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検索対象: 幕末
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1. 幕末

住持はめいわくそうに、つこ。 だんか にんべっ 「さる檀家からのあすかりもので、お役人に洩れては、まずい人物らし い。だから、戸籍のこと はきかずにいる。名も知らぬ」 眼つきからして武士だと堀田はみた。中背で肉の締まった体をしており、みるからに機敏そう な男だった。 ( 武芸者だな ) それも凡手でない。 そのことに興味をもった。さもなければ堀田は人を詮索するような男ではない。 ひろえや その昌念寺の客が、こんどは意外にも城下の広江屋という商家で立ち働いているのをみた。 ( はう ) 堀田半左衛門は立ちどまった。 亭主は甚助という気のいい男で、堀田半左衛門はよく知っている。ときどき京に出かけては呉 服を背負って帰り、城下の武家屋敷などに出入りして暮らしをたてている男である。 「甚助、だいぶ涼しくなったな」 まったくこの元治元年の夏は気違いじみて暑かった。 甚助は往来へとびだしてきて、ペこペこ頭をさげた。まだ二十代のくせに、二重に盛りあがっ た頭が禿げかけている。気の毒になるはど、滑稽な面相である。 せんさく ふたえ

2. 幕末

とんと ( 稚児とは土佐言葉ではないか ) これで素姓が明確になった。 しかしお光が訊問されるころには、顕助もさすがに鳥毛屋は危険とみて、 「旅に出る」 と、那須らとともに姿をくらましていた。その実、松屋表町のぜんざい屋本多大内蔵に身を隠 したことは、お光だけが知っている。 その二階では、あいかわらず、大利鼎吉が終日だまりこんだまま、焼玉を作っている。たいく っすると、こより細工をつくることも相変らずであった。 「器用なものですな」 顕助は、感、いした。この界わいは玩具問屋がびっしりと軒をならべているが、これほど器用な 細工をつくる職人はちょっと居まい 「俺ア、子供が好きなんじゃ、店に遊びにくる子供に呉れてやるんじゃが、なかでもおさんちゅ うら はったか う娘がお転婆での。よう肥えはちくって、俺の兄の娘とそっくりじゃ。これはその娘に呉れてや るつもりじゃ」 親指ほどの姫人形で、人形の首は買ってきたものだが、衣裳はすべてこよりで作り、きれいに 彩色もしてある。 この日は、かれらが大坂にやってきた日から三月目、年がかわって慶応元年正月六日である。 階下の土間に幼女の声がして、どうやら大利鼎吉のいうおさんのようであった。 うら

3. 幕末

192 佐幕派ならば、京ではもっと大物がいるはすである。公家では九条前関白、武家では京都守護 職松平容保がいる。かれらが殺されすに、なぜこういう貧弱な肉体の絵師が殺されねばならぬの だろう。 しかし綾子は、こういうはめになった遠因が自分の容色にあるということを気づいていなかっ そのくせ、所司代与カ加納伴三郎が数年前から自分に特別の好意をもっていることは知ってい る。加納自身、しばしば冷泉家を訪れるようになったのは、 「お裏がおらるるゆえじゃ」 とぬけぬけと綾子の前でいったことがある。綾子の手をにぎったり、細い頸を抱こうとしたこ かつぶく とも、何度かあった。綾子も、この冾幅のいい、 口をひらけば軽妙な冗談ばかりをとばしている 中年の役人はきらいではなかった。 「いちど、寝てたもらぬか」 いなや 冗談に抱きしめて、耳もとでぬけぬけといったことがあるが、綾子は笑ったきり、否応の態度 をあいまいにした。そういうはめになっても いいとも思った。いまだになっていないのは、加納 とのあいだに機会がなかっただけのことである。 「なあ、お裏どの」 。しったことがある。 と伴三郎よ、、 「亭主どのに用もないのに、こうしばしば来るとは、わしもつらいことでのう。つい三度に一度

