しかし、そのとき私はついうつかりと、約束の日がその日であるということを忘れていた のであった。ために、周到に用意していた「ごめん、どこかになくしちゃった」というセリ フのかわりに、「ああ、ゲラならできてるよ」と口をすべらせてしまったのであった。 編隹杢名はニッコリと笑って言った。 「朝早くから申しわけありません。約束の時間だとサイン会にお出かけになってしまうと思 って、ちょっと早めに来ました」 「そうか。ならちょうどいいや。車の中で疑問点とか、説明とかするから、一緒に乗って 「よろしいんですか。他社の車の中でゲラのやりとりなんて、何だか悪いみたいですけど」 かくて私は『最新刊・霞町物のサイン会場に向かう一時間半の道中みっちりと、『最 新刊・天国までの百マイル』の校正を完全におえたのであった。 て 以上のごとき連鎖により、矢継早に並んでしまう「最新刊」であるが、「量的維持・質的 っ 向上」のポリシイはきちんと実行していると信する。 討ただしこれを、共産主義的スローガンであると誤解してもらっても困る。現状はすでに国 士家総動員体制下における総力戦の段階であるとご理解ねがいたい とにもかくにも、ネクスト・ワン。
262 我が家には一日に平均一一回の宅配便がやってくる。 うち一回は出版社からの新刊書籍、もう一回は贈り物である。 私は人に物をあげることは大嫌いだけれど、もらうのは大好きなので、贈り物に関しては そのパッケージにくるまれた愛情、人情、 ~ 珊見、下心、要するに善意も悪意も全然関係な 、喜んで頂戴してしまう。 折しもお中元の季節。日に一一回の宅配便はそのつどたくさんのパッケ 1 ジを玄関先に積ん で行く。ふつうならうんざりするところだが、善意も悪意も信じず、義理とか慣習とかいう こともてんで頭にない私は、ただ天からおいしいものが降ってきたような気分で玄関に駆け つける。 さきごろ本稿に「消えためんたいこ」の話を書いたところ、博多の老「ふくや」様から 贈り物について
なかった。だから初めて自分らしい、納得の行く作品を書いたとき、ずっと胸の中に温めて いたタイトルをつけた。 メトロ 吉川英治文学新人賞をいただいた『地下鉄に乗って』は、私が新宿の地工廻であかず眺め たポスターの、キャッチ・コピーである。 やさしく微笑みかける子の則に、「メトロに乗って」と書かれていた。
120 病が本復するやいなや、たちまち都心に躍り出て暴飲暴食、当たるを幸い床中で学んだ 『インフルエンザ』のをたれ、「虚弱な人間や用心の足らぬ人間は何度でもぶり返すから 気を付けよ」などと言いつつ、てめえがぶり返して寝こんでしまった。 要するに私は虚弱で用心の足らぬ人間なのである。 こうなるとまさか『インフルエンザ』を読み返す気にもなれず、オリンピック中継は見て いるだけで寒気がし、虚心坦懐、本来の職業に立ち返って小説を読むことにした。 梁石日著『血と骨』は在日人の血族の半世紀を生々しく描いたカ作で、虚弱で用心の 足らぬ私には、二つとない薬であった。 ところで、この作品の書評を新聞社に寄せたのもっかのま、きわめてショッキングな事件 報道に見舞われた。新井将敬代議士の自殺である。 きよしんたんかい 虚心坦懐について
126 いちじっ 三十年近くも前の、その冬の一日のことを私は今も克明に記憶している。 十五の齢に家出をしてからずっときままなアパート暮らしで、勉強はあまりせず、文学三 昧の四年間を過ごした。出版社への執拗な原稿持ち込みと新人賞への応募が仕事のようなも のであった。 そんなわけだから、当然大学は浪人した。今から思えば、大学に行くことにさほどの執着 はなかったのであろう。ひたすら小説家になることばかりを考えていた。 秋の終わりに三島由紀夫が死んで、その小説家という職業がわからなくなった。で、翌る 年の受験に第一志望校を落ちたら、自衛隊に入ろうと心に決めた。 めいせき 安直といえば安直、明晰といえば明晰である。つまり一流大学で示説ーのソフトを学ぶ べきか、自衛隊に行って「小説家」のハードを解明すべきかという選択で、それはおそらく けつべっ 訣別について
