汗をかきながら分厚い取扱説明書をめくり続けた。 そのうち先方のご家族が起き出してくる気配なども伝わり、もちろんわが家の家族も目を 覚ました。一時間にわたるパニックののち、わが家の唯一の理科糸である娘の「バッカじゃ ないの」という指示により、ファックスの電源は切られた。 その後、娘にこんこんと説教をされた。 わが家系に奇蹟のごとく出現した理科糸受験生は言うのである。 「これがファックスじゃなくて核弾頭のボタンだったら、どうするつもりなの。エラ 1 じゃ すまないのよ。がどんなに優秀になっても、それを起動させるのは人間だということを て 忘れてはいけません」 つはい。おっしやる通りです。もし私が核兵器の管理者であったのなら、全世界が破滅して 言もなお、は勝手に飛び続けていたことになる。 の こうして私は、おのれが最新鋭ファックスを取り扱う資格のない愚かな人間であると思い 中 夜知った。この点について文糸的に言うならば、尊敬すべきものはひそかに愛しこそすれ、 び決して手を触れてはならぬのであろう。 たあの夜、謹厳な部長のご家庭に降って湧いた災難を、私は知らない。ちょっと無責任だけ
りんしよく あらゆる物品の購入に関して、極めて慎重かっ吝嗇であるはずの私が、わが家の一室に最 新鋭業務用ファックスを導入した理由は、ひとえにこの利器に対する尊敬の念からであっ というわけで、版元音羽屋に関連金名を紹介してもらい、身内価格をさらに値切り倒して この最新鋭機を買ったのであるが、実のところ犠が上等すぎて、何が何だかわからんので ある。 ために、かって本稿でも書いたが、真夜中にアイ・バンクの留守電にアクセスしてしま 「ご遺体についてのご連絡は・ : : ・」などというコメントにえ上がったこともあった。 実は先日、この北の複雑さのためにまたしても失敗をやらかしてしまった。過ぎてしま えばけっこうおかしいので、まあ聞いてくれ。 たびたび自著の宣伝となって恐縮ではあるが、十月下旬に『鉄〕に続く第一一短篇集 『月のしずく』が到何された。 聿枋の出版というものは一種の文化事業であるから、到何の前後にはさまざまな伝統的儀 式が行われる。 まず、刊行日の数日前に見本が刷り上がると、担当編集者が作家のもとに持参し、手渡 す。このときの神聖な雰囲気は、あたかも母親が生まれたばかりのわが子を父の手に托す場
心身ともにコリ性である私は、しばしばマッサ 1 ジ師のお世話になる。自宅には松下電工 が世界に誇る最新鋭機「モミモミ・ア 1 バンリラックス EP596 」を始めとする、各種マ ッサ 1 ジ機器を保有し、なおかっ週に一「三度は欠かさぬサウナ浴の後には、必ず五十分間 の指圧を受けている。 かように揉まれ慣れている私にとって、ヘタクソなマッサージほど頭にくるものはない。 てなにしろわが愛機「モミモミ・ア 1 バンリラックス EP596 」は、最大揉み速度毎分三十 6 七回、最大たたき速毋分七百回、しかも十一一センチの距離で自動反復というスグレモノな のである。 的要するに、そんな私にとってはほとんどのマッサージが生ぬるい。効かないのである。 虐で、毎度「もっと強く ! 」と注文をつけ、マッサージ師に嫌われる。 わが家のごく近所に突如として天然温泉が噴出し、巨大健康ランドが出現したという話は % 以前にも書いた。サウナ、プール、アスレチックジム等を完備し、きようび流行のカラオケ 好きなようにして」というところであろうか。抵抗も復もできぬと悟ったとたん、あえて 苦痛に身をねる快感が襲ってくる。 やはり俺はマゾなのであろうか、としつつ行ったサウナ風呂で、私はひどい目にあっ
