280 高コレステロ 1 ル、脂肪近視と遠視、腰痛、不整脈等の症状を抱えており、身体強堅に はちがいないが、それは職業的にタフ、というほどの意味にしかすぎない。 こんな私でも、たった一週間の訓練で宇宙に行けるのであろうか。 回答は簡単であった。一一〇〇一年に始まるこの宇宙旅行は、宇宙飛行士が携るほどの本格 的な飛行ではなく、離着陸はふつうの滑走路から行い、飛行時間はわずか一一時間半、うち無 重力体験は一一分半だけなのだそうだ。すなわち、正しくは「宇宙体験飛行」と言ったほうが こうなると、やつばり九万八千ドルの正規費用は高い気がする。抽選にはずれた場合は正 規参茄をしようと思うが、問題は取材費として落とせるかどうか、事前に税理士と協議して みる必要はあるであろう。 かって中国で、科挙をめざした子供らはまず、四字一一百五十句からなる「イエ子文」を手本 として学ぶ。その冒頭に、「宇宙」の文字はある。 天地玄黄天は玄く地は黄いろ ひろ 宇宙洪荒宇宙は洪く荒しない くろ
はそう一一一一口う。 彼らは電に対してケツを向け、その国旗を焼いた行為を「名誉のため , と言うであろ う。だがそれはウソである。名誉ある者は金をよこせなどとは言わない。ましてや彼らは一兀 りよしゅ、つ 軍人である。まことの名誉ある軍人は大英帝国とその国民のために戦って死んだ。虜囚とな ることに不名巻〕を感じぬのはかの国民性かもしらぬが、少なくとも戦友たちの死の後に投降 した軍人が、半紀を生き永らえてなお安逸な生活のための金銭の要求をするのは、男子と して卑のきわみである。一兀軍人などではなく、軍人のクズであろう。 、くさ たかだか自衛隊経験があるぐらいで、も知らぬ文弱の物書きが何を言うか、と彼らは怒 るかもしれない。しかし、英霊となった彼らの戦友も、たぶん同じことを一一一一口う。いやおそら く、国賓の馬車にケツを向けなかった多くのジョンプルたちも、みな同じことを考えている てと私は信する。 6 日本はかってたしかに、近隣アジア諸国に対して愚かしい行為をした。しかし対等の立場 で、外交の一手段としてモ支を交えたイギリスに対して、悪い行いをしたとは思えない。捕 じ虜の待遇うんぬんという問題にしても、ひとえにイギリス軍が死を恐れて大量に投降し、日 本軍が死ぬまで戦った結果であって、だとすると国家の戦力たる軍人のモラルからすれば、 ク 不名誉な兵士たちが名誉ある兵士たちの末に対して金銭の要求をしていることになりはす まいカ
銀行の融資窓口に行って、「宇宙旅行に出かけるので四百万円貸して下さい」と言ったら、 はたしてマジメに考えてくれるであろうか。あるいはペプシコ社またはゼグラム社サイドに 「差額ローン」の準備はあるであろうか。 ま、何とか四百万は工面したとする。アメリカへの旅費は近ごろ仰天のノースウエスト新 価格、もしくは ・—・ co のチケット等を使えばさして負担にはなるまい 渡米後、一週間かけて宇宙旅行に必要な講義や各種訓練を受けるらしい。講義はまあよか ろう。しかし各種の訓練というのはちと気になる。 もしかしたら、わけのわからんに入れられて、目が回るような訓練をさせられるので はあるまいか。本稿にも何度か書いている通り、私は乗り物酔いをする。ことに「回り惚 に冫弓い。かって後楽園ゅうえんちの「魔法のじゅうたん」で搭乗甲にゲ口を吐いた苦い経 験もある。 て 訓練中に「不適格」と一言われたらどうする。だがゼグラム社も商売なのだから、そのあた にりは何とかしてくれるであろう。海外旅行にしたって、たかが乗り物酔いぐらいで帰れなど 行 とは言わない。 旅 宙 一方、たった一週間で講義も訓練もおえるというのは、ちと不安材料である。ふつゑ工田 宇 飛行士というものは、みな選りすぐられた強健な肉体を持ち、しかも数年にわたって訓練を 施されるのではなかろうか。私の場△只そりや自衛隊出身というキャリアこそあるけれど、
「意外だなあ。人間って、わからないものだなあ」 と、カメラマン。 「浅田さんがカジノを知らなかったなんて、女を知らないって言われたほうがまだしも信じ られますわ」 と、編隹杢名 0 。 「それ、エッセイとかに書かないほうがいいですよ。イメ 1 ジこわれるから」 と、画家。 「カタギだったんですね」 どのようなきれいごとを言おうと、やはり周辺は私のことを「極道作家」だと認識してい たのである。このさき文化人としてコペルニクス的な更生をいたそうと真剣に考えていた矢 先、私の落胆ははげしかった。 たしかに「飲む打っ買う」の極道ッラである。しかしその正体はと言えば、酒は一滴も飲 まず、バクチは近頃ほとんど仕事蓮載ェッセイ四本 ) の競馬しかやらず、女性に対しては っとめてかっストイックかっジェントルなのである。 そんな私がなにゆえカジノ童貞を笑われなければならないのであろう。一人ずっ張り倒そ うと思ったが、すんでのところでグッとこらえ、
191 解脱について 昨年の稼ぎをあらかた国庫に納めてしまい、あまっさえャケクソで挑んだアトランティッ ク・シティのカジノでもしこたま税金を取られ、失意のうちに帰国した週末、私はまた金持 ちになった。 第一一回示競馬五日目、第十一レースの青葉賞において、馬番連複一万九五四〇円の万馬 券をモロに的中させたのである。 どの程度のモロであったかは言わない。言いたいけど一言わない。言ったとたんにきっと税 務署員が来て、税金を払えと迫るにちがいないと思うからである。 ともかく、もういっぺんアトランティック・シティのカジノに挑戦できるぐらいの儲けで あった。 一兀来「嘆きは噛みつぶし、歓喜は分かち合う」タイプのよい生格である私は、こういうと げだっ 解脱について
詭弁であろうが真実であろうが、小説家がこの理想を心に抱いているかぎり、すなわち聖 職者たりうるであろう。 あらゆる文学賞は一種の権威である。 いわんや最も高名な文宀犇貝である直杢賞には、実質的に権威が伴う。 この「権威」という言葉は、ともするといやな意味にとらえられがちだが、私はそうは思 わない。「権」の第一義は「おもり」である。「威」の第一義は、「おごそかなるもの」であ ろう。だが別意として「権」には「いきおい」、「威」には「おどす」という意味もたしかに ある。 機械と同様に、言葉は人間が操るものである。「権威」を「おごそかなおもり」とするか、 江あるいは「いきおいに乗じたおどし」とするかは、権威者たるものの品生にかかっている。 つ小説家が聖職であるかぎり、この場合の後者はありえない。したがって、あらゆる文宀犇貝 チは社会における「おごそかなおもり」、文化の「重心」に他なるまい タ個人的な咸館の気持ちとは別に、この「おごそかなおもり」を授けられた私は、命をかけ ねばならないと思った。 まさに、「直貝売ることこそがありがとう」だったのである。 重心としての使命を果たすためには、お祭り騒ぎと言われようが、はしゃぎすぎると眉を
けえ 「旦那、へたな芝居はよしにしなせえよ。具合が悪いからもう帰ろうなんて、古い古い」 というようなことを言っていたのだが、私のあまりの苦しみように、 「だ、旦那 ! ちょいと辛抱していなせえよ、てえへんだ、てえへんだア ! 」 と、人を呼びに走った。 鑓としつつ、それでも世にも珍しき体育会系作家である私は、とっさにストレッチ を試みた。 そう、筋肉が攣った場合の応急処置として、まず当該鄧位を伸ばさねばならぬ。 しかしご存じの通り、この応急処置はさらなる痛みを伴う。下腿三頭筋、内転筋、広北肋 といった鄧位であれば、一人でも十分に黐させることはできるが、大腿四頭筋、一一頭筋な どの場合は他人の協力を得なければ無理なのである。 いわんや、大臀筋においてをや。 まずをついたまま尻を持ち上げた。とたんに強烈な激痛が脳天を貫き、私は天に向かっ て吠えた。 次に民家の壁づたいに立ち上がって、グイと腰を落とした。「おか 1 さーん ! 、と私は泣 痛みは全然静まらぬどころか、わが大臀筋はヘタクソなエクソシストの聖言に怒り狂った サタンのごとく、さらに剛直した。
「よし、わかった。ならばこうしよう。俺はこの勝ち分を一時所得として申告する。税金は 俺が支払うから一一一五〇ドルをよこせ」 この提案は拒否された。何でもマシンのカウントを税務署がチェックしており、カジノか ら税金を徴収するのだそうだ。つまり、カジノが税務署の仕事を代行して、いわば源泉控除 をする。 「そこを頼む。何とか」 と私は泣きを入れた。むろんこの泣きは通用しなかった。お気持ちはわかりますが、そう いうきまりなので、と礼儀正しい係員は言った。 「わかったよ。きまりなんだな。よおし、わかった」 はっきり言って私は負けず嫌いである。このきまりには久々に闘志が燃えた。払い戻され た八三七ドル五〇セントは、失うつもりの一万ドルとは重みがちがう。 かくてそれからの一一時間のうちに、私は全身全霊を尽くしてマシンに挑み、七〇〇〇ドル を引きずり出したのであった。 終わってみれば何のことはない、税金分だけキッチリ負けた。 もちろんそこでやめたのは、迎えの車が来たからではない。きまりに従っただけである。 好きで打っているバクチなのであるから、楽しんだだけの税金は払う。三三パ 1 セント は、決して法外な税率ではあるまい
278 えぬ。 この宇宙旅行の正規参茄費用は九万八千ドル。一九九八年八月一一十日現在のレ 1 トに換算 して、約千三百九十万円である。 ううむ、高いといえば高い気もし、安いといえばそんな気もする。ということは、適正価 格なのだ。ただし、九万八千ドルという値付けは、何となくバ 1 ゲン価格のようで、商業的 目論見を感じさせる。 ペプシコ社は無条件でこの旅をプレゼントするわけではない。厳正な抽選ののち、五人の 方に参茄費用のうちの一千万円をプレゼントする。正しくは「ご優待」である。 要するに一一〇〇一年のそのとき、一ドルⅡ百円であればタダだが、そうでなければ差額は 自己負担ということになる。近ごろの経済情勢をみるに、向こう = 一年のうちに円がそこま で値を上げる事態はまずありえまい。ほば現状のまま推移するとして、四百万円前後の差額 負担となる。 これはでかい。さきに千三百九十万円の総費用を安いといえば安いと言っておきながら、 あえてこう一一一一口うのはおかしいけれど、要するに大変な確半で当選しながらの四百万持ち出し というのは、ものすごく重い。 たとえば、いざ当選して宇宙旅行に出発という段になったとき、この四百万円が工面でき ない人はどうするのであろう。
ニューヨ 1 クでの予定も詰まっているので、帰りのリムジンは九時半に来る。少しは寝る ぺいと部屋に入ったとたん、ズボンのポケットからしわくちゃの一〇〇ドル札が三枚出てき た。一万ドル使い果たしたあとの残りカスというのは、何とも後味が悪い。そこで再び、三 〇〇ドルを握ってカジノに降りた。 みちみち、何となく予感がしたのである。私の人生はいつもそうなのだけれど、いわゆる 「最後のカッパギ」が効く。もうダメという土壇場でアドレナリンが爆発し、奇跡の逆転劇 が起こるのである。 て時間もないことであるし、サッサとポーカ 1 ・ゲームの一〇ドルマシン ( つまりワンコイ っンが一三〇〇円という高レートのマシン ) に座った。と、いきなり画面にフォ 1 カ 1 ドが並 び、サイレンが鳴ったのである。 係員がやってきて、「コングラッチレーション ! ーと言った。何でも大当たりで一二五〇 ドルの払い戻しなんだそうだ。 一だがしかし、直後に揉めごとが起こった。説明によると、払い戻しは一二五〇ドルなのだ パが、三〇パ 1 セントが税金、さらに三パ 1 セントがニュージャージー州のタックス。つごう ャ 三三パーセントを差し引いて、八三七ドル五〇セントを支払う、というのだ。 ジ 私は激怒した。あったりまえである。なにゆえルーレットやバカラではいくら勝っても税 金だなどとは言われぬのに、マシンが相手だとそうなるのだ。