山本 - みる会図書館


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1. 幕末

( これが、水戸の論客の総帥か ) しようけ、 あれほど、赤龍庵が憧憬していた「水戸学」がいま、人の象をとって歩きすぎてゆく。 ( 出ろ ) と、山本がわきをこづいたが、啓輔は足がすくんで飛びだせなかった。 「宮川町へ折れた」 ひょうかく 山本は、先に立ってあとをつけた。啓輔も従った。長身の住谷寅之介は、嫖客の群れを縫いな がら悠々と南へくだってゆく。 「あのぶんなら、河原板橋で折れて鵯川を渡るだろう。先まわりすることだ」 山本は、住谷を追い越した。啓輔は、路地へ抜け、板橋に先まわりした。やがて、山本がやっ てきた。二人は、橋のたもとの地蔵尊の小さな祠の蔭にかくれた。 「いま、来る。ぬかるまいな」 と、山本がいった。啓輔の慄えは、とまった。ただ一言、きいた。 「山本どの。まちがいはないな。たしかに国のためか」 薩長のためだ、とは山本はいわない。山本も、天下のためだ、と信じている。 子「そうだ」 園「されば、やる」 啓輔は、祠から出た。山本も出た。その山本の影をみて、住谷は、ぎよっと立ちどまった。 「何者か」 かたち

2. 幕末

「なにを申される。山本どのとも覚えませぬ。住谷先生と申せば、水戸勤王党の領袖にて、しか こすいだいえんそう も水戸と申せば勤王鼓吹の大淵叢ではござらぬか。山本どの、失礼ながら御乱心か」 「乱心など - 、しておらぬ」 山本は、落ちついている。考えてみれば、山本はまだ二十一、二の若さである。一時代前の勤 王運動家にとっては「水戸」という語感は山のごとく重く、たしかにその思想の師匠だったかも しれないが、山本旗郎ほどの弱年者にとっては、水戸といわれてもびんと来なかった。 山本たちの世代は、植物の種子でいえば水戸から出て空中に飛散し、遠く西国の諸雄藩に根を おろした群落の、さらにその種子によって育ったというべき年代である。 啓輔も、なるほど若い。若いが、その師匠は、自称直系と称する水戸学者であった。水戸学の ありがたさは知っている。 「山本どの」 啓輔は、刀をひきつけた。 「申しておくが、われら十津川郷士は数千年の勤王郷士です。この京都御危難のときにさいし、 ふらちくわだ 禁門守護のつもりで上洛している。不埒な企てには、加担できませぬ」 子「では、頼まぬ」 園山本は、立ちあがりかけた。 祇「待ちなさい、山本どの。あなたこそまさか逆徒ではありますまいな」 「なぜだ」

3. 幕末

刀のごとき尻尾あり。足は下駄をはき、頭の前せまし。ただしこの鳥、腹を断ちわってみれば、 こわね 胆、、たって小さし。鳴き声はしきりと詩を吟じ、声音のみを聞けば、なかなか猛勇のごとくな れども、逃ぐること早し」 山本旗郎は、そういう流行のなかから抜けでてきたような男で、 「ます、酒」 と、持参の徳利を、間においた。杯をかさねるうちに、酒を数度買い足し、ついに山本旗郎は ん 半ば正気を失うほどに大酔し、藤田東湖の作詩数篇をつぎつぎと吟じはじめた。 、に、山本の膝をつつき、 いっこうに本題に入らぬために、浦啓輔は、気が気ではない。っし しゅげんびきやく 「山本氏。修験飛脚に託された手紙の一件、どうなります」 「ふむ。 山本は、朗吟中の腰を折られて、不快な顔をした。 「まだあわてずともよろしいのです。それよりも前にさる御仁に貴殿をひきあわさねばならぬ」 「いったい、その御用とは」 「斬る」 子山本旗郎は、手で真似をした。 園「新選組を」 「いや、もっと大物です。斬り損すればゅゅしき大事になります。さらに、薩長土いすれの藩士 が斬ったとわかってもこれは大事になる。されば、藩などには属さぬ貴殿に頼み入る次第です。