まためんたいこが来たわけではない。猫の子が産まれたのである。昨年わが家にやってき た捨て猫のトモコが、みごと玉のような三匹の子を産んだ。 かって本稿にもしばしば書いている通り、本当のことを一一一一口うと私は人間ではない。猫であ る。猫がたまたま人間のなりをし、小説を書いたり競馬に行ったり、確宀疋申告をして税金を 払ったりしているだけなのである。 ということはつまり、私にとっては内孫が同時に三人生まれたのと同じことで、これにま さる慶事はない。 人間のなりをしている不心得な猫を除いても、わが家の猫はこれでつごう七匹になった。 私の幸福感は何よりもまず猫の数に比例するので、絶頂期の十三匹にはまだ遠く及ばぬが、 相応の幸福に酔いしれている。 一年前、半死半生の込態でわが家にやってきたトモコは、その後なんとか一命を取りと め、美しい娘に成長した。これはかわゆい。はっきり言わせてもらうが、この春から人間の なりをして予備校に通っている娘よりもずっとかわゆい そのトモコがめでたく三匹の子を産んだのであるから、産まれたての子猫のかわゆさとい このかわゆさばかりはいかな形容も思いうかばず、と ったら、まこと筆舌につくしがたい。 うてい文章にはできない。 この数日間、昼夜わかたず三十分おきに段ボ 1 ル箱を覗きに行き、一匹ずつ掌にのせて鑑
216 このところわが家の猫情報を求める読者の声がさかんに届く。 猫好きは猫の話で徹夜ができるので、書くのは容易、書きたい気持ちも山々ではあるが、 話材としては趣味の領域であると思うから辛抱している。 リクエストにお答えして、今回は猫で行く。もはや辛抱たまらん。 トモコはわが家の末っ子で、昨年の秋口に親しい編隹杢右が拾ってきた。何でもマンション の玄関に段ボ 1 ル箱ごと捨てられて、ニャーニヤ 1 と鳴いていたのだそうだ。編隹杢名の家に はすでに猫が三匹もおり、これ以上は飼えぬというので私が引き取ることにした。 名前はトモコと付けた。熱心な読者の方にはお聞き憶えのある名であろう。拙作短篇集 『月のしずく』の中に収められた「ピエタ」という小説の主人公の名である。 恋の季節について
わが家の一一階には六畳大のふしぎな部屋がある。 白い壁紙を貼りめぐらせた日当たりのよい一室なのであるが、どことなく冷ややかで無機 質で、そのくせ真夜中でもざわめきや小さな悲鳴が絶えない。 近ごろではこういうふしぎな部屋をお持ちのご家庭は多いと思う。 壁回りに、まずパソコン。業務用と家庭用のファックスが二台。電子ピアノ。そして電動 式仏壇。これがわが家におけるこの部屋の住人たちである。そう、ごく最近、自衛隊の同期 生有志から機密保持のためのシュレッダーが贈られ、この部屋のメンノ ヾーに加わった。 もちろんそれらの多くは、私の仕事の合理化のために設置せられたものなのであるが、当 の本人はいまだ一階の書斎で、で櫪に原稿用紙を拡げ、古色蒼然たるスタイルで万年筆をふ るっている。 ふたたび真夜中の伝言について
271 吉事について 賞している。おかげで寝不足である。ちなみにこの原稿を書き始めてからだって、すでに三 度も見に行った。 三匹の子の内訳は、純白が一一匹、ミケが一匹、性別は未だ不明である。 こう書くと、本稿を通読なさっておられる方は、オヤ、と思われるであろう。そう、これ はまこと思いがけぬ結果なのである。 めおと もともとわが家にはキャラという純白の牡猫がおり、ゆくゆくはトモコと夫婦にしようと 考えていた。年回りもころあいであるし、何よりキャラは飼主に似て性格がよろしく、病弱 なトモコの面倒をよく見た。彼女が九死に一生を得て美しい娘に成長したのは、ひとえにキ ャラの愛情があったればこそなのである。 ところがあろうことか、この春先からわが家の周辺にショウちゃんというアメリカン・シ ョ 1 トヘアの牡猫が出没し、トモコを誘惑したのであった。 とかく女はプランドに弓 ) 。 トモコはたちまちキャラを捨てて、ショウちゃんのもとに走 ったのであった。そしてほどなく、子を宿した。 親としての私の悩みは並大抵ではなかった。末娘が同じの嫁を捨てて、どこの馬 の骨ともわからぬ猫、しかもひとめで女たらしとわかる外人にさらわれたのである。 もちろん恋人を奪われたキャラの落胆たるや、正視にたえぬものであった。飯も食わず外 出もせず、日がなべランダから空を見上げて、溜息ばかりついていた。