4. 幕末

「人数は ? 」 ひょうかん 「海援隊、陸援隊の残党のなかから剽悍決死の剣士数人をえらぶ」 「どなたと、どなたどす ? 」 「 ~ 木宀疋だ。が、もっとも」 と、陸床〈はきつばりといっこ。 「一人だけはきまっている」 「どなた」 「大将のおれだ。おれが指揮をとる」 「陸奥さんが ? 」 お桂は、この男が海援隊でも文官だったことを知っている。 この二十四歳の青年は、紀州藩の上士伊達宗広の末子にうまれた。弱年のころ江戸で学問修行 をするうちに脱藩して京にのばり、諸藩の志士とっきあううちに坂本に見出され、海援隊結成と と一、もこ、ー」 沮量官兼隊長秘書のような役目についてきた。この閲歴からみても、剣に格別の心得が あるとは思えない。 「まあ、やってみるさ」 と陸奥は自分に云いきかせるようにうなすいた。この血の気の多い秀才は、自分の才能を愛し てくれた坂本に酬いるために、すでに死ぬ気になっている。 「そこで、あんたに頼みがある」 むく

5. 幕末

絵師冷泉為恭 此者安政戊午以来、長野主膳、島田左近等に組し、種々大奸謀をエみ、酒井若狭守にび、 ひならず ちゅうばっ 不正の公卿と通謀し悪虐数ふべからず。不日我等天に代り、誅罰を加ふるべき者也。 ( 原文のまま ) いわば、天誅予告の公開状である。為恭、、 、」が、かって長野、島田と結んで悪虐をきわめたという のはすこし酷だが、いずれにしても書き手は為恭をねらう洛中の尊攘浪士であることはまちがい 新選組からは米田鎌次郎がきて筆蹟をしらべたり、所司代からは与カ加納伴三郎が配下の同心 数人をつれてきて貼り紙を撤去し、冷泉屋敷を警護したが、その程度の護衛ではもはや為恭の恐 怖は癒えなかった。 「わたしは、殺される」 終日ロ走り、夜に入ると眼がすわったまま動かなくなり、綾子がなんとなぐさめても耳を藉そ りうとしなくなった。 泉「米田様や加納様が、お屋敷を警護してくださるではありませぬか」 冷 為恭は、首をはげしくふった。かれらとて公務がある。ほとばりがさめれば引きはらってしま 四うにちがいないのだ。 っちのえうま

6. 幕末

「あっ」 と、山尾は、小さく叫んだ。むこうから駕籠がきた。駕籠の先に提灯が一つ、それに駕籠わき で若党が持「ているらしい提灯がゆれながら近づいてくる。定紋をみれば、まさしく塙次郎である。 ばつ、と俊輔はとびだし、 「奸賊」 駕籠にぶちあたりそうな勢いで突進した。 駕籠が、どさっと投げ出された。なかの塙はころび出た。駕籠かきも若党も逃げ散ってしまっ て、いない。塙は這いころびながら、 「塙だ。なんの恨みがある」 と叫んだ。俊輔は大刀をふりあげ、ふりおろした。が、馴れぬというものは仕様のないもので、 何度ふりおろしても、間合の見当がっかなくて切尖がとどかず、そのつど、がちつ、がちつ、と 地上をたたいた。 その点、山尾は剣に心得がある。 ぬ 突き殺してしまった。 な 死そのあとは、俊輔も夢中で突き刺し、やがて刀の死体の首にあて、押し切るようにして首 で を切った。 ん さら 死 それを付近の屋敷の黒塀の忍び返しにひ 0 かけて梟し、天誅の意を書いた用意の捨札を地に突 きたてて、闇の中をころがるようにして逃げた。 キ、き ! う

7. 幕末

「やります」 「よかったな」 山本は、ちょっと皮肉な顔でいった。 「君がもし拒むならば、この秘密を知った者として、命をうしなうところだった」 これが、慶応三年六月十四日の夜である。ふたりは、その夜から共に行動をはじめた。 四 かも 二人は、宮川町に入った。町並は鵯の東岸、四条と五条の間にわたる南北の町で、かっては私 しようくっ 娼窟であったが、嘉永四年以来、公許の遊廓になっている。 けんにんじ 北へ突きぬけたところが、団栗辻である。やや建仁寺寄りの路地奥に、山本が、住谷寅之介の おんな 妾宅だ、という借家がある。溝のそばに、住谷の情婦が植えたのか、朝顔がからんでいる。 「わかったな」 「ふむ」 通りすぎ、十軒ばかり奥へ行ったが、そこは袋で突きあたりになっていた。 「だから、都合がいし」 不意に、がらっと格子戸があいた。二人とも、軒端の闇に身を寄せた。出てきたのは、女であ った。ちらっと啓輔の方をみた様子だったが、気がっかぬようであった。住谷の妾だろう。二人 とも、胸に妙なものが溜まった。音殺は、その家の女をみればしくじるという。刺客に、憐みが のきば あわれ

