入っ - みる会図書館


検索対象: 幕末
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1. 幕末

絵師冷泉為恭 たく 此者安政戊午以来、長野主膳、島田左近等に組し、種々大奸謀をエみ、酒井若狭守に媚び、 ひならず ちゅうばっ 不正の公卿と通謀し悪虐数ふべからず。不日我等天に代り、誅罰を加ふるべき者也。 ( 原文のまま ) いわば、天誅予告の公開状である。為恭 、」カ、かって長野、島田と結んで悪虐をきわめたという のはすこし酷だが、いずれにしても書き手は為恭をねらう洛中の尊攘浪士であることはまちがい 新選組からは米田鎌次郎がきて筆蹟をしらべたり、所司代からは与カ加納伴三郎が配下の同心 数人をつれてきて貼り紙を撤去し、冷泉屋敷を警護したが、その程度の護衛ではもはや為恭の恐 怖は癒えなかった。 「わたしは、殺される」 終日ロ走り、夜に入ると眼がすわったまま動かなくなり、綾子がなんとなぐさめても耳を藉そ りうとしなくなった。 泉「米田様や加納様が、お屋敷を警護してくださるではありませぬか」 冷 為恭は、首をはげしくふった。かれらとて公務がある。ほとばりがさめれば引きはらってしま うにちがいないのだ。 っちのえうま

2. 幕末

治左衛門はひきかえして、松子から笠をもらい、歩きだした。 あたごやま 集合地は、愛宕山である。山上の社務所付近で落ちあうことになっている。 石段をのばるころには、白雪がすでに二寸は積もっていた。 ばたんゆき のばるにつれて、足もとに市中のみごとな雪がひろがってきた。雪はすでに牡丹雪にかわり、 舞い重なって落ちてくる。 ( このぶんではまだ降るな ) からかさ 社務所付近には、すでに同志があつまっていた。唐傘、羽織、マチ高袴といった普通装束の者、 かつばすがた 笠をかぶって股引姿といった者、合羽姿、まちまちである。同志十八人。 この少数で、彦根はどの大藩の行列に斬り込んで功を収めうるかどうか、たれしもの気持に多 少の不安があった。 「やあ、治左衛門」 と、佐野は傘をさしかけてくれた。このほか黒沢が微笑して寄ってきた。あとの水戸侍は治左 かいごさきの - すけ なじみ ごじつだん , 日ーレ」馴氿木、が薄し学 / レし ) こナこどこかよそよそしかった。海後嵯磯之介、森五六郎などの後日譚では、 治左衛門をみるのははじめてであったという。かれらへはすべて、佐野竹之助がひきあわせの労 をとった。 やがて総指揮者関鉄之助の最後の注意があり、数人ずつ石段をおりはじめた。 やがて桜田門外の掛茶屋に入った。すでに井伊屋敷付近へは斥候として岡部三十郎が行ってお り、行列が門を出るや、合図を送ることになっていた。 ものみ

3. 幕末

「このまま高野山に滞陣していてはいたすらに軍功を京都の薩長土に独占させるようなものだ。 いそぎ大坂を急襲し、幕軍の混乱につけ入って大坂城を陥落せしむべし」 という勇壮な意見が多かった。 しゆったっ 「されば出立やな」 と、鷲尾卿がいったとき、軍議の席に入ってきた男がある。三枝蓊である。 「しょーレ」ほ、つ、がしし」 と、三枝がいった。 「京坂で幕軍が破れれば、逃げる路は、海路江戸か、紀州である。紀州徳川家を頼ってなだれこ んでくる人数はおそらく数千はあろうと思われる。あるいはそれらが和歌山城に籠城すればどう なる」 と、例の瞬きのすくない表情でいった。 きみとうげ 「義軍はよろしく紀見峠の嶮に拠って和歌山への流入軍をおさえることだ」 「なるほど」 士鷲尾卿はふかくうなすいた。正論である。 夷「道理や。三枝のいうとおり、田中、香川、すぐ兵を部署しなさい」 の「はっ 最 といったものの、参謀、監軍といった連中は顔色はなかった。 ( いやなやつだ )

4. 幕末

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5. 幕末

ょに、按摩が。 と、所司代屋敷の詰め所で眼をひからせたのは京都見廻組組頭の佐々木唯三郎である。佐々木 はこのところ、長州人狩りで、何人ひとを斬ったかわからない。 いめげこく 「へい、戌ノ下刻に呼びこまれて入ったきり、出た様子はねえんで」 ーー・見なれた按摩か 「いえ、まったくの新顔で」 まあ、見張ってろ。 が、翌日午後になって、向いの床屋が、例の按摩が幾松の家からのこのこ出てくるのを見た。 旅装をしている。密偵がすぐあとをつけた。いかにも軽捷な男で、路地から路地を通りぬけるう ち、いつのまにか姿を見失ってしまった。 てつきり伏見から大坂へくだり長州へ逃げるてはずとみて、佐々木は、伏見の番所に、人相、 風体を急報した。 「ところが」 そのタ、密偵から意外な報告を佐々木は受けた。按摩は旅に出ていないという。 まだ京にいるのか。 「いるどころか、ついさっき、三本木の吉田屋 ( 料亭 ) によばれて入ったのを、たしかに見ました んで」 按摩だけではない。按摩が入ってからほどなく、桂の友人の対馬藩京都留守居役の大島友之助

