開戦当初と少しも変わらぬ「二、三年はともかく数を書かなければいけない」なのである。 版一兀の思うッポ、と言えよう。 たしかにデビューから一「三年の間は必死になって原稿を書き、毎年五冊の単行本を出し た。しかしその時分には初刷が八千部とか一万部、それも増刷なしのポッキリであったか ら、相互に悪い影響を及ばす心配はてんでなかった。 ところが近ごろでは、初版部数が八万部とか十万部になり、それらが中一一カ月のペースで 刊行されてくる。こうなると、私はてめえの足を食って生きるタコである。もっとわかりや すく一一一一口うと、「同士討ち」なのである。 初版の出足がよく、多少の増刷が決まって、さあいよいよこれからというときに、次の本 がドサッと出てしまう。後発有利の大原則によって、本来ならもっと伸びるべき先発の部数 は停滞する。このくり返しなのであるから、版元の思うッポというより、実は税務署の思う ッポなのであろう。 私は小説家だから嘘つきである。しかし、嘘はつくが約束は守る。 「デビュー一「三年体制」のまま遥か未来まで仕事の約束をしてしまっているから、今後の 改革のいかんにかかわらず、少なくとも向こう三年ぐらいは、この悲劇的同士討ち状態が続 くことは目に見えている。 仕事の約束をしたときはこっちも死ぬ気で原稿を書いているから、一一年後の連載と一言われ
つまりこういうことをしよっちゅう言っているものだから、編集者たちが業を煮やして私 を満洲くんだりまで担ぎ出した、というわけだ。 いつものことであるが、海外旅行に際しては前倒しの原稿が山積する。とりわけ今回はま ったく予断を許されぬ連日の締切が打ち続き、すべての仕事を片付けて車に乗ったとたん、 原因不明の熱発をした。インフルエンザの再発のようでもあり、花粉症のようでもあり、ダ ルマのように端座し続けていたがために体の節ぶしも痛く、クソが三日も出ておらぬかわり に痔が出、おそらく満洲のどこかで四度目の靍舐に見舞われるのは必定と思われた。 ところが、飛行機の中でウンウン唸っていたにもかかわらず、大連空港に降り立ったとた んあらふしぎ、カラッと気分が晴れちまったのである。 かって満洲と呼ばれた中国東北部への旅は積年の夢であった。 望郷の念、などと言えばこの地でご苦労をなさった方々には失礼であろうと思うが、いっ か満洲を舞台にした小説を書きたいとい続けてきた私にとって、そこはまさに望郷の地で て あった。 にガイドの話によれば、中国東北部を訪れる日本人観光客は、この数年めつきり少なくなっ 望たそうである。つまり、望郷の旅をなさる方々がそれだけお齢を召してしまった、というこ となのであろう。たしかにこの地方の気候風土や交通宿泊の便は、ご年配の方にとっては厳 しいものがある。 ′」う
ある私はその翌週、つまり前回の本稿「贈り物について」において、 〈めんたいこなら博多一中洲の「ふくや . に限る〉 と圭日いわ尾。 ところが、である。その原稿を送った翌る日、こんどは「福さ屋」様から段ボール一箱分 のめんたいこが贈られてきたのである。つまり、〈めんたいこなら博多中洲の「ふくや」に 限る〉という私の原稿と、「福さ屋」様からのプレゼントが行きちがいになっちまったので あった。 さらにその翌る日、福岡在圧の知人が近ごろ評判だという「稚カ榮」のめんたいこをドッ サリと持ってきて下さった。 べつだんの他意はないのである。原稿の締切日と宅配便の到着日のわずかな誤差により生 じた筆禍であることを、「福さ屋」様ならびに「稚加榮」様にはご理解いただきたい。 ちなみに、お送りいただいためんたいこはすべて賞味しているが、どれも甲乙つけがたい て しささかつら ほど旨い。だがしかし、白米とめんたいこのみで生きることかれこれ三週間、ゝ っ 。しかもこれまでの消費ペースとその残りを計算すれば、少なくとも向こう一カ月半ぐら 事 いこの生活が続くことになる。 ところで話は全然変わるが、数日前、わが家に吉事があった。