8. 幕末

三枝は一礼してそれを読み、 「心が一つになったな」 と、めすらしく破顔した。親友の朱雀操も三枝がこれほどさわやかな徴笑を見せた記憶がかっ てなかった。 「やろう。どの洋夷をやる」 と、朱雀がいった。三枝はうなずき、 「大国がいし 。英国とする。公使といえば大将であろう。その首を一刀両断し、安政以来攘夷殉 とむら 難の志士を弔おう」 三枝は、最後の攘夷志士の、い境にまでなっていた。自分が時流に遅れつつあることはすでに気 づきはじめている。しかし男子たる者が、節を捨てて時流に乗ってよいものかどうか。 攘夷は、多くの志士にとって天の声であった。三枝蓊も家を捨て、生死の間を流転し、ついに こんにちまできた。死を賭けた攘夷をいまさら捨てられるものではない。 朱雀に見せたのは、辞世である。 今はただ何を惜しまむ国のため 君のめぐみをわがあだにして あだにして、とは御親兵に取りたてられた天朝の恩にそむいて脱出する、ということであろう。 歌人朱雀操がみせた歌は、さらに悲痛である。もはや攘夷の時代おくれであることを知りつつ、 なおその志操に殉する、という心懐がこめられている。

9. 幕末

治左衛門はひきかえして、松子から笠をもらい、歩きだした。 あたごやま 集合地は、愛宕山である。山上の社務所付近で落ちあうことになっている。 石段をのばるころには、白雪がすでに二寸は積もっていた。 ばたんゆき のばるにつれて、足もとに市中のみごとな雪がひろがってきた。雪はすでに牡丹雪にかわり、 舞い重なって落ちてくる。 ( このぶんではまだ降るな ) からかさ 社務所付近には、すでに同志があつまっていた。唐傘、羽織、マチ高袴といった普通装束の者、 かつばすがた 笠をかぶって股引姿といった者、合羽姿、まちまちである。同志十八人。 この少数で、彦根ほどの大藩の行列に斬り込んで功を収めうるかどうか、たれしもの気持に多 少の不安があった。 「やあ、治左衛門」 と、佐野は傘をさしかけてくれた。このほか黒沢が微笑して寄ってきた。あとの水戸侍は治左 なじみ かいごさきのすけ ごじつだん ~ 倒目ーと馴氿木が薄しオレ 、。こナこどこかよそよそしかった。海後嵯磯之介、森五六郎などの後日譚では、 治左衛門をみるのははじめてであったという。かれらへはすべて、佐野竹之助がひきあわせの労 をとった。 やがて総指揮者関鉄之助の最後の注意があり、数人すっ石段をおりはじめた。 ものみ やがて桜田門外の掛茶屋に入った。すでに井伊屋敷付近へは斥候として岡部三十郎が行ってお り、行列が門を出るや、合図を送ることになっていた。

10. 幕末

この当座は、 十な 「たかが町人首」 せん 奇と清河も気にもとめなか 0 たが、幕府はこれを奇貨とし、詮議にかこつけてかれの一統を一せ けんそく いに検束する方針をたてた。その内報が清河の耳にも入「たから、すばやく道場をたたんで江戸 清河はこの男が何者であるかを知っている。 「笠の下をのそいてみたいか」 すぐ見物が、立った。あちこちの軒端からこわごわのそいている人目に気づくと嘉吉は虚勢を 張り、にツと凄んでみせた。 「見てえや。 このとき清河の備前無銘の業物が一閃した。ぐわ 0 と嘉吉の胴から血がふき、首は笑ったまま、 軒の上まではねあがって、やがて三軒むこうの瀬戸物屋のどぶ板に驚くほどの音をたててころが ( 斬れる ) 清河は歩きながら刀身をぬぐい、鞘におさめた。首を切 0 てもまるで手ごたえがなか 0 た。 清河の七星剣は、これで第二回目の運命の変転をかれに与えることになる。 っ , ) 0 のきば