6. 幕末

「きようあたり、お着きやろ」 と、朝からうわさしあった。すでに客を迎えるためにこの家では、、かにも京の者らしく朝か ら敷石に水を打ち、中庭の奥の八畳の間には、香を入れている。 釜師藤兵衛の東山の寮である。 ちょう ところは京の大仏裏、ーーー中庭に、火除ナこ、、 。。ししという公孫樹の若木が一本うえてあって、葉 はまだ黄ばみきっていない。 文久二年九月のことだ。 京の市中は、毎日のように尊攘浪士の人斬りが跳梁し、所司代の警察力も、あってなきような 状態になっている ( 新選組創設は、その翌年のことだ。つまりこの事件は京の治安がどん底におちいってい 血る時期と心得ていい ) 。 辻 この日、午後からすこし日和雨がふり、ほどなくやんだ暮六ッ前、あたりをはばかるようにし ケ 猿て入ってきた旅装の巨漢がある。帯刀が、おそろしく長い。 川「会津から参った者」 かまし だいぶつうら ひょ

7. 幕末

「やります」 「よかったな」 山本は、ちょっと皮肉な顔でいった。 「君がもし拒むならば、この秘密を知った者として、命をうしなうところだった」 これが、慶応三年六月十四日の夜である。ふたりは、その夜から共に行動をはじめた。 四 二人は、宮川町に入った。町並は鴨の東岸、四条と五条の間にわたる南北の町で、かっては私 しようくっ 娼窟であったが、嘉永四年以来、公許の遊廓になっている。 けんにんじ 北へ突きぬけたところが、団栗辻である。やや建仁寺寄りの路地奥に、山本が、住谷寅之介の おんな 妾宅だ、という借家がある。溝のそばに、住谷の情婦が植えたのか、朝顔がからんでいる。 「わかったな」 「ふむ」 通りすぎ、十軒ばかり奥へ行ったが、そこは袋で突きあたりになっていた。 「だから、都合がいし」 不意に、がらっと格子戸があいた。二人とも、軒端の闇に身を寄せた。出てきたのは、女であ った。ちらっと啓輔の方をみた様子だったが、気がっかぬようであった。住谷の妾だろう。二人 とも、胸に妙なものが溜まった。音殺は、その家の女をみればしくじるという。刺客に、憐みが かも のきば あわれ

8. 幕末

刀のごとき尻尾あり。足は下駄をはき、頭の前せまし。ただしこの鳥、腹を断ちわってみれば、 こわね 胆、、たって小さし。鳴き声はしきりと詩を吟じ、声音のみを聞けば、なかなか猛勇のごとくな れども、逃ぐること早し」 山本旗郎は、そういう流行のなかから抜けでてきたような男で、 「ます、酒」 と、持参の徳利を、間においた。杯をかさねるうちに、酒を数度買い足し、ついに山本旗郎は ん 半ば正気を失うほどに大酔し、藤田東湖の作詩数篇をつぎつぎと吟じはじめた。 、に、山本の膝をつつき、 いっこうに本題に入らぬために、浦啓輔は、気が気ではない。っし しゅげんびきやく 「山本氏。修験飛脚に託された手紙の一件、どうなります」 「ふむ。 山本は、朗吟中の腰を折られて、不快な顔をした。 「まだあわてずともよろしいのです。それよりも前にさる御仁に貴殿をひきあわさねばならぬ」 「いったい、その御用とは」 「斬る」 子山本旗郎は、手で真似をした。 園「新選組を」 「いや、もっと大物です。斬り損すればゅゅしき大事になります。さらに、薩長土いすれの藩士 が斬ったとわかってもこれは大事になる。されば、藩などには属さぬ貴殿に頼み入る次第です。

9. 幕末

栄一はパリへ。 成一郎は、幕府の陸軍調役として残り、ほどなく、慶喜の大政奉還、鳥羽伏見の敗戦、江戸へ しやしよく の遁走、恭順、というぐあいに、徳川の社稷は、音をたててくすれた。 「そんな経歴の男さ、渋沢成一郎とは。いわば、幕府衰亡のどさくさにまぎれて成りあがった出 頭人だな」 「なるほど」 みな、色白の小才子を想像し、斬るになんの造作やある、と強がった。 あくる十九日、会盟の士一同、ふたたび四谷鮫ケ橋の円応寺にあつまった。新会頭の渋沢成一 郎と顔合せをするためであった。 じゅうじ 定刻は、西洋時計の十字である。新太郎ら天野派の一統は、剣を撫するような気持で渋沢を待 渋沢は、定刻よりすこしおくれ、一橋派の連中をひきいて入ってきた。 渋沢は、黒縮緬の羽織に仙台平の袴、それを器用にさばいて、末座にびたりとすわった。 算「私が渋沢成一郎です」 隊天野派は、声をのんだ。 彰 案に相違して、大入道である。 頭をくりくりにそりこばっているのは、主人慶喜と恭順をともにする、という芝居気から出た

10. 幕末

郎 この当座は、 な 「たかが町人首」 せん 奇と清河も気にもとめなかったが、幕府はこれを奇貨とし、詮議にかこつけてかれの一統を一せ けんそく 6 いに検束する方針をたてた。その内報が清河の耳にも入ったから、すばやく道場をたたんで江戸 清河はこの男が何者であるかを知っている。 「笠の下をのぞいてみたいか」 のきば すぐ見物が、立った。あちこちの軒端からこわごわのそいている人目に気づくと嘉吉は虚勢を 張り、にツと凄んでみせた。 「見てえや。 このとき清河の備前無銘の業物が一閃した。ぐわっと嘉吉の胴から血がふき、首は笑ったまま、 軒の上まではねあがって、やがて三軒むこうの瀬一尸物屋のどぶ板に驚くほどの音をたててころが ( 斬れる ) 清河は歩きながら刀身をぬぐい、鞘におさめた。首を切ってもまるで手ごたえがなかった。 清河の七星剣は、これで第二回目の運命の変転をかれに与えることになる。