ぜそうした欲望が現実の事件として起きにくいのかというと、むろん理性とか良識とかがコ ントロールしているからである。この理性や良識がいかにして失われたかというところに、 問題のすべてはあるように思う。 くん、く かってわが国には儒教的モラルというものがあり、非常にわかりやすい形で青少年の訓育 がなされていた。 まず、「五徳」という五つの徳目がある。「温」「良」「恭」「倹」「譲」。 これらは読んで字のごとくわかりやすい。あえて教えられなくても、こういう人格を備え ねばならぬということは誰だってわかっている。できるかできないかはともかく、わかって はいるのである。儒教的教育が否定された戦後にも、この五徳は学校でも家庭でも生きてい る。 一方、「五常」という五つの常識がある。「仁」「義」「礼」「智」「信」。 問題はこちらである。いく ぶん概念的であるので教育の場では解説を要し、「修身」や て 「道徳」の学習時間がなくなったとたん、これらのモラルは少年たちの心から消えてしまっ っ 3 それでも「礼」と「智」と「信」は社会生活と密着しているので、多少形を変えてでも生 き続けている。いや形を変えながらむしろ偏重されていると言ってもよい たとえば入社したばかりの新入社員を見てもわかる通り、優秀な人材はみな正しく、
121 虚心坦懐について ひきよう 第一報に接した私の感想は多くの国民と同様、荷と東怯な」荷と身勝手な」というもの であった。しかし死の前日に彼が記者会見の席上で、「虚心坦懐に受け止めていただきたい」 と語っていたことを思い出し、その通りに考え直してみなければならぬと思った。 まうむ 公人でありながら、命とともに事件をも闇に葬った彼は卑法である。だが、公人とて生身 の人間にはちがいないのだから、公人としての彼はさておき、私人としての彼の死について 考えてみる必要はあると思う。 ちなみに「虚心」とは、「心にわだかまりを持たず素直であること」というほどの意味で、 『非子』には「喜びを去り、悪しみを去り、むを虚しくして以て道の舎となす」とある。 すなわち私たちは、テレビや雑誌を通じて政治をわかりやすく説いてくれた彼に対する賛辞 も、その彼が犯した利益供与の罪に対する憎しみもとりあえずはさておき、彼の生と死につ いて、心をからつばにして考えねばならない。この事件を「道の舎」とするためである。 こころたい 「坦懐」は「懐を坦らかにする」という意味で、転じて「仲よくする」ことである。やはり 怒りも悲しみも、さておくこととしよう。 新井将敬代議士は在日韓国人として大阪市に生まれ、十六歳で日本国籍を取得した。 成績が優秀で、いわば期待の星であった彼が日本に帰化したことについて、友人たちの間 では少なからず非難があったという。むろん熱血漢の彼のことであるから、すでに彼なりの
ザ」とは呼ばず、もつばら「流感」と言っていたような気がする。 と、このあたりまで読み進んだところで、私はを頭に載せたまま書庫に潜った。悲し き職業上のである。 明治四十五年刊『日本疾病史』によると、流行性感冒は「明治一一十一一一年の春、我が邦にイ ンフルエンツアの大流行ありしとき、新に用ひられたる名称」とある。 明治一一十三年の大流行というのは「お染かぜ」「電光感冒」と呼ばれたインフルエンザの ことで、それ以前の大流行には、あたかも台風のように則がつけられていた。 