180 煙のごとく消えたのであった。 「こういうことをェッセイなんかに書くと、のちのちタメになりませんからね」 と税理士は一 = ロっていたが、この際わが身を省みずに書くことにする。 六五パーセントという最高税率は、ひどいと思う。むごいと思う。グローバル・スタンダ ードなどという理屈は言わない。汗水流して、座椅子に寝起きし、過労性貧血でしばしば救 急車の世話になってまで稼いだお金が六五パーセントも税金として召し上げられるのはひど 。ひどすぎる。 江尸時代の封建制度下ですら、年貢には「五公五民」という原則があって、これが崩れれ ば一揆が起こったのである。一生縣叩に働くことそのものにペナルティーを科すような税制 は、ちっとも公平ではないと私は思う。 あえてグロー ハルな見地から一言えば、アメリカの最高税率はニューヨーク州の場合で四 六・四五パーセント、イギリスの場合は四〇パーセントで、しかも地方税がない。六五パー セントの税率はおそらく、ぶっちぎりの世界一であろう。 小説家になりたいがために、若い時分から犠牲にしてきたものは計り知れない。まさしく 身〈糶旧しまず、人と別れ、物を捨て、筆一本でジャパニーズ・ドリームをわが未来に実現さ せようと努力してきた結果がこれだと思えば、文化も文学もくそくらえ、という気分にな る。
わが家から車で五分という至近距離に、突如として温泉が湧いた。 しかも蹌な多摩山中、豪華クアハウス付きで、この秋堂々のオープンを飾ったので ある。 何という福音であろう。車で五分ということはつまり、歩いても行ける距離なのである。 銭湯よりも近いのである。銭湯マニアで大の温泉好きで一流サウニストを自負する私の、の みならず温泉はおろか銭湯にもサウナにも行けぬみじめな私の、書斎から脱走してわずか五 分の場所に、巨大クアハウス付き天然温泉がオ 1 プンしたのである。 編集者を応接間に待たせたまま、「ちょっとタバコを買ってくる」とか嘘をついて温泉に 行けるというこの福音。 あるいは愛犬パンチ号のおさんばの道すがら、「いいかね、ちょっとの間おとなしく待っ ふくいん 福音と孤独について
ある私はその翌週、つまり前回の本稿「贈り物について」において、 〈めんたいこなら博多一中洲の「ふくや . に限る〉 と圭日いわ尾。 ところが、である。その原稿を送った翌る日、こんどは「福さ屋」様から段ボール一箱分 のめんたいこが贈られてきたのである。つまり、〈めんたいこなら博多中洲の「ふくや」に 限る〉という私の原稿と、「福さ屋」様からのプレゼントが行きちがいになっちまったので あった。 さらにその翌る日、福岡在圧の知人が近ごろ評判だという「稚カ榮」のめんたいこをドッ サリと持ってきて下さった。 べつだんの他意はないのである。原稿の締切日と宅配便の到着日のわずかな誤差により生 じた筆禍であることを、「福さ屋」様ならびに「稚加榮」様にはご理解いただきたい。 ちなみに、お送りいただいためんたいこはすべて賞味しているが、どれも甲乙つけがたい て しささかつら ほど旨い。だがしかし、白米とめんたいこのみで生きることかれこれ三週間、ゝ っ 。しかもこれまでの消費ペースとその残りを計算すれば、少なくとも向こう一カ月半ぐら 事 いこの生活が続くことになる。 ところで話は全然変わるが、数日前、わが家に吉事があった。