4. 幕末

240 山本は、呼吸を踏みはすした。吊られて自分から飛びだした。 「奸賊」 ふりおろした刀が、たちまち住谷にはねあげられ、火を発して天に躍った。それをみて啓輔は、 いつもの粗剛放胆な争闘場裡のこの男にもどった。たたっと踏みこむなり、 「奸賊」 おうむがえしに叫んだときには、住谷は右首の根から左胸にかけて斬りこまれ、声もたてずに 倒れた。 すかさず山本がとびこんで、とどめを刺し、しやがみこんで住谷の懐ろをさぐった。月は、隠 れている。住谷の懐中物を取りだし、自分の懐ろに入れ、さらに大小まで抜きとった。月がふた たびあらわれたときは、山本は板橋の上を走っていた。 前を、啓輔が走っている。幸い、人通りがなかった。七条まで駈けとおすと、南は伏見までた んば道になる。山本は、七条の瀬に、住谷の大小、懐中物をほうりこんだ。 「こうすれば、物盗りの仕業とみるだろう」 「周到ですな」 。しつまでもつい 皮肉ではなく、素直に感心した。道はどんどん伏見に近づいてくる。山本よ、、 てくる啓輔に気づき、 「浦君、私は伏見から船で大坂へくだってしばらく住吉の藩邸で鳴りをひそめている。しかし君 ここで」 と二人で大坂くだりはますい。

5. 幕末

242 長男七之允がさっそく兇変の現場へかけつけていろいろ手がかりをさがしてみると、幸い、当 いちべっ 夜この兇行を一瞥した者がある。付近の河原の小屋にすむ非人の「傘屋」という者で、 私がみたとき、下手人は死骸のそばにしやがんでおりましたが、やがて板橋を西へ駈けだ し、あとは存じませぬ。人相風体はおばえております。 たず 以来四年、兄弟は、その人物を探ねたすねて、ようやくきように至った、という。 「左様か。念のためにもう一度伺うが、仇の名前は ? 」 「土佐藩山本旗郎」 その首のない死骸は、いま眼の前に横たわっている。 住谷兄弟は即日弾正台から、水戸藩に引きわたされ、山本の遺骸は土佐藩に送られ、即日仮埋 ようぶだゅう 葬された。同藩出身の維新政府の参議佐佐木高行、」 用部大輔斎藤利行など土佐藩の高官が鍛冶橋 りようかいしょ 藩邸にあつまり、合議の結果、仇討に相違なし、ということで、右の旨、諒解書を水戸藩に送っ 同日の佐佐木参議の日記に、 「わが藩士山本旗郎、仇討に逢ひ候儀、はなはだ不面目。しかしながら天道の許さざるところ、 これなく 致しかた無之候也」 とある。 山本旗郎は、不意を襲われて死んだ。やむをえぬとしても、あの慶応三年六月のはじめ、京都 錦小路醒ケ井の菓子屋の土蔵にあつまっていた「薩長の要人」というのは、この山本の横死につ

6. 幕末

226 戦にはなったが、新選組、見廻組が長州人とみれば目の敵にし、藩士がのこのこ京へ出てこられ おんみつり る事態ではない。おそらく、この人物は、よはどの密謀があって隠密裡に出てきているのだろう。 きよそどうさ きどじゅんいちろう 挙措動作、どうみても、要人である。明治後、啓輔は、あれが木戸準一郎 ( 木戸孝允 ) ではなかっ たか、とよくいった。 薩摩人も、それ以上の大物の様子であった。この男はだまったきりで、右ひざを立て、長いす ねを掻いこむようにしてすわって、ついに 一言もしゃべらなかった。 土州藩士も、なまりでわかる。山本旗郎のほかにどうやら一人はいたが、これは山本と同様、 大物ではなさそうであった。事情は、啓輔にもわかっている。土州藩は藩公以下幹部が依然とし て親幕傾向で、勤王倒幕に動いているのは、下士か、脱藩藩士が多く、それに多くは文久元治の 風雲の中で命を失い、いまは人物もすくない。自然、生き残った連中は薩長要人の下働きのよう なかっこ、つにある。 「委細は」 と、木戸らしい長州人がいった。 「山本君からきいてくれましたな」 「いえ、まだ」 「結構です。すべては、貴下と山本君にまかせていますから」 「浦君、おひとっ」 と、別の薩摩人が杯を出した。 かたき

7. 幕末

「高士住谷寅之介先生を斬ろうとしている。これは、われら勤王奔走の徒の自らの父祖を斬るよ うなものだ。返答はどうある。その次第では、生きてこの場から去らせませんぞ」 「激するな」 山本も、中腰で、刀をひきつけた。が、腕は、この単純な十津川郷士のはうがはるかに優って いることを、山本は知っている。 「す . 一し、手口挈、、つ」 ぐわらり、と鞘ぐるみ自分の佩刀をむこうへ押しやり、 「君は、遅れている」といった。「十津川の連中はみなそうだが、君までそうだと思わなかった」 きゅうたん 「時代は、急湍のように動いている。いつまでも、水戸ではない。それどころか、水戸はいまや 逆徒といっていい」 水戸は、死んだ藤田東湖もそうだったが、最後まで倒幕は云わなかった。所詮は御三家の一つ である。幕府体制を改革する、とまではいう。それが水戸的政論の限界であり、もはや今日の情 勢になってみれば、そういう俗論は時代の進行に大害がある、と山本はいう。こういう俗論がい ま横行しているために、京都の公卿でさえ、倒幕の決断のついた者が、二、三しかない。 「諸侯しかり」 土佐の山内容堂がその好例である。これだけの大藩が倒幕に動けば事が一挙に成るというのに、 容堂はなお公武合体の白昼夢をいだき、倒幕論者の武市半平太以下を処刑してしまっている。 まみ、

