滅多にないー 「手間に十八びきーと と井能さんはそういう法螺を吹いた。喜十さんが「それは大漁でしたね。一一一 感心してみせると「それで、夕方までには三十何びき釣り上げたね」と図に乗って法螺を吹い た。釣り道楽の人間が釣りのことを人にたすねるのは、人に物をたずねたいからではなく、法螺 を吹くきっかけを見つけたいためである。喜十さんは「三十何びきとは凄い」と目をまるくし た。百びき釣ったという方がまだ凄いのである。 はさみやすり 喜十さんは井能さんの傍に行き、テグスや鈎や鋏や鑢などいちいち手にとって見た。そしてい
掛持ち 107 うに見受けられた。二人は互いに目くばせして、まだ両手で顔をおさえているオウメさんを部屋 に置き去りにしこ。