307 われた。 ③同じ経緯のさなか、担ぎこまれた救急センターに「週刊現代」の編集者が原稿督促にき ④「これ以上仕事をしても無意味です」と税理士が言った。 ⑤既刊著書の内容について三浦和義氏から告訴をされ、ペンも握れぬほどの綿的ダメージ を受けた。 きよ、フう ⑥対抗誌、対抗誌、等から酒色の饗応を受け、簿外の金銭を贈られた。 ⑦禾申告の隠し所得をあろうことか長銀の株券に替えており、しかもこればかりはエッセイ のネタにすることもできず、自己嫌悪に陥った。 ⑧かかりつけのマッサージ師から、「エッセイなんかやめなさい」という啓一小を受けた。 て ⑨不教上の理由から禁欲生活に入り、煙草をやめ、競馬をやめ、ついでに仕事もやめること っ にした。 シ⑩ちかごろギャグの切れが悪くなったと自省し、気合を入れて原稿に向かったところ、気合 が余ってクソをもらしてしまった。そこで長期にわたる連載がついにおのれのアイデンテ フ イティーと化している現実を知り、人間的幸福を希求することにした。 ⑩ある日突然と、仕事には誠実でなければならぬと思い立ち、「無名作家のサクセス・スト ーリー」という全四巻単行本の原稿が揃ったこのタイミングで、いったん連載を打ち切る とくそく
306 まことに突然かっ勝手ながら、本稿をいったん休載させていただくことになった。 ちしつ のつけからこういうふうに書くと、原稿のパターンを知悉している四年ごしの愛読者の方 は、「というのはマッカな嘘で、今回はサウナ風呂の話をする」とかいう続き文句をたちま ち予想なさるであろう。 しかし、マジである。ともかく今回をもって、しばらくの間お休みをさせていただくこと こよっこ。 ではここで問題。休載の理由は、次のうちどれであろうか。 鵡談社と著者との間で、原稿料アップの交渉が決裂した。 ②サイン会場で過労性貧血のため倒れ、医者から「当分の間いっさいの仕事はやめろ」と言 リフレッシュについて
誠に避ながら私は徹底的な機械オンチで、彼らを制御することはまったくできない。も っともそんな私だからこそ、彼らから授かる恩恵もまた大きいのであるが。 ことに、私はファックスという犠を尊敬している。 いったいどういう仕組みなのかは知らんが、文字や図柄が電話線を通じて電送される。こ ふくいん の利器の登場により、小説家が授かった福音ははかり知れない。 第一に、原稿の受け渡しが瞬時にして行われるので、編隹杢旧と無駄話をせずにすみ、旅先 からでも行方不明中の謎の場所からでも、何ら支障なく連載小説を送ることができる。その 結果、多くの旅先作家、地方在住作家、海外居住作家が出現することになった。ファックス 江は小説家に人間的解放をもたらしたのである。 9J 第一一の利点として、いちいち電話の応対をする必要がなくなった。原稿が一段落ついたと 言きにファックスを覗けば、連絡事項はちゃんと文書になって配達されている。しかも、それ のらをファイルしておけば約束事を忘れることもなく、記録にもなるのである。 夜第三に、連絡の時間帯というものをまったく気にする必要がない。夜中だろうが明け方だ びろうが、書き上がった原稿を送ってしまえば仕事はおしまいで、一方の編集者たちも夜中だ たろうが明け方だろうが、連絡事項を送ってさっさと帰宅してしまえばよい。ともに不規則な 時間割で生活をしている私たちの業界で、このコミュニケーションのありかたは積年の夢で あったといえよう。