8. 幕末

二日目のタ、山本が部屋に入ってきて、 「来ている」 と、低声でいった。夕刻、住谷が団栗辻の路地に入ったのを確かめた、というのである。 「住谷は泊りはせぬ。もう一刻もすれば阯るだろう」 勘定をすませ、外へ出た。やがて日が暮れたが、路上が気味わるいほど明るかった。頭上に、 - 一うこう 皎々たる十六夜の月がある。 「住谷先生は : とのくらい出来ます」 かいでん 「神道無念流の皆伝をもっているそうだ。なに、君の敵ではあるまい」 二人は、軒蔭で、月を避けている。山本は腹が減ったのか、しやがみこんで、にちゃにちゃと 餅を食いはじめた。啓輔に、食え、ともいわなかった。 が、勧められても啓輔には食う元気がなかった。さきほどから、しきりと歯が慄えた。噛みし もよお めれば、始末にわるいことに尿意を催し、それもいざたくしあげてみると、数滴しか出なかった。 おく 不覚だが臆している。 「」わい。 みろ」 と、山本が、肘で注意した。なるほど暗い路地の口から、住谷寅之介らしい長身の武士が出て それが、眼の前にきた。諸大夫まげをつややかに結いあげ、絽の羽織、白襟をわずかにのぞか せ、つか長の大小に仙台平のはかま、眼鼻だちの彫りがふかく、あごがややながい。

9. 幕末

こぜんらんばっ ひこらして、たとへば虎髯乱髪の一兵士といへどもよろこんで満腔の誠をささげ、あるとき - 一うらきんしよう は幾千金の紅羅錦裳を質屋の蔵に忍ばせても馴れそめし隊士を迎へざれば名妓一期の恥辱の ゃうに、さしも広い吉原も隊士でなければ夜も日も明けぬ全盛無比のありさまであった。 ( 山崎有信編、寺沢正明翁直話 ) この給金のよさで、にわかに応募者がふえ、傍系の諸隊をふくめると三千人という大世帯にな った。本陣は、山内の寒松院。 しのぶがわ 新太郎の八番隊は、上野黒門から坂をおりて東、忍川にかかっている三枚橋 ( 三橋 ) のきわの茶 屋「山本」を屯所とし、付近一帯を警備した。 すでに前将軍慶喜は水戸へ退隠し、江戸城は官軍にあけ渡され、その大本営になっていた。そ はやうち の官軍大本営から、宇都宮方面にむかってしきりと早籠の偵察員、飛脚がゆく。宇都宮には、幕 将大鳥圭介が兵を擁して薩長への叛旗をひるがえしたからである。 八番隊の役目は、坂本の街道筋に出張し、その偵察員、飛脚をとらえては検査し、答弁うろん とみれば容赦なく斬った。ついには斬るのがおもしろくなり、旅姿の町人体の者とみれば躍りか 用 算かるようにして斬った。 隊 一日血をみないと、どうも寝つかれない。 彰 といいだすものもあり、新太郎は、人を斬るごとに兇暴化してゆくかれらを、どう制御するこ ともできない。吉原帰りの肥後藩士というのも斬った。が、薩長土の兵だけは避けた「かれらは まんこう

10. 幕末

土蔵になっていた。 「 , こです」 山本は、土蔵を開けた。 おどろいたことに、なかに五、六基の燭台がかがやき、七、八人の武士が、酒をのんでいる。 啓輔は、そっと身を入れて、入り口にすわった。 「例の人物です」 まっざ と、山本は、末座の男に低声でいった。例の人物、といわれた言葉が、啓輔のかんにさわった。 「十津川郷士、浦啓輔です」 みないんぎんに頭をさげてくれたが、たれも自分を名乗らなかった。 ようそう 上座、とおばしい席に、三人いる。いずれも立派な行装の人物である。そのうち、眼のするど い、きびきびした口調の男が、 「浦君。こんどは御苦労をかけます」 と、大きな手をさしのばして、杯をくれた。啓輔は受けた。 「お傷のぐあいは」 子「ま、。すっかり」 園「それは」 重畳でした、と男は、徴笑してくれた。言葉は、あきらかな長州なまりである。この席に長州 人がいるということ自体が、啓輔のおどろきであった。長州藩は幕府の征討をうけ、ようやく休