お駒かぜ ( 安永五年・一七七六 ) 、お七かぜ ( 享和二年・一八〇一 l) 、琉球かぜ ( 天保三 年・一八三一 l) 、アメリカかぜ ( 安政元年・一八五四 ) ううむ。昔の人は偉い。決して 「香港型」なんて言わないのである。 てさて、世界的に猛威をふるったインフルエンザといえば一九一八年の春から翌年にかけて 6 の「スペインかぜ」。 議もともとは第一次大戦中の西部戦線で発生したのだが、各国の兵隊たちがウイルスととも に復員してしまったために世界的大流行をひき起こした。世界中のスペインかぜによる死亡 行 流 者は一五〇〇万人から一一五〇〇万人の間であったと進疋されるので、何と第一次大戦の人的 被害など較べものにならぬのである。 なにしろイギリスでは二〇万人が死亡し、アメリカでは当時の人口の〇・五パーセントに
中一一カ月で次の「最新刊」が出てしまうということは、書店の店頭に並ぶどの本のオビに よなよ も「最新刊」と銘打たれていることになり、矛盾も甚だしい。事情を知らぬ読者は、私を嘘 つきだと思うにちがいない。 さて、なにゆえこのような効率の悪いことをしているのかというと、べつに版一兀のせいで はない。作者の私が悪いのである。 かって故・井上靖先生が、「デビューして一「三年の間はともかく数を書かなければいけ ない」、というようなことを言っておられた。顔に似合わずけっこう素直なところのある 私は、当時その記事を何かで読んで、シカと肝に銘じたのであった。 めでたくデビュ 1 を果たしたのちはその言葉をあだや忘れず、来る仕事はことごとく受け て必死に原稿を書いたのである。 以来、たぶん一「三年はたっている、と思う。 て 井上靖先生は三、三年はともかく数を書かなければいけない」と仰一 = ロったが、では四年 に目からはどうしたらいいのかということを教えては下さらなかった。で、どうしたらいいか 討わからん私は、いまだに「デビュ 1 二、三年体制」のまま、原稿を書き続けているのであ る。果、こ一ついうことになった。 同 たぶん、デビュー以来六年か七年ぐらいたっている、と思う。その間、吉川英治文学新人 賞と直杢員をいただいて、戦線は一気に拡大した。にもかかわらず軍司令部からのム哭は、
ー著者一浅田次郎 1951 年東京都生まれ。 1995 年「地下に乗って」て、吉川 ぼつぼや 英治文学新人賞、 1997 年「鉄道員」て、直木賞、 2000 年「壬生義士伝」て、柴田 錬三郎賞をそれぞれ受賞する。著書は「蒼穹の」「珍妃の井戸』「シェ工 ラザード』「歩兵の本領椿姫三薔薇盜人」など多数ある。また、本作をも ってとりあえす終了する工ッセイ『勇気凜凜ルリの色』シリーズも好評。 デザイン一菊地信義 いろまんてんほし ゆうきりんりん 勇気凜凜ルリの色満天の星 あさだじろう 浅田次郎 0 Jiro Asada 2001 20 年 8 月日第一刷発行 発行者一一野間佐和子 発行所ーー株式会社講談社 東京都文京区音羽 2 ー 12 ー 21 〒 112 ー 8001 電話出版部 ( 03 ) 5395 ー 3510 販売部 ( 03 ) 5395 ー 3626 業務部 ( 03 ) 5395 ー 3615 Printed in Japan 工 S B N 4 - 0 6 ー 2 7 5 2 2 5 ー 4 ( 庫 ) 容についてのお問い合わせは文庫出版部あてにお願いい 送科は小社負担にてお取替えします。なお、この本の内 落丁本・乱丁本は小社書籍業務部あてにお送りください。 製版 印刷 製本 講談社文庫 定価はカバーに 表示してあります 凸版印刷株式会社 豊国印刷株式会社 株式会社国宝社 本書の無断複写 ( コビー ) は著作権法上での例外を除き、禁じられています。