七月十六日。きようは何とも落ち着かぬ一日であった。 そう、第百十九回芥川賞・直木賞の選考会が開かれたのである。 再び「受賞作なし」の悪夢にうなされて、まだ暗いうちに目が覚めてしまい、日がな机に 向かっていたのだが、原稿は遅々として進まず、読書をしても目は活字の上をうつろに滑っ てしま一つ。 て 午後九時のニュースで受賞作決定の吉報に接した。直木賞は疆【見ぎさん、芥川 っ 賞は藤心 & んと花椪坪さんということで、まずはめでたしめでたし。 解何はさておき〕 ( 金聶の記者会見場に駆けつけてしたいのだが、あいにく明日締切の 原稿を山のように抱えている。ちなみに、そのうちの一部は本稿である。 昨年、直木賞をいただいたとたん、何だか自分でもわけがわからんほどの大騒ぎとなり、 解放について
308 べきだと考えた。 正解はあえて伏せるが、むろんこの中にある。 多くの読者は「多忙のため」もしくは「健康上の理由」を考えるであろうが、それはちが 私は本稿を作家としての代表作のひとっと信じており、心に映りたるよしなしごとをそこ はかとなく書きつづったおばえは一度もない。したがって仕事上のプライオリティーからす ると、「多忙」は理由にならぬ。 また、私は男であるから、ロがさけたって生半可なことで「健康上の理由」とは一一一口わぬ。 むろん癬に冒されているわけではなく、煙草をったり競馬に出かけたりしているのだか ら、たまに救急車に乗ったくらいでこれを口にすれば嘘になる。 ポテンシャルも失ってはおらず、クオリティの低下もなく、 いわんやネタ切れなどではな い。だがしかし、ときおり既刊の内容をて、物質的に満たされた分だけ視線が高くなっ たかな、と思うところがある。 気のせいかもしれない。しかしたとえ万が一にでもそうした現象が原稿のうえに現れてい るのであれば、これは作家的生命にかかわる重大事であろう。この点については本稿の既刊 単行本三冊、およびこの一年の原稿を厳密に読み通して、精査する必要があると思う。
年末に至って、私をめぐるオートメーション・ラインはさらに巨大化、精密化し、フト気 て 6 が付くとナゼか香港のホテルでこの原稿を書いている。 おばろな記憶によれば、たしかおとついの朝方、新年号のための各社の原稿を書きおえ ン た。ひと眠りしたあと、例によっていずこからともなく迎えの車が来たので、とりあえず身 ャ ジ仕度を整えて乗ると、知らぬ間に帝国ホテル内の料理屋でよく知らない新聞社の人たちと昼 ン食を食っていた。たぶん夢ではないと思う。 会食が終わるとロビ 1 に次の一団が待ち受けており、「あとはよろしく」「ごくろうさまで イした」というような会話が、私の存在とは関係ない感じでかわされ、インタヴュ 1 が始まっ メ た。その後、近くにあるプレス・クラブで通信社のインタヴューがあり、ものの一時間後に は銀座の中華料理店で、どこかの忘年会に出席していた。 メイド・イン・ジャパンについて
「うるせえっ ! あっち行ってろ」 久方ぶりに回し蹴りをくれて編隹杢「を遠ざけ、私はお得意の「その場仕事」にとりかかっ 書類の但し書きに日く、 〈出国の臟税関に届け確認を受けておけば、帰国の際、その品物に税金はかかりません〉 ということは、これを書いておかなければ、帰国の際すべての外国製品に税金がかか るのであろう。知らぬこととはいえ、今まで一度もこの書類を書いていなかった私は、ずつ と脱税を続けていたのであろうか。 血液型 < 型、しかも一兀自衛官である。顔に似合わず、とてもとても几帳面なのである。 まだに「お小遣帳」をつけているのである。いや、ここだけの秘密だが、毎日「反省帳」 「お怨み帳」「ご恩帳」等の私的記録を、原稿執筆の合い間にきちんとつけているのである。 外国製品ーーそう。このたびの香港旅行に際して、私が国外に何する外国製品のすべて をこの書類に記入せねばならぬ。けっして簡単な原稿ではない。なぜならば私は本年四度に 及ぶ海外旅行で、すっかりプランドオヤジと化しているのであった。 書類には、品名、数量、銘柄、特徴、番号カラット等を書けと、厳密な指定がされてい 書き洩らしてはならぬ。読者は常に完全を期待しているのだ